もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2008年03月

PFB2007戦力分析。今回は中日ドラゴンズついて取り上げてみたいと思います。なお以下はあくまでも「ゲームの中のお話」です。現実の世界と類似する個人名や組織名が登場することがありますが、あくまでも「偶然の一致」であることを申し添えておきます。また本文中で「今年」とか「今シーズン」といった言葉が出てきますが、「2007年」あるいは「2007年度シーズン」のことであるとお考え下さい。

 (注)PFBとは、サイコロとカードを使ってプレイするタイプの野球ゲームです。選手1人が1枚のカードになっていて、カードの数値とダイスの結果を照合しながら試合を進めていきます。1試合のプレイ時間が20~30分なので、その気になれば年間140試合前後をプレイすることも(一応は)可能です。
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中日ドラゴンズ

ジャイアンツを見た後にドラゴンズを見てしまうと、「うーん、この戦力でどうやったら勝てるんだろう?」と頭を抱えてしまいます。昨年と比べても戦力は格段に落ちています。これで日本一に輝いたのですから、クライマックスシリーズの功罪というものが改めて問い直されるのかもしれません(ちょっと大袈裟かな?)。

まず打線。昨年チームを引っ張っていたウッズと福留孝介が揃ってパワーダウン。いずれも3割に届かなかったことに加えて福留に至っては負傷75のおまけつき。荒木雅博、井端弘和の1,2番コンビは健在ですが、その後を打つクリーンアップがこれではねえ・・・。足の方も荒木、井端、福留の3人は走力Fを誇るものの、それ以外は揃って走力S。私の推奨スタメンでは、李炳圭ではなく走力と守備力に優れた英智を使っていますが、皆さんならばどのようにお考えでしょうか?。
そんな中、森野将彦の成長はあったものの、何といっても大きかったのは中村紀洋の加入。シーズン前は疫病神のように言われていたノリが(すいません、私も散々話題にしました)、実はチームを救う救世主だったとは・・・。シーズン前には誰がこの結果を予想し得たでしょうか・・・?。

投手陣も軒並み戦力ダウン。エース川上憲伸に昨年の威力はなく、救援投手岩瀬仁紀も左に同じ。これでもこの2人、ちゃんと実績を残しているのですから、データには現れてこない部分で「すごい」人達なんでしょう(あるいはPFBというゲームの再現性の限界か)。
その他先発投手陣では、朝倉健太、中田健一、小笠原孝、山井大介が先発ローテーションを構成します。昨年に比べて若干の人員交代はありましたが、戦力的に大きな変化はありません。そう考えるとエースの能力低下はそのままドラゴンズ先発投手陣の能力低下に直結しているように思えてきます。

救援投手陣は岩瀬を中心に、平井正史、岡本真也、鈴木義広らがいます。また忘れてはいけないのが新加入のクルス。フルシーズン働ける訳ではありませんが、その能力は貴重なセットアッパーとしてドラゴンズにとってはなくてはならないものとなるでしょう。

< スタメン例 >
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< 注目の選手たち >
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荒木と共に1,2番コンビを組み、ドラゴンズ打線のチャンスメーカーになったのが井端弘和です。データに現れる数値も勿論ですが、それ以上にチーム唯一の全試合出場は数字以上の価値があります。投手陣の方は中田賢一を上げてみました。データを見る限り必ずしも本調子とは思えない今シーズンなのですが、それでもチーム最多となる14勝は立派です。

投手A、打線B、総合B

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白馬の写真(4)

先日、2年ぶりに冬の白馬を撮影に行きました。
その時の写真をいくつか紹介します。

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前回

大出吊橋

白馬で最後に向かったのは大出の吊橋です。ここもカメラマンの間では結構有名なポイントのようです。前回着たときにはなかったような駐車場ができていました。昔風の建物と、近くに見える北アルプスの山々。なかなかステキです。

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るるぶ安曇野 松本 白馬'26 ヤマケイアルペンガイド 剣・立山連峰 ヤマケイアルペンガイド白馬・後立山連峰 ヤマケイアルペンガイド 槍・穂高連峰

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色々調べていくうちに、
 「どうしてあの時期にあの場所で決戦しなければならなかったのか」
 「もう少し時間をおいて決戦した方が戦力的にも有利に戦えたのではないか」
という疑問がもたげてきました。

確かにマリアナ・カロリンの線を抜かれれば日本の戦略的立場はさらに悪化することは間違いありません。
しかし史実のあ号作戦において、準備不十分のまま各個撃破された基地航空部隊と母艦部隊。敵からは「マリアナの七面鳥撃ち」と嘲られ、何ら戦果を上げることなく南海の空に空しく散っていった若いパイロット達の姿を振り返ってみると、もう少し何とかならなかったのか、という思いに駆られます。

当時の日本軍も、特に陸軍省あたりからはマリアナ決戦に対して否定的な見解が強く、むしろ大兵力の展開が可能で大飛行場群を整備できる比島の線で決戦する意見が強かったようです。それを強引に押し切ったのは、軍令部、特に源田實に代表される佐官級の参謀であったことが「戦史叢書」には記されています。

無論最初からマリアナの線を放棄し、比島の線で決戦したとしても恐らく最後は負けたでしょう。しかし少なくとももう少しマシな戦ができたのではないかな、と思えてきます。

以下余談
友邦ドイツにはフォン・マンシュタインという偉い将軍がいたそうです。彼はヒトラー総統の再三に渡る「死守命令」と戦い、機動的な防衛戦を展開してたびたび赤軍に痛打を与えたらしいです(欧州戦線は専門外なのでちょっと自身ありません)。我が国にももしマンシュタインのような将軍がいたら、機動性を生かした防衛線で米軍に痛打を与えることも不可能ではなかったかもしれません・・・・、(てやっぱり夢かな?)


マリアナ沖海戦-母艦航空隊の記録 空母エンタープライズ下巻 精強261空“虎部隊”サイパン戦記 帝国海軍搭載機総ざらい(1) 2017年 06 月号
The Philippine Sea 1944 New Guinea and the Marianas: March 1944-august 1944 Carrier Battle - Philippine Sea

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先日、2年ぶりに冬の白馬を撮影に行きました。
その時の写真をいくつか紹介します。

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前回

水神宮橋

次は水神宮橋のたもとです。姫川にかかる中程度の橋で、白馬中心部と野平の集落を結んでいます。ここも個人的には好きな場所です。姫川の流れと五竜岳の組み合わせが素敵です。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/5/4/542d8673.jpg


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事情があって、「あ号作戦」について調べています。
「あ号作戦」とは、ご存知の通り1944年5月に発令された米機動部隊撃滅作戦です。その骨子は海上決戦兵力たる第一機動艦隊と、基地航空決戦兵力である第一航空艦隊が共同で米機動部隊と決戦、これを撃破するというものです。

その結果はご存知の通りマリアナ沖海戦を引き起こし、そして日本海軍は敗れ去りました。

この戦いについては、既に多くの書籍で語られていますが、その内容は機動部隊同士の戦いに偏り、本来最も期待されていた基地航空部隊に対する扱いがやや冷淡です。

今回、私が本作戦を再び調べてみるにあたり、基地航空隊の戦いに焦点を当ててみました。定数1,600機。完全に整備された暁には米機動部隊を遥かに凌駕する兵力を有するはずだった第一航空艦隊。猛将角田覚治中将に率いられたこの部隊は、決戦兵力の中核として大いに期待されていました。

実際の戦いでは、一航艦は米機動部隊に殆ど打撃を与えることなく壊滅してしまいますが、その原因は何故か?。「質量共に劣る」といえばその通りなのですが、少なくともある時期までは敵機動部隊に対して数的優位を保持して決戦するという方針を堅持していたはず。それがどうしてあのような一方的な敗北を喫してしまったのか。機材の不備なのか、運用の不備なのか、あるいは作戦指導に問題があったのか。その辺りに焦点を当てて調べてみたいと思っています。

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