もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2010年01月

イメージ 1

暁の珊瑚海

森史郎 文春文庫

珊瑚海海戦のノンフィクションです。ご存じのとおり珊瑚海海戦は、後のミッドウェー海戦やマリアナ沖海戦等に比べると比較的小規模な戦いです。世界海戦史上最初の空母同士の戦いとして知られていますが、今まで珊瑚海海戦だけを取り上げた書籍はあまり多くはありませんでした。本書はその珊瑚海海戦を文庫本500ページ以上というボリュームで詳細に再現しています。日本側の事情だけではなく、米軍の事情についても詳細に記載されており、資料的価値も高いです。一部に誤記やリサーチミスと思える点もありますが、その点を差し引いても十分にお奨めできる作品です。

お奨め度★★★★★

暁の珊瑚海 ミッドウェー海戦第1部:知略と驕慢 ミッドウェー海戦第2部:運命の日 空母瑞鶴戦史:機動部隊出撃 空母瑞鶴戦史:敵空母ミユ 空母瑞鶴戦史:ソロモン攻防戦 空母瑞鶴戦史:南太平洋海戦 空母瑞鶴戦史:ラバウル航空戦

イメージ 1

イメージ 2

北海道に留萌という港町があります。あまり大きな町ではありません。
その留萌の駅前にある「海栄」というラーメン屋。
先日留萌へ行った際、そこそこ繁盛していたので入ってみました。

メニューは醤油、味噌、塩といった一般的なラーメンとスペシャルメニュー、そしてご飯類が数点です。醤油ラーメン(\700)を注文しました。
中太の縮れ麺。魚のダシが少し入ったコッテリ系のスープ。刻んだネギとの相性が良い美味しいラーメンです。とろりと煮込んだチャーシューもまた良し。

留萌という町自体、行く機会が稀な場所ですが、そのような場所で美味しいラーメンに出会えたことは収穫でした。

お奨め度★★★★

イメージ 1



「戦略級関ヶ原」(GJ#02)のソロプレイを紹介します。

「戦略級関ヶ原」については、最近対人戦のレポートを紹介しましたが、今回紹介するレポートは、実はその対戦の前に行っていたものです。前回のレポートと今回のレポートを読み比べてみると、何か面白い事が見えてくるかもしれません。


リプレイ

1.両軍動く

小山に集結した東軍主力が石田三成の決起を知った時、最初に動き始めたのは福島正則率いる東軍先鋒部隊8ユニットであった。福島隊は東海道を長駆西進し、西軍の拠点である大垣城を強襲。これを一撃の元に陥落させた。意気上がる東軍。
一方の西軍は、小早川秀秋率いる8ユニットを伏見城に向かわせ、その一方で宇喜多秀家、石田三成率いる計16ユニットを伊賀上野城に向かわせた。宇喜多、石田両隊は伊賀上野を一撃で陥落させたが、小早川隊は伏見城を守る鳥居元忠に手を焼いていた。


https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/7/3/736e6139.jpg


2.大垣城攻防戦

西軍宇喜多、石田両隊の快進撃は続く。伊勢安濃津城を圧倒的兵力で落とした両隊は、二手に分かれ、石田隊8ユニットは松坂城を強襲しこれを落城。宇喜多隊8ユニットはそのまま大垣城に直行。東軍福島隊と対峙する。兵力で拮抗する福島隊だったが、野戦能力の差(宇喜多秀家の野戦修正は福島正則よりも高い)は如何ともしがたく、福島隊は大垣城に籠って野外決戦を回避した。大垣城の危機を知った東軍は、黒田長政率いる8ユニットを急きょ増援に向かわせた。黒田隊は三河岡崎城まで進出し、大垣城へ進撃の機会を伺う。

伏見城攻防戦では、小早川秀秋の拙戦ぶりに業を煮やした西軍が毛利秀元率いる8ユニットを伏見城攻撃部隊に追加した。毛利隊、小早川隊の猛攻によって伏見城は遂に陥落。鳥居元忠は壮烈な最期を遂げた。

同じころ北陸地方でも東西両軍の激突が始まっていた。西軍の勇将、大谷吉継率いる6ユニットが前田利長の本拠地金沢城に進出。金沢を守る前田勢8ユニットは、兵力では優位に立っていたが、野戦能力で大きく見劣りするので決戦を回避。金沢城に籠って援軍を待つことにした。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/2/d/2d6ec2eb.jpg


3.北陸の激闘

東軍池田輝政は、小山城を出発した後、中山道から上越に向かい、日本海岸に出た後金沢に向けて進撃を続けていた。その兵力は6ユニット。金沢の前田勢と合流すれば、計14ユニットの大軍になる。
その池田勢が金沢に着いたのは、慶長5年mm月dd日のことであった。籠城していた前田勢も池田勢の来着を待って城から出撃し、西軍大谷隊に襲いかかった。大谷隊は小兵力ながら奮戦し、東軍部隊に出血を強いたが、所詮は多勢に無勢である。大谷勢は敗退。東軍の追撃は急で、小松、大聖寺、北の庄といった北陸の拠点を次々と制圧していった。西軍丹羽長重討死。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/c/a/ca68d553.jpg


4.家康出撃

西軍は北陸地区に立花宗茂隊を派遣した。野戦修正に優れた立花宗茂は東軍前田利長隊を猛攻。これに大損害を与えて撃退した。

それまで江戸で情勢を見極めていた徳川家康は遂に動き始めた。東海道を西進し清州城に進出してきたのはx月x日のこと。
家康来着により士気が上がった東軍。それに対して兵力面での不安を隠せない西軍は一旦大垣から退き、桑名に後退した。その間東軍は福島、浅野両将率いる16ユニットが犬山城を奪取。とほぼ同時に岐阜城を守る西軍織田秀信が東軍に寝返り、大垣-岐阜-犬山ラインが東軍の手中に落ちた。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/5/e/5e36acad.jpg


5.決戦

西軍が再び大垣へ向けて進撃を開始した。宇喜多、石田率いる16ユニットである。しかしその陣中にあった島津義弘は、石田三成との軋轢により本国へ帰国してしまった。残った15ユニットは東軍筒井定次が守る大垣城を強襲。陥落の一歩手前にまで追い込んだ。
危機に陥った大垣を救うべく徳川家康は麾下16ユニットを率いて清州を進発。大垣へ向かう。ここに東西両軍の最初の大規模戦闘が、大垣を舞台に繰り広げられることになる。

東軍が「空弁当」で小西行長隊を無力化したに対し、西軍は「密報」で奪った「陣地」を大垣に構築する。兵力面では東軍が有利であったが、戦いそのものは陣地をうまく活用した西軍の勝利に終わった。大損害を受けた東軍主力は岐阜城に後退するしかなかった。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/3/7/3752a2e7.jpg


6.上杉南進

上田城を包囲する徳川秀忠軍は、これまで真田昌幸の神業的な防御戦術に翻弄されて動きが取れなかった。今回秀忠軍は「野戦を強要」カードを使うことによって真田昌幸を野戦に引きずり込み、ようやく攻勢の端緒を掴んだ。真田昌幸の野戦能力は、野外決戦でも圧倒的威力を発揮。秀忠隊は大損害を被ったが、最後は兵力差にものを言わせて真田勢を撃破した。

東北方面では、白河口から上杉勢12ユニットが大挙南下してきた。小山には結城秀康率いる8ユニットが待ち構えていたが、野戦能力と兵力差により決戦を回避。結城勢は小山城に籠城した。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/6/f/6fb7b2cd.jpg


7.福島策動

美濃、尾張国境付近では、先ほどの大合戦以降東西両軍のにらみ合いが続いていたが、東軍が得意の機動性を生かして運動戦を開始した。福島正則率いる8ユニットが桑名から水口に進出し西軍背後を伺う。大津城では京極高次が東軍に寝返った。畿内戦線も風雲急を告げてきた。

西軍は小野木公郷率いる4ユニットと大谷吉継率いる3ユニットが、細川幽斎守る田辺城を共同で攻撃。これを陥落せしめた。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/d/4/d4272676.jpg


8.決戦再び

水口まで進出していた東軍福島隊は、さらに進んで佐和山城を占領した。これによって大垣に集結する西軍主力は悉く補給切れになった。ここがチャンスとみた東軍は、徳川家康が16ユニットを率いて再び大垣に進出。西軍主力に決戦を強いた。ここで西軍が敗れば、それは西軍にとって敗北を意味する。

西軍小早川秀秋隊が(おきまりの)寝返りによって東軍につく。これで兵力は東軍22ユニット対西軍23ユニットの戦いとなる。兵力面では西軍がやや有利であったが、補給切れの西軍は野戦能力に大幅な制約が加わるため状況はなおも東軍有利である。西軍「大筒」が火を噴いた。東軍4ユニットが吹き飛ぶ。それでもなお東軍が有利か。

結果からいえば、この決戦は再び西軍の勝利に終わった。西軍は不利な状況下にも関わらずよく戦い、東軍に大損害を与えた。中でも寝返った小早川秀秋隊は西軍の集中攻撃を受けて壊滅。小早川秀秋も討死した。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/7/9/79e7b778.jpg


9.西軍壊滅

引き続いて今度は福島正則隊6ユニットと浅野幸長隊4ユニットが再び西軍主力を襲った。しかし今回も西軍は奮戦し、福島、浅野両隊を撃退した。しかし西軍もいくつかの部隊が損耗し、その抵抗力は次第に限界が近づいてきた。
西軍に止めをさしたのは、井伊直政率いる「赤備え」である。わずか4ユニットの井伊隊に対し、西軍は7ユニットが健在だった。しかし井伊隊は数的優勢を克服して西軍を撃破。すでに包囲され逃げ道をなくしていた西軍諸隊は次々と打ち取られていった。

西軍の主将である石田三成も、井伊隊によって捕縛され、後に六条河原で処刑されることになる。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/8/e/8e695022.jpg


感想

久しぶりのプレイだったので、ルール間違いや戦略面でのポカ等もあってあまり褒められた展開ではありませんでした。
しかしこのゲーム。相変わらず面白いです。考える所が多く、また関ヶ原の戦いの雰囲気も十分に味わうことができる佳作です。カードを使うのでソロプレイはちょっと難しいかな、とも思われたのですが、やってみると案外なんとかなるものですね。

ちなみにこのゲーム、私は東軍有利だと思うのですが、世間的な評価はどうなんでしょうね。

イメージ 1

しばらく山に行っていなかったのですが、先日、奥多摩の御前山(1405m)に登ってきました。

朝5時過ぎの列車に乗り、川崎、立川、青梅で乗り換えて、朝の奥多摩駅に着いたのは0830頃でした。家から3時間以上もかかって奥多摩駅。いやー、遠いですねえ。奥多摩は。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/a/7/a72502d0.jpg

奥多摩駅からはバスに乗ること約15分。奥多摩湖のバス停に降りたのは0850頃です。奥多摩駅を降りた時には100名以上いたと思いますが、奥多摩湖のバス停に降りたのはたったの2人でした。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/a/3/a360efd9.jpg

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/a/e/ae1b0c9a.jpg

冬の登山なので暖かい格好を。スキーウェア上下を着こんで出発です。出発地の標高は約500m、目指す御前山は標高約1400mなので、標高差約900m。所要時間は約2.5時間の登山です。

久しぶりの登山なので最初はそれなりにきつかったです。体が鈍っているのをヒシヒシと感じました。それでも歩いて行くうちに少しずつ調子が戻ってきました。

頂上に着いたのは1130頃。所要時間は約2.5時間。ほぼコースタイム通りでした。山頂からは雲取山や富士山が奇麗に見えました。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/d/f/df67e2df.jpg

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/8/8/88a55616.jpg

帰りは都民の森経由で境橋に降りるつもりでしたが、コースを間違えて鋸山まで出てしまいました。小さい山なのでそのまま歩き続けましたが、大きい山なら危なかったです。
鋸山からは林道歩きで奥多摩の町に降りてきたのは1445頃でした。町中にある「三河屋旅館」という所で日帰り温泉。入浴料\1000は少し高めでしたが、温泉を独り占めできたので気持ち良かったです。

奥多摩駅に戻ってきたのは1520頃。1526発の「ホリデー快速おくたま」に乗りました。「ホリデー快速」というから二階建ての立派な列車を想像しましたが、実態は普通の通勤電車でした。ちょっと残念です。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/4/b/4b298432.jpg

今回の登山はたんなる「運動不足解消」的な側面があり、あまり気乗りしていませんでした。しかし実際に山を歩いてみて、降りてくると、「山って良いな」と思ってしまいました。山から下りてくる途中、体から毒のようなものが抜けていく錯覚を覚えた程です。
山を歩くときに感じる風の気持ち良さ、歩いている途中に飲むお茶の美味しさ、山から下りてきて入る温泉の気持ち良さ等、いずれも山を歩いてみたいと味わえない快感です。この快感を味わうために、また山に行きたいと思っています。

昨年末に某NHKで「坂の上の雲」を放送していました。
私の近くでも随分と評判になっていましたが、かういう私も全5話をしっかり見てしまいました。
ドラマの方もそれなりに面白かったのですが、触発されて小説の方を読み返してみました。

いやー、面白いです。

以前に何度か読んだときには、前半1~2巻はそれほど面白くなかったのですが、今回NHKドラマのおかげで前半部分も楽しく読むことができました。正岡子規絡みの話も、最初に読んだ頃に比べると楽しく読み進めることができました。今第4巻の途中で「沙河会戦」が終わった所です

この作品については最近になって色々と批判的な書かれ方をすることが多いですが、少なくとも小説としては一流であり、読み物としての面白さは折り紙つきです。本書を読み進めていくにつれ、日露戦史に対する興味がふつふつと湧き起こってくるのを感じました。本作に対する批判の多くは「史実から乖離している」ということですが、それは本作が「小説」であることを無視した暴論だと思います。本書はあくまでも小説なのですから、史実に関する記述はあくまで参考程度に考えるのが正しく、史実との整合性についてはまた別の作品(たとえば児島襄氏の「日露戦争」等)で補えのがよろしいかと思います。

ちなみにタイトルにある「紅鳥先生」とは、第1巻の最初に出てくるキャラです。なかなか味のある人物なのですが、ドラマ版では予想通り無視されていました。

↑このページのトップヘ