もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2006年11月

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翔ぶが如く(9) 司馬遼太郎 文春文庫

「翔ぶが如く」もようやくここまで来ました。全10巻中9巻。そろそろクライマックスです。
本巻では田原坂の攻防戦から政府軍の八代上陸、薩軍戦線の崩壊、そして薩軍の全面後退を扱います。その過程で薩軍主将の1人である篠原国幹が田原坂攻防戦で戦死し、薩軍に協力する熊本協同隊の宮崎八郎も八代近郊で戦死してしまいます。熊本北部を死守し続ける薩軍でしたが、熊本南部から北上を続ける政府軍部隊が熊本南部の薩軍戦線を突破するに及んで遂に熊本を撤退。熊本東部の山岳地帯を抜けて人吉盆地へと落ちていきました。

本巻はある意味「翔ぶが如く」における最大の見せ場、とも言うべき巻なのですが、さてさて何を書いて良いものやら・・・・。田原坂の攻防戦は確かに戦史に残る激戦だったかも知れませんが、戦場レベルではとにかく、作戦レベル以上の観点では「陣地を頑強に死守する薩軍を攻めあぐむ政府軍」という図式だけで、それ以上の面白い構図は見えてきません。政府軍の八代上陸は、今戦役の転機となった作戦といえますが、我々ウォーゲーマーから見れば「どうしてさっさと上陸しないの?。薩軍の海側面はがら空きなのに・・・・」という考えに囚われてしまいます。

とりあえず熊本城攻防戦の主な流れを時系列的に示しておきます。

<< 明治10年(1877年) >>
 (1) 02/22 薩軍、熊本城を強襲するも失敗
 (2) 02/26 高瀬の戦い
 (3) 03/01 田原坂攻防戦開幕(~3/31)
 (4) 03/19 政府軍、八代、日奈久に上陸
 (5) 03/20 政府軍、田原坂を占領
 (6) 04/13 政府軍、熊本城との連絡回復
 (7) 04/20 城東会戦、薩軍人吉へ向けて退却

個人的な感想としては、「薩軍って結構粘っているなあ」ということ。政府軍が八代・日奈久に上陸し、田原坂の防衛線が破られても、なおも1ヶ月近く熊本城の攻囲を続け、その後も城東で政府の大軍と決戦を交えるだけの力があったのですから。城東会戦で破れた薩軍は人吉へと落ちていきますが、それでも総勢約8千人の兵力を有し、なおも半年近くに渡って政府軍の悩ませ続けることになります。

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地球防衛艦隊発進!!

先日、セブンイレブンで買い物した所、「宇宙戦艦ヤマト」の玩具が販売されておりました。思わず衝動買いしてしまいました。その中身を紹介します。

主力戦艦

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白色彗星編に出てきた地球防衛艦隊の主力戦艦です。旗艦アンドロメダとタスクフォースを組み、白色彗星の機動艦隊と死闘を演じました。最新鋭のアンドロメダ級を除けば、地球防衛艦隊の中で最有力な戦闘艦です。残念ながら作品中で個艦名が紹介されたことはありません(「アラスカ」とか「こんごう」とか出てきたら面白かったのに)。

この「主力戦艦」について、作品の中で印象に残っているのは「ヤマト2」における土星の輪の戦いです。この戦いで地球艦隊は、敵艦隊が装備する「火炎直撃砲」という超兵器によって苦戦を強いられつつ、敵を土星の輪の中に誘い込む作戦に出ました。不用意にも土星の輪の中で火炎直撃砲を使用した敵艦隊は、荒れ狂う土星の輪に巻き込まれて大混乱に陥ります。カッシーニの隙間に潜んで機会を狙っていた地球艦隊はすかさず反撃に転じ、主砲の射撃によって敵艦隊を撃破しました。この反撃戦で主役となったのがこの「主力戦艦」です。この戦いでは地球艦隊は自慢の拡散波動砲を1発も使わず(後の対彗星戦では使用しました)、専ら主砲射撃と艦載機戦で勝敗を決したのが印象的でした。

宇宙戦争をテーマとする「ヤマト」の中にあっても、この種の大艦隊同士の戦いという描写は珍しく、そういった意味からも印象に残る場面でした。

駆逐艦

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ディンギル帝国編(つまり最終版)で登場してきた地球防衛軍の宇宙駆逐艦です。なんか弱そうですね。地球防衛軍歴代駆逐艦の中でも一番弱そうな外観ではないかと思ったりします。ちなみに一番強そうに見えるのは、やっぱり白色彗星編に出てきた宇宙駆逐艦かな?。宇宙艦のデザインとしてみた場合も、一番優れていたのは白色彗星編に出てきた地球艦隊ではないかと思います。

この「駆逐艦」は、「ヤマト」最後の出撃時に「ヤマト」と艦隊を組み、ディンギル帝国水雷艇の発射するハイパー放射ミサイルから「ヤマト」を守りました。映画放映当時は史実の「菊水作戦」をモデルにしたと思われる艦隊編成が話題になったように記憶しています。
模型の方は不出来で、尾翼2枚が上手く取り付けられませんでした。

ヤマト

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主人公登場です。やっぱりカッコイイですね。WW2当時の戦艦を見事に「宇宙戦艦」という形で甦らせたことが「ヤマト」という作品の成功に結びついたのではないかと思います。素直に考えれば、大戦中の戦艦を宇宙戦艦に改造するという発想そのものが「どこかおかしい」んですけど・・・・・。

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(写真)翼下にAGM-86を搭載して飛行するB-52G

B-52の魅力(2)

前回はこちら

バリエーション(承前)

B-52G

「第2世代のB-52」というべき存在で、生産当初から「ハウンドドッグ」空対地ミサイル、「クエイル」囮ミサイルの運用を想定していたす。このG型からは低高度進入が基本となり、消費燃料増大に対応するために搭載燃料の増大を図りました。この時翼内タンクをインテグラル・タンク化したそうですが、「1式ライター」のイメージが強い我々にとってはちょっと心配な(他人事ながら)改修です。生産機数は計193機で、B-52各モデルの中では最大です。

「クエイル」囮ミサイル。
知っている人には知っていることですけど、これはB-52を欺瞞するための囮機です。B-52とほぼ同等のレーダー反射面積を模擬し、速度マッハ0.8、航続距離は発射高度によって異なりますが約400nmです。「1度の速度変更と2度の針路変更が可能」とのことですが、この程度のプログラミング能力なら簡単にバレそうな気がするのですが・・・・・・。1961年11月から運用が開始されました。B-52Gの場合、胴体内に4機搭載可能です。

(写真)ADM-20「クエイル」
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後部ターレットの武装は従来通りですが、遠隔操作方式になり銃座は廃止されました。それまでのモデルは銃座式だったのでひょっとしたら「飛行中は銃座に座りっぱなし」だったのでしょうか?。トイレやコーヒーブレイクはどうするのかな、と他人事ながら心配してしまいます(戦争だから仕方が無い、といえばそれまでのことですが・・・・)(ところがこの銃座廃止は思わぬ弱点をB-52Gにもたらすことになりました。次回を待て)

電子戦装備については従来型とほぼ同等なのですが、新たに2.5インチのチャフロケットを計40発搭載しました。これは文字通りチャフを搭載したロケット弾で、発射すると一定の距離で「チャフコリドー」を形成し、母機をレーダーから遮断します。このブログでしばしば紹介している「Down Town」(GMT)というゲームでもチャフコリドーに関するルールがあり、SAMやAAAの攻撃に対して絶大な威力を発揮します。しかしこの「Down Town」(GMT)ではB-52Gのチャフロケットは残念ながらルール化されておりません。

電子戦装備について付け加えると、B-52Gが装備したECMはフェーズⅣと呼ばれるものですが、これはB-52用としては比較的新しい装備でしたが、それでも北爆時には能力不足が懸念され、緊急処置として翼の付根にAN/ALQ-119ジャミングポッド(本来はF-4等の戦術機が使用するもの)を装備して出撃したこともありました。それでも全般的な電子戦能力は、改造されたB-52D(フェーズ5相当)に比べて見落とりし、「Down Town」におけるECMの評価もB-52Dの下に格付けされています。

B-52Gは折から激化しつあったベトナム戦に投入され、主にグアム島を基地として活動しました。しかし爆弾搭載量は750lb級で27発に過ぎず、B-52Dの半数にも満たないものでした。ちなみに「Down Town」における爆撃力評価は、B-52Dが「30」、B-52Gが「7」です。

1970年代に入るとB-52Gに近代化改装が行われることになります。AGM-69 SRAM(Short Range Attack Missile)。「短距離攻撃ミサイル」と名づけられたそれは、重量約1,000kg、射程距離30~100nm、最大速度マッハ3の核ミサイルです。B-52Gの場合、胴体内のロータリーランチャーに8発、翼下に12発で、最大20発までのSRAMを搭載可能でした。
このミサイルの主な任務は「侵入路の啓開」、すなわち自らの針路上に立ちふさがる敵SAM陣地や飛行場を核ミサイルで吹き飛ばそうという些か強引な代物です。B-52Gは最大20発のSRAMを搭載し、その数と威力でもって強引に突撃路を啓開することみたいですけど、どうなんでしょうね?。SAMはとにかく、AWACSや戦闘機を無力化できないからあまり効果は期待できないようにも思うのですが・・・・。数百キロトン級の核弾頭を持つSRAMは、勿論必要に応じて戦略目標に対する直接攻撃に使用することもできます。

(写真)AGM-69 SRAM
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さら別の改造ではEVS(Electro Viewing System)を機首のターレットに搭載しました。これはFLIR(前方赤外線監視装置)とLLLSTV(低光量旋回式テレビ)をセットにしたもので、この搭載によってB-52Gの夜間攻撃能力は飛躍的に向上しました。

1980年代に入ると、B-52は新たに巡航ミサイルの搭載能力が付加されました。AGM-86Bと名付けられたこの有翼の巡航ミサイルは、低空を亜音速で飛行。TERCOMと呼ばれる地形照合誘導システムにより目標に対してCEP=30-90[m]という優れた精度を誇ります。弾道部は威力可変型の核弾頭です。B-52Gの場合、このAGM-86Bを翼下に12発搭載可能でした。より新型のB-52Hの場合、Common Strategic Rotary Launcher (CSRL)を胴体内爆弾倉に搭載することによって合計20発のAGM-86Bを搭載可能となりましたが、B-52Gの場合はCSRLによるAGM-86B運用能力はなかったようです。

(写真)AGM-86B ALCM
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AGM-86BはB-52の核攻撃能力を向上させることに成功しましたが、その背景には次第に強化されつつあるソ連防空網に対し、B-52が戦略核爆撃機としての相対的な価値が次第に弱くなってきたことが挙げられます。実際、AGM-86Bを使用したとしても、鈍重かつレーダー反射面積の大きいB-52がソ連防空圏を突破できる可能性は次第に少なくなってきていました。
そこで米空軍は老朽化したB-52Gを通常爆撃機として再利用することを考えました。その1つが通常爆弾搭載能力の強化です。B-52Gの場合、翼下に合計24発の500lbs級爆弾を搭載できるようになりました。前回書いたB-52D"BigBelly"程徹底的な改造ではありませんでしたが、それでも胴体内と翼下に合計51発の500lbs爆弾を搭載可能で、その攻撃力はF-15EやF-111Fといった戦術攻撃機のそれを大きく凌駕していました。このモデルは湾岸戦争やその他の地域紛争に投入され、通常爆弾による絨毯爆撃で猛威をふるっています。

次に米空軍が試みたのが、B-52へのAGM-84「ハープーン」ミサイル搭載能力の付与です。「ハープーン」は既にご存知の方も多いでしょう。米海軍が開発した対艦ミサイルで、射程距離は約60nmと言われていますが、モデルの新旧や発射高度、あるいは飛行プロファイル等によってそれは大きく変化するようです。B-52Gは翼下に最大12発のAGM-84を搭載できます。胴体内の爆弾倉を利用すればもっと多くのAGM-84を搭載できるようにも思えるのですが、任務が任務だけに「数をばら撒いてもあまり意味がない」ということなのかもしれません。いずれにしても合計12発もの空対艦ミサイルを搭載し、しかも洋上遠くに進出可能なB-52Gが極めて有力な対艦攻撃機であったことは確かで、特にYak-38のような「半端な迎撃機」しか持たないソ連海軍水上部隊にとっては極めて重大な脅威になったでしょう。

(写真)Yak-38 Forgger こんな半端な戦闘機でB-52Gを阻止できるものか!!
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余談ですが、米空軍が装備する機体の中でAGM-84(及びその派生型)を運用できるのは、このB-52Gだけです。一部の資料によると、F-15EやF-111FにAGM-84運用能力あり」と書かれているものもあり、ひょっとしたらそうなのかも知れませんが、広く知られているのはこのB-52Gだけのようです。この点については私の調査不足かもしれません。何かご存知の方がいれば、ご教示頂ければ幸いです。

もう1つはB-52への通常弾頭型ALCMの搭載です。これは厳密には改造とは言えず、搭載するALCMが従来のAGM-86Bから通常弾頭型のAGM-86Cに変わっただけと言えるかも知れません。このAGM-86Cは、弾頭部を2000lbsの通常弾頭に切り替えた他、誘導装置にGPSを採用し、命中精度を向上させたタイプです。「通常弾頭型空中発射巡航ミサイル」の略称として「CALCM」という呼称で呼ばれています。余談ですが、「5th Fleet」というボードゲームでは、B-52に巡航ミサイルによる攻撃力が付与されており、敵飛行場攻撃の際における切り札的存在となっています。

1958年の初飛行以来30年以上に渡って米国空軍戦略の一翼を支え続けたB-52Gの最後の1機が退役したのは1994年のことでした。低空侵攻用の核戦略爆撃機として就役したB-52Gでしたが、戦略状況の変遷によりミサイル母機から巡航ミサイル母機へとその任務を変えて行き、最後は通常爆撃機としてその任務を終えたB-52Gは、米国における世界戦略の変遷をある意味象徴していたのかも知れません。

ふー、B-52Gだけで1日分のネタを書き尽くしてしまいました。まだB-52Hが残っていますが、それは次回のお楽しみ、ということで・・・・。

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「丸」2006年12月号 潮書房

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先日、本屋に行ったら「丸」が売っていました。特集は「一式戦「隼」」。面白そうだったので買いました。
中をパラパラめくってみます。順番に

 古峰文三「陸軍戦闘機のスターへの再評価」
 国本康文「弱武装に泣いた隼打撃力考査」
 大塚好古「好敵手"オスカー"US技術報告書」
 飯山幸伸「第2次世界大戦/世界の軽戦闘機コンペ」

とまあこんな感じです。今をトキメク面々が顔を連ねたと言う感じですね。
全般的な論調としては、

「隼はそんなに酷い戦闘機ではなかったんだよ。海軍の零戦に比べても見劣りする面ばかりではなかったんだよ」

とまあこんな感じかな。隼の優れた点としては、長大な航続距離(零戦以上)、比較的強化された防弾装備があげられ、逆に欠点としては低速と火力不足があげられています。火力不足や低速については今までも知っていましたが(まあ速度面での劣勢は零戦も同じでしたけど)、防弾装備の充実(日本機にしては、という条件文がつきますが)というのは知りませんでした。
隼と対戦した米軍側の評価によれば、防弾装備が日本機の中では優れていたので、打ち落とすのが難しい敵という認識だったようです。初期は零戦と似ているために零戦と間違えられる機会が多かったのですが、中期以降は米軍から見て「それなりに厄介な相手」という認識だったようです。
「隼」特集とは言っても、「隼バンザイ」的な話ではなく、比較的冷静な記事が多く、日本軍の弱点についてもちゃんと触れられていたので好感が持てる内容です。

私はといえば、正直な所「隼」に対する個人的な印象は、かつてはあまり良くありませんでした。弱火力、低速で連合軍機に比べて多くの点で見劣りし、海軍の零戦に比べても「1ランク下」という印象で見ていたことは否めません。外見的にも望遠鏡式の照準器や2枚プロペラ等「垢抜けしない」所が多く「時代遅れの陸軍戦闘機」といった印象が強かったです。そしてそのような「時代遅れの戦闘機」を終戦時まで主力として使い続けた日本陸軍の航空軍備を否定的に考えておりました。一部に言われている

「陸軍も「隼」ではなく零戦を使えば良かったのに・・・・」

という考えについて、消極的には肯定していたように思います。

本書を含めて最近の著作を読むと「隼」に対する評価は以前よりも良くなってきているようです。「戦史を様々な面から見る」という観点から言えば、ステレオタイプな批判だけではなく、別の視点から見た評価が出てくることは望ましいことだと思います。

ただ確かに「隼」が言われているほど「凡作」ではなかったとはいえ、それでは「傑作機か?」といえば疑問が残ります。当時の日本陸軍にとって必要な機体であり、また必要数を供給できたという点では確かに「駄作」という評価は当てはまらないでしょう。しかし一式戦Ⅰ型の登場時期は1941年。本命と言われる一式戦Ⅱ型に至っては1943年の出現です。1943年当時、米軍の主力戦闘機はP-38,P-47,F4U,F6Fといった新型に切り替わりつつある時期で、低速、弱武装の一式戦では性能面の劣位は明白です。ビルマ戦線で「隼」が米英の新鋭機(スピットファイア、P-51等)相手に互角に近い戦いを演じたという報告(「ビルマ航空戦」梅本弘著)もありますが、それは同機の性能面での優越を示す事例ではありません。

昨今に見る「隼」ブームについても、一部の戦史研究家グループが「煽っている」フシもあります。我が国の戦史研究会は狭いもの。しかもネットの普及によってどんどん狭くなってきています。その中で発言力の強い一部のグループが「定説はこうだけど、実はこうだったんだ」と煽ってくる。すると自分で判断する力を持たない一部の「自称戦史研究家、兵器研究家」達(いわゆる取り巻きですな)は、

「神様達があー仰っているんだ。ありがたく承ろう。」

という感じで何の批判もなしに受け入れてしまいます。そして異を唱えるものには容赦なく「異端潰し」

「おまえは神様達がお書きになった聖典を読んでいないだろう。ちゃんと聖典を読んでこい・・・・」

ここまで来ると変な宗教みたいですね。

戦史研究や歴史研究といった純粋な趣味の分野が、上記のような「エセ宗教」的な雰囲気になってしまうのは悲しいことです。
様々な知見や見解を得ることは楽しいことですけど、自分自身の判断力を他者に委ねるようなことはしたくないですね。精神の自立性は保っておきたいと思います。

お奨め度★★

今日は平日。
普段なら朝からお仕事なのですが、代休がたまってきたので、今日は代休充当日にしました。
とはいっても別に予定があるわけでもなし。
折角の休みなので外へ出かけても良いのですが、家で本を読んだり、ブログのネタを書いたりするのも悪くないかも。
そういえば最近Javaの本を買ってきたので、それをちょっと勉強してみようかな(ちなみにうちは未だにC言語)。
そんなこんなで晴れた日の休日は過ぎていきます。

ちなみに明日は出勤です。

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