もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2012年04月

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あなたの話はなぜ「通じない」のか

山田ズーニー ちくま文庫

対人コミュニケーションのノウハウについて書かれた著作である。まず本書は対人コミュニケーションを成功させるには「メディア力」が必要だと説く。「メディア力」とは要するに信用のこと。つまり立派なことをいくら言っても信用がなければ誰も説得できないということ。また人を説得するためには論理的に話すことが必要であるが、そのためには相手に対して「なぜ」を示すことが重要だと説く。さらに正論が何故受け入れられないか、あるいは共感を得るためにはどうしたら良いかといったコミュニケーションでの問題点について具体的な指針を示している。
対人コミュニケーションについて何かを得たい人にはお奨めしたい著作である。

お奨め度★★★★

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今年3月に発表されたばかりの新作「マンシュタイン最後の戦い」(Game Journal#42)をプレイしてみました。本作は1943年8月~1944年3月におけるウクライナにおける戦いを1Turn=約1ヶ月、1Hex=15~25km、1ユニット=師団~軍団規模で描いた作品です。1943年におけるウクライナの戦いといえば、傑作の誉れ高い「Ukraine'43」(GMT)があります。「Ukraine'43」が戦いの期間を4ヶ月弱に絞り込み、第4次ハリコフ戦からキエフ攻略戦あたりまでを扱っているのに対し、本作はタイムスケールを大きめに取ることによってドニエプル川渡河からコルスン包囲戦までも含めている点で差別化が図られています。またシステム的にも「Ukraine'43」が比較的詳細なルールで戦いの流れを再現しているのに対し、本作は簡単なシステムで全体の流れの再現を図っています。

このゲームは既に評価の確立している「Lost Victory/激闘!!マンシュタイン軍集団」(MMP/Game Journal#4、以下「激マン」)の続編にあたる作品で、システムも概ね共通しています。
基本的なシステムは、軍/方面軍を現す行動チットをカップに入れ、引かれた軍/方面軍司令部から一定距離内に存在するユニットが移動、戦闘を行える、というものです。機動戦を再現するに適したシステムで、チット引きの興奮と相まって非常に楽しくプレイすることができます。反面、防御側が整然と退却することができないので、防御側がかなり不利なことは否めず、流動型の戦闘結果表と相まって攻撃側は殆ど損害を出しません。また、部隊の所属に関係なく司令部の指揮範囲内にいれば1Turnに何度でも活性化できるので、司令部の運用が現実離れするきらいがあります。その辺り、評価の分かれる部分ですが、これまでの所、「激マン」システムに対する批判的な見解はあまり聞きません。

本作が激マンと大きく異なる点は交渉ポイントの存在とドイツ軍チットの入れるタイミング、そしてマンシュタインチットの割り込みです。本作においてハリコフ、スターリノ、キエフといった重要都市に対しては死守命令が適用されており、これらの都市が陥落するとドイツ軍がサドンデス負けを喫します。この制限を解除するのが交渉ポイントで、ドイツ軍プレイヤーはマンシュタインチットを使用して交渉ポイントを得ることにより、死守命令を解除していきます。
ドイツ軍チットの入れ方については、「激マン」では全てのチットをTurn開始時にカップに入れる方式でしたが、本作ではドイツ軍プレイヤーはチットの一部(又は全部)を手元に保持し、ソ連側の動きを見ながら適宜チットに加えることができます。このおかげでドイツ軍プレイヤーは動きたくない時には動かない、という選択がある程度可能になりました。極端な話、チットを全部手元にとっておけば、全軍が整然と退却することも可能になった訳です(その前に戦線を食い破られてズタズタになっている危険性が高いですが・・・)。
マンシュタインチットの割り込みとは、ドイツ軍プレイヤーが手元に温存しているマンシュタインチットを好きな時に使用できるというルールです。これによってドイツ軍はマンシュタインチットを使って危機的な状況を回避したり、マンシュタインチットを集中投入することによって赤軍に痛打を与えることが可能になった訳です。
他にはジューコフチット、ドイツ空軍、ソ連空挺部隊等のルールがあります。

今回、本作をプレイする機会を得ました。私の担当はドイツ軍です。今回が初プレイなのでゲームの感覚がわからないので、取りあえず「流れに任せて」プレイしてみました。

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1Turn(1943年8月)

まだ始まったばかりなのでソ連軍の攻勢を見ながら徐々に戦線を後退させる。

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2Turn(1943年9月)

マンシュタインがヒトラー総統と交渉し、ハリコフの死守命令を解除する。ただ現時点ではハリコフに直接の脅威はまだ届いていない。このTurn、ベルゴルドが陥落した。

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3Turn(1943年10月)

北方ではこれまでドネツ川の線で戦線を支えてきたが、そろそろ限界である。ドネツ川の線を放棄。大都市である上、河川が錯綜しているために守るに有利なハリコフを軸に防衛線を敷く。南方ではドネツ盆地にソ連軍が大兵力を投入してきたので、総統との交渉によりスターリノの死守命令を解除。戦線全体を徐々に西に下げていく。

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4Turn(1943年11月)

ハリコフ西方でソ連軍の圧力が強まってきたので、装甲兵力を集中して反撃を敢行。一定の戦果を収めた。

5Turn(1943年12月)

ハリコフはまだ頑張っている。

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6Turn(1944年1月)

このTurnからソ連軍の戦術が一変してきた。これまでは兵力の温存を図るため統制前進主義を採用していたソ連軍であったが、横から不意に現われたF政治局員が浸透戦術を主張。それを採り入れたソ連軍はこれまでの方針を一転して機械化部隊による大胆な包囲戦術を採用してきた。その猛攻はキエフ方面に指向され、同方面を守っていたドイツ軍は大損害を被ってしまう。
キエフには死守命令が出ている。キエフが落ちれば全てが終わりだ。慌てたドイツ軍は強力な装甲擲弾兵師団をキエフに投入。その守りを固める。また装甲兵力の主力を北にスイングさせ、キエフ救援に向かわせた。

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キエフ周辺で守りを固めるドイツ装甲部隊

7Turn(1944年2月)

キエフ前面でドイツ軍が猛反撃に出る。先のTurnに大攻勢で陣形の崩れたソ連軍の翼側から装甲師団8個、装甲擲弾兵師団1個を投入。マンシュタインチット2個を継ぎこんで機械化兵力の包囲せん滅を図った。ソ連の戦車、機械化軍団5個がステップロス。キエフを狙うソ連ヴォロネシ方面軍は突破力の過半を失った。
南方ではドンバスを守っていたドイツ第6軍が急速後退を実施。主力をドニエプル川西岸に収容することに成功した。ドニエプル川は天然の障壁。これで南方戦線は一応の安定を見た。
問題なのはハリコフ戦線。このTurn、ハリコフが陥落したが、ソ連軍の攻勢はそれに留まらなかった。先のTurnからソ連軍が浸透戦術を採用してきたことに対抗し、ドイツ側もこれまでのZOCに頼ったスタック防御から、ユニットを一列に並べる線防御に切り替えたが、結果から言えば失敗だった。弱体化したドイツ軍部隊は各地で撃破され、その間隙を突いたソ連軍によって残ったドイツ軍は次々と包囲せん滅されていった。このTurnだけで失ったドイツ軍歩兵師団は10個以上に及んだ。

移動力を払えばZOC浸透可能な本作においては、線防御が一見有利に思える。しかしこれは間違っていた。ZOC浸透可能とはいっても移動力の関係上浸透できるのはソ連軍では機械化部隊のみ。歩兵は浸透できない。さらに(これも移動力の関係上)浸透するためには予め敵ZOC内から移動を開始せねばならず、浸透可能な場所は自ずと絞り込むことができる。さらにZOCで囲まれてもステップロスすれば後退可能なので致命的とはいえない。さらに浸透攻撃に味方が耐えれば、それを反撃軸にして敵機械化兵力を撃破するチャンスも生まれてくる。
逆に線防御を採用すると、ソ連軍は接敵後即攻撃が可能なため、戦闘後前進を使うことで1回の移動、戦闘だけで独軍を包囲できる。また個々の拠点が弱体化するので、包囲攻撃に脆く、極端な話正面攻撃でも撃破される危険が生まれる。


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8Turn(1944年3月)

終盤である。キエフ前面の脅威を排除した独軍は、ドニエプルペトロフスクの守りを固める。キエフ同様死守命令が適用されているドニエプルペトロフスクは何があっても守り抜かねばならない。ドニエプル河畔の両翼に装甲兵力を配してソ連軍の包囲攻撃に備える一方、ドニエプルペトロフスクそのものにも装甲擲弾兵師団を入れて鉄壁の守りを固める。結果としてはドニエプルペトロフスクは守り切った。ドニエプル川戦線も安泰。VP的にも37VPでドイツ軍が勝利をおさめた。

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感想

面白いです。
5Turnまでは結構安心し切っていたのですが、6Turnにキエフ正面が危なくなった時には流石に慌てました。「ささいなミスが勝利を敗北に変えてしまう」という本作のキャッチコピーを地で行く展開になりかけました。ドイツ軍はギリギリで支えている緊張感があり、そのあたり名作「Ukraine'43」(GMT)にも通じる所があります。

今回はお互い初プレイだったので手探り状態だった感は否めません。ドイツ軍の立場で言えば、ソ連機械化部隊の浸透戦術に対してはもっとマシな対処が可能でした。敵司令部の位置と機械化部隊の位置を把握し、突破可能なポイントを見極めれば、もう少し犠牲を少なくできました。敵司令部、機械化部隊、さらにはチットの回り具合等を見極めた慎重なプレイがドイツ軍には求められそうです。

ともあれ今回はホンのサワリです。まだまだ研究の余地がありそうだし、また研究する価値のある作品だと思いました。


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名古屋の老舗味噌煮込みうどん「山本屋総本家」で味噌煮込みうどんを食べました。
場所は地下鉄の今池駅に隣接している今池ガスビルのB1Fにあります。
(姉妹店と書かれてあったので「山本屋総本家」とはやや異質なのかも・・・)
\1150の玉子入り定食を注文しました。
熱い味噌煮込みうどんとご飯の組み合わせが絶妙です。

名古屋には山本屋という屋号の味噌煮込みうどんチェーンが他にもあって、ややこしいです。


お奨め度★★★★

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歴史群像アーカイブ22--日露戦争

学研

このシリーズは過去歴史群像史に掲載された記事をテーマ別に再編集したものである。
今回は日露戦争がテーマで、旅順攻防戦、奉天会戦、日本海海戦等、日露戦争における主要な陸戦、海戦が計10個の記事に収められている。枚数的な制約のため個々の記事は概略的なものに留まっている。また極端な解釈はなく内容は常識的なものになっているが、その分日露戦争における「常識」を知ることができる。

お奨め度★★★

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「The Legend Begins」(CMJ)のシナリオ6「ガザラ」をプレイしました。前回は概要と前半2Turn分の動きを紹介しました。今回はその続きです。

これまでの展開は --> こちら

42年6月後半(つづき)

バルディア攻略戦は独2個装甲師団により行われ、比率3-1で順当に陥落した(確率約60%)。マグニチュードが小さかったので独軍の損害も比較的軽微であり、2ステップが失われたのみ。最後のあがきでバルディア港の爆破を試みたものの、やはり失敗に終わってしまう。

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バルディアに突入した独装甲師団

しかし無理をしてバルディア攻略を行ったことにより枢軸軍戦線に歪みが生じてきた。その間隙を縫って、先ほどの戦いから立ち直った英機甲部隊が反撃に転じる。バルディア要塞に入城した独装甲2個師団(実質的な戦力は1個師団強になっていた)に対しては英偵察大隊2個が警戒幕を敷き、敵の出撃を牽制する。残った英軍主力はその狙いをカプッツォ南西の内陸部に陣取るイタリア軍アリエテ機甲師団に向けた。強大な戦力を持つ英第7機甲師団と新着の英第10機甲師団がアリエテ師団を挟撃する。英軍が誇るM3グラント重戦車も対戦車火力に乏しいイタリア軍相手の場合は破壊的な威力を示した。アリエテ師団はその半数以上を失って事実上壊滅した。

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アリエテ師団を包囲攻撃する英軍機械化部隊


42年7月前半

バルディアに閉じ込められた形となっている独装甲師団を救援すべく残ったドイツ軍が動き始めた。第90軽師団である。戦車戦力を持たない同師団は、88mm対戦車砲の威力を頼りに英第7機甲師団に対し決死の攻撃を仕掛けてきた。戦いは激烈であり両軍とも多大な損害を被ったが、この戦いで独軍頼みの88mm対戦車砲大隊が壊滅してしまったことにより、第90軽師団は抵抗力の過半を失ったことになる。

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第90軽師団による反撃

英軍部隊が独第90軽師団に対して猛然と襲いかかった。兵力を充実させた英軍の攻撃は凄まじかった。英第7機甲師団、同第10機甲師団、ニュージーランド第2師団、インド第4師団等の部隊は四方八方から独軍部隊を攻め立てた。独第90軽師団は堪らず敗走。さらに英軍戦車部隊の追撃を受け文字通り壊滅してしまう。
勢いに乗る英軍。トブルク東方に戦線を敷いていたイタリア軍部隊を次々と包囲、殲滅していった。トリエステ自動車化師団をはじめ、2個師団相当のイタリア軍が失われたと記録されている。
英軍の攻撃はとどまる所を知らず、エル・アデムを包囲し守備隊の消耗を強いた後、周囲から一斉攻撃。瞬く間にエル・アデムは英軍が奪回した。

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包囲攻撃を受けるイタリア軍


その間枢軸軍は主力となる装甲2個師団を欠いた状態(彼らはバルディア要塞でひたすら訓練に明け暮れていた・・・?)で苦しい戦いを強いられていれていた。長大な連絡線を保持する不利を悟った枢軸軍は、ここに到って漸くガザララインの直接攻撃を敢行した。攻撃の主力はイタリア軍歩兵師団。兵力こそ多かったイタリア軍であったが、彼らの戦意は乏しかった。1度目の攻撃は要塞線を突破できずに撃退。2度目の攻撃で漸く要塞線の一角を抜くことに成功したイタリア軍であったが、トブルクから英軍の歩戦連合部隊が直ちに突破口を埋めてしまい、イタリア軍は戦果を拡張することができない。

この時点で勝利を諦めた枢軸軍が敗北を認め、ゲーム終了となった。

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感想

プレイ時間はセットアップも含めて8時間程でした。セットアップに時間がかかったので、予めユニットを分類しておけばもう少し時間を節約できた可能性があります。
勝因は枢軸軍主力たる2個装甲師団の機動力を封じたことでした。また英軍戦車部隊がゲーム終盤まで打撃力を保持できたことも大きかったです。そういった意味で枢軸軍がバルディア要塞を強襲してくれたことは僥倖でした。結果論になりますが、砂漠戦という点を加味すると土地の奪取よりも敵野戦兵力の撃破を重視すべきだったと思います。土地の奪取は野戦兵力の撃破の結果として得られるものだと考えた方が良いのではないかと思いました。
英軍の反省点としては反撃の気がやや早すぎる感があったこと。反撃に転じた理由は、独軍2個装甲師団のうちの1個を完全撃破できるチャンスがあったということ。確率40%強なので悪くないギャンブルだったと思われましたが、結果は最悪。この直後枢軸軍がバルディア要塞ではなく英機甲師団の撃滅を指向していれば、この時点でゲームが終わっていたかも知れません。兵力が揃うのを待ち、側面の安全が十分に担保された時点で反撃を指向すべきでした。
逆に枢軸軍の立場に立ったとき、ダイスに助けられたとはいえこのような危機を招いたことは座視できず、今後本作で枢軸軍を担当する際に大いに参考になりました。

ともあれ「The Legend Begins」はプレイしていてホントに楽しいゲームです。ルールが複雑なことは否めませんが、その点を補って余りある作品だと思います。次回も是非プレイしたいです。


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