もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2008年10月

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主題のゲームをソロでプレイしました。前回は第7ターン(1943年夏)までを紹介しました。今回は第8ターン(1943年冬)からです。
東からはソ連軍、西からは米英連合軍がドイツ本土目指していよいよ進撃を開始しようとしています。

第8ターン(1943年冬)

再び米英の重爆撃機がドイツ本土上空を覆った。対空砲火が煌き、航空機1ユニットが撃墜された。残った爆撃機は2ヒットを与えた。

東部戦線のソ連軍。既に旧独ソ国境まで迫っていたが、遂に国境を越えてきた。東プロイセンが陥落、ブルガリア、ルーマニアも相次いで枢軸陣営から脱落していく。プロエシュティ油田にも赤軍部隊が迫ってきた。

イタリア戦線ではパットン軍がアルプスを越えて遂にドイツに侵入してきた。マンシュタインがパットンを迎え撃つ。マンシュタイン、パットンの一騎打ち。両者の戦いは互角であったが、パットン軍は戦車部隊を失った。米本土から戦車部隊が急遽イタリア戦線に送られる。

西部戦線では増援を得たモントゴメリー軍が独仏国境に向けて進撃を開始した。ドイツは虎の子ロンメル将軍を西部戦線に派遣。モンティとロンメルがアルデンヌ高原で激突する。両者の戦いは一歩も譲らず。アルデンヌ戦線はこう着状態となった。

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第8ターン終了時の状況。戦場はドイツ本国に迫ってきた。

第9ターン(1944年夏)

ドイツ本土上空を米英の重爆撃機が傍若無人に飛び回る。今回は対空砲火も戦果がなく、爆撃によってドイツの生産能力は落ちる所まで落ちてしまった。

ここに至ると米英軍とソ連軍のベルリン奪取競争の感がある。米英連合軍、ソ連軍、そしてドイツ軍。それぞれの思惑を秘めた本土決戦が今始まろうとしていた。

最初に動いたのはドイツ軍である。米軍によって支配されていた南欧のプラハに対して反撃作戦を開始した。「春の目覚め」作戦である。グデリアン麾下の反撃部隊は空軍の劣勢をものともせず米軍部隊に襲い掛かった。米軍部隊撃破。プラハ奪回。この時ドイツ軍はまだ強かった。

続いて東部戦線のソ連軍が動く。反撃戦力を西部戦線に引き抜かれて弱体化した東部戦線を赤軍部隊は食いちぎった。ブダペスト解放によりハンガリー脱落。ワルシャワ陥落。プロエシュティ油田も赤軍の手に落ちた。オーデル川に迫るソ連軍は、遂にベルリンに隣接する地点にまで進出した。

このままでは赤軍にベルリンを解放されてしまう。焦った米英軍は大胆な作戦に打って出た。ハンブルク上陸作戦である。海空軍の支援を受けた部隊がハンブルクに上陸。低地諸国を前進してきたモントゴメリーがハンブルクに進出する。ハンブルクからさらに南下してハノーバーを占領するモントゴメリー軍。ベルリンはあと1ヘクスだ。

南欧戦線ではパットン軍がマンシュタイン軍と戦っていた。ルール工業地帯を守るマンシュタイン軍をパットン軍が包囲攻撃。航空機、戦車の支援を得たパットン軍はマンシュタイン軍を撃滅した。

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第9ターン終了時の状況。ドイツの運命は風前の灯火。

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こちらはベルリン周辺の拡大図

第10ターン(1944年冬)

ベルリンを落すのはソ連軍かそれとも米英連合軍か?。
最初に動いたのはソ連軍だ。ジューコフ指揮下の歩戦連合部隊がベルリンに殺到する。しかしここでグデリアン将軍指揮下のドイツ軍が意地を見せた。ジューコフ軍はベルリンで完膚なきまでに撃破され、ドイツ軍は最後までその精強ぶりを見せつけた。
続いてモントゴメリー率いる米英軍がベルリンに殺到する。ドイツ軍はここでも善戦したが、米英軍の圧倒的な空軍戦力がドイツ軍の抵抗を粉砕した。ドイツ軍降伏。ベルリンは米英軍の占領する所となった。

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ゲーム終了時の状況

結果

ベルリン占領により連合軍の勝利。プレイ時間は約4時間半(記録時間含む)

感想

慣れるまでは何をして良いか感覚が掴めず苦労しましたが、ゲーム展開が読めてくると俄然面白くなってきました。
「2~3時間で1ゲーム終えられる」というのが本作の触れ込みですが、最終ターンまでプレイする場合は2~3時間では無理でしょう。1ターンの所要時間が20~30分。全12ターンで4~6時間という所ではないでしょうか。1942年までにドイツがソ連を打倒してゲームを終えることができれば、2~3時間も可能だと思われますが。

私は西側連合軍の立場から考えてしまうのですが、西側連合軍の鍵は海軍力の優越にあるように思います。特に地中海における制海権確保と大西洋の海上交通線確保は勝利のための必要条件に思われます。また1942~1943年におけるレンドリースの成否は、東部戦線の戦況を左右しかねない重要な意味を持っています。連合軍としては枢軸海軍の妨害を突破制圧し、ロシアへのレンドリースを成功させるだけの強力な海軍力を整備する必要があります。

ドイツはロシア打倒の成否が鍵を握るように思います。ドイツとロシアの1対1の戦いであれば、恐らくドイツが勝てるでしょう。しかしドイツは西部戦線やアフリカにも派兵する必要があり、また西側連合軍の西ヨーロッパ反攻にも備えなければならないのが辛い所。また海軍力の整備も西側海軍の戦争努力を相対的に妨害する意味があり、決して疎かにはできません。ドイツのUボートはコストが安いので、比較的容易に西側連合軍の制海能力を妨害することができます。また地中海戦線の行方はイタリアの継戦能力に直結します。地中海で枢軸軍が最終的な勝利を得る可能性は小さいと思われますが、できるだけ長時間地中海戦線を支え、イタリアの脱落を阻止することができれば、連合軍の継戦能力のかなりの部分を地中海に引き寄せることができるでしょう。

ソ連はドイツの出方次第でしょう。ドイツがその全力を東部戦線にぶつけてきた場合、ソ連単独では勝ち目は乏しいように思います。ドイツ軍の投入兵力を見極めつつ、冬季反攻を利用してドイツ軍に打撃を与えるのが宜しいかと思います。あとは歩兵の大量生産で時間を稼ぎつつ、西側連合軍の反攻とレンドリースを待つのが宜しいかと思います。


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JR横須賀駅を降りると、目の前に広大な横須賀基地が広がっています。今回紹介するヴェルニー公園は、横須賀基地を目の前に眺める位置に設けられた綺麗な公園です。この一帯は以前から公園がありましたが、今から7年前にヴェルニー公園として綺麗に整備されました。目の前に日米の軍艦を見ながら、ノンビリと本を読むのは楽しいものです。

私が訪れたのは数日前のことでした。
その日は港内に米艦艇の姿は少なく、戦闘艦艇としては僅かにイージス駆逐艦1隻を認めたのみでした。
海自関係ではDD-101「むらさめ」が岸壁に接岸していた他、訓練支援艦「くろべ」等の水上艦が停泊していました。潜水艦では「おやしお」型2隻が特徴的な葉巻型船体をみせて接岸していた他、「はるしお」型の1隻が丁度入港してくる所でした。

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入港してくる「はるしお」型潜水艦。潜水艦は個艦名がなかなか識別できないのがつまらないです。

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こちらは海自自慢の水上戦闘艦。手前の艦はDD-101「むらさめ」です。

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主題のゲームをソロでプレイしました。前回は第3ターン(1941年夏)までを紹介しました。今回は第4ターン(1941年冬)からです。いよいよ赤軍による冬季反攻が開始されようとしています。

第4ターン(1941年冬)

ソ連軍にとって待ちに待った冬季反攻が開始された。シベリア方面からの増援部隊を得て、さらに歩兵、戦車を増産してドイツ軍に挑む赤軍。まずモスクワ正面に陣取るグデリアン軍に対してその矛先を向けた。退路を絶たれたグデリアン軍はモスクワ西方の雪の中で壊滅。レニングラードで拘束されているマンシュタイン軍も退路を絶たれて壊滅した。他に戦車3、歩兵3を失ったドイツ軍は、まさに壊滅的な打撃を被っていた。
一方赤軍も歩兵3~4個を失うという少なくない打撃を被ったが、それでもモスクワ、レニングラード戦線でドイツ軍を撃滅した戦果は大きかった。

地中海戦線ではモントゴメリー将軍指揮する歩戦連合の英軍部隊がトブルク要塞を守るイタリア歩兵に襲い掛かった。地中海の制海権を奪われ補給切れのイタリア歩兵に勝ち目はなかった。イタリア軍は壊滅し、北アフリカの枢軸軍は一掃されてしまった。

第5ターン(1942年夏)

前のターンに書き忘れたが、第4ターンに米国が参戦している。強力な米艦隊が連合軍に加わった。その圧倒的な海軍力に対し、枢軸海軍も果敢な抵抗を試みた。温存されていたUボート3ユニットが北海に出撃し、通商破壊戦を挑む。それに対して米英軍は米空母「レンジャー」等空母3ユニット、戦艦2ユニットでUボート狩りを行う。Uボート2ユニットが沈没、1ユニットが大破帰還を余儀なくされ、枢軸軍による通商破壊戦は失敗に終わった。

東部戦線では戦力を立て直したドイツ軍が再びモスクワ、レニングラードを目指す。ロンメル将軍指揮するドイツ軍がモスクワ西方に突進。赤軍歩兵を撃破しつつモスクワへ突進する機会を伺う。マンシュタイン将軍の部隊はバルト海沿いにレニングラードに迫った。対する赤軍はレニングラード、モスクワに要塞を構築。さらに歴戦のジューコフ将軍をモスクワに派遣し独軍を待ち受ける。
マンシュタイン軍によるレニングラード攻略戦。独空軍による支援の元、開始されたレニングラード戦は、しかし期待の独戦車部隊が赤軍戦車部隊に敗れたために失敗。マンシュタイン軍は後退を余儀なくされた。
しかしロンメル軍が快挙を成し遂げた。首都モスクワを巡ってジューコフとロンメルが激突する。ロンメル軍は要塞攻撃という不利な状況にも関らず「5」「6」を連発。ジューコフ軍を完全に撃滅しモスクワを占領した。歓喜するドイツ軍。しかしソ連はなおも戦いを継続する決意を固めていた。

その頃地中海戦線では異変が起こっていた。英将軍モントゴメリーがたった1人でローマに上陸してきたのである。驚くドイツ軍は慌ててルフトバッフェを派遣し上陸を阻止せんとする。ルフトバッフェがスピットファイアを撃墜。またローマ守備隊の奮戦もあってモンティの「1人ローマ侵攻」は寸前の所で阻止された。
しかし連合軍は諦めない。今度は英歩兵部隊がローマに上陸してきた。再びルフトバッフェが立ち向かうが、今度は米サンダーボルト戦闘機によってフォッケウルフが撃墜されてしまった。艦砲射撃と航空支援によって英歩兵はローマを占領。この瞬間イタリアは枢軸陣営から脱落した。

ローマが簡単に陥落したのは、枢軸側の防衛に欠陥があったためだと言わざるを得ない。米英軍は上陸作戦を行う場合、艦砲射撃の支援1がつくため、防御側が歩兵だけなら撃退される可能性が高い。歩兵に加えて戦車か指揮官をスタックさせておくのが望ましいと思われる。またローマ守備隊も弱体なイタリア兵ではなく、ダイスを振る機会の多いドイツ兵を配置すべきであった。

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第5ターンの状況。ローマが連合軍の奇襲上陸により陥落し、イタリアが枢軸陣営から脱落。ドイツはさらなる苦境に立たされた。

第6ターン(1942年冬)

米英連合軍は苦境に立たされたソ連を救うべくレンドリース船団をバレンツ海に派遣した。それを空母3ユニット、戦艦2ユニットを擁する米英艦隊が援護する。ドイツ海軍はベルゲンに展開する基地航空部隊となけなしのUボート1ユニットで船団阻止に向かう、が、圧倒的な米英艦隊を前になす術もなく敗退。Uボート1ユニットが撃沈され、レンドリース船団は無傷のままムルマンスクに入港した。

米英軍の重爆撃機隊がドイツ上空に現れた。対空砲火が米航空機1ユニットを撃墜したが、残りはドイツ工業地帯を爆撃し、ドイツ軍は2生産ポイントを失った。

ドイツ軍はイタリア戦線にグデリアン将軍率いる部隊を派遣。その質的優位を持って米英軍のイタリア半島北上を阻止せんとした。対する米英軍はパットン将軍をイタリア戦線に派遣してグデリアンに対抗する。パットン対グデリアンの戦いは両者一歩も譲らなかったが、米英軍の別働隊がアルバニアに上陸し、アドリア海沿いに北上を開始した。

東部戦線では復活したジューコフ将軍がモスクワ奪回作戦に乗り出していた。レンドリースで到着した戦車隊を展開して独軍戦線全域に渡って攻撃を行う赤軍部隊。兵力に劣り、冬期装備にも欠く独軍部隊は各個に撃破されていった。モスクワでは包囲されて退路を遮断されたロンメル軍が壊滅。モスクワは再びソ連軍の手に帰した。さらに赤軍の先鋒はキエフ市にも達していた。

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第6ターン終了時の状況。東部戦線とイタリア戦線で守勢に立つドイツ軍は苦しい状態になってきた。

第7ターン(1943年夏)

窮地に立たされたドイツ軍は東部戦線で守勢に転じつつ、イタリア戦線で反撃を行うことにした。グデリアン将軍指揮下の部隊がバルカン半島に進出。北上中の英歩兵部隊を捕捉した。圧倒的兵力差で英歩兵を撃破したグデリアン軍。この時は「無敵ドイツ軍」が甦った感があった。

東部戦線では赤軍が全域に渡って大反攻を行う。リガ~ミンスク~キエフ~オデッサの線で戦線を張るドイツ軍に対し、歩兵と戦車の連合した赤軍部隊は広域で攻撃を開始した。局地的にはドイツ歩兵の質的優位によって赤軍を撃退する場面も見られたが、多くの戦線では歩戦共同の赤軍の勢いが勝った。ドイツ軍は徐々に後退を余儀なくされていった。

米英軍は遂に大陸反攻に着手した。ノルマンディ地区に(ローマの海底から不死身の如く甦った)モントゴメリー将軍指揮する英軍部隊が上陸。そのまま東進してリールを占領した。当時フランス地区には有力なドイツ軍部隊がいなかったため、米英軍に対して反撃することができなかった。今やドイツはフランス、イタリア、ロシアと3個所から迫る敵に備えなければならなくなった。

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第7ターンの状況。米英軍のノルマンディ上陸によりドイツはさらなる苦境に立たされた



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少し前の話になるのですが、主題のゲームをソロでプレイしました。
今回はその内容を全3回で紹介します。
まずは第1回目です。

第1ターン(1940年夏)

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セットアップ時の状況

1939年9月、
ポーランドに侵攻したドイツに対し、
英仏は宣戦を布告し、第二次世界大戦が始まりました。
このゲームはその半年後、
1940年春から始まります。
あなたは枢軸軍または連合軍のの最高司令官となり、
陸・海・空3軍の指揮を執って勝利を目指します。
(ゲーム「ヒトラー帝国の興亡」より)

このゲームは独軍によるフランス、ノルウェー侵攻により開始される。無論フランス侵攻を行わずいきなりロシア侵攻を行う手もあるが、その有効性については疑問視せざるを得ない。何故ならドイツ軍の初期配置は西部戦線指向であり、それを東部戦線に再配置するためには少なくない戦争資源を必要とするからだ。
今回のリプレイもドイツ軍によるフランスとノルウェーに対する同時侵攻で幕を開けることになる。
ノルウェー戦線ではRAF(英空軍)がノルウェー守備隊支援に出撃。航空支援もあって最初はドイツ軍の侵攻を阻んでいたが、最終的には練度に優るドイツ兵に押し切られる形でオスロ陥落。ノルウェーはドイツ軍の支配する所となった。

本ゲームにおけるノルウェーは戦略的に2つの意味を持っている。
1つは資源地帯としての意味。ノルウェーの資源は、枢軸軍に作戦チットを毎ターンタダで1枚提供してくれる。これは生産力に劣る枢軸軍にとっては貴重である。
もう1つはレンドリース船団に対する航空攻撃の発進基地としてである。ベルゲンの航空基地はバレンツ海で空母1ユニットと同等の価値を持つ。これはバレンツ海を越えてムルマンスクに向かう援ソ船団にとっては大きな障害となる。

本命の対仏戦は独軍の電撃戦により開始された。マジノ線正面とアルデンヌ高原を抜けてフランス領内に殺到するドイツ軍。それに対してフランス軍はマジノ線から取り外した要塞をパリ郊外に再配置。いわゆる「パリ要塞作戦」でドイツ軍を待ち受ける。
戦いはこのターン一杯に渡って繰り広げられたが、最終的にパリは陥落。フランスは対独戦線から脱落した。

この間連合軍としては大きな動きはない。とりあえず英歩兵をマルタ島に派遣し、地中海の守りを固める。

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第1ターン、ノルウェー及びフランスへ侵攻するドイツ軍

第2ターン(1940年冬)

このターンからイタリアが枢軸軍に加わる。また同時にギリシアが連合軍に加わる。
ドイツとしてはまずギリシアを叩いておきたい所。ギリシアを放置しておくと、バルカン方面へ連合軍が上陸してくる危険があるからだ。ついでにユーゴも攻めておこう、とドイツは思った。

最初に開始されたのはユーゴ進攻戦である。「電撃戦」チットを使ってユーゴの首都ベオグラードにグデリアン将軍率いる歩戦連合部隊が進撃する。圧倒的な戦力差を前にしてユーゴ軍は壊滅した。
さらに別のドイツ軍部隊がギリシアに侵攻する。アテネ攻防戦はドイツ軍の勝利に終わった。こうしてギリシアもドイツの支配下となった。

対する連合軍。北アフリカにモントゴメリー将軍と歩兵部隊を派遣する。次のターン、北アフリカで大きな攻勢を行うつもりのようだ。

海上でも別の動きがあった。ドイツ海軍が北海で通商破壊戦を仕掛けてきたのだ。しかし英海軍の追跡部隊がドイツ海軍を捉えた。激しい砲撃戦の結果ドイツ戦艦「ビスマルク」は北海の海に沈んだ。

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第2ターンにおける地中海戦線。ロンメル将軍率いるドイツ軍がアテネに侵攻する(図中の青丸)。その間、英軍部隊は北アフリカ領内に展開していた(図中の赤丸)。

第3ターン(1941年夏)

「全世界は息を飲むだろう」
独ソ戦が開始された。
ロンメル、グデリアン、マンシュタインといった歴戦の将軍達に率いられたドイツ軍は、独ソ国境線を突破しロシア領内に雪崩れ込んだ。
ドイツ軍の主攻勢は北方に向けられた。リガ~ミンスク前面に展開する赤軍歩兵部隊を殲滅し、その後快速装甲部隊が電撃戦でモスクワ、レニングラードに向かう。これがドイツ軍の作戦プランだ。上手く行けばこのターン。もし失敗しても翌年夏までには両都市を手中に収める計画だった。
しかしバルバロッサ作戦は初動から躓いた。リガ~ミンスクラインを守る赤軍歩兵は思いの他頑強に抵抗し、独軍はその前線を完全に崩壊させることに失敗したからである。電撃的侵攻を封じられたドイツ軍。それでもドイツ軍はレニングラードに肉薄、またモスクワ前面まであと1ヘクスにまで迫っていたが、そこまでだった。ドイツ軍はソ連軍とスタックしたままターンを終える。
冬季反攻の恐怖が迫る。

地中海戦線では英国がイラクに宣戦を布告した。モンティが一人でバクダットに「散歩」した。バクダットの油田を連合軍が支配した。

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第3ターン、モスクワ、レニングラードに迫るドイツ軍。しかし冬はもうすぐそこまで来ていた。




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鉄道ダイヤ情報2008年11月 交通新聞社

私は所謂「鉄」ですが、鉄道雑誌はあまり読みません。本屋で立読みすることはあっても、購入して読むことは稀です。以前は「旅と鉄道」を時折購入していましたが、これは鉄道雑誌といっても旅行誌に近いものでしたから・・・・。
そんな私ですが、先日本屋で主題の雑誌を見つけて思わず購入していました。特集記事に惹かれて。
その特集とは「京阪電車」。
私と京阪電車との関りについては、以前に何度か記事にしたことがあります。そういった意味からは「京阪電車」と聞いただけで何故か心動かされるものがありました。


記事の方は、中之島線開業に伴う新ダイヤ、新車両についてです。中之島線については、次回関西方面へ出かける際に試乗してみようと思っているので、レポートはその時に改めて。車両については「随分と新しい車両が増えたな」というのが第一印象です。私の中の京阪電車といえば、先頭車両に通り抜け用扉がついたタイプが主流(所謂1000~2000系クラス)だったのですが、今では前面非貫通型の7000系や9000系が主流となっている模様。また塗装についても、私の中での京阪電車といえば、ライトグリーンとダークグリーンの2色に塗り分けられたシンプルなデザインが特徴でした。しかし本誌を見るとホワイトとグリーンを基調したモダンなもの(7200系)や、中之島線用にエレガントブルーとスマートシルバーで塗装された3000系も登場しているようです。3000系なんて「これが京阪?、阪神かどこか別会社じゃないの?」と思う次第です。

単価\870で高いか安いか判断の難しい所ですが、ノスタルジーに浸ることができたという点では、私的には「買い」でした。

P.S. 今度京阪電車を全線乗り潰してみようかな。

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私の中での京阪電車のイメージといえば、コレです。

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