11月半ばのソフィアゲーム会に参加し、The U.S. Civil War(GMT)をプレイしました。
以下はその記録です。

負けました。惨敗です

結果から言えば惨敗である。前回、6Turnサドンデスの雪辱を晴らすべく必勝の構えで臨んだ2戦目であったが、結果は前回に輪をかけて5Turnサドンデス。開戦後僅か1年で敵の軍門に下った。あまりに惨めな負け方なので、実の所詳しくは書きたくないのだが、以下に概要を期そう。皆で笑ってくれたまえ。

1Turn(1861年夏1)

今回北軍を担当した吾輩は、定石通りウエストバージニア州とミズーリ州の支配を実行。難なくこれに成功し前途洋洋と思われた。さらに大統領命令で南部侵攻を開始したマクドゥウェル(McDoWell 0-1-4★★★)麾下のポトマック軍は、マナサスジャクソン(Manassas Junction 1746)で南軍ジョセフ E.ジョンストン(J.Johnston 1-2-4★★★)麾下の北バージニア軍と交戦して撃破。この時は1年以内にリッチモンドで祝勝会が待っていると思ったものだったが・・・。

2Turn(1861年夏2)

勢いに乗る北軍は東部戦線でシェナンドー渓谷沿いに南下攻撃を実施。バーンサイド(Burnside 1-1-4★★)麾下の5SPがシェナンドー渓谷南部のスタントン(Staunton 1942)を攻撃しこれを占領した。対する南軍はバーンサイド軍の背後を断つべく反撃を実施。ハーパーズフェリー(Harper's Ferry 1545)とストラスバーグ(Strasburg 1643)を奪回する。この時、ハーパーズフェリーをアッサリ取られたことが、後後響くことになる。

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3Turn(1861年秋)

南軍がケンタッキー州に侵攻。ヴァンドーン(Van Dorn 1-0-5★★)他が率いる野戦軍がケンタッキー州を北上してルイヴィル(Louisville 1925)を占領する。前回はこれにヤラレタので、今回はすぐさま反応し、ビューエル(Buell 1-1-3★★★)麾下の9SPをオハイオ州から出撃。ケンタッキー州の州都フランクフォート(Frankfort 1927)を支配し、ケンタッキー州の連邦離脱を阻止する。
また別の部隊は南軍の隙を突いてケンタッキー州からテネシー州に侵攻し、州都ナッシュビル(Nashville 2622)を無血占領した時には、「まだ行ける」と思われたのだが・・・。

動きがあったのは東部戦線も同じで、敵中に孤立したバーンサイドが山岳地帯を経てウェストバージニアに帰還する間、南軍ジョセフ E.ジョンストン麾下の北ヴァージニア軍がシェナンドー渓谷で北軍ポープ少将(Pope 1-0-4★★)麾下の5SPを撃破。その勢いでハリスバーグ(Harrisburg 1247)からランカスター(Lancaster 1249)まで南軍の席巻を許してしまう。この北部侵攻によって4VPを失ったことが致命傷となった。

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4Turn(1862年冬)

北軍期待の名将グラント少将(Grant 2-2-5★★)登場。ケンタッキー州の州都フランクフォートに着任する。5SPの兵力を与えられたグラントはケンタッキー州にて反撃を実施。ルイヴィルに籠る南軍の背後を遮断した。勢いに乗るグラントは、さらにテネシー州に侵攻しクラークスビル(Clarksville 2521)を奪取。さらにテネシー川とカンバーランド川に挟まれた要域ドーバー(Dover 2619)を押さえて両河川のの制水圏を奪い返した。

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トランスミシシッピ方面ではドグファイト状態。南軍プライス准将(Price 1-1-4★)が策動してミズーリ州の拠点支配を目論む一方、北軍カーティス少将(Curtis 1-1-4★★)もそれを阻まんと機動で対抗する。

東部戦線では、ようやくポープとバーンサイドが合流。北部諸都市を南軍の支配から解放する。しかし南軍も主力をハーパーズフェリーに残しつつ、一部兵力でフレデリック(Frederick 1546)を占領し、「色褪せた栄光」によるVPロスを防いでいる。

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5Turn(1862年春)

西部戦線で南軍「ストーンウォール」ジャクソン少将(Jackson 2-2-5★★)が5SPを率いてドーバーに陣取る北軍グラント将軍を攻撃。これに勝利してグラント軍を撃破した。これによって攻勢のモーメンタムを失ったグラント軍は、一度コロンバスまで後退する。

東部戦線では稀代の名将ロバート.E.リー中将(R.E.Lee 2-2-5★★★)が南軍北バージニア軍の司令官として着任してきた。14SPの大兵力を与えられたリーは、北軍ポープ、バーンサイド連合の9SPを難なく撃破。そのまま北部州に雪崩れ込んだ。

このTurn終了時、北軍のVPが0となり、サドンデスラインの12VPからー12以下になったので南軍の勝利が確定した。

敗因

色々あるが、一番の敗因は第2Turnのバーンサイドによるスタントン攻略であろう。これによってハーパーズフェリーの守りが空になり、南軍による無血占領を許してしまった。ハーパーズフェリーを失うと、北部州の守りは極めて脆くなる。最終的にリーが登場したら同地陥落は止むを得ないが、それまでは絶対手放してはいけないポイントだと思う。ハーパーズフェリーを失わなければ、第3Turnの北部州侵攻による4VPのロスはなかったし、5Turnでのサドンデス負けもなかったと思う。

もう1つ、小さな敗因としては、西部戦線での攻勢遅れだ。ケンタッキー州からの反撃に拘ったため、南軍の聖域であるテネシー州侵攻が遅れる結果となってしまった。こちらは致命的ミスではないが、もう少し上手く立ち振る舞いたかったと思う。

他にも南軍の細かな策動によって無駄な動きを強いられたり、直接防御に固執するあまり相手の背後を切るような機動防御に欠けていたりと、駒さばきでもまだまだだった。我ながら修業が足りんなと思う。


おまけ

その後、時間が余ったので「ラコックの陰謀」をプレイした。こちらは[@@ 前回同様]解放軍を担当した。一応人民解放政府樹立までは漕ぎ着けたものの、その後主要都市を全部取られて完敗。プレイ後に盤面を見たデザイナー氏から「解放軍は駒さばきがまだまだ甘いですね」と一蹴される始末。こりゃ偉そうに戦略研究なんて書いている場合じゃないな。全く・・・・。

「教訓、エストールとガーランドは解放軍の兵力培養地である」

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とにかく散々な1日でした。だけど楽しかったです。

最後にワザワザ遠方から来て頂き、ヘボ対戦にお付き合い頂いたMさん、どうもありがとうございました。
また遊んでやって下さい。