もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2010年01月

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YSGAにて主題のゲームをプレイしました。対戦相手はYさん。Yさんとは、かつて「激闘マンシュタイン軍団」、「ウクライナ43」で対戦させて頂いたので、今回で3回目です。またThe Caucasus Campaign自体の対戦は2回目です。前回はソ連軍を担当しました。今回はダイス判定のドイツ軍を担当することになりました。

注:座席配置の関係上、地図は南北が逆転しています。ご注意ください。

第1ターン(1942年7月4週目)

ドイツ軍の第1ターンについては事前にある程度研究していたので、計画通りに進める。
まず歩兵師団4個、装甲師団1個が第4航空軍の支援下で自動撃破。他にMamych川沿いで2箇所攻撃して突破口を啓開する。
第2インパルスには赤軍第18軍の東翼を撃破してTikhoretsk(1733)方面に進出。一連の攻撃でソ連第12軍を撃破、37軍を包囲、18軍の多くを半包囲し、51軍を潰走せしめた。
これによってソ連軍の前線部隊は壊滅。あとは残敵掃討のはずだったが・・・・。

ソ連軍はクラスノドール(Krasnodar:2037)、ヴォロシロフスク(Voroshilovsk:2029)を中心に防衛線を張る。ソ連第18軍のエリート部隊はアゾフ海沿岸に後退していった。

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第2ターン(1942年8月1週目)

ドイツ軍はTikhoretsk(1733)からUst-Labinskaya(1935)付近のソ連軍を撃破し突破口を開いた。装甲部隊は道路沿いに南西方向へ進みクラスノドールに接敵。ソ連軍18軍とクラスノドールの間に割り込むような形になる。第18軍の生き残りを含むソ連軍約7個師団を半包囲する。
別のドイツ軍(第13装甲師団+戦車大隊)のドイツ軍はクバン川を渡河しクバン地方へ向かう。

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ソ連軍はクバン川の防衛線を放棄してAstrakhan(1412)まで後退。Astrakhanとヴォロシロフスクを軸に防衛線を張る。
クラスノドール付近では第18軍の生き残りをクラスノドールに収用し防衛態勢に入る。

これまでは可能な限り多くのソ連軍部隊を包囲せん滅するつもりで戦ってきたが、その分前進速度が遅いような気がする。敵を撃破することも重要だが、同時にある程度前進することによってを分断し、ソ連軍の退路を断ち、包囲しなければだめか?。


第3ターン(1942年8月2週目)

ソ連軍がクバン川防衛線を放棄したおかげでマイコープ(Maikop:2234)への道が開かれた。装甲師団2個+戦車大隊でマイコープを攻撃。オッズは4-1で結果はD1。ソ連軍が死守判定に成功すればマイコープは落ちなかったのだが(確率50%)、ここは我々にとって幸運なことにソ連軍は死守に失敗。マイコープはドイツ軍が支配する所になった。
ドイツ軍第2インパルスに今度はクラスノドールを4-1で攻撃。結果はDR。再びソ連軍の死守チェック。ここはエリート部隊だったので確率67%で死守チェックに成功する所であったが、再びソ連軍は死守チェックに失敗。クラスノドールはドイツ軍の手に落ちた。

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ソ連軍はヴォロシロフスク北方で突出してきたドイツ軍歩兵師団(5-7-3)を5個部隊で包囲。オッズ2-1で包囲攻撃した。結果はA1/D1。死守チェックに失敗したら歩兵師団1個が壊滅する所であったが、幸い死守チェックには成功。ドイツ軍歩兵師団は壊滅寸前なるも耐える。

赤軍の死守ダイスの悪さに助けられているが、全般的な戦況は思わしくない。37Aの残存部隊包囲せん滅に時間と兵力を取られすぎている。


第4ターン(1942年8月3週目)

マイコープ、クラスノドール方面にドイツ軍歩兵部隊がようやく到着してきた。同方面から装甲部隊を引き抜き、ヴォロシロフスク方面へ投入する。
先ほどのターン、包囲のために出撃してきたソ連軍突出部隊は転進してきた装甲部隊を投入してキッチリ潰しておく。さらにヴォロシロフスクで攻撃開始。装甲部隊がヴォロシロフスク南方でNKVD部隊を撃破。戦線突破してソ連軍戦線を分断。退路を断たれたヴォロシロフスク守備隊(2-2-4騎兵)は正面攻撃を受けて壊滅した。
さらにドイツ軍装甲部隊はソ連軍戦線後方に回り込み、4個師団を半包囲した。

マイコープ、タマン方面でも着実に前進しているが、いま一つ前進が冴えない。

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ヴォロシロフスク戦線は比較的順調である。タマン方面の突破がうまくいっていない。


第5ターン(1942年8月4週目)

イタリア軍アルピニ軍団の登場チェック。登場確率33%だが見事に登場。これによって勝利条件レベルが2ポイント上がったが、歩兵不足に悩む今は嬉しい増援である。
東部戦線ではソ連軍はKuma川沿いに防衛線を張る。しかし兵力不足のためその厚みは十分ではない。快進撃を続けるドイツ装甲部隊はKuma川防衛線を突破。ソ連軍背後に回り込み、装甲列車を含む3個部隊を包囲した。

タマン戦線ではKuban川支流を渡河したドイツ軍が、ようやくTemryuk(1942)に接敵した。アゾフ海沿岸制圧もあと一歩である。

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第6ターン(1942年9月1週目)

東部戦線で快進撃を続けるドイツ装甲部隊はついにNogaiステップに到達した。Terek川で防衛線を敷くソ連軍部隊を撃破しTerek川を渡河。グロズヌィはもう目の前である。

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タマン地区ではドイツ軍がタマン(Taman:1942)を占領。Temryukに対しても低オッズで攻撃を加えたが、こちらは陥落させるに至らなかった。

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第7~8ターン(1942年9月2~3週目)

その後ドイツ軍は第7ターンにTemryuk(1942)を占領。さらにノヴォロシースク(2241)を攻撃したもの、こちらは陥落させるには至らなかった。中部戦線ではドイツ軍山岳歩兵がソ連軍の抵抗を排除してSochi(2735)を占領した。
東部戦線では2ターンにかけてグロズヌィ(Grozny:2819)を攻撃してようやく占領。さらにGudermes(2817)を占領した。ソ連軍はGudermesを守るソロヴァキア軍自動車化歩兵師団を攻撃したが、これを撃破するには至らなかった。

この時点でVPが18に達してドイツ軍のサドンデス勝利が決定した。

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感想

プレイ時間は正味5時間弱でした。1ターン当たりの平均は約30~40分です。最終ターン(14ターン)までプレイした場合、所要時間は7~8時間といった所でしょうか。朝10時にスタートして、夜の7時にはなんとか終われる計算になります。

今回の基本的な方針は、敵兵力の撃滅を優先し、土地の占領を後回しにしました。結果的にはそれがうまくいったことになりますが、前半はかなり危なかったです。前半で一番の誤算はソ連軍37軍の2ユニットにかき回されたこと。この2ユニットを追い回している間、我が軍の歩兵師団数個が後方に取り残されているのが痛かったです。

このゲーム、前半戦がかなりポイントになるように思います。特に第1~3ターン、制空権がドイツ側にある間にドイツ側がどれだけ成果をあげることができるかが重要ではないかと思います。今回はソ連軍兵力撃破を最優先し、できるだけ多くのソ連軍部隊を包囲する策に出ました。結果的には成功しましたが、今回は幸運に助けられました。もしマイコープ、クラスノドールの攻略に手間取り、第4ターン以降にずれ込んだ場合、こちらは第4航空軍が使えない、ソ連側は航空支援が使えるということになり、攻略に手間取ったかもしれません。そういった意味からいえば、第3ターンまでの動きについては再考の余地がありそうです。

今回、ドイツ側にとってポイントになったのは第4ターンにおける装甲兵力の転進です。ドイツ側からみた場合、この決断が勝因になりました。もう1ターンか2ターン、タマン方面で装甲部隊を行動させる手もあったのですが、今回は思い切って東へ兵力を向けたのが良かったです。

いずれにしてもこのゲーム、中級程度のルールでありながら、ドラマ性があって面白い作品です。



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読むだけですっきりわかる日本史

後藤武士 宝島社文庫

先日旅行に出たとき、読む本がなくなったので近くのコンビニで購入したのがこの本です。タイトル日本史についての著作で、難易度から言えば中学生の日本史程度。旧石器時代から現在までの日本史における主な出来事や経済・文化面の動きをわかりやすく記載しています。教科書的な内容なので特筆すべき所はとくにないのですが、たまには日本史をこういった感じで通史的に読み返してみるのもいいかな、と思いました。また普段あまり馴染みのない、奈良、平安、江戸時代といったあたりについて知識を再確認できたのも良かったです。

お奨め度★★★

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大阪ミドルアース訪問記の続きです。

戦略級関ヶ原が終わったのが1530頃。あと2~3時間プレイ時間があったので、国際通信社のウォーゲーム日本史#01「新撰組始末記」をプレイしてみることにしました。

このゲームは幕末の京都を舞台とし、新撰組隊士達と勤王志士との対決を描くゲームです。1ユニットは隊士または志士1人。近藤勇、土方歳三、沖田総司、坂本竜馬、桂小五郎、西郷吉之助等の有名人をはじめ、両陣営合わせて100名以上の隊士、志士が登場します。土方歳三や沖田総司がユニット化されているだけで新撰組フリークの方々にとっては感涙ものかも・・・。ちなみに私は新撰組フリークではないので、「ふーん、そうなの」程度の感動でした。

ウォーゲーム日本史「新撰組始末記」について詳しくは-->こちら

対戦相手は先ほどと同じくtakobaさん。ダイス判定の結果、私が勤王派、takobaさんが新撰組を担当することになりました。
また上級ルールは特別技能のみとし、あとはすべて初級ルールでプレイしました。

第1ターン(文久三年)

イメージ 7局中法度フェイズにまず服部武雄(4-1、武力-文学)を調略。御陵衛士となって高台寺に逃亡した。
続いて移動フェイズ。先攻をとった新撰組が、東本願寺、下京、岡崎、二条城、上京、西陣、北野等に広く展開してきたのに対し、勤王派は祇園、聖護院、下鴨、岡崎等、狭く守る形をとる。そして岡崎では、新撰組2人に対し、尊王派4人で数的優位に立った形で戦闘フェイズを迎えたが、逆に返り討ちにあってしまう。
また下京では、先ほど寝返った服部武雄が新撰組の大物、山南敬助(2-4)と一騎打ちを戦う。剣術では優位に立つ服部武雄だったが、老練な山南に翻弄されて逆に討ち取られてしまう始末である。
先が思いやられる・・・・。

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第2ターン(文久四年/元治元年)

イメージ 8局中法度フェイズに新撰組の大物、伊東甲子太郎(2-5)を調略した。
続いて移動フェイズ。主導権を取ったのは新撰組。再び広く展開する新撰組に対し、尊王派は弱点を突く作戦に出る。聖護院では、会津藩士柴司(2-5)を長州藩士吉田稔麿(2-4)ら3名の尊王志士が襲撃。最後は吉田稔麿が柴司を惨殺した。

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第3ターン(元治二年/慶応元年)

イメージ 9局中法度フェイズに藤堂平助(2-3)を調略。着々と強化されている高台寺派。
続いて移動フェイズ。主導権を取った尊王派は、橋辻を占拠して新撰組の広域展開を阻む策に出る。再び分散を余儀なくされる新撰組。尊王派は沖田総司(5-3)、近藤勇(4-3)といった武術に優れた敵との戦いを避け、比較的武術に劣る5名が集まった大仏地区へ「人斬り以蔵」こと岡田以蔵(4-1)や河上彦斎(4-2)といった腕自慢の5名を向かわせた。
後に「大仏事件」と呼ばれる暗夜の白兵戦により、尊王派は真木和泉(1-5)を喪ったのに対し、新撰組は総長の山南敬助(2-4)を初め、原田左之助(3-3)、谷三十郎(2-3)、井上源三郎(1-2)の4名を喪い、この戦いは尊王派の大勝利に終わった。

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第4ターン(慶応元年)

イメージ 10局中法度フェイズに毛内有ノ助(2-3)を調略。着々と強化されている高台寺派。
このターンは3ヶ所で戦闘が発生した。
まず東本願寺では、伊東甲子太郎ら御陵衛士3名と十津川郷士中井庄五郎(3-3)が巡回中の新撰組隊士岸島芳太郎(1-3)を襲撃し惨殺した。続いて岡崎では、やはり巡回中の会津藩士山本覚馬(3-4)を桂小五郎(3-5)、高杉晋作(2-5)ら計7名の長州藩士が取り囲み、最後は来島又兵衛(3-2)の槍の一突きで山本覚馬を討ち取った。
新撰組が凱歌を上げたのは六角堂地区で、同地を巡回中の近藤勇、沖田総司ら新撰組隊士6名は、単独行動中の熊本藩士河上彦斎を発見。これを四方から取り囲み、最後は沖田総司が「大仏事件の恨み」とばかりに河上彦斎を討ち取った。

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第5ターン(慶応二年)

主導権は新撰組。一連の戦いで著しく戦力を殺がれた新撰組は、2つのグループを編成し、六角堂と東本願寺に送り込んだ。尊王派は東本願寺に集まった4名の新撰組隊士に対し、桂小五郎ら長州藩士を主力とする計11名を送り込んだ。
後に「東本願寺事件」と呼ばれる戦いで、尊王派は損害なしで新撰組4名を討ち取った。

この時点で勝利を諦めた新撰組の投了によりゲーム終了となった。

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感想

見た目は簡単なゲームなのですが、隠れ家、宿屋、調略等、意外と細かいルールが多く、それなりに覚悟が必要です。
基本的には「Victory in the Pacific」のようなゲームなのですが、両陣営とも動ける自由度が大きいため、最初にプレイした時は「何から手をつければ良いものか」途方に暮れてしまうかもしれません。

今回は初めてのプレイだったので、お互いベストを尽くしたとは言い難い状況です。機会があれば再戦してみたい作品ですが、他にやりたいゲームが目白押しなので、本作を再度プレイする機会は少ないかもしれません。

宇宙戦艦ヤマトにアンドロメダという名前の戦艦が登場します。
この戦艦は地球艦隊最強の戦艦という位置づけであり、同じく地球艦隊所属のヤマトに比べて火力、防御力、機動力の全ての面で優れているという設定になっています。

ところでこのアンドロメダって未成に終わった米戦艦モンタナに似ているんじゃないかな、と、そんなつまらないことを考えてしましました。
「どこが似ているの?」
と問われても、単に
「3連装の主砲が前後に2基づつあるから」
と、まあ曖昧な答え。
「それやったらニューメキシコやペンシルバニアも一緒やん」
と突っ込まれそうな所ですが、ニューメキシコやペンシルバニア(やオクラホマやネヴァダやテネシーやカリフォルニア)がアンドロメダと同じというのは誰しも納得いかない所でしょう。

結局の所アンドロメダは敵艦隊に敗れ、張子の虎に過ぎなかったことを証明してしまうというのが物語の流れなのですが、ということは宇宙戦艦ヤマトのスタッフは、実の所「ヤマトはモンタナよりも強いんだい」ということを言いたかったのかもしれません(笑)。

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先日、大阪のMiddle Earthにお邪魔した際、主題のゲームをプレイしました。対戦相手はtakobaさん。ダイス判定の結果、私が東軍、takobaさんが西軍を担当することになりました。
以下はその記録です。

前回までのあらすじ-->こちら

リプレイ

7.敵中突破、福島正則(章前)

前回書き忘れたが、東軍福島正則が伏見に入城した後、東軍が西軍に先んじてチットを引く可能性は50%であった。もし東軍が先にチットを引いていれば、間違いなく西軍主力を補給切れに追い込むことができたはずであった。東軍としては誠に惜しいチャンスであった。

8.宇喜多隊反転

畿内戦線ではなおも激しい動きが続いていた。
西軍石田三成隊4戦力は伏見城に進攻。待ち構える福島正則隊8戦力と壮烈な野外戦闘に突入した。兵力では2倍を誇る福島隊であったが、連絡線切れのため士気は上がらず、石田隊にいいようにあしらわれた。結局福島隊は7戦力の損耗を出し、伏見城に向けて撤退するしかなかった。

宇喜多隊は水口から大津へ進出。小早川勢の野戦軍3戦力を撃破した後、小早川、京極計4戦力が守る大津城を包囲した。しかし強襲兵力に欠ける宇喜多隊は突如目標を変更。佐和山から大垣に進攻。大垣を守る池田輝政隊が籠城するのを見るや、大垣から一気に清州に進出してきた。この結果既に連絡線を遮断されている福島隊に加えて、大垣を守る池田輝政隊も連絡線を遮断されてしまった。

9.家康出陣

その頃家康公は江戸をお発ちになり、東海道を西に向かっていった。岡崎に着いた頃に清洲城苦戦を報告を受けた家康公。麾下の8戦力に加えて、大垣を守る池田輝政隊8戦力も清州へ南下。計16戦力となって清洲野外に展開。西軍宇喜多隊8戦力を攻撃する。兵力に劣る宇喜多隊は善戦し、東軍に多大な損害を与えたが、衆寡敵せず。4戦力を失って桑名に向けて後退していった。
家康公はさらに8戦力を率いて清洲から桑名に進攻。宇喜多隊にさらなる損害を与えていた。

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10.独眼竜正宗

話は少し戻るが、東北方面では伊達正宗(2-1)が東軍側に立って動き始めていた。8戦力を率いて南下する伊達勢は上杉方の白石城を激しく攻め立てる。伊達の猛攻に対してあの漢が立ち上がった。直江兼継。「愛」を掲げる上杉家の好漢である。
5戦力を擁する直江勢は野戦能力の優位を生かして攻めまくるが、今度は今までのようにはいかなかった。直江の癖を読み切った伊達の待ち伏せによって直江勢は次々と打ち取られていった。白川まで後退した直江勢に対し、今度は小山より北上してきた結城秀康(1-1)が襲いかかる。
大損害を出した直江勢はほうほうの体で会津若松に向けて撤退するしかなかった。

11.秀忠来着

次第に追い詰められていく西軍は、乾坤一擲の策に打って出るべく主力部隊を清洲に向かわせた。大谷吉継2戦力、宇喜多秀家3戦力、その他2戦力の計7戦力が、今や西軍が現在自由に動かすことができる野外決戦兵力のすべてとなってしまう。彼は清洲城外に展開し、城攻めの機会を伺う。

信州上田城の戦いに苦戦を強いられていた徳川秀忠(1-1)率いる8戦力がようやく濃尾平野に姿を現した。秀忠隊は、中山道から犬山を経て岐阜を包囲。岐阜を守る西軍織田秀信(1-1)を野戦強要で撃破。さらに大垣へ攻め入り、これを包囲した。

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12.嗚呼関ヶ原

戦力を回復した家康公本隊8戦力と、江戸から急進してきた細川忠興(1-2)率いる8戦力の計16戦力が、清洲城外に集結している西軍野戦部隊主力に対してトドメの突撃を敢行した。兵力比は2倍以上、野戦能力も東軍有利(西軍は連絡線遮断のために野戦能力が低下している)
圧倒的に不利な状況下にも関わらず西軍は善戦した。東軍の損害は4ステップ。この状況では奇跡と言っても良い。しかし所詮は多勢に無勢。最後は追い詰められた西軍部隊が一兵残らず掃討されてしまった。

この段階で野戦兵力のほぼ全てを失った西軍は敗北認めて後退。ここに天下分け目の決戦は東軍の勝利に終わった。

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感想

面白かったです。少なくとも私にとっては十分楽しめる対戦でした。ゲームをプレイしている最中、概略としては「勝ってるな」という感触はあったのですが、細かく見ていくと福島隊が包囲されたり、黒田隊がボロボロにされたりとドキドキする場面は沢山ありました。

今回東軍を担当して勝つことができましたが、個人的にはこのゲーム、東軍側が有利ではないかと思っています。東軍は野戦兵力が多い上に各将の士気が高く、その機動を計算できます。西軍の強みは野戦能力の高さなのですが、東軍が籠城戦を使いこなせるようになってくると野戦の優位は決定的ではなくなる。さらに西軍は東軍を倒す決定打に乏しい。局面局面で西軍が優位に立っているように見えることもありますが、トータルで見た場合西軍が勝利を収めるのはかなり困難ではないかと思います。

いずれにしても両軍とも楽しめる上に非常に完成度が高い本作は、関ヶ原の合戦を扱ったゲームの中では傑作の1つと評価してよいように思いました。中途半端に古い作品なので最近はプレイされる機会が少ないですが、今でも十分に再戦する価値のある作品ではないかと思います。


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