もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2006年05月

イメージ 6

(写真)北アフリカの戦場で燃え上がるイギリス軍戦車隊

Steel Panthers WAWで北アフリカ戦

Steel Panthers World At War(以下SPWAW)にはまっています。
フランス戦が終わりました。
キャンペーンシナリオは1941年に入り、北アフリカ戦に突入しました。
フランス戦から1年経ったにも関わらず我が軍の戦車は、相変わらず3号E型と4号C型。そろそろ新型戦車が欲しい頃であります。

SPWAWについて、詳しくはこちら

最初の任務は砂漠での防衛線。支援部隊として投入した88mm砲4門が大活躍し、遠距離射撃で敵戦車を次々と撃破。ほぼ一方的な勝利を収めました。敵が失った装甲車両は計54両。それに対して我々は1両の3号戦車が擱坐しただけでした。

「ふふふ、圧倒的じゃないか、我が軍は」

2つ目のシナリオは進撃作戦。ここでは例によって苦戦を強いられました。幸い厄介な地雷原や重構造物等はなかったのですが、砂漠に身を潜める歩兵の大群に苦しめれました。不用意に敵歩兵陣地に接近した偵察車両が、敵歩兵の近接突撃によって次々と走行不能に陥っていきました。敵歩兵陣地を突破した後は敵戦車隊。しかしこちらは側面に回りこみ、戦車砲の集中砲火を浴びせて撃破。重装甲のマチルダだけは撃破できないので、集中砲火を浴びせて追っ払いました。結局このシナリオは我が軍の「辛勝」。やはり攻撃任務は難しいなあ・・・。


イギリス軍の装備

今回は色々と英軍の車両が搭乗してきました。面白そうなものを紹介します。

巡航戦車シリーズ


https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/d/e/deb0f107.jpg

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/4/0/40ec6c1b.jpg


元々は機動性を重視した偵察用戦車として製造されました。1930年代後半の戦車としてはそれなりに優秀な戦車だったのかもしれませんが、1940年代では火力、装甲防御力とも不十分で、まともに対戦車戦闘できるような代物ではなかったようです。
ゲームでも、その性能はドイツ軍にとって大きな脅威ではなく、威力不足を懸念された37mm砲でもこのクラスならば十分撃破可能でした。場合によっては2号戦車の20mm機関砲ですら側面装甲を貫通することができました。

この「巡航戦車」シリーズにはいくつかのバリエーションがあります。初期型はA9と呼ばれるMk.1で、その装甲を強化したのがA10(Mk.10)です。次のA13(Mk.3)では装甲は機動性能が大幅に向上しましたが、装甲防御力は再び弱められました。次のMk.4では前面装甲が強化されましたが、側面及び後面の装甲は脆弱なままでした。このシリーズには、3.7インチ(90mm)砲を搭載したCS型があります。場合によっては少し面倒な相手なので、早めに始末しておいた方が良いかも知れません。

Matilda 2


https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/b/9/b9998674.jpg


最大装甲82mmのこの「マチルダ」嬢は、全く厄介な相手です。主砲の2ポンド砲は大したことないのですが、ほぼ全面に張り巡らされた重装甲は、マチルダをして極めて「撃破しにくい」戦車としました。事実、88mm砲以外の火器でこのマチルダを撃破することはほぼ不可能で、仕方がないので私は集中砲火を浴びせて内部の乗員を参らせる戦法で戦いました。


その頃ドイツ軍は?

フランス戦から1年。北アフリカでも我々は新装備を入手していました。今回はその中からいくつかを紹介します。

88mm砲 Flak18


https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/d/4/d4f5ddca.jpg


北アフリカといえば、この兵器を外すわけには行かないでしょう。元々対空砲として開発された火砲ですが、対戦車戦闘にも優れ、北アフリカの戦場では度々猛威をふるいました。このゲームでも待ち伏せ戦ではほぼ無敵で、最初のシナリオなどは、わずか4門の88mm砲が30台近くの敵戦車を葬ったのです。
しかしながら攻撃戦ではこの火砲も威力が半減以下でした。第2シナリオで4門の88mm砲を牽引車両と共に用意した私。「敵戦車を遠距離に見ながら牽引を解き、発射準備を整えて遠距離射撃で敵戦車を撃破」というシナリオを思い描いていたのですが、結果は散々でした。牽引車から外して射撃準備を取ろうとした瞬間、周囲に潜んでいた敵歩兵や機銃陣地、さらには敵戦車からの集中砲火を浴びてあえなく沈黙。やはり88mm砲は防御兵器なのだな、とその時感じた次第です。


4号戦車D型


https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/9/d/9d54f50e.jpg


北アフリカ戦が実質的なデビュー戦となりました。C型に比べると装甲が強化され、特に弱点であった側面装甲が最大厚23mmまで強化されました。しかし北アフリカの戦場は、本車のような歩兵支援戦車にとって必ずしも最適な戦場ではなかったようです。特に対戦車火力重視の待ち伏せ戦では殆ど活躍の機会がなく、一方攻撃任務では過酷な対歩兵戦闘に投入されて多大な出血を見てしまいました。

おまけ

北アフリカ戦参戦時(1941/3)における我が戦車部隊の編成です。

 第1小隊 軽戦車x5両 2号戦車C型(2号戦車F型に改編中)
 第2小隊 軽戦車x5両 2号戦車C型(2号戦車F型に改編中)
 第3小隊 軽戦車x5両 1号戦車B型(2号戦車F型に改編中)
 第4小隊 中戦車x5両 3号戦車E型
 第5小隊 中戦車x5両 3号戦車E型
 第6小隊 重戦車x5両 4号戦車D型
 第7小隊 重戦車x4両 4号戦車C型


イメージ 1

ミッドウェー 淵田美津雄/奥宮正武

ミッドウェー海戦を扱った古典的な作品です。利根4号機の発進遅れ、雷爆交換作業、敵空母らしきもの見ゆ、空母防空戦闘、運命の5分間、飛龍の奮戦とその最期、山口司令官の最期等、ミッドウェー海戦にまつわる数多くのエピソードがすべて描かれています。ある意味では我が国におけるミッドウェー海戦研究の出発点となった著作の1つかも知れません。

また本書は単にミッドウェー海戦における航空決戦のみならず、真珠湾攻撃、インド洋作戦、ドゥーリットル空襲、珊瑚海海戦といった海戦に至るまでの戦局や、我が海軍が第2段階作戦としてミッドウェー攻略を決定するに至った経緯なども一通り記載されています。

さらに本書は単なる「戦記」モノではなく、航空出身者から見た当時の日本海軍のあり方やミッドウェー作戦での作戦指導のあり方について批判的な検証が加えられていることです。例えば筆者らは当時の日本海軍における戦艦の運用方法について「時代錯誤的である」と批判していますが、ミッドウェー海戦の経緯やその後の戦いにおける日米戦艦の運用の違いを見てみると、筆者らの主張は納得できるものです。

その他本書の中で興味深かった内容をいくつか紹介しましょう。
まず1つは、ミッドウェー守備隊を予定されていた太田実少将の連合陸戦隊が思いの他重装備であること。火砲は20cm砲を含めて106、機銃40、魚雷艇5、特殊潜航艇10。仮にこれだけの火力がミッドウェーに集結していれば、米軍はその奪回時にかなりの出血を強いられていたかも知れません。「タラワの恐怖」ならぬ「ミッドウェーの恐怖」が現出されていたかもしれません。まあ、その前に日本軍がミッドウェーを占領するほうが余程困難かも知れませんが・・・。

もう1点は日本側の航空索敵情報の変化です。最初に利根4号機が「後方に空母らしきもの1隻見ゆ」と報じたのは有名な話ですが、その後「蒼龍」の2式艦偵が「敵空母は「エンタープライズ」「ホーネット」「ヨークタウン」の3隻である」と正確な報告をもたらしました。と、そこまでは良かったのですが、その後「飛龍」が被爆する前後から索敵情報がまたまた不正確になってきます。午後遅くになって「筑摩」の水偵が「傾斜中の空母以外に空母4、巡洋艦6、駆逐艦15を認めた」と報じてきたのをはじめ、敵空母に関する様々な情報が飛び交い、最終的には「正規空母3、特空母2~3、大巡5、駆逐艦15」と聯合艦隊が判断するに至ります。このあたり、有力な航空索敵能力を失った側の悲哀ということもできそうですが、それよりも予想外の敗北に右往左往する当時の日本艦隊の姿を垣間見るようにも思います。

本書は巻末にミッドウェー海戦に参加した両軍部隊の一覧表が掲載されていますが、それは日米両軍とも駆逐艦、潜水艦の艦長級まで実名入りで掲載するという細かさで、(もし記述内容に誤りがなければ)資料的な価値も十分高いものだと思います。

総じて言えば、終戦後わずか6年目にしてこれだけの著作が発表されたことは驚くべきことで、その公正な記述姿勢や当事者ならではの白熱した場面描写は現在でも十分通用する作品ではないかと思います。

評価★★★★

イメージ 1

イメージ 2

(写真1)米空母Hornet(CV-12)、Essex級空母の1艦である本艦は、特攻機の命中を1度も受けなかった数少ない米正規空母の1隻となった。
(写真2)対空射撃訓練を行うHornetの40mm4連装機関砲


米海軍公式レポートに見るレイテ沖海戦(6)


興味深い史料を見つけました。

タイトルは「BATTLE EXPERIENCE - BATTLE FOR LEYTE GULF」。訳すると「レイテ湾海戦における戦闘経験」とでもなるのでしょうか?。レイテ戦における米軍の戦訓をまとめた資料だと解釈できるように思います。日付は1945年4月1日ですから、レイテ海戦から半年以内にまとめた資料ということになるのでしょう。そういった意味からは極めて史料性の高い内容だと理解することができます。

前回は、米軍のレーダーを追ってみました。今回は米軍の対空射撃について考察することにします。

対空機関砲

まず空母Essexは以下のように対空機関砲の増設を訴えています。

 1.以下のことを勧告する。許容限度である18基の4連装40mm機関砲を可及的速やかに搭載するべきである。現状では右舷艦首方向全域をカバーしているのはたった1基の40mm機関砲だけである。

 2.レーダーを搭載した最新型の40mm機関砲用方位盤の存在は、空母による対空防御を成功させるための必要条件であるように思える。

また空母Hornetは20mm機関砲の価値について疑問を呈しています。

1.夜間戦闘における20mm機関砲の価値は、既に火災を起こし照準しやすくなっている目標に対して以外は未だに疑問が多い。夜間の目標に対して、それらは艦のアウトラインを明らかにし、接近する航空機に美味しい目標を示すだけに過ぎない。しかし10月13日の夜間戦闘では、外周駆逐艦の射撃によって既に火災を起こしていたFrances(「銀河」)に対して正確かつ重厚な射撃が命中した。

戦闘実績

第13巡洋艦戦隊は自分達の対空戦闘について以下のようにコメントしています。

1.全般的には、任務群(Task Group)の対空能力は満足すべきものであった。我々は多数の敵機による波状攻撃を受けたが、多くの場合艦隊の正確な対空射撃がそれを撃退した。そして少なくとも3機を対空射撃のみで破壊している。

2.10月15日の午後に単独の敵機が我が艦隊を攻撃できたことは、その大半が単に敵パイロットの勇気と断固たる努力によるものに過ぎない。これらの両方の航空機は進入中に既に損傷を被っていたと信じられる。それにも関わらず両機は魚雷投下に成功し、最初の魚雷は正しく疾走し、それはHoustonに命中した。

3.Houstonを攻撃したFrances(銀河)は、退避中に徐々に高度を失い、そして艦隊外周から8000-10000ヤードの距離に墜落した。その時炎や爆発は確認されなかった。Santa Feを攻撃したJill(天山)は翼がひっくり返り、パイロットが艦の上部構造物を破壊しようと努力しているように見えた。それは艦首のすぐ近くに墜落した。それは海面上に突っ込み、ぐるりと回転して、激しい爆発を起こした。

(中略)

5.タスクグループの艦による完全レーダー管制による対空射撃は、目標仰角を決定し追尾することができる新しい機材が導入されるまでは、しばらく不満足な状況が続くであろう。


レーダー機材

レーダー機材の話が出たついでに、空母Hornetが非常に興味深いコメントを残しているので紹介します。

1.より良いレーダー機材が夜間における敵機の攻撃に対抗するために大至急必要である。現在生産に入ろうとしている5インチ砲用の新しいMark 12レーダーと40mm機関砲用のMark 17レーダーは、夜間目標を捕捉し妥当な命中率を発揮させるために射撃照準の正確性を向上する必要がある。10月12日から15日の間、5機の敵機が高度約6000ftで真っ直ぐこちらに向かってくるのを追跡した。距離約6000ヤードで5インチ砲による射撃を開始し、5機中4機の敵機を針路を逸らせたが、良好な解析値(good solutions)が得られたにもかかわらず命中したという確証は得られなかった。もし夜間射撃における成功を期待するのなら、レーダー装置は光学装置に迫るほどの精度が必要である。

2.対空射撃管制レーダーは、捜索レーダーが使用しているものに類似したIFF装置を装備するのが望ましい。いくつかの機会において、FDレーダーに探知されたながらも捜索レーダーによっては探知されなかった航空機が存在したが、その時分厚い雲や夜間のために敵味方識別が不確実であったために射撃できなかった。レーダーにより航空機を追跡することの利点は、友軍機が近傍にいる時は事実上無効にされた。

3.本艦においては40mm4連装は5インチ砲用の射撃管制システムに接続することができたにも関わらず、Mark 4レーダー固有の不正確さは、自動射撃を制御するためのこの射撃管制方式の価値を曖昧なものにした。40mm4連装機関砲の照準用としてMark 14照準器を使用するのに依存する方がより良い方法に思える。

4.Mark 4 FDレーダーは、前もって捜索レーダーによって探知されている目標を追跡する際に大変効果的であることを証明した。射撃管制レーダーは、CICにいる火砲レーダー連絡士官(Gunnery Radar Liaison Officer)によって大きなボード上のプロットから目標を指示された。このシステムは、捜索レーダーから直接5インチ砲に方位を指示されるシステムより好まれた。なぜなら、それは砲の代表者に対して、個々の5インチ砲に追跡可能な目標を決定させたり、もしコースの変更が必要な場合に目標をシフトすることを可能としているからだ。

5.10月15日の午後、1機のJudy(彗星)が距離22マイルの厚い雲の中でFDレーダーによって追尾された。その敵機は、事前に捜索レーダーによって発見され、その後捜索レーダーロストしていた目標である。敵機が本艦に接近してきた時、それは双眼鏡によって雲の中に捕捉され、対空火器は射撃準備をした。目標が近傍の開けた空域から急降下してきた時、すべての火砲は準備完了し、効果的な射撃を行った。敵機の投じた爆弾は300ヤード右舷側に落下し、右舷6マイルに撃墜された。

[上官の見解]
 すべてのレーダーを使用して統合するのは本質である。レーダーは設計限界の範囲内のすべての情報を与えるだろう。

IFFに関する記述については後日紹介する機会があると思います。ここでは米軍が対空射撃用レーダーにもIFFを搭載しようとしている事実に驚きました。

射撃準備と射撃訓練

第38.4.2任務ユニットのコメントです。

1.敵機に対して緊急に射撃実施できるように準備することに際して他に考慮すべきことは、もちろん、射程距離内で探知することである。Task Group 38.4の指揮官より発せられた指示は、このあたりの事情を以下のように示している。

「準備せよ。武器や装備は、天候や海洋条件が許す限りの高い準備状態を維持せよ。良好な天候では、自動火器のgun coverは取り外し、gun portは開き、弾薬保管庫はundog状態にせよ。昼間において、手動操作の5インチ以下の火砲については、"Action Port(Starboard)"が指示された後、15秒以内にローカル制御モードで射撃開始できることを標準許容時間とせよ」

2.上の要求を満足するための方法は、個々の指揮官に大きく依存するしかなかった。自動火器の場合、昼間や薄暮で敵機の攻撃を受ける可能性のある海域を行動する場合、準備許容条件は少なくとも2基の前方向き20mm機関砲と2基の後方用20mmがmagazineがmountされた状態でcockを維持していることだと見なされていた。(以下略)


空母Hornetは以下のようなコメントを残しています。

10月12日~15日の期間に行なわれた射撃訓練では、最も過酷な条件下でされexcellentとみなされた。射撃開始と終了は命令の元即座に行なわれた。そして友軍機は認識手続きが行なわれなかった時でさえ免役を楽しみ?、脅威となる敵が艦船の砲火の射程距離内で任務遂行するのを妨害しようと運動した。すべてのgun pointerとgun director operatorにとって目標識別の訓練は、射撃訓練の高い要求に大いに貢献するものであるとみなされていた。


射撃制限

空母Hornetのコメントを続けます。

1.昼間、敵機が近傍にいる時に"Hold Fire"を行う場合、指揮官に対して不必要な制約を課することになる。彼の部下達は雲間から急接近してくる航空機を敵か味方か識別する能力を実証していたのだ。もし敵機が攻撃を開始すれば砲塔群が射撃を開始すると予想される。しかし急降下爆撃機による奇襲攻撃はそれを義務的なものにする。本艦を攻撃する敵機に対して射撃を開始する権限は、もし艦に対する損害を回避するためであれば、反応できる士官達や砲のパーティオフィサーに委譲される。乗員の多くが負傷しさらに艦が相当期間に渡って戦列を離れることになるかもしれない本艦損傷の可能性は、友軍航空機誤射の可能性と比較されなければならない。

2.夜間における5インチ砲に関する制約は修正されるべきである。中隊の艦船がそれを見て回避できる場合、あるいはスクリーンが著しく消耗し防護を殆ど展開できなくなった場合。より良く訓練された5インチ火器管制チームは、その射撃がスクリーン内の他の艦船に危険なほど近づいているか否かをチェックできる。

3.指揮官は、良く訓練されたよるあらゆる種類の砲塔による射撃に対して制約を加えてはいけない。それは護衛スクリーン艦に対する比較的小さなダメージの可能性と、破壊的かつ多くの乗組員を死傷させる味方艦船に対する魚雷攻撃の可能性を比較すれば、明白であろう。

上記を読むと、Hornetは射撃の制約に対して不快感を抱いていることがわかります。


次回は対空陣形について取り上げます。



イメージ 1

Empire of the Sun (GMT)

先日、東京へ用事があって出かけたのですが、その帰路に神田の某S泉ブックセンターへゲームを見に行きました。特に「何かを買おう」というつもりはなかったのですが、久しぶりに本屋街に来たのでつい気が大きくなっていたのでしょう。で、購入したのが表題のゲームです。値段は\7500前後でした。

まだ詳しくルールを読んでいません。だからコンポーネントしか云々できません。

太平洋戦争全体を扱った戦略級のゲームです。デザイナーはマークハーマン。私の手元にあるゲームでは、Pacific War(VG/HJ)が彼のデザインです。

まずマップからみてみましょう。
マップは西がインド洋のモルジブ諸島、東はパールハーバー、南にオーストラリア大陸の北端部、北はアリューシャン列島までが収められています。当然ながら米本土はは行っていません。シドニーやキャンベラも入っていないし、中国大陸奥地もマップ上にはありません(その代りフライングタイガース置き場があります)。1ヘクスは150マイルとルールブックに書いてありました。

1ユニットは空母約2隻、その他の戦闘艦は2隻以上のグループです。艦艇ユニット数は日本軍が20駒、連合軍42駒しかありません。少なくとも「艦対艦戦闘」のディテールを追求したゲームではないようですね(戦略級のゲームだから当然かな?)。航空機は規模不明ですが、恐らく100機前後でしょうか?。日本軍25駒、連合軍26駒。地上部隊は大隊から軍規模で、日本軍26駒、連合軍41駒です。日米以外に英豪印蘭軍が登場しますが、中国軍の姿はないようです。

1ターンは4ヶ月で、計12ターンで「太平洋上の覇者」をかけて戦うことになります。

ルールブックは英文48ページ。しかしルールは全体の6割程。残りはシナリオ、プレイの例、デザイナーズノート等です。

シナリオは、1941年フルキャンペーンの他、1942ミニシナリオ(3ターン)、1943ミニシナリオ(3ターン)、1944ミニシナリオ(3ターン)、1942-1943シナリオ(6ターン)、1943-1944シナリオ(6ターン)、1942-1944シナリオ(9ターン)、1942キャンペーン(11ターン)、1943キャンペーン(8ターン)があります。

システム等は不明です。ただ箱に「card driven game」と書かれているし、コンポーネントに日米それぞれに分けられたカードデッキが含まれているので、今流行の「カードドリブンゲーム」なのでしょう。

しかし、一体いつプレイできるだろうか、と少し不安です。今は私自身がSTEEL PANTHERSにハマッている状態だし、Down Town(GMT)やオンスロート(CMJ)も口を開けて待っている状態です。"Zero"のキャンペーンも、某所で「やる!!」と宣言した手前やらないといけないし・・・。そんなこんなことをしていると、またもや仕事が忙しくなりつつあるし・・・。
うーん、1日48時間あれば良いのになあ・・・。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

IMPERIUM(インペリウム)第2版
価格:6,600円(税込、送料別) (2023/12/16時点)


イメージ 1

海軍航空隊始末記 源田實 文春文庫

詳しくはこちら

前回紹介した「海軍航空隊、発進」の続編です。
本書では、源田氏の英国出張から始まり、氏の真珠湾攻撃とのかかわり、真珠湾攻撃の経緯、インド洋作戦、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、そして343空の活躍について記されています。その中で注目したいのは、やはりミッドウェー海戦に関する部分で、特に例の「第二次攻撃隊発進の要ありと認む」に対する源田氏の心の葛藤は、読む者の興味を引きます。また343空に関する記述は、以前に紹介した「源田の剣」と併せて読めば、より興味深く読めます。
ただ本書の中で、台湾沖航空戦やT部隊に関する記述が殆どないという点はいただけません。台湾沖航空戦における例の「誇大戦果報告」の影に源田参謀あり、と勘ぐられているのも、どうやらこのあたりの不鮮明な態度に起因しているようにも思います。

不鮮明といえば、ミッドウェーで「赤城」がやられた時の源田参謀の対応がいやに「あっさり」しているのも気になります。他人に対しては(それが敵であっても)、

「この期に及んで躊躇逡巡するとは何事だ!」

と手厳しい源田氏。しかしいざ自分の旗艦がやられたときは、とてもあっさりと「長良」にお移りになられました。まあ「艦と運命を共にせよ」とか「腹を切れ」と主張するつもりはありません。が、せめてもう少し「敗戦の責任」をお感じになられても宜しいんじゃないでしょうか。

もう1点苦言を呈させていただくと、本書の中で日本海軍航空隊に対する筆者の評価が、いやに高いのも気になります。何かあると、やれ「世界最強だ」とか「向かう所敵なし」とか調子の良いコトを書いていますが、例えばガダルカナル戦当時の零戦隊は少なくとも「向かう所敵なし」というほど楽な戦をしていた訳ではないと思いますけど・・・。ご自身の所属していた組織について少しでも高く評価したいという気持ちは理解できなくはないのですが、もう少し冷静な評価はできないものかな、と思ってしまいます。同じ海軍出身者でも、例えば淵田美津雄氏などは少なくとももっと冷静に彼我の実力を評価していますよ。

とまあ色々悪口も書きましたが、とにかく「海軍航空隊にこの人あり」と言われた氏自身の作品ですから、ある意味当時の海軍航空隊を知るという点からは大変貴重な資料であることは間違いありません。ある意味、日本海軍航空隊の姿をとても良く反映している著作だとも言えますから。

評価★★★

↑このページのトップヘ