コマンドマガジン日本語版第78号付録「天下強奪」のリプレイです。
第9ターン
孤立した東軍浅野幸長隊に対し、西軍は必殺の3:1包囲攻撃を敢行する。浅野隊の運命もこれまでか・・・。しかし何たることか。ダイス目はまたしても期待を裏切りAR(確率1/6)。浅野隊は危機を乗り切った。
悪いことは重なるもので、西軍期待の田辺城攻撃隊が、3:1の高オッズにも関わらずダイス目6で攻撃失敗(AR)。あと1歩だったのに。
このゲームでは、移動には命令ポイントが必要で、戦闘するだけなら命令ポイントが不要です。城攻めの場合、ARさえ出さなければ命令ポイントなしで戦闘を継続できるのですが、一度ARを出してしまうと、各部隊を攻撃位置まで移動させるために命令ポイントの出費が必要になってきます。限られた命令ポイントで戦う両軍、特に戦線の広い西軍にとって、攻城戦でのARはかなりキツイです。
さらには畿内戦線からも悲報が届いた。大津城で京極高次が挙兵。その制圧に向かっていた小早川秀秋、鍋島勝茂が相次いで東軍に寝返ったのだ。関ヶ原戦線で苦戦を続ける西軍にとって、この裏切りは痛い。
戦線背後に出現した小早川秀秋、鍋島勝茂の両隊
西軍の中から裏切り者達を並べてみました。
この機を逃さず、関ヶ原戦線では東軍が再び大攻勢に出ていた。加藤嘉明隊が得意の突破能力で西軍戦線背後に躍り出た。小西行長隊を包囲する。また一部兵力を伊勢方面に向かわせ、鳥羽城攻略に向かわせると共に、鈴鹿越えによる西軍戦線突破を画した。
小西隊に対する2:1攻撃。
3度目の正直か、と思われたが、またもや戦運は東軍を裏切った。結果はAR。小西隊撃破には失敗し、加藤嘉明隊は敵中に取り残された。
小西隊に対する2:1攻撃。
3度目の正直か、と思われたが、またもや戦運は東軍を裏切った。結果はAR。小西隊撃破には失敗し、加藤嘉明隊は敵中に取り残された。
敵中に孤立する加藤嘉明隊
第10ターン
西軍に立花宗茂登場。立花隊は直ちに淀川沿いに北上。大津城へと向かった。丹後戦線では、前回の攻撃失敗にも関わらず西軍が再び賭けに出た。この方面最強の西軍滝川雄利に1命令ポイントを与え、田辺城攻撃を命じたのだ。成功率50%の賭けだったが、滝川雄利は見事に期待に応えた。DRを出して田辺城の耐久力を残1まで減らした。田辺城陥落目前である。
関ヶ原戦線では敵中に孤立した東軍加藤嘉明隊を西軍諸隊が包囲攻撃。今回は順当にDRを出し、加藤隊を葬った。
立花宗茂。戦闘力4、移動力8、突破能力あり、命令ポイント不要の立花は、西軍最強のユニットである。
関ヶ原で対峙する東西両軍
第11ターン
大津城正面に立花宗茂が到着。早速大津城攻撃に着手した。3:1の攻撃で順当にDRを出し、大津城の耐久力を残1まで減らした。田辺城正面では西軍がさらに2命令ポイントを注ぎ込み、オッズを2:1として田辺城に対する最後の攻撃を行った。しかしなんたることか。万全を期したこの攻撃でまさかのAR(なんか今回はARが多いなあ)。田辺城は耐久力残1でなおも持ちこたえた。
大津城を攻める西軍部隊
東軍は関ヶ原に対する限定的な攻勢を続ける一方、一部兵力を割いて鳥羽攻略に着手した。鳥羽城が陥落すれば、西軍による「秀頼出陣」チットを引くことは不可能になる。そして鳥羽城は防御力に乏しい。西軍の田辺城攻略が早いか、あるいは東軍の鳥羽城攻略が早いか、戦いは城攻め競争の様相を呈してきた。
徳川麾下の松平忠吉隊は伊賀上野に進出。水口方面から西軍主力の退路を遮断せんと機を伺う。
徳川麾下の松平忠吉隊は伊賀上野に進出。水口方面から西軍主力の退路を遮断せんと機を伺う。
第12ターン
先ほど攻略に失敗した田辺城に対し、西軍はなおも諦めない。3命令ポイントを注ぎ込んで2:1のオッズを立てたが、攻撃はまたもや失敗(何でやねん)。攻撃参加部隊は粛々と後退するしかなかった。大津城攻略部隊は3:1で順当にDRを出し、大津城の耐久力を0とした。これで京極高次の自滅が期待できる。
関ヶ原戦線では、石田、大谷の各隊が佐和山方面へ向けて転進を開始していた。これは東軍松平忠吉の策動に対応するためである。残った宇喜多、小西、島津の各隊は、なおも関ヶ原を挟んで東軍主力と対峙する。
東軍は遅れていた徳川秀忠隊がようやく戦場に姿を見せ始めた。秀忠隊が関ヶ原戦線突破の鍵となるのか・・・?。
伊勢戦線では東軍による鳥羽城総攻撃が開始された。オッズ3:1で必勝を期したが、またもやAR。今回両軍ともAR多発である。
伊勢戦線では東軍による鳥羽城総攻撃が開始された。オッズ3:1で必勝を期したが、またもやAR。今回両軍ともAR多発である。
徳川秀忠隊。戦闘力5の秀忠本隊を初め、命令ポイント不要の5ユニットを有する秀忠隊は、関ヶ原戦線を突破するための東軍の切り札的存在といえる。
第13ターン
西軍はなおも田辺城を攻めた。オッズ2:1。何度目かの正直でようやくDRを出した。これで田辺城の耐久力は0になり、続く東軍プレイヤーターンに田辺城開城の目処が立った。しかしもう1ターン早ければ、このターンに「秀頼出陣」チットが1枚引けたものを・・・。友軍部隊の不甲斐なさに切歯扼腕する三成であった。(次の東軍プレイヤーターンに細川幽斎玉砕)東軍プレイヤーターンに北陸戦線で前田利長登場。大兵力で敦賀城に総攻撃を加える。敦賀城を守るは西軍杉浦重勝(1-4)。オッズ3:1で攻めかかる東軍。結果DRで敦賀城の耐久力は1に減じた。
伊勢戦線では東軍が2:1で鳥羽城攻撃。今度は順当にDRを出し、鳥羽城の耐久力を1にした。
近江戦線では鈴鹿越えを果たした松平忠吉と筒井定次が水口城を攻撃。オッズ1:1であったがARを出して攻撃は失敗に終わった。
伊勢戦線では東軍が2:1で鳥羽城攻撃。今度は順当にDRを出し、鳥羽城の耐久力を1にした。
近江戦線では鈴鹿越えを果たした松平忠吉と筒井定次が水口城を攻撃。オッズ1:1であったがARを出して攻撃は失敗に終わった。
前田利長。元々兵力の少ない北陸戦線にあって、戦闘力5の前田隊は貴重である。
第14ターン
徳川秀忠隊の前線到着や水口城に迫る脅威等を考慮し、西軍は関ヶ原方面の放棄を決定。主力を南近江に後退させることとした。大谷、小西、宇喜多の各隊が佐和山方面へ後退。それを島津、毛利の各隊が後退援護を行う。しかし後退に伴う戦線の綻びを家康は見逃さなかった。東軍全軍に突撃命令が下る。福島正則隊がその突進力を生かして戦線背後に躍り出ると、藤堂高虎、黒田長政、浅野幸長、京極高知といった東軍の将たちが解き放たれた野獣のように西軍部隊を攻める、攻める、攻める。この攻撃によって島津義弘、毛利元康といった西軍歴戦の将士が相次いで討ち死にしていった。
西軍前線に襲いかかる東軍諸将達