山科会にて主題のゲームをプレイした。このゲームは所謂関ヶ原の合戦の合戦当日の戦いを、1Turn約30分、1ヘクス数百メートルのスケールで描いた戦術級ゲームである。今回の参加者は4名。東軍2名、西軍2名に分かれた。下名は西軍の北半分。石田、小西隊を担当した。

1Turn

このTurn移動できるのは、東軍の一部武将と西軍宇喜多隊だけである。両軍ともまだ接敵はなし。

2Turn

このTurnから両軍共本格的な行動開始となる。戦意溢れる東軍福島正則隊の先鋒部隊が宇喜多隊と接触する。宇喜多隊の最前線を占める鉄砲隊が轟然と射撃を開始。早くも福島隊の歩兵部隊(4-5-4)を葬り去った。幸先よいスタートに意気上がる西軍陣営。

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3Turn

東軍田中吉政隊が宇喜多隊に接触。福島隊の共同で宇喜多隊に猛攻を加える。さらに笹尾山付近では東軍黒田長政隊、細川忠興隊が西軍主将である石田三成隊に接触。猛然たる攻撃を仕掛けた。柵を構えて鉄砲を撃ちかける石田隊。しかし黒田、細川隊は銃火を物とせずに石田隊に襲いかかった。猛烈な白兵戦突撃を受けて次々と撃破される石田隊。このTurn、西軍は計6ユニットを失い、トータルの損害でも東軍の5ユニットを上回った。

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4Turn

東軍の攻勢はなおも続いたが、加藤嘉明隊の1ユニットが不用意な攻撃で自滅し、損害が6対6のタイになった。この機を逃さず参戦チェック攻勢を仕掛けた西軍。そのうち島津に対する参戦チェックに成功し、島津隊が西軍側に立って参戦することになった。たった4ユニットの島津隊だが、精強度では東西両陣営の中でも随一と言って良く。苦戦している西軍部隊にとって大きな助けになるはずだ。

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5Turn

全般に西軍が有利に戦いを進めつつある。苦戦していた石田隊も島左近(7-*-6)、蒲生郷舎(7-7-6)らの前線投入によって黒田隊の突破を止めている。先のTurnに参戦した島津隊は東軍加藤隊の前線を突破。侍大将島津豊久(7-*-6)が敵中を突破し、戦線後方に雪崩れ込んだ。
このTurn、長宗我部隊が西軍側に立って参戦。これにより全般的な情勢は益々西軍有利な状況となっていく。

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6Turn

敵中突破してきた島津豊久に対し、東軍は加藤嘉明隊の全軍を投入して反撃を実施した。戦力差+9以上で2D6で8以上が出れば豊久を葬れる筈だったが、出目は無情にも"7"。1つ足りずに豊久は敵中に行き残った。ちなみに士気値が"*"の島津豊久(や島左近、や石田三成)を葬り去るためには、士気チェックではダメで戦闘結果でDEを出すしかない。逆に言えば、これらの部隊は敵中に取り残されても、後退で死ぬことはないのだ。
敵の攻撃を跳ね返した島津隊は加藤嘉明隊と細川忠興隊の間隙を突破。両者の間に入り込んで、両者を分断した。また石田隊の正面では、侍大将島左近が、黒田鉄砲隊の6火力による集中射撃(2D6で10以上で討死)に耐えて前線を堅持している。

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7Turn

これまでは主に石田、小西、島津らの戦いを見てきたが、ここで宇喜多隊の活躍を見てみよう。東軍福島隊、田中吉政隊らと激闘を続けていた宇喜多秀家隊は、数で勝る敵の攻撃にひるむことなく、鉄砲隊の射撃によって次々と敵を葬っていた。一連の戦闘で福島隊、田中隊はいずれも兵力の半数以上を失って事実上の壊滅に近い状態になっていた。東軍は新たに京極隊が福島隊を超越して前進してきた。

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石田、小西、島津の正面では、相変わらず島津隊の猛進が続いていた。このTurn、細川隊が集結して島津豊久に対し+6の戦力差で白兵戦を仕掛けた。2D6で9以上が出れば島津豊久は討ち取られる所であったが、出目はなんと"3"。またもや幸運が島津に味方し、豊久はこの危機を乗り切った。そして島津隊の反撃によって東軍の加藤嘉明(5-5-4)が討ち取られた。両軍通じて最初の大名クラスの戦死である。

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そしてこのTurn、南宮山で戦況を伺っていた西軍の毛利隊が動き始めた。
「毛利隊動く」の報に石田三成は狂喜し、東軍全体に動揺が走った。
「話が違う」
と慌てる家康公。
そして松尾山に陣を敷く小早川秀秋隊も毛利隊の動きを見て西軍につく決意を固めていた。

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8Turn

今や南宮山、松尾山の全軍が西軍側に与して徳川家康本陣に向けて殺到していった。そんな中、東軍の侍大将可児才蔵(7-6-6)は獅子奮迅の働きを見せていた。戦線右翼で福島隊と接敵していた西軍赤座隊に対し、可児才蔵は手下の一帯を率いて猛然と反撃を仕掛け、僅か1Turnで赤座隊をほぼ全滅させた。

しかし戦線北翼では、東軍の戦線が既に破断界を迎えようとしていた。この時点で加藤嘉明隊は壊滅、細川、黒田の両隊も兵力の半数以上を失っていた。石田、小西の各隊も兵力の半数近くを失っていたが、島津隊は無傷で行き残っており、石田隊も島左近、蒲生郷舎、舞兵庫(6-6-6)といった錚々たる侍大将達は行き残って前線を支えている。
このTurn、黒田の前線を食い破った石田隊の侍大将達が戦線後方に殺到。黒田隊の後藤又兵衛(7-7-6)の退路を遮断し、黒田長政本人(6-6-6)もZOCによって捕捉した。

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9Turn

黒田隊は島左近に対して最後の反撃を試みる。戦力差+3の攻撃であり、2D6で11以上が出れば島左近は討ち取りとなるのであるが、またもや運命は西軍に味方し、島左近はこの危機を無傷で切り抜けた。
そしてこのTurn、包囲されていた後藤又兵衛が西軍石田隊の猛攻を受けて壊滅。又兵衛は壮烈な討死を遂げていた。さらに黒田長政隊も島左近、蒲生郷舎隊によって包囲され、後退路を断たれてしまう。もし黒田長政が討死すると、東軍の損害レベルが6以上となり、東軍外様部隊がいずれも士気阻喪状態になる。士気阻喪状態になると攻撃及び射撃の際に常に1コラムシフトが適用されることになるため、東軍は著しく不利になる。

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その頃、戦線後方の中山道付近では、追撃してきた西軍長宗我部隊と東軍浅野幸長隊が接触。交戦を開始していた。また戦線南部では、奮戦を続けていた可児才蔵が討死。また東軍筒井隊も壊滅状態となり、筒井定次(4-5-5)が討死した。

10Turn

島左近、蒲生郷舎に包囲されていた東軍黒田長政が討死した。この時点で東軍の損害レベルは8となり、東軍は士気阻喪状態となる。この段階でほぼ決着がついたと見た東軍プレイヤーは投了し、西軍の勝利が確定した。

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感想

プレイ時間は6~7時間。全24Turnなので40%程度まで進んだことになる。完遂はできなかったが、この時点で西軍の勝利はほぼ動かないので、ここでお開きにするのが適当だろう。もし完遂を目指すのであれば、2日連続例会のような機会を作る必要があるだろう。

今回は西軍の勝利に終わったが、全体的に西軍が有利だと思う。調略表の中に西軍にとってノーリスクのものがいくつかあり、そこで西軍有利な目が1度でも出ると、後は雪崩を打つように全体が西軍側に転がっていく。今回のプレイで言えば、第5Turnに起こった長宗我部の参戦がそれで、これによって東軍は小早川秀秋を味方につける可能性がほぼゼロになり、逆に毛利隊の参戦が時間の問題となってしまった。毛利隊が参戦すれば小早川も赤座も島津も吉川も全て西軍側につく。こうなればもう「メッケルの関ヶ原」だ。こういった事態を回避するためには、東軍はたとえ敵側につく危険があったしても、小早川秀秋の裏切りダイスを振るべきであろう。五分五分だと怖いので普通は東軍がダイスを振らないのだが、放置すれば状況は悪化する一方なので、たとえ危険だと思っても小早川秀秋の参戦チェックは振るべきだと思う。その結果小早川が西軍側に与することになったとしても、家康本隊の参戦が早まったと思うしかないだろう。

「激闘、関ヶ原」は簡単なルールで多くの駒を使いながらワイワイガヤガヤプレイするタイプのゲームだ。ルールは簡単。戦闘はエキサイティング、そしてドラマ性がある好ゲームである。やや西軍が有利過ぎるのでは、と、思わなくはないが、細かい勝ち負けよりはノリで楽しむゲームなので、これはこれでアリである。

どこかで是非再販してほしいゲームの1つだ。

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