
先日群馬方面へ出かけた際、前々から行ってみたかった足尾銅山精錬所に行ってみました。
JR桐生駅からわたらせ渓谷鉄道というローカル線に揺られること約1.5時間。終点の間藤駅から歩いて15分程の場所にそれはあります。ちなみにこのわたらせ渓谷鉄道。何の変哲もないローカル線なのですが、最近は人気の高い路線のようで、私が乗った日も車内は満員状態でした。
JR桐生駅からわたらせ渓谷鉄道というローカル線に揺られること約1.5時間。終点の間藤駅から歩いて15分程の場所にそれはあります。ちなみにこのわたらせ渓谷鉄道。何の変哲もないローカル線なのですが、最近は人気の高い路線のようで、私が乗った日も車内は満員状態でした。
終点間藤駅には1100頃到着。駅前で自転車を借りようと思ってレンタサイクル屋に行ってみたのですが、店のオヤジ曰く「精錬所ならゆっくり歩いて15分ぐらいだよ」とのこと。ならば自転車を借りる程のこともなかろう。ということで歩くことにしました。
歩くこと15分で確かに精錬所に到着。随分昔に営業を停止しているであろう精錬所は、いま見るとゴーストタウンの感があります。その昔、確かに日本という国を支えてきた支柱の1つであったであろう精錬所が、往時の賑わいを失ったまま時が止まったような感があります。

精錬所外観です。


精錬所に入っていく引き込み線です。もちろん現在では使われていません。


精錬所手前の最後のトンネルです。

精錬所近くの間藤の集落です。桜は少し遅かったですが、でも綺麗でした。

間藤集落から精錬所を見ます。



英軍はなおも前進し、いよいよドイツ軍陣地前500mの地点まで接近してきた。パンター戦車の長砲身砲が火を噴き、アキリーズ駆逐戦車を撃破。さらに対戦車砲が歩兵を乗せたままのブレンキャリアを仕留めていく。それでも英軍の前進は止まらない。
パンター戦車の主砲がまたもや火を噴き、アキリーズ駆逐戦車を撃破した。しかし英軍も負けてはいない。砲列を並べた17ポンド砲が火を噴き、2000m以上の距離からドイツ軍戦車を撃破していく。火だるまになる3号突撃砲。17ポンド砲を撃破し損ねたことを悔やむドイツ軍であったが、後の祭りであった。
英軍歩兵部隊が遂に陣前で突撃を開始した。激しい防御砲火で迎え撃つドイツ兵。両軍の激しい格闘戦が随所で繰り広げられる。英軍の後方からはブレンキャリアやチャーチル戦車が機銃と火砲により味方歩兵の突撃を援護する。砲火にたたかれ、突撃を迎え撃つドイツ兵達は、それでも拠点に籠って勇戦を続けていた。
英軍の突撃はなおも続き、ついにドイツ軍陣地の一角が崩れた。さらにたたみかける英軍は、ブレンキャリアをドイツ軍陣地背後に回り込ませてドイツ軍の包囲を図る。
背後に回り込んできた英軍のブレンキャリアに対し、ドイツ軍は対戦車砲と戦車群の砲火をこれに向けた。元々戦車に比べると脆弱な装甲しかもたないブレンキャリアが戦車や対戦車砲の反撃に耐えられるはずもない。次々と撃破されていった。
最終ターンである。英軍は全般的に押し気味に進めてはいるものの、ドイツ軍の勇戦によりいま一つ突破が決まらない。最終ターンということで全正面で激しく突撃を実施したが、ドイツ軍を完全に撃破することはできなかった。














ビルマでスリム攻勢(#70)(カード番号、以下同じ)発動。地上部隊と米空軍を投入した作戦で、北部ビルマを守る第15軍(18-12)を撃破した。
この後米艦隊はナウル島を空襲。今度は日本側索敵機が米艦隊の来襲を発見。トラック、ラバウルから迎撃艦隊が出撃した。
タイフーン戦隊(#56)を編成してブーゲンビル進攻。日本軍は有力なる基地航空兵力と水上艦隊(なぜか先ほど沈んだ筈のBB大和が出撃してきたので驚き)を投入して迎撃してきた。米艦隊も多大な損害を被ったが、日本軍基地航空隊を排除し、なんとかブーゲンビルを占領した。
米軍、アイスバーグ作戦(#74)発動。ウェーク及びマーシャル進攻を目指す米軍部隊がハワイ、エスピリッツサント、エニウェトク、ブーゲンビルといった前線基地を出撃していく。またブーゲンビルから発進する海兵航空隊がラバウル一帯を攻撃し、クサイを発進する長距離爆撃機がトラック環礁を攻撃する。いずれも日本艦隊を足止めするための部隊だ。
先の損害で頭に血が上った米軍はサイパン空襲を決意。在地の敵航空兵力の殲滅を図った(CA最上は先ほど陸兵を輸送した際に撃沈されていた)。しかしここで日本軍は切り札「神風攻撃」を使用。虎の子エセックス級空母は日本機の体当たり攻撃を受けて一挙に2ステップ失ってしまった。
勝利条件上は勝てましたが、気分的にはとても勝った気分ではありませんでした。空母群はCVLとCVEが合わせて3ユニットを残すのみ(いずれもステップロス)。自慢の新鋭戦艦群も軒並みステップロスしてまともなものがなし。海軍ファンとしてはあまりに多過ぎた犠牲です。日本軍にも相応の損害を与えたことは間違いないのですが、あまり慰めにはなっていません。






