もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2009年04月

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彦根に続いて次は長浜へ。
長浜といえば、その昔今浜と呼ばれていたものが、木下藤吉改め羽柴秀吉公が長浜に赴任された際、長浜という名に改名させられたとか云々。その他にも国友鉄砲鍛冶とか、賤ヶ岳の合戦とか、かつての日本鉄道網の拠点だったとか、色々と歴史的な事件には事欠きません。

長浜城

彦根城の場合とは違い、長浜城は駅のすぐ近くにあります。駅の西口を出たら目の前が豊公園。その一角に長浜城の復元天守閣があります。先に紹介した彦根城に比べるとスケール感では及ぶべくもありません。撮影ポイントも少なめで、その点はやや不満が残ります。ただ長浜城の場合、目の前がすぐ湖なので、城の景色と琵琶湖の景観を同時に眺められるのは嬉しいです。

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長浜鉄道スクエア

長浜城の見所が今ひとつ少なかったため、時間が余ってしまいました。そこで駅近くにある「長浜鉄道スクエア」に立ち寄ることにしました。「長浜鉄道スクエア」は旧長浜駅舎を改造して作られた鉄道記念館です。旧長浜駅舎の他、長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館の3つの施設の総称です。施設が3つあるとはいえ、入場料は3ヶ所合わせて\300です。
設備の内容は、旧長浜駅駅舎内部を復元したもの(旧長浜駅舎)、長浜駅の歴史を紹介したもの(長浜鉄道文化館)、北陸線で活躍していた機関車を展示したもの(北陸線電化記念館)です。

思えば長浜駅も今では主要交通路から外れてしまい、かつて幹線だった頃に比べると交通の結節点としての重要性は明らかに低くなっています。しかし長浜スクエアは、長浜がかつて鉄道交通の中心的役割を果たしていたことわかりやすく教えてくれています。
入館料\300は判断に迷う所ですが、近くに立ち寄る機会があれば、訪れてみるのも良いのではないでしょうか。

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長浜市内観光

長浜鉄道スクエアを出て、長浜の市街に向かいました。時計を見ると11時過ぎ。丁度小腹も空いてきました。長浜には「焼鯖そうめん」という名物料理があるそうです。「名物料理」というものに弱い私は無性にその「焼鯖そうめん」というものが食べたくなりました。そこで入った店が「翼果楼」。長浜では有名なお店だそうです。
「鯖街道 焼鯖寿司付き」という\1,680のセットメニューを注文しました。
期待の焼鯖そうめんは・・・・、うーん、味の方は「びみょ~」ですね。まあ名物料理を食することができたことは良かったです。
食事の後に長浜の市街地を少し歩いてみました。思いの他風情があったので驚きました。長浜の町も意外と見所が多いですね。

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先日、休暇を利用して近江路に出かけました。
早朝の新幹線に乗って米原駅で下車。最初に向かったのは彦根城です。

彦根駅から歩いて10分程で彦根城下に着きます。彦根城は少し高台にあり、城下からは少し坂を登っていかなければなりません。
城の内外は丁度桜が見頃を迎えていて、とても綺麗でした。
桜の写真をいくつか紹介しましょう。

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先日、大阪ミドルアースを訪問した際、主題のゲームをプレイしました。シナリオは1942キャンペーン。第2ターンから開始されるキャンペーンシナリオです。私は連合軍を担当しました。

前回のあらすじ-->こちら

第7ターン(1943年後半)

イメージ 1前のターンに大規模な進攻を成功させた連合軍であったが、このターンは攻めあぐんだ。東部ボルネオのバンジェルマシン、タラカンを占領したもの、万を持して発動されたマニラ占領作戦は日本艦隊の激しい抵抗にあいまさかの失敗。
その間インド戦線では我が軍の敗北が続いた。日本軍の総攻撃を受けてレド、ジョルハット、そして最後の拠点のダッカも日本軍の手中に落ちた。米国の戦意は遂に1にまで低下。後がない連合軍なのであった。

米国の戦意 = 2->1(攻勢義務違反で-1)

第8ターン(1944年中盤)

イメージ 2イメージ 9日本軍がインド方面とマリアナ、西カロリン方面に防衛努力を集中しているのを見た我が連合軍は、海兵隊による奇襲上陸を敢行。台湾南部と中国東岸に拠点を確保した。ジャワ、ボルネオ方面でも日本軍の拠点を制圧。日本軍のリソースを3ポイント減じることに成功した。

米国の戦意 = 1(変化なし)

このターン「東条辞職」カードが出なかったことは連合軍にとって幸いでした。もし左記のカードが出たら連合軍は即座に敗北する所でした。このカードが出る可能性は10~20%程度。出なかったことはひとえに神のご加護です。


第9ターン(1944年後半)

イメージ 3イメージ 10最初のB-29飛行隊(第20爆撃コマンド)が台南に進出した。東京方面へ出撃。最初の戦略爆撃を成功させた。
米海兵隊は「カスケード作戦」カードを使って西カロリン、マリアナ地区を一気に制圧した。
最後に米軍は「オリンピック作戦」を発動。海兵3個師団でシンガポールへ強襲上陸を行い、激戦の末これを奪取することに成功した。勢いに乗る連合軍はシンガポール対岸のクワンタンに対して進攻をかけたが、これは日本艦隊の必死の抵抗に会い目的を果たせなかった。
インド方面ではカルカッタに集結した英連邦軍3個軍団がダッカに対して一大反攻を実施した。この戦いで「9」の目を出した連合軍は日本陸軍4個軍を完全に壊滅させた。日本軍のインド、ビルマ方面軍はここに壊滅。日本軍は戦勝の道を完全に閉ざされることになった。

米国の戦意 = 1->2(戦略爆撃成功で+1)

という訳で今回の対戦は以上で終了です。結果的には連合軍の勝利に終わりましたが、これは幸運のおかげです。

感想

いやー、堪能致しました。セットアップ開始が午前9時過ぎ。終了が18時過ぎでした。途中食事休憩等が入ったので、正味プレイ時間は8時間強。ターン数が第2から第9の計8ターンなので、1ターンの所要時間は約1時間です。このペースであれば、全12ターンのフルキャンペーンでも丸1日でプレイできそうです。
実はソロプレイの際には1ターン2時間近くかかることもあり、果たして何ターンまで行けるかやや不安な面がありました。しかし実際にプレイしてみるとソロプレイよりも遥かに楽です。当たり前の話ですが、相手プレイヤーの作戦は相手プレイヤーが考えてくれるので、ソロプレイに比べると考える量が半分で済みます。これが意外と美味しい。しかもソロプレイのような「サジ加減」はあまり考えなくても良いので、その点も安心できます。
SLGとして見た場合「Empire of the Sun」は高いレベルでバランスが取れていると感じました。太平洋戦争のキャンペーンとしては「Victory in the Pacific」(AH)、「太平洋艦隊」(SSG/HJ)、「大日本帝国の盛衰」(GJ)等があります。「Empire of the Sun」とこれらの作品を比較した場合、本作には「Victory in the Pacific」のような荒唐無稽さはなく、かといって「太平洋艦隊」のような理不尽さ(特に日本軍にとって)はありません。
「Empire of the Sun」は、「太平洋戦争において日本側に勝ち目はなかった」とする極めて常識的な視点を持ちながらも、ゲーム上のバランスを上手く調整することによって歴史的にも妥当で、かつゲームとしても楽しいという稀有な作品に仕上がっています。海戦ファンとしてみた場合、空母や戦艦が個艦単位ではないことはやや残念ですが、まあ本作の性質を考えれば仕方が無いことでしょう。
いずれにしても本作品は、現時点で入手可能な太平洋戦争SLGの中では最も優れた作品の1つであると言えそうです。

プレイの反省点

アリューシャン攻勢

アリューシャン方面に対する攻勢に対して無策でした。事前に予想していなかったのも迂闊でしたが、対策なしと決め付けたのも迂闊でした。
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反攻時の艦隊編成

イメージ 4連合軍は後半戦で日本軍の反撃を封じるためにある程度艦隊を分割せざるを得ないのですが、その時主力上陸部隊には十分な護衛をつけるべきでしょう。最低でも70戦力程度は随伴させておきたい所です。今回はそれを怠ったために日本艦隊の決死的反撃によって主力上陸船団が再三に渡って撃退されるという失態を演じてしまいました。

ケンダリー、クーパンは補給切れ

日本軍の司令部が初期配置のままなら、実は上記2個所は補給切れなのでした。このことをもう少し早い段階で気づいていれば戦局をさらに有利に進めることができたかもしれません。

陸海軍の対立

これは作戦の不備ではないのですが、米陸海軍の対立が長く続いたのは不運でした。

ルールの不明点

B-29による中国からの爆撃

ビルマロードが遮断されている時、B-29を中国に配置できるか否かが曖昧でした。後で調べた所、ルール12.74項に以下の一文がありました。

Allied air units are in supply in the China Box if the Buruma Road is open or the HUMP is active and there is a supply eligible airfield in Northern India.
(China Box内の連合軍航空ユニットは、ビルマロードが解放されているか、またはHUMPが有効で北インドに補給下の飛行場が存在している場合に補給下になる)

イメージ 5今回の状況ではビルマロードは遮断され、HUMPもなし(HUMPカードをOCとして使ってしまいました)。北インドの飛行場も全滅だったので中国大陸からの爆撃は無理でした。幸い第8ターンに台南を占領できたから第9ターンより戦略爆撃を実施することができましたが、もし台南占領がなければ連合軍の戦略が崩壊している所でした。HUMPカードの有効性を改めて感じた次第です。

中国軍の補給状態

イメージ 6ビルマロードを遮断された時、中国軍の補給状態はどうなるのか。通常の補給線ルールを適用すると補給切れになるけど・・・・。
という訳でルールを調べてみました。以下ルール12.75項より抜粋。

Kunming is a supply source if the Burma Road is open or the HUMP is active(以下略)
(もしビルマロードが開放されるか又はHUMPが機能している場合、Kunmingは補給源になる)

イメージ 7今回のプレイで言えば、ビルマ陥落と共にKunmingは補給源としての機能を損失したことになります。中国軍ユニットはステップロスを強いられ、活性化することもできませんが、ただし最低補給は効いているので壊滅することはありません。

特別リアクション判定

ルール6.27に従って特別リアクション移動を試みる際、諜報判定のダイスに-2の修正は適用されるのでしょうか、されないのでしょうか。ルールを読み限りどちらとも書かれていないように思うのですが、

最後に

今回お相手頂いたINBさんを初め、ミドルアースの皆様には本当にお世話になりました。次回も宜しくお願いします。



Pacific War Carrier Battle - Philippine Sea 決戦連合艦隊・改
米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 空母瑞鶴戦史:機動部隊出撃 太平洋の試練(上)-真珠湾からミッドウェーまで 空母エンタープライズ上巻

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先日、大阪ミドルアースを訪問した際、主題のゲームをプレイしました。シナリオは1942キャンペーン。第2ターンから開始されるキャンペーンシナリオです。下名は連合軍を担当しました。

第2ターン(1942年前半)

イメージ 2日本軍はあまりカードが良くないようだ。トーナンメントルールを適用して「近藤中将」を投入。主にタラカン、スラバヤ、バタビア、チラチャップといったボルネオ、ジャワの要域に進攻してきたのである。
対する我が軍はマレー半島を守備していたオーストラリア第8師団をビルマ方面へ転進させる一方、豪北の守備についていたオーストラリア第1軍団も海路ビルマへ向わせた。また潜水艦は軽空母「瑞鳳」を雷撃撃破。今次大戦で初めて日本艦隊に対して戦果を挙げた。
このターンは概ね期待通りの展開であった。日本軍は蘭印攻略に手間取り、その隙にオーストラリア軍をビルマ戦線に送り込むことに成功しました。ビルマ戦線がこれで少しは安定すれば良いのですが・・・。

米国の戦意 = 8(変化なし)


第3ターン(1942年中盤)

イメージ 3欧州の戦況が一時的にせよ好転した。その隙に大量の地上部隊、航空部隊が太平洋戦線に投じられた。基地航空兵力は半分をビルマ、残り半数をニューギニアに投入。後の戦いに備える。
イメージ 4日本軍はシンガポール、マニラを陥落させ、セレベス島、スラバヤ島も概ね制圧。東南アジアの大部分は日本軍の手中に帰した。しかしラングーンに対する日本軍の攻撃は見事に撃退に成功。ビルマ決戦に明るい光を投げかけた。
南東方面では米空母部隊がマーシャル諸島を急襲。在泊艦艇と基地航空部隊に多大な損害を与えていた。またラバウル在泊の日本艦隊に対してはニューギニア各地に展開していた基地航空部隊が攻撃を実施し、こちらも大きな損害を与えていた。ラバウルの日本軍は損害を避けるためにトラック島へと後退していった。

米国の戦意 = 8->5(マレー、フィリピン、蘭印陥落で各-1)


第4ターン(1942年後半)

イメージ 5ターン開始早々に朗報が届く。英軍の特殊小型潜行艇がカムラン湾に在泊中の戦艦「長門」を雷撃。これを撃破したのだった。
ビルマ方面に対して日本軍が大攻勢を仕掛けてきた。圧倒的な航空支援を受けた日本軍の猛攻に対し、ビルマを守る英連邦軍は顔色なし。ダイス目の悪さも手伝ってラングーン、マンダレーが次々と陥落していった。
日本軍はビルマでの戦況を大々的に宣伝(「東京ローズ」カードを使用)、さらに我が軍の士気を低下せしめた。
対する我が軍はマーシャル諸島進攻作戦「フリントロック」を発動。クエゼリン、エニウェトクの両環礁を占領した本作戦は大成功を収め、マーシャル諸島一帯は我が軍の支配する所となった。「フリントロック作戦」の成功によりなんとか「攻勢義務」を果たすことができた。

米国の戦意 = 5->4(東京ローズで-1)

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第5ターン(1943年前半)

イメージ 7イメージ 8マーシャル諸島を出撃した空母6隻を基幹とする米空母部隊が密かに日本本土に接近しつつあった。横須賀沖200海里より発進した米空母艦載機は横須賀に集結していた日本空母群を急襲。大型空母3隻(3ステップロス)を撃破することに成功した。日本軍の反撃によって空母「ワスプ」が撃沈されたが(1ステップロス)、まずは大成功である。
米空母の猛攻は続く。今度はウルシー環礁を襲い、在泊中の戦艦「金剛」を撃沈した。
ビルマ方面でも我が基地航空部隊が日本機に一矢を報いた。日本軍精鋭航空部隊20-10-2ユニット2個を撃破したのだ。P-38やB-24といった新鋭機が活躍したのだろう(このターンから米航空部隊を含む戦闘は+1のDMを得る)。

しかし朗報ばかりではない。まず北方アリューシャン方面ではアッツ島に居座る日本軍を撃退できなかったことで、政府に対する支持率がまたもや低下してしまった。さらにこのターン、手札が揃わなかったので「攻勢義務」を果たすことができなかった。これでさらに支持率低下である。
ビルマ方面ではマンダレー、インパール、ラシオが陥落。ビルマ降伏も時間の問題となった。

下名がソロプレイしていた時にはアリューシャン作戦のことをあまり重視していなかったのですが、今回改めてアリューシャン作戦の重要性を再認識させられました。プレイ中は気づかなかったのですが、日本軍のアリューシャン作戦に対して対応するのは必ずしも不可能ではないことに気づきました。例えばダッチハーバーを出撃基地として1OCで作戦した場合、日本軍には対応手段がないんですよね。だから1OCのカスカードを北方戦線につぎ込むのは有効な対応手段にも思えてきます。

米国の戦意 = 4->3(アリューシャン占領、攻勢義務違反で各-1、ドゥリトル攻撃で+1)

第6ターン(1943年中盤)

イメージ 9日本軍はビルマ、インド方面に戦争努力を傾注しているようであった。そのため我が軍は太平洋正面で反攻を行い、日本軍の戦争努力を太平洋正面に引き戻そうとした。
まず最初に日本軍の要域トラック島に対して上陸作戦を敢行。微弱な抵抗を排除してトラック環礁を奪取した。これでニューギニア方面とマーシャル方面との連絡はかなり容易になった。日本軍はマリアナ及び西カロリン方面に守備兵力を集中させているので、我々は「S作戦」を発動。ニューギニア北西部から蘭印方面に攻めこんだ。フィリピン東部レイテ島を占領して前線基地を築く。またアンボン、クーパン、バリクパパンといった東部インドネシアの要域を次々と占拠していった。

米国の戦意 = 3->2(ビルマ陥落で-1)

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Pacific War Carrier Battle - Philippine Sea 決戦連合艦隊・改
米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 運命の夜明け 太平洋の試練(上)-真珠湾からミッドウェーまで 空母エンタープライズ上巻

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決定版太平洋戦争①「日米激突への半世紀」

学研の「太平洋戦争」シリーズといえば、1990年代前半に全10巻のシリーズが発表されていました。それから約15年。新たな太平洋戦史シリーズの発刊となった訳で、購入前は「何を今更」の感がありました。しかし本書は予想を覆す内容でした。
全部で200ページ弱ですが、非常に読み応えがあります。前半が主に19世紀末から20世紀半ばにかけての日米激突にいたる道程を描きます。ワシントン会議、満州事変といった比較的有名な出来事から、大白色艦隊の来航やパネイ号事件といったややマイナーな出来事にも触れています。
後半は日米の戦略比較。日米陣営がそれぞれの対米戦、対日戦について戦前又は戦中にどのようようなビジョンを持っていたのか、それぞれの得失は何か。そういった視点から分析が進められていきます。分析内容は非常に興味深く、本書の中でも是非一読して頂きたい箇所です。
巻末付録として1941年に発刊された「写真週報」という雑誌が紹介されています。このような史料は貴重であり、当時の人々がどのような情報を得ていたのか、どのように考えていたのかを知ることができます。
太平洋戦争について考える際に新たな視点を提供してくれる書籍であるといえます。

(以下、個人的な感想)
個人的には片岡徹也氏による一連の記事が面白かったです。氏の記事は特定個人の失策や能力不足を追求するのではなく、システムとして見たときの組織の欠陥、それを反映する典型的な事例としての個人、というアプローチなので読んでいて違和感がありません。(前回紹介した別宮氏の記事は個人攻撃より出発しているのとは対象的です)。彼が日本陸軍とプロシア陸軍との関係について述べている部分が特に興味深かったので、氏の言葉を一部紹介しましょう。

・モルトケは「戦略とは人間の健全な常識を現実に適用すること」であるとした。
・メッケルが(日本陸軍参謀将校に対して)厳しく注意した内容は1つに尽きる。それは状況判断手続きは論理プロセスなのだから、明瞭な言語、すなわちきちんと定義された兵語を使え、情緒的で曖昧な言葉を使うなということであった。
・容易にできること、多分できるであろうこと、難しいこと、できそうにもないことの区別に頓着しない日本の参謀将校の欠点と、言語が曖昧であるという参謀将校の欠点が払拭されない限り、論理的な段階を追っての状況判断、ひいてはシミュレーションは成り立たない(とメッケルは主張した)。
・アドバルーンをあげることはまだ容易いが、その実行可能性を見積り、目標達成の公算を増すための講ずるのにはプロフェッショナルとしての力量と見識が要求される。
・現実と乖離した状況判断は如何様にも操作出来るが、それは現実的な対策の前提にはならない
・(日本陸海軍の参謀将校達は)まどろこしい状況判断で頭を悩ますことは考えない。必然的に過去の成功体験は絶対となる反面、状況判断の手続きが曖昧な分、意思決定プロセスは不明瞭となり、「空気」が組織を支配していくことになる。

以上長々と紹介してきましたが、上記の感想は私自身、現実の職場においてしばしば体験したことです。例えば曖昧な用語、プロセスを無視した意思決定、可能性に立脚しない計画立案等。このように書けば難しく聞こえますが、要するに「正しい仕事のやり方」が身についていない。正しい日本語を使いなさい。結論を先に決めるのではなく現実のデータを分析してから検討を始めなさい。できること、できないことを区別しなさい。実行可能な計画を立案しなさい。等等。。
上記の分析を読むと「意外とありふれた問題なんだな」と思えて、少し嬉しくなりました。

お奨め度★★★★

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