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ニッポン核武装再論

兵頭二十八 並木書房

ニッポン核武装再論 北朝鮮情勢は依然として緊迫しており、一説によれば水爆を搭載した核ミサイルを同国が保有している可能性があるという。もしこれが事実で、それが日本に向けられた場合、その被害は想像を絶するものになるだろう。死者は数十万からひょっとしたら数百万から一千万に及ぶ規模になるかもしれない。そしてそれは決してフィクションの世界ではない。現在既に実在しているか、あるいは遅くとも数年以内には実現するであろう近い未来における脅威なのである。
戦略家として著名なエドワード・ルトワック氏は言う。「戦争が平和を生み、平和が戦争を生む」と。そして氏は言う。平時においては脅威が眼前にあっても「まあ大丈夫だろう」と考えてしまい、相手と交渉もせず、攻撃を防ぐ方策をも練ろうともしない。そして相手の攻撃を招いてしまう。まさに現在の日本を象徴するような言葉だ。
本書は日本における核武装について記した著作だが、筆者が念頭に置いているのは北朝鮮の核兵器だけではない。筆者はむしろ中国の核兵器を大きな脅威として捉えている。これは本書の書かれた時期(2003年)では、まだ北朝鮮は核実験を実施しておらず(核保有の噂はあった)、中国の核兵器が現実の脅威として捉えられていたこともあるが、一方で日本人は忘れがちな中国の核兵器について筆者はその脅威を主張したかったのかもしれない。
本書は自主核武装の必要性について書かれた著作だ。筆者は敵の核攻撃を防ぐ最も有効な手段として、核武装を説いている。筆者によれば、核を防ぐことができるのは核だけであり、ミサイル防衛システムや通常兵器による精密攻撃で敵の核攻撃を防ぐことはできないとしている。敵に核攻撃の意思を放棄させる最良の手段は、敵をして核を使用すれば即時に同一の反撃を受けるという脅威だけである。なるほど核兵器の存在は全ての戦争を防ぐことにはならなかった。しかし核兵器による抑止力は確かに機能した。あの冷戦時代、東西間で直接的な軍事衝突がなかったのは、決して「平和を愛する諸国民の公正と信義」によるものではない。東西両陣営の核戦力と通常戦力が一定のバランスを維持していたからである。これは極東地区でも同様であり、日本が西側諸国の一員として戦後発展を遂げてこられたのは、米国を初めとする同盟国の核戦力及び通常戦力が敵対国のそれと拮抗又は凌駕していたからである。繰り返すが、決して「平和を愛する諸国民の公正と信義」によるものではない。

本書は日本における核武装のあり方について1つの考え方を提供する著作である。日本の核武装に賛成する者も反対する者も、一度は読んでみて損のない著作と言えるのではないだろうか。

お奨め度★★★★


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