
The Guns of Augustは1981年に米Avalon Hill社が発表したシミュレーションゲームです。
テーマは第1次世界大戦で、1914年8月の開戦から1918年の終戦までを1Turn=1ヶ月、1ユニット=軍団規模(一部連隊~師団あり)で描きます。
テーマは第1次世界大戦で、1914年8月の開戦から1918年の終戦までを1Turn=1ヶ月、1ユニット=軍団規模(一部連隊~師団あり)で描きます。
デザイナーはRob Beyma氏。私の中では無名なデザイナーだったので(ファンの方、ゴメンナサイ)、boardgamegeekの方で調べてみると、The War for the Union(1992 AGEMA/CoA)やThe Mediterranean(2005 CoA)等の作品を発表されているようです。タイトルに"The"を付けるのは好きな方のようですね。
基本システムはシンプルです。基本的には移動、戦闘の繰り返し。メイアタック。弱ZOC。戦闘後前進は1ヘクスのみ。こう書けば普通の作戦級ゲームなのですが、特徴的なのはスタックしている敵ユニットをまとめて攻撃しなくても良い点です。例えば4-6-4のフランス軍ユニット3枚がスタックしている所にドイツ軍が攻撃を仕掛けた場合、ドイツ軍は4-6-4ユニットをまとめて18防御力として攻撃しても良いし、いくつかのグループに分割しても良い訳です。また砲兵ルールに特徴があり、砲兵火力を集中すると攻撃に有利なダイス修正が得られます。この辺り、戦略級ゲームでありながらも戦術的な雰囲気を出すことに成功しています。
補給ルールが厳しい事も特徴的で、敵ZOCは補給線を完全遮断し(味方ユニットの存在も敵ZOCを打ち消さない)、補給切れが1Turn継続すると部隊は死にます(例外あり)。補給が厳しいために電撃的な進攻が成立しにくく(下手に敵中に突出すると補給を切られて昇天してしまう)、WW1らしい大兵力のぶつかり合いが再現できています。補給ルールが厳しい点は、同じくWW1を扱った後発のPaths of Glory(GMT)にも相通ずる所があります。
補給ルールが厳しい事も特徴的で、敵ZOCは補給線を完全遮断し(味方ユニットの存在も敵ZOCを打ち消さない)、補給切れが1Turn継続すると部隊は死にます(例外あり)。補給が厳しいために電撃的な進攻が成立しにくく(下手に敵中に突出すると補給を切られて昇天してしまう)、WW1らしい大兵力のぶつかり合いが再現できています。補給ルールが厳しい点は、同じくWW1を扱った後発のPaths of Glory(GMT)にも相通ずる所があります。
この度、連休中にキャンペーンシナリオに挑戦することになり、急きょ練習戦を行うことになりました。下名は西部連合軍を担当しました。練習戦なので細かい展開は省略します。1914年の開戦から開始し、約1年分進みました。プレイ時間は8時間ほどです。1Turnの所要時間は約45分。4年分のキャンペーンをプレイするには、丸丸4日程度かかりそうです。
今回のプレイで基本的なルールは概ね掌握できたと思います。感じとしてはなかなか好感触でした。シンプルなシステムで戦線そのものの動きは少ないのですが、敵の弱点を狙って攻撃したり、こちらの弱点を突かれないように機動したり、と適度な刺激が心地良かったです。私自身、細かい戦術的な運用についてはまだまだ練度が足りませんが、その辺りは実戦の中で覚えて行きます。


Paths of Glory
Pursuit of Glory
1918/1919
地図と解説でよくわかる 第一次世界大戦戦況図解
補給戦
フラー制限戦争論
日本人のための第1次世界大戦史
第一次世界大戦-忘れられた戦争



















ソ連軍は戦線北翼に展開するヴォロネシ方面軍に対して命令チット2枚を投入。ドイツ第4装甲軍を各所で包囲殲滅せんとしてきた。奇襲を受けたドイツ軍(このTURNは命令チットを3枚しか使えない)は、ソ連軍の猛攻に対して有効な対処ができず、装甲師団1個、歩兵師団3個を失い、装甲師団1個、歩兵師団3個がステップロスを食らった。
危機的な状況に瀕していたドイツ第4装甲軍を守るため、出鼻でマンシュタイン割り込みを実施した。第4装甲軍は西へ後退してソ連軍との距離を確保しつつ、一列横隊からスタック防御の拠点防御方式に切り替えた。そのためか、第4装甲軍正面はやや安定を見せた。

北部戦線ではマンシュタインによる割り込み命令を行い、装甲兵力による反撃を実施した。ソ連ヴォロネシ方面軍に所属する戦車/機械化軍団計4個を撃破した。これで少しはヴォロネシ方面軍の脅威が下がってくれれば良いのだが・・・・。あとはとにかく後退する。ドニエプル川の線まで下がれば、まずは安心だ。後退する途上でSSヴィーキング装甲師団がソ連軍の包囲攻撃を受けて壊滅。他に装甲師団1個と歩兵師団1個が盤の北端付近で包囲されて退路を失ってしまう。しかし残った部隊はようやくソ連軍との距離をある程度を広げることに成功した。ソ連側司令部の前進速度が最前線に追従できないのが原因か・・・?。
スターリノでの抵抗はまだ続いているが、既に時間の問題である。包囲されたまま動きの取れない部隊を除いて、ドイツ軍主力はドニエプル川西岸への後退に成功した。ようやく前線が安定化してきたドイツ軍。しかしこれまでの損害は装甲師団2個、歩兵師団14個、保安師団2個の計18個師団に及んだ。師団数でいえば、全兵力の40%以上を損失したことになる。
ソ連軍の空挺部隊がキエフ(Kiev 2918)北方に降下してきた。直ちにドイツ装甲兵力をそちらに差し向けて空挺堡を踏みつぶす。クレメンチューク(Kremencuk 1926))付近でソ連軍がドニエプル川を渡河してきた。ドイツ装甲兵力の反撃によってソ連機械化軍団1個が撃破されて後退。しかしクレメンチュークの渡河点を潰すには至っていない。
クレメンチューク、さらにはカーネフ(Kaniv 2421)付近で渡河点を確保したソ連軍はドニエプル川を越える。ドニエプロペトロフスクも包囲下にあり、陥落の危機が迫ってくる。
ソ連軍はドニエプロペトロフスクを完全包囲しつつ、主力はキロホグラードに接近。キロホグラード~チェルカッシー(Cherkassy 2323)間でドイツ軍戦線を食い破った。しかしそこの隙が生まれた。マンシュタインチットの連続使用によるドイツ軍の猛反撃が始まる・・・。





















