もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2006年10月

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乗鞍高原「湯けむり館」

以前に紹介したかも知れません。北アルプスの温泉を紹介します。
表題の温泉がそれです。詳しくはこちら

場所は乗鞍観光センターのすぐ近くにあります。泉質は乳白色、若干の硫黄臭があります。温度はややぬるめで、「猫肌」の私にとっては有難いです。

上高地を基点として北アルプスへ登る場合には便利な場所です。国道158号線から10km程外れて行かなければならないのが少し辛い所です。でもそれだけの価値はあります。

他にも上高地や沢渡周辺でいい温泉を探しているのですが、なかなか良い所が見つかりません。どこかお勧めの温泉があれば、情報頂けると嬉しいです。

お奨め度★★★★★

コマンド・マガジン#70読了



付録ゲームは「ウクライナ44」。第1装甲軍の包囲からの脱出を扱ったゲームだそうです。オモシロそうなゲームなのですが、「槍隊ゲームバッファ」が貯まっているので、そちらを片付けてからになりそうです。

一番興味深い記事は「ゲームデザイナーの雑記帳」。カード・ドリブン・ゲーム(CDG)を開発したマーク・ハーマン氏が、CDGについて自らの考えを書いたものです。その中で彼は「不確定要素に支配される状況下でのリスク管理」を軍事的命題の最重要課題である、としています。なるほどです。そのような事態を再現するためにCDGはデザインされたのですね。私はCDGをプレイしたことはありませんが、家には「Empire of the Sun」が眠っているので、今度押入れから取り出してきてプレイしてみたく思います(「DownTown」の次ということで・・・)。

それにしてもハーマン氏曰く「私は大将クラスの将軍や提督と会って話をすることが多い」とは・・・、羨ましい限りです。私もかつては仕事で「その筋」の方々とお話させていただくことがありましたが、お相手は精々「大尉」か「少佐」止まりでした。しかも当然ながら「あなたが戦争において最も重要視するものは何ですか?」なんて質問できるはずもありません。

他には「シミュレーション・ゲーム批判序説2006」ということで、高梨俊一、鹿内靖、平野茂の3氏が対談を繰り広げています。内容的にはそれなりに興味深く、自分がゲームをデザインする際に参考にしなければならないな、と思うような示唆も含まれていました。
他には「90年代のゲーム」ということで、「ブダペスト1945」「奉天」等が紹介されています。

「90年代のゲーム」ということで私にとって思い出深いゲームは、CMJ#5の付録「ビクトリー・イン・ノルマンディ」です。ワニミ様の紹介でプレイさせて頂いたのですが、これが・・・、

「面白い」

「ウォーゲームってこんなに面白いゲームだったのか」と改めて感じさせてくれた1品でした。ゲームそのものはCMJ#48の「ノルマンディ大突破」を簡単にしたような作品なのですが、簡単なルール、スピーディな展開で、大変興味深く思った覚えがあります。

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(写真)地上発射型トマホークミサイル。トマホークのような中距離核戦力は、限定核戦争という新しいシナリオを生み出した。

第3次欧州大戦は核戦争に発展しえたか?


今は昔の話になってしまいましたが、あの冷戦時代では米ソ両国が「東側陣営」「西側陣営」ということでそれぞれ縄張りを張って争っていました。その最前線の1つが今や統一されてしまった東西ドイツ国境です。

「ワルシャワ条約機構軍、西ドイツ国境に侵攻す」

このネタは、ゲーム業界のみならず、出版業界や映画等、様々なメディアにとっての「格好のネタ」になっていたのです。

さてさて、現実にこのような「悲劇」が起こらなかったことは我々に取っても大変目出度いことなのですが、私にとって気になるのは、

「もし第3次欧州大戦が勃発した場合、それは核戦争に発展し得たか?」

ということです。

この点について有識者の間でも定説はないようで、例えばハケット将軍の「第3次世界大戦」では数発の核弾頭による応酬があって、それがキッカケでソ連が崩壊。トムクランシーの「吹き荒れた赤い暴風」では確か通常戦争に終始していたような・・・。あるいは一部では「ソ連が先制核攻撃をおっ始めてそのまま全面戦争に雪崩れ込み」というような悪夢のようなシナリオもあり、あるいは佐藤大輔氏の某作品のように「ソ連の先制攻撃で米国が壊滅」というネタも必ずしも珍しくないような・・・・。

とまあ、様々な説が飛び交った「平和な時代」だった訳ですが、ではでは実際の所、どうなんでしょうね?。と考えて見るのも悪いことではありますまい。

シナリオ1、最初から派手に行こうぜ

最悪のシナリオです。ソ連(別に米が先に仕掛けても良いのですが、大概悪者は「赤」なので・・・)が「いっちょ派手にやったろかい」とばかりに西側陣営の軍事施設や人口密集地域に向けて数百発の核ミサイルを撃ち込むというパターンです。当然ながら、このような攻撃は米英仏による報復攻撃を引き起こし(地上基地は壊滅しても、彼らには潜水艦があります)、この地上から文明というものは崩壊するでしょう。死者の数は億単位から数十億単位にも及び、ひょっとしたら人類は全滅するかもしれません。

考えるだけでも恐ろしい話なのですが、ある意味一番可能性の高かったシナリオかも知れません(あな恐ろしや)。当然ながら米ソ両国はそのような事態は「ありうる事態」として想定に入れて軍や国家体制を整備してきているでしょう(それがかかる事態でどの程度有効に機能し得たかは永遠の謎ですが・・・)。

しかしそのような事態では、最早欧州大陸における地上戦闘に果たしてどんな意味があるのでしょうが。ワルシャワ条約軍「作戦機動群」による華麗な機甲突破に対し、西側諸国が「エアランドバトル」で対抗する。このようなある意味「戦争芸術」も、想像力を絶する巨大なメガトン級水素爆弾の前に果たして意味があるのでしょうか・・・?。

でもこのあたり、あまりゲーム化されていないので、ゲーム化してみたいテーマではあります。米国は、仮にこのような事態が勃発した場合も、オンステーションにあるソ連海軍核ミサイル搭載潜水艦の全てをミサイル発射前に撃沈できる自信を持っていたとか・・・。彼らの自信がただのホラ話がどうかは、ゲームという世界で試してみたい気がしますね(うーん危ないなあ・・・)。


シナリオ2、最初はちょぼちょぼと、後から派手に

最初は通常戦争から始まって、次第にエスカーレーションしていき、最後は核ミサイルの打ち合いになる、というシナリオです。ウォーゲームでこのテーマを扱った場合、ダイスが悪いとこのパターンになってしまいますね(笑)。ちなみにこのパターンでは大抵「核戦争の引き金を引いた方が負け」という勝利条件になっているのですけど、核戦争が始まっちゃったら、勝ちも負けもないような気がするのですが・・・・。

この場合、気になるのはどちらが核の引き金を最初に引くかです。多くの場合、WP機甲軍の圧倒的な機甲突破を前に、通常戦力での阻止に限界を感じたNATO軍指揮官が、戦術核弾頭によって事態の打開を図ろうとして最初の1発を撃ってしまう、というパターンになるみたいですね。しかしこのパターンで疑問を感じる点は、NATO軍指揮官が自国領内での核使用を是とするか、という点です。目標となるWP軍集結地域は当然西ドイツ領内になります。そこには逃げ遅れた自国民もいるでしょう。そのような場所に果たして核兵器を撃ち込む事ができるのか・・・?

 「軍事行動に犠牲はつきものだ。彼らのことは考えなくて良い」

と割り切れる人がいたら、撃っちゃうかもしれませんね(笑)。


シナリオ3、あなたの家には撃ちませんから

シナリオ1の変形です。ソ連側からの先制核攻撃は変わりませんが、その時使用のは中短距離核のみ。目標も米国本土ではなく、欧州やその他西側諸国(当然日本も含む)のだけに絞ります。攻撃目標も軍事目標に重点を絞り、都市部に対する攻撃は可能な限り避けるというパターンです。

1980年代に入って、トマホーク、パーシングやSS-20といった着弾精度の高いINF(中距離核戦力)が広く展開するに至ってかなり説得力を持ってきた見解です。このやり方だと米としても反応に困っちゃいますね。

「我が同盟国に対する核攻撃はすべて我が国に対する核攻撃とみなす」

などと息巻いても、仮に米が全面報復に近い反応を示したら、今度はニューヨークやロサンゼルスが蒸発することになるかもしれません。そのような危険を果たして米国が犯すか否か。「柔軟対応戦略」というある意味「軟弱な」戦略と取りつつあった米国に対し、いわゆる「欧州限定核戦争」という考え方は興味深いものがあります。

でも人間って理性ではなく感情の動物なんですよね。いくら理論的に優れた戦略でも、相手が「ぶち切れた」らどうしようもありません。さらにその相手が「逆ギレ」しちゃったら、事態は赤、いや悪化するだけです。「限定核戦争」と都合の良いコトを称していても、結局は「ICBMの飛び交う素敵な世界」になっちゃうのかなあ・・・。


シナリオ4、海の上には穴は空きませんよ

旧ソ連にとって忌々しいのは米国の空母機動部隊です。こいつらは海上を30ノットで走り回り、自由気ままに祖国の沿岸に接近。場合によっては核をも含む強力な攻撃力を祖国に対して向けることができます。しかもこいつらは洋上にいる限り、ICBMやIRBMといった核ミサイルをもってしても撃破するのが困難な目標です。

その一方、米大型空母というのは戦術核ミサイルにとっては格好の「餌」なんですよね。マトが大きいから外し難い。それに通常弾頭では10発以上当てないと無力化できないこの洋上要塞も、戦術核ミサイルを使えば恐らく1発で無力化できます(いや、ひょっとしたら1発ぐらいなら耐えちゃうかも・・・・)。さらに都合の良いことに、海の上には「穴が空きません」。つまり証拠が残らないということです。民間人が死ぬこともありません。放射能障害に苦しむ兵士については、「空母の原子炉から放射能が漏れたんでしょ」とでもシラを切ればよろしいかと・・・。

ましてや水中戦なら核魚雷使おうが、核ミサイル使おうが誰も知ったこっちゃない。第一、原子炉抱えた潜水艦が数十隻単位で走り回っていて、そこらで魚雷やアスロック食らって「ボコボコ」と沈没していくのですから、放射能の問題も「気にする段階ではない」ようにも思えてきます。

という訳で「核戦争は海に限定」というのもひょっとしたら「あり」かな?。


シナリオ5、やっぱり戦車が好き

これは一番平和かつ我々にとって望ましいケースです。WP軍が大規模な機甲兵力で東西ドイツ国境を突破。NATO軍は圧倒的なWP戦車群に苦戦を強いられながらも航空兵力や米国からの増援部隊を頼りに戦い続けるというシナリオです。戦闘は通常兵器レベルに終始し、我々の「大好きな」イーグル、レオパルド、アパッチ、トムキャット、ニミッツ、フランカー・・・といった「スーパーウェポン」達が所狭しと駆け回るパターンです。いやー、気持ち良いですね(笑)。

ある意味「あまりに楽天的な」と思われるこのシナリオ。ただこの説に対する裏づけとしては、1945年8月9日以降、我々は実戦で核兵器を使っていないのですよね。例えばあの朝鮮戦争の時、マッカーサーは何度も核使用許可を本国に求めましたが、米本国はそれを認めませんでした。あの時期、核戦力は米が他国を圧しており、空軍力においても米国が優位を占めていました。核兵器の総量や破壊力も今よりは遥かに小さく、少なくとも「全人類を数十回皆殺しにできる」程の量ではなかったはずです。そのような状況下でも核を使用しなかったということは、「核の敷居」は案外高かったのかも知れません(やっぱり楽観的かな?)。

そういえば毒ガス

我々にとってもう1つ気になるのは化学兵器の存在です。核についてはタブー視する傾向の強いゲーム業界も、化学兵器ついては割りと無頓着で、例えばSPIの「セントラルフロント」シリーズではWP軍は毒ガス攻撃を行うことで3コラムシフトを得(まるで「リング・オブ・ファイヤ」の対要塞砲撃じゃ)、VGの「NATO」では毒ガス攻撃でNATO軍の航空戦力半減といった感じです。極めつけはGDWの「サードワールドウォー」で、デザイナーズノートによると「化学兵器使用は当然過ぎることなのであえてルール化しなかった」とか・・・。
しかし化学兵器戦力で東側に劣る西側諸国の場合、毒ガスの応酬となれば不利なことは否めません。そうなると化学兵器に対する報復手段として戦術核の使用。そして行き着く先は「ICBMの飛び交う素敵な世界」って、おーい、結局オチは同じかい。

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先日、紅葉を見るために穂高岳連峰へ行ってきました。穂高岳連峰とは、北アルプスを代表する山塊の1つで、本邦第3位の奥穂高岳(3190m)を筆頭に、涸沢岳(3110m)、北穂高岳(3106m)、前穂高岳(3090m)、西穂高岳(2909m)といった3000m級の山々が連なっています。主な登山口は上高地で、例えば奥穂高岳登頂を目指す場合、山中1泊以上が必要になります。

今回は紅葉が目当てだったのでピークハンティングはあまり重視しませんでした。涸沢カールでじっくりと紅葉を楽しむことができれば良し、あとはその場の気分で、という感じでした。

第1回目~第4回目までは上高地から涸沢カールに至り、涸沢小屋に宿泊した後、2日目に涸沢カールを1周した後、パノラマコースを登って屏風のコルに着くまでを紹介しました。今回は最終回で、パノラマコースを経て上高地に下山するまでを紹介します。


パノラマコース(承前)

屏風から反対側を見下ろすと、梓川の蛇行する姿が見え、そこへ至る谷間は赤や黄色の紅葉が埋め尽くしています。涸沢の紅葉も良いですが、このパノラマコースの徳沢側の紅葉もまた素晴らしいものがあります。屏風ノコルから下っていく途中、所々で足を止めて、デジカメで写真を撮りました。

(写真1)屏風ノコルから見下ろした梓川
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(写真2,3)パノラマコース下山路で見る紅葉
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しかしそろそろ帰りの時間が気になってきました。当初の予定では0900に涸沢出発、1300に徳沢着。そこで食事休憩。上高地には1500着ということでした。しかしこの分では徳沢到着が1400頃になりそうです。
屏風ノコルから1時間ほど下った所に谷間になった所があります。時計を見るといつのまにか1200過ぎになっていました。ここで小休止し、ビスケットを2枚食べました。カメラと三脚もザックに仕舞います。ここから少しペースアップしないといけない。

ここからは狭い山道が下り中心になってきます。左右に見える紅葉は相変わらず美しいですが、先ほどまでに比べると景観的にはやや見劣りするのは否めません。標高が下がってきたので視野が狭くなってきたためでしょう。写真を撮りながらの登山はどうしてもペースが遅くなってしまいますが、これからは下山に専念し、少しペースアップを図りたい所です。

先の休憩場所から1時間ほど下って標高1800mぐらいまで降りてきた所が「中島新道分岐」と呼ばれる所です。奥又白谷という渓谷の渡渉点で、多くの人が休憩しています。谷の奥に前穂高岳が聳え、さながら谷川岳に於けるマチガ沢の如き風景を作っています。

(写真4)中島新道分岐
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ここから徳沢までコースタイムでは1時間ほどです。沢沿いの山道をひたすら下り、やがて作業用道路に出ると、今度はその道路沿いに歩いていきます。途中で新村橋への左折路が出てくるのでそこを左折。清らかな流れを見せる梓川を眼下に見ながら新村橋を渡るとすぐに横尾からの道と合流します。ここから10分ほどで徳沢園に着きます。とまあ言葉で書くと数行で終わってしまいますが、実際に歩いて見るとかなり長いものですよ。所要時間は45分ぐらいだったかな?。特に新村橋を渡ってから、徳沢園までがかなり遠く感じました。

(写真5)新村橋から見た梓川。その向こうに見えるのは常念岳。
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上高地へ向かう

徳沢園の自動販売機でジュースを買い、それをぐいっと飲み干します。この一瞬がたまらなく好き。人によってはビールでしょうけど、私はあまり「ビール好き」ではないし、トイレのことや帰りの運転のことを考えると、たいていはジュースにしています。

徳沢園を出たのは1400頃でした。少し遅れ気味なので先を急ぎます。上高地へ向かう山道の所々で紅葉が始まっていました。時折赤や黄色に染まった木々が見えます。梓川対岸に見える前穂高岳は、昨日見たときよりも白が減っているように思えました。かなり雪の部分が溶けてしまったのでしょうか?。梓川は相変わらず美しい流れを見せてくれます。上高地へは何度も来ていますが、この梓川の水の美しさはいつも心を奪われます(綺麗な写真を残せなくてスイマセン)。

明神では休憩せずに上高地へ一気に向かいました。かなりハイペースで歩いたので河童橋には1520頃到着。振り返って穂高連峰の方を見ると、山の上には白い雲がかかっていて、山頂部は見えませんでした。

(写真6)河童橋から振り返った穂高連峰の山々
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上高地のバスセンターには1530着。ここでバスの切符を買います。沢渡行きのバスには長い列が出来ていたました。なんでも上高地への道の途中でタクシーが事故を起こし、現在通行止めになっているとのこと。いつ帰れるのか少し不安になりましたが、幸い20分ほど待っただけでバスに乗り込むことができました。

1615に沢渡駐車場到着。あとは近くの温泉に寄り道したり、渋滞を避けるために適当にノンビリしていました。


まとめ

とまあ、こんな感じで1泊2日(美ヶ原及び前夜車中泊を入れれば3泊3日)の山旅は終わりました。最初にも書いたとおり、当初涸沢カールに行こうかどうかは結構迷いました。雪の影響、天候の是非等不安要素が多かったからです。またかつて2度涸沢カールを訪れた際、いずれも悪天候に祟られたという苦い経験もありました。

結果から言えば今回の山旅は大成功でした。穂高に入ってからの2日間は殆ど終日「晴」状態。今まで私は涸沢カールで一度も「青空」を見た事がなかったので、「涸沢カールっていつも曇っている所なんだ」という先入観がありました。しかし今回はまさに「絵に書いたような青空」。しかも山頂部は積雪。まさに理想の「三段紅葉」を見ることができました。目の前の風景もまさに風景写真で見た景色そのまま。私の写真でその美しさをどこまでお伝えできたかは疑問がありますが(笑)、私自身にとっては大満足の山旅でした。

満足度★★★★★

さーて、これでしばらくは秋の涸沢カールからはオサラバかな?。

おわり

例によって某国の「地下核実験」についてネタを探すためにネットで遊んでいた所、
こんなページにヒットしてしまいました。

http://www.morizumi-pj.com/semipalatinsk/tikakakujikken.html

かなり衝撃的で驚きです。

私は山に登る関係上、稜線を渡る風の気持ちよさ、あるいは眼下に見える青く輝く湖沼の
美しさには何度か心を奪われました。

しかし、もし眼下に見える美しい湖が、実は核爆発によって人工的に作られたものだとしたら、
どう感じるのだろうか?。
あるいは稜線を渡る涼しい風が、もし計測限界を超える程の放射能を含んだものだとしたら、
どのように感じるのだろうか?。

考えただけでも身が凍る思いがします。

我が国において核保有の是非が議論されること事態は重要なことだと思います。
感情的な反核意識ではなく、国家の安全、国民の安全を念頭においた議論は重要なことです。

しかし、上記のようなページを見てしまうと、核を保有すること事態が大きなリスクを伴う
行為であるようにも感じます。

皆様はどのような感想を持たれましたか?。

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