もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2005年08月

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スパルタクスの戦いからそろそろ2週間。
新作ゲームをやりたいと思う。
そこで今回はCMJ#62の付録ゲームTigers in the Mistを取り上げたい。

「霧の中のタイガース」

うーん、嫌な響きだ・・・・。


ゲームの概要

このゲームは言うまでもなくバルジの戦いをテーマとするゲームである。
ユニットの規模は大隊~連隊。例えば独第12SS師団は戦車大隊3ユニット+装甲擲弾兵2ユニット、米第9機甲師団は戦車3ユニット+機械化歩兵1ユニットからなる。ユニットの能力は、ステップ数と1ステップ当たりの攻撃火力-防御火力、そして移動力でレーティングされている。1ステップ当たりの攻防火力は兵科によって一律決まっていて、国籍や装備車両等による際はない。その辺りはステップ数の違いにより表現されているのであろう。
マップはエリア方式。ただし移動は道路沿いにしか行えないため、実質的にはP2P(ポイントトゥポイント)となる。移動力消費は、1級道路=1、2級道路=2で、あとは彼我のユニットの存在、渡河等で移動コストが追加される。敵ユニットはとにかく、味方ユニットの存在によって余分な移動力を消費するのは、言うまでもなく交通渋滞を表したルールだと思う。いかにもバルジというルールだ(とは言っても、私、バルジ戦のことは殆ど知りませんが・・・)
戦闘は、両軍が同じエリアに存在するエリアで発生し、彼我の支援砲撃、防御側射撃、攻撃側射撃の順番で解決される。射撃は射撃ユニットのステップ数分だけダイス(D10)を振り、火力以下の目が出たら命中、目標ユニットが1ステップ失うというもの。後退ルールはなく、射撃戦はかなりブラッディになる。防御側は先に射撃解決ができる点、火力が大きい点(一般に防御火力の方が攻撃火力よりも大きい)、諸兵科連合効果によるペナルティが適用されない点(攻撃側は歩兵、戦車、砲兵がセットになっていないと相手の射撃命中率が+10%されてしまふ)。簡単なルールが特徴のこのゲームの中で、戦闘ルールだけは少し面倒な細則がある。
 曰く「クオリティが自分と同じ以下の敵ユニットを攻撃せよ」
 曰く「敵の全ユニットを攻撃せよ」
 曰く「防御側は敵1ステップユニットを無視して良い」
覚えてしまえば大したルールではないとは思うが、それでも最初に規定や例外をゴチャゴチャ覚えるのはちょっと面倒な感じもした。2度ばかり練習シナリオをプレイした所、最初はやや戸惑ったが、慣れれば大したことはない。ただ大規模なシナリオだと細かい規則を忘れそうで、一々確認しないといけないのは、ちょっと面倒かもしれない。

両軍の戦略

戦力の分析

このゲームは1ステップ当たりの戦闘力が兵科毎に一律で、兵科別の火力差もそれほど大きくはない。従って両軍のステップ数を比較するのも有効だろう。

Turn : German/Allied
16-1 : 184 / 65
16-2 : 184 / 65
16-3 : 189 / 66
17-1 : 193 / 85
17-2 : 193 / 85
17-3 : 196 / 101
18-1 : 248 / 128
18-2 : 248 / 128
18-3 : 248 / 131
19-1 : 255 / 131
19-2 : 255 / 131
19-3 : 259 / 138
20-1 : 283 / 153
20-2 : 283 / 153
20-3 : 285 / 157
21-1 : 291 / 167
21-2 : 291 / 167
21-3 : 291 / 172
22-1 : 291 / 222
(注)予想される両軍の損害は加味していない

全般として連合軍が圧倒的に不利である。ステップ数比較で初期は米独比率は約1対3。第17-3ターンに第10機甲師団を中心とする増援が到着し、ようやく対独軍比率が50%を超えるが、そのまま50%前後の戦力比で推移することになる。第22-1ターンに合計50戦力の増援を得てようやく対独比が80%近くに達するが、そこまで戦線を維持できるかどうか?。
このことから連合軍の戦略は自ずと見えてくる。消耗戦は禁物。敵と同程度の出血を続けていれば戦力比率はどんどん悪化し、いずれは戦線が崩壊するだろう。連合軍としては少なくとも敵に対して2倍程度の損害を強要し続けないと戦力比は維持できない。だから連合軍は無用な消耗を避けて可能な限り部隊を温存し、独軍による消耗戦略に巻き込まれないようにしなければならない。
独軍はその逆。自軍の損害を顧みず敵に出血を強いていけば連合軍はどんどん弱体化していき、やがては敵戦線が崩壊するであろう。

勝利条件の考察

戦力比から考察すると「連合軍がどこかで押し返す」という展開は望めそうにない。連合軍はズルズルと後退しながらも時間切れによる勝利を狙う展開になるだろう。連合軍はVPを24以下に抑えれば勝利する。ここで問題なのはVPが毎ターン加算されていくということ。ゲームの長さは7ターン。従って1ターン当たりの損失VP平均を4点未満に押さえなければ勝利はない。ここでは第3ターン終了時における独軍の獲得VPを3点以下に抑えることを目標に設定してみよう。
最前線に近いLuxembourg[16]、Aachen[37]には固執しない。合計しても2VPにしかならないから、取られても許容範囲である。マップ中央付近のArlon[62]、Bastogne[109]、Aywaille[128]、Liege[131]は是非守りたい。まあArlonは1VPだし、戦線中央から少し離れているので場合によっては放棄もやむを得ないが、後の三箇所は是が非でも保持したい。この3箇所でどれだけ長く保持できるかが勝敗を左右しそうに思う。難しいのはマップ北端の盤端エリアD、E、Fである。エリアE、FはVPの倍数も大きいので保持すべきである。問題はエリアD。VP倍数が小さいので場合によっては放棄もやむを得ないが、VPから判断すると微妙な所である。
独軍の立場から言えば、できるだけ早期にBastogne[109]、Aywaille[128]、Liege[131]ラインを突破したい。しかし兵力に優る独軍の場合、真正面から米軍叩く以外に連合軍戦線を出来る限り広範囲で攻撃を加えて、弱点を作り出して有利な状況を生み出す手もある。独軍は色々と策を弄することができて楽しそうだ。

一般戦術

地形効果は河川だけである。兵力に劣る連合軍は河川の防御効果を生かしてできるだけ独軍の進撃を遅らせたい。工兵隊の使い方が鍵になるだろう。またチャンスがあれば独軍工兵隊を狙い撃ちしたい。工兵がなければ架橋ができず、架橋ができなければ独軍は奥深くまで進撃できない。独軍が余程ヘマをしない限り工兵を潰すチャンスはないだろうが、それでも丹念に橋を潰すことによって独軍の渡河作戦を出血を強いる行為に変えることができるかも知れない。

米国製魚雷ネタの続きである。


主題:"US Navy Torpedoes"
副題:"Part Three: WW II devlopment of conventional torpedoes 1940-1946

第2次大戦期における米国通常型魚雷の発展

 ここでは「非ホーミング魚雷」の発展について書かれている。米国が大戦中に使用した魚雷は、航空機用Mk.13、潜水艦用Mk.14、そして水上艦用のMk.15が中心であった。それ以外に米海軍が大戦中に開発した魚雷は10種類以上あった。その中で実際に配備されたのは以下の4種類である。
Mk.16 潜水艦用魚雷 HTP(高揮発度過酸化物)を動力源とする。1970年代まで実戦配備された。
Mk.17 水上艦用魚雷 HTP魚雷
Mk.18 潜水艦用魚雷 電気推進式。日本船舶を約100万トン撃沈した
Mk.23 潜水艦用魚雷 Mk.14の簡易生産版。速度モードが1つになった。
 大戦時における米国魚雷の発展は、(1)推進装置、(2)弾頭、(3)その他、に区分される。

(1) 推進装置

 魚雷は、化学燃料と酸化剤の反応によって推進力を得る。一般に酸化剤は通常の空気が使われるが、空気中の酸素濃度は23%に過ぎず、残りは不要な気体であった。酸化剤の効率を高めるために、米国は最初純粋酸素に着目した。しかしその試みは頓挫し、引き続いて米国海軍が目をつけたのがHTP(高揮発度過酸化物)である。余談だが日本海軍が純粋酸素を酸化剤とする魚雷の開発に成功したのは広く知られている。
 最初にMk.10を改造したHTP魚雷が製造され、試験で好成績を収めた。続いてMk.15を改造したMk.17が新しい駆逐艦用魚雷として製造する計画が推進された。しかし戦争が始まり在来型魚雷の需要が高まると、新型魚雷の開発は後回しにされた。終戦までに数百発のMk.16(潜水艦用HTP魚雷)、Mk.17(水上艦用HTP)が完成したが、実戦で使われることはなかった。
 電気式の推進装置を装備した魚雷=Mk.18もあった。Mk.18は従来型魚雷に比べると低速で短射程であったが(当時のバッテリー技術やモーター技術では、十分な射程を持つ高速魚雷を電気推進方式で製造することは不可能だった)、製造が容易であり、また航跡を残さないので隠密の攻撃を可能とした。米海軍の調査によれば、大型戦闘艦に対する攻撃時を除いて、Mk.18による攻撃は従来型Mk.14/23による攻撃に比べて命中率で劣った。それでもMk.18は100万トンの日本商船隊を沈めた(潜水艦全体での日本商船隊に対する戦果は480万トン)。

(2) 弾頭

 2つめの発展はTNTに代わる新型弾頭=Torpexである。TorpexはTNTに比べると艦船に対する水中爆発力で50%以上強力であった。ただしTropexはTNTやRDXに比べると製造上の安全性に難があった。1942年にTorpex弾頭の発注が開始され、同年後半にTorpex弾頭が登場した。潜水艦部隊によるTorpex弾頭への反応は、1943年3月19日にUSS「ワフー」の第4回目の哨戒任務時に記録されている。
「1本のTorpex魚雷により、4000t級の中型貨物船はバラバラになり、2分26秒で海上より姿を消した」
「ワフー」の記録はその様子を伝えている。
この重大な発展はしばしば見落とされる。何故なら同じマーク番号だけで魚雷の搭載弾頭を識別することができないからである。Mk-14-3AはTNT弾頭に対応していたし、もっと一般的なMk.15等はTorpex弾頭に対応していた。さらに弾頭交換は補給艦やデポで簡単に実施できたのである。CimSubPacの哨戒レポートは、1943年4月まで魚雷の型番や弾頭種別を明記することを要求していなかった。

(3) その他

 他に興味深い発展としては、電気制御、海水電池(Seawater Batte)、パターン航走等がある。海水電池の採用は電池推進式魚雷の性能を大幅に向上させた。海水電池はMk.26Mk.36で使用されたが、Mk.26は殆どMk.14(蒸気推進)に匹敵する性能を示し、Mk.36に至ってはMk.16(HTP推進)を除いてすべての魚雷を凌駕する性能を示した。しかし海水電池は高価であり、それが大きな障害となった。
 パターン航走は、例えば船団のような目標が密集している海域まで一直線に航行し、しかる後にパターンに従った航走を行うものである。その目的は命中のチャンスを増すことであった。このアイデアは独海軍にとっては非常に魅力的なもので、彼らはFATとLUTという2種類のプログラムをUボード用魚雷に搭載した。米海軍においては、Mk.36Mk.42の開発時にパターン航走が組み込まれたが、両方の魚雷とも配備されることはなかった。Mk.16のいくつかのモデルはパターン航走能力を備えたが、そのうちにパターン航走そのものの有効性にも疑問が持たれるようになり、やがて廃れていった。

感想

 まず推進装置についてだが、純粋酸素を利用した酸素魚雷を知る我々日本人にとって、過酸化水素を使った米国製新型魚雷がどの程度だったかは気になる所である。そこで日米の潜水艦用魚雷を比較してみよう。

 魚雷名称 Mk.16 || Type95Mod2
配備[年] 1945 || 1944
寸法[in] 21*246 || 21*345
重量[lb] 3,922 || 3,814
速度[kt] 46.2 || 50.0
 射程[yd] 11,000 || 6,000(注)
弾頭[lb] 920TPX || 1,213Type97
(注)雷速約46ktで射程8,200[yd]

 カタログスペックのみから優劣を論じるのは危険であるが、少なくとも上表を見る限り過酸化水素魚雷と酸素魚雷を比較した場合、性能面で大きな優劣はないと思われる。戦後の米海軍が日本の魚雷をどう評価したのかは知らないが、ひょっとしたら彼らは過酸化水素魚雷を以って酸素魚雷に優越したと判断していたのかも知れない。

 次にTorpex弾頭について。困ったことに1942年はTNTからTorpexへの移行期であったらしい。だからガダルカナル近海で日本艦隊と戦った米駆逐艦が果たしてTorpex弾頭付き魚雷を抱いていたのか、それともTNT弾頭だったのかは闇の中である。1942年発注開始、1942年後半から登場してきたとあるから、ガダルカナル戦に間に合ったようにも思う。しかし、取り扱いの難しい新型魚雷をいきなり実戦部隊で使用するのか?、という疑問も依然拭えない。常識的に考えれば、1943年春頃実戦登場と考えるのが妥当なように思えるが、それを現在作成中の水上戦ゲームに反映するのは容易ではない。
 さてさてどうしたものか?。

参考:http://www.navweaps.com/Weapons/WTJAP_WWII.htm (日本魚雷の性能)

テレビで何気なく「新ウルトラマン」を見ていて気がついたこと。
夜間の戦闘シーンで、マットアロー1号、2号の翼端に緑と赤の翼端灯が点灯していた。
右が緑、左が赤と実際の航空機と同じである。
どうでも良いことなのだが、ちょっと嬉しくなった。

余談だが、ウルトラシリーズ(私の世代では初代マン~レオをさす)に出てくる防衛軍の航空機では、MATの機体が一番かっこいいように思う。初代マンのビートルはビジネス機っぽいし、セブンのホーク1号はでかすぎる。エースのタックアロー、タックスペースはやや軽薄な感じがするし(でもタックアローの基地からの発進場面は結構好き)、タロウやレオに至っては漫画でしかない。

余談ついでにもう1つ。
上記のエピソードは、怪獣「ベムスター」の交戦時の話。
この戦いでMATは宇宙ステーション1基を失い(乗員は全員殉職)、さらに戦闘機3機(アロー1号×1、アロー2号×2)が不時着。隊員1名が重傷、3名が軽傷という惨憺たる損害を被った。
それに対して敵たる「ベムスター」に与えた損害は殆ど皆無(「ベムスター」はウルトラマンの新兵器=ウルトラブレスレッドで倒された)。これでは岸田長官(=どうやら地球防衛軍の高級将校らしい)が「MATは解散だ」とどなり散らすのも無理はない。
とにかくMATは弱い

こんなページを見つけたので紹介する。


主題:"US Navy Torpedoes"
副題:"Part Two: The great torpedo scandal, 1941-43

詳しくは実際に読んで下さい。それが一番確実です。

米国製魚雷のおける巨大なスキャンダル

 このページが取り上げているのは、1941~1943年、すなわち太平洋戦争前半期における米国製魚雷、特に潜水艦用魚雷Mk.14を巡るいくつかの欠陥についてである。本ページによると、Mk.14の欠陥は大きく取り上げると以下の3点であった。
 (1) 深度調整機構の不良
 (2) 磁気信管の不良
 (3) 着発信管の不良
 本ページでは、それぞれの欠陥をなした原因についての探求を行っている。(1)については魚雷の深度を計測する水圧計の配置不良、(2)は緯度の違いに伴う磁気補償機構の未熟、(3)は機構的な不良に原因があったとしている。

 またこれらの不良を生み出した背景として、
 (1) 1930年代における米国海軍の慢性的な予算不足(高価な魚雷を失うことを避けるため、実弾頭を使った実験は極力少なくされていた)
 (2) ニューポート魚雷センター(NewPort Torpedo Station/NTS-Newport)における魚雷開発/製造における独占性。
 を筆者は取り上げている。いずれも日本ではあまり知られていない事実であり、特に(2)については「NTS-Newport」又は「ニューポート魚雷センター」という名称そのものも日本では殆ど知られていないと思う(少なくとも私は知らなかった)。試しに"ニューポート","魚雷"でGeogleで検索してみたが、該当する資料はヒットしなかった。

 このページの内容で少し不可解なのは「潜水艦用MK.14で顕在化した欠陥が、水上艦用Mk.15では殆ど顕在化しなかった」と書かれていることである。筆者によればMk.14とMk.15の構造や性能は殆ど同じであるとのこと(全長が若干Mk.15の方が長いらしい)。筆者もこの点は不思議に思ったらしく、「Mk.15の方がMk.14よりも最大速度が若干遅いためか?」とか「水上艦による魚雷攻撃は混沌とした状況で行うのが常だから欠陥を確認する暇がなかったのか?」とか推測している。

感想

 米国側から見た魚雷開発史ということで興味深い内容であった。Mk.14の欠陥についても、原因の分類や科学的な原因探求など、いかにも「アメリカ的」なアプローチが興味深い。磁気信管の不良や深度調整機構の不備は、原因さえ判明すれば「なーんだ、そんなことか」と素人でもある程度理解できる内容だった。しかしそれを改善するまでに2年間近くの期間が必要だったという点、合理的と言われる米海軍にあっても不合理な面はあったのかな、と思ってしまった。本書の中では「不具合の根源」のように記されているNTS-Newport(ニューポート魚雷センター)であるが、日本では殆ど知られていないこの組織・設備が一体どのようなものであったのか、一度調べてみたい気持ちになった。
 不可解なのは、水上艦用のMk.15である。こちらの方は欠陥が殆ど顕在化しなかったとのことだが、果たして欠陥がなかったのだろうか?。本書によると潜水艦用Mk.14の欠陥が概ね是正されたのが1943年夏ということである。1943年夏といえば、8月に中部ソロモンでベラ湾海戦があり、その時米駆逐艦の奇襲攻撃によって日本駆逐艦3隻が瞬時に撃沈されるという事件が起きている。この海戦以降、米国の魚雷が次第に日本艦隊の脅威となっていくのだが、実はこれ以前は米国製魚雷は殆ど日本艦に当たっていない。ひょっとしたら潜水艦用魚雷で顕在化した魚雷の欠陥が水上艦用魚雷にも内在していて、その結果雷撃成果の不良という結果になったのではないか。筆者は「水上艦用魚雷では欠陥は殆ど顕在化しなかった」と書いているが、それは単に顕在化しなかっただけのこと。実は魚雷そのものは欠陥品で、それを米駆逐艦の乗組員達は気づいていなかっただけではないのか?。戦史を調べてみると、どうもそう考えるのが自然なように思える。

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(写真1)霧の中の大弛峠
(写真2)金峰山へ続く登山道

金峰山

またもや登山。今度は金峰山です。
日本百名山の一座を占める奥秩父の主峰です。

8/21
自宅0430-(車)->大弛峠0755
大弛峠0815->朝日岳0910/0920->金峰山1010
金峰山1020->朝日岳1135/1140->大弛峠1235
大弛峠1330-(車)->自宅1900

登山口まで

早朝自宅を車で出発。相模湖ICから中央高速に乗る。勝沼ICで高速を降りる。あとは大弛峠に向けて山道に入っていく。勝沼ICから大弛峠までの所要時間は約1時間であった。

大弛峠-->金峰山

勝沼付近の天気は晴れていたが、標高2360mの大弛峠は霧がかかっていた。幸い雨はまだ降っていない。
大弛峠に車を停めて、そこから金峰山目指して出発。歩いている途中の天候回復を願ったが、むしろ天候は悪化しているような気がする。霧は晴れる気配がなく、稜線部はかなりの強風が吹いている。そして雨も降って来た。もう最悪だな。
大弛峠から金峰山頂上までの所要時間は約2時間。途中アップダウンが何箇所かある。しかし元々の標高差が少ないのでコース上さほど困難を感じさせることはない。コースの大半は樹林帯の中を歩くが、朝日岳頂上付近からは眼下に広がる甲府盆地を一望でき(るはずであったが、今回は霧しか見えなかった)、金峰山頂付近はケルンが並ぶ山らしい風景である。重ねて言うが、天気さえ良ければ、展望は抜群であったろう。しかし今日の天気はダメだ。

金峰山-->大弛峠

金峰山頂に着いたのは1010頃。天気が良ければ、ここでお湯を沸かしてコーヒーとカップラーメンを愉しむつもりであった。しかし頂上付近は強風、しかも強くはないものの雨も降っている。下界はまだまだ暑い暑いと言っているのに、ここだけもう晩秋の気配である。山の夏は短く、もう秋がすぐそこまで来ているようだ。
10分そこそこの頂上滞在の後下山開始。相変わらず霧の中を歩く。風も弱まる気配がない。雨も時折降ってくる。それでも折角山に来たのだから、少しは写真でも撮ろうと思い、所々でカメラを出して写真を撮る。写真を撮りながら、しかもダラダラ歩いたので、大弛峠までの帰路は2時間強かかってしまった。

帰路

大弛峠に戻ってきたのは1235頃。軽く食事をする。もし天候が回復すれば、隣接する2つの山、国師ヶ岳と北奥千丈岳にも行ってみたかった。でもこの天候ではダメだ。諦めて下山することにした。麓の温泉に入って汗を流した。いつもながら登山後の温泉は極楽である。あとは家に帰るだけ。帰りは急ぎではないので高速を使わずに下道で帰った。道志の山間部を通って帰ったが、道志の山々が意外に大きかったので少し驚いた。この付近は著名な山が少ないのであまり注目していなかったが、家からも比較的近いし、ノンビリ登ってみるのも良いかも知れない。

感想

 何度も書きましたが、今回は天候が全てでした。天気予報によるとそれほど悪い天気ではなかったのですが、結果は最悪に近い状態でした。もしアルプスでこのような天候に遭遇したら、私は山小屋に逃げ込んでいたでしょう。でも逆に天気予報があまり良くなくても山は快晴ということもあるので(前前回の槍ヶ岳)、なかなか難しい所です。
 前回の南アルプスから中3日で今回の金峰山。ちょっとハイペース過ぎるかも知れませんが、これには理由があります(大したものではありませんが)。前回の仙丈、甲斐駒登山は、私にとって37番目、38番目の百名山でした。で、私の次の大きな目標は、日本第2位の標高を誇る北岳を制覇することなのですが、できればこれが私にとって40番目の百名山にしたいな、と密かに企んでいます。というのも、実は私にとって30番目の百名山は日本第3位の標高を持つ奥穂高岳だったので、40番目は北岳、そして50番目は富士山、という風にしたいな、なんて思っている訳です。
 ということはどこかで39番目の百名山を制覇しておかなければならない。とは言っても泊まりで行くほど時間が余っている訳でもない。だったら日帰りで、しかも楽に行ける百名山はないものかな、と物色した結果、金峰山に白羽の矢が立ったわけです。だから本来今回の登山は「とにかくピークをハントすればそれでOK」的な山歩きで、そういった意味からは目的を達成したのであります。
 でも、やっぱりどこか後ろめたい気持ちはありますね。だってそうでしょう。今回の登山は金峰山の魅力を全く感じることができないまま、ただ地図の上にマークを書き込んだだけですから。昭文社の地図に「大弛-金峰山コースは安直コースで、これだけで金峰山の真髄に触れることはできない」と書かれているのもかなり引っかかりました。次回はもうちょっとマシなコースで金峰山を歩いてみようかな、と思いつつ、でも他に登りたい山がたくさんあるのでやっぱり後回しだろうな、と思う私なのでした。

満足度20%

さあ、次はいよいよ白峰三山だ・・・。

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