北近江の小谷城。日本のウォーゲーマーなら、その名を知らない人は殆どいないと思います。北近江の雄、浅井長政の拠点。姉川の合戦で織田信長に敗れた後、3年間持ちこたえた後落城。その際に炎の中から逃げ延びたお市の方と浅井三姉妹の物語は歴史上あまりにも有名です。
3月初旬、まだ雪が残る小谷城に登ってみました。
麓に「小谷城戦国歴史資料館」というやたら大げさな箱モノがあったので、その前に車を止めます。そこから標高差約300mの小谷山頂を目指します。追手道から山に入り、急な斜面を登りつめて小谷城の主稜線に出ます。そこからは緩やかな登りが続き、眞柄峠を越えて番所跡に出ます。この番所跡までは車で登ることができ、ショートカットする場合は車でここまで来る手もありです。
番所跡からは小谷城の本命。お茶屋跡、桜馬場跡、大広間跡を経て、浅井長政が籠った本丸跡、さらに羽柴秀吉が奪取した京極丸跡、その後方に浅井久政が籠った小丸跡と続き、その先端に小谷城主稜線の最高峰である山王丸跡に繋がります。
山王丸からは峠を経て小谷山最高峰の大嶽城跡、さらには谷道沿いに屋敷跡が続いているのですが、峠道の残雪が多く残っていたので断念(アイゼンを持ってきたら良かった・・・)。元来た道を戻りました。
帰りは小谷山から見る北近江の景観を堪能しながら下山しました。正面に虎御前山、左手方向には姉川と北近江の田園地帯、さらに遠方には琵琶湖と竹生島が浮かぶという絶景です。小谷城の戦略的な有効性を改めて感じ入りました。
登山を終えて下山したのは11時過ぎ。所要時間は約1.5時間です。制高点として小谷城の価値は揺るぎないものがありますが、山城の弱点として稜線の脇から攻められると地積が得られない。また平時は不便なので近代城郭が山城から平城に移って行ったことも理解できました。
最後に麓にある「小谷城戦国歴史資料館」に立ち寄ってみましたが、まあこんな感じかな、という感じです。