WW2北アフリカ戦を扱った傑作キャンペーン・ゲーム「The Legend Begins」。これまでにも何度か紹介してきましたが、先日の那須塩原温泉旅行の際、ガザラ戦から始まるキャンペーンシナリオをプレイする機会を得ました。下名は枢軸軍を担当します。
1942年7月Ⅱ
マルタ島の阻止値が前TURNの+1からこのTURNは遂に0にまで落ち込んだ。いよいよ地中海の制海権も怪しくなってくる。その間枢軸軍先鋒部隊はメルサ・マトルー(Mersa Matruh 2459)を占領し、さらに東進。フカ飛行場(Fuka 2264)を占領した。連合軍はエル・アラメイン(El Alamein 2170)付近に防衛線を敷く。陣地を構築して待ち構えている。
枢軸軍はドイツ軍4番目の師団である第164歩兵師団が地中海の波濤を乗り越えて北アフリカに到着してきた。今までのドイツ軍がいずれも大なり小なり自動車化されていたのに反し、この第164歩兵師団は純粋な意味での歩兵師団であった。その戦闘力は英軍の一般歩兵師団とほぼ同等。ただしイタリア軍歩兵師団に比べるとその戦闘力は確実に期待できた。
枢軸軍はドイツ軍4番目の師団である第164歩兵師団が地中海の波濤を乗り越えて北アフリカに到着してきた。今までのドイツ軍がいずれも大なり小なり自動車化されていたのに反し、この第164歩兵師団は純粋な意味での歩兵師団であった。その戦闘力は英軍の一般歩兵師団とほぼ同等。ただしイタリア軍歩兵師団に比べるとその戦闘力は確実に期待できた。
1942年8月Ⅰ
エル・アラメインでは英軍が陣地線を強化していく。枢軸軍もそれに対抗して陣地線を築く。弱体化しているかもしれない英軍を一気に撃破するチャンスかもしれない。チラッとそのような考えが頭をよぎった。ここで英軍を撃破できれば、決定的な勝利を得られる。エジプト制覇、スエズ運河占領・・・・。
翻って枢軸軍は・・・。
戦車兵力の約半数を失い、自動車化歩兵部隊も何割かが失われていた。しかしイタリア軍の機甲部隊と自動車化部隊はほぼ無傷。イタリア歩兵はトブルク戦でかなりの損害を被っていたが、想定されるエルアラメイン戦には当面必要ない。攻撃するチャンスはいくらでもあったはず・・・。
戦車兵力の約半数を失い、自動車化歩兵部隊も何割かが失われていた。しかしイタリア軍の機甲部隊と自動車化部隊はほぼ無傷。イタリア歩兵はトブルク戦でかなりの損害を被っていたが、想定されるエルアラメイン戦には当面必要ない。攻撃するチャンスはいくらでもあったはず・・・。
しかし枢軸軍が選んだ道は「持久戦」。攻勢を放棄し現時点で死守せよ。それが私の選んだ道だった。
私はロンメルにはなれなかった・・・、のかもしれない。
私はロンメルにはなれなかった・・・、のかもしれない。
1942年8月Ⅱ
戦線はしばしの小康状態を迎えた。エル・アラメインに陣を敷く英軍とフカ飛行場の線で防衛線を敷く枢軸軍。両軍とも戦力を蓄えつつ次期作戦に備える。そんな中、地中海から悲報が届く。海輸中の88mm対戦車砲大隊2個が両方とも英海軍の攻撃を受けて海没してしまったのだ。あまりにショックにしばし言葉を失う私であった。
1942年10月Ⅰ
英軍にモントゴメリーが着任した。これによって英軍は攻勢時にサイコロを振り直す必要性が消滅した。今までは最高のダイス目(6)が出た時、英軍はサイコロの振り直しを強いられていた。これは事実上6の目が出ないことを意味する。しかしこのTURNからモントゴメリー将軍が登場したことによって上記のハンデは消滅。ドイツ軍と互角に戦うことが可能となった。この機に英軍は反攻作戦を開始した。スーパーチャージ作戦。米軍から送られてきた新鋭M4シャーマン戦車を先頭に、再編なった3個戦車師団を主力とする計10個師団近い部隊が枢軸軍防衛線に殺到してきたのだ。
英軍の攻勢は凄まじかった。有り余る補給ポイントを利用して計3コラムシフトの弾幕射撃は、各地で猛威を振るった。
海岸付近では独第15装甲師団の守る陣地に英第7機甲師団、オーストラリア第9歩兵師団を主力とする攻撃部隊が殺到する。さすがに精強なドイツ軍師団は英軍の物量攻勢を跳ね返し、我に優る損害を攻撃側に強いた。しかも戦線は一歩も動かしていない。
しかしイタリア軍が守る陣地線は計算通りには行かなかった。
砂漠地帯の南端、カッタラ低地と接する地点を守るイタリア軍リットリオ機甲師団は英第10機甲師団と第51歩兵師団の混成攻撃を受けて事実上壊滅。そのやや北側では、イタリア軍フォルゴーレ師団が英第1機甲師団、ニュージーランド第2歩兵師団その他の攻撃を受け、こちらは攻撃側、防御側共に大きな出血を強要した後、イタリア軍は後退を余議なくされた。
海岸付近では独第15装甲師団の守る陣地に英第7機甲師団、オーストラリア第9歩兵師団を主力とする攻撃部隊が殺到する。さすがに精強なドイツ軍師団は英軍の物量攻勢を跳ね返し、我に優る損害を攻撃側に強いた。しかも戦線は一歩も動かしていない。
しかしイタリア軍が守る陣地線は計算通りには行かなかった。
砂漠地帯の南端、カッタラ低地と接する地点を守るイタリア軍リットリオ機甲師団は英第10機甲師団と第51歩兵師団の混成攻撃を受けて事実上壊滅。そのやや北側では、イタリア軍フォルゴーレ師団が英第1機甲師団、ニュージーランド第2歩兵師団その他の攻撃を受け、こちらは攻撃側、防御側共に大きな出血を強要した後、イタリア軍は後退を余議なくされた。
この時気づいたのだが、防御陣地構築時に砲兵を1ヘクス後方に配置したのは失敗だった。最前線に配置しておき、敵が接敵したらすかさず重弾幕射撃を浴びせかけて機先を制するべきであった。また最前線の部隊を全て陣地に入れたのも考慮の余地がある。ある程度強力な部隊を陣地外に展開し、強ZOCを展開して英軍に強制攻撃を強いる手もあった(こうすれば英軍は重弾幕射撃を使えない)。防御力2倍と装甲シフト+1を惜しんで陣地化したが、やや中途半端だった感は否めない。
枢軸軍は直ちに反撃に転じた。陣地帯の防御はイタリア軍に任せ、ドイツ軍4個師団は集結して海岸付近に突出してきた英機甲部隊を叩く。攻撃目標は英第7機甲師団とオーストラリア第9歩兵師団。さすがにDAK4個師団集中投入の威力は凄まじく、英第7機甲師団はほぼ壊滅。オーストラリア第9歩兵師団も半数を失って後退した。その一方でドイツ軍の損害も決して小さくはなく、「双頭の龍」の片割れである第21装甲師団は、その打撃兵力の半数を失った。
1942年10月Ⅱ
両軍とも一旦兵力を整備した後、まず英軍が動いた。英軍は先ほどの戦闘で海岸地帯の守りが堅いと見たのだろう。内陸部に回り込み、イタリア軍の防衛線を突破しつつ、枢軸軍を包囲する動きに出た。間の悪い事に、この時英軍の連続インパルスが発生。英軍機甲部隊は歩兵の支援を受けつつ枢軸軍陣地の後方に回り込んだ。各地で英軍とイタリア軍が激しく戦う。しかし新鋭M4シャーマン戦車を装備した英機甲部隊に対し、性能の劣る戦車しか持たないイタリア軍では抗すべくもなかった。2ヶ月前に地中海で失われた88mm対戦車砲2個大隊が惜しまれる。結局このTURNの途中で英軍は包囲の輪を完成させた。
結果
ここで残念ながら時間切れ。枢軸軍による包囲網突破戦の顛末は見ることなく終わった。残された記録を見ると、枢軸軍の主力たるドイツ軍については、第21装甲師団は戦車兵力の全てを失い、その戦力は4割程度。第15装甲師団は戦車兵力の2/3が残存し、全戦力もフルパワー時の8割程度と判定された。第90軽師団はほぼ無傷。第164歩兵師団は6~7割程度の戦力を維持していた。イタリア軍はリットリオ装甲師団が戦力半減している以外は、アリエテ装甲師団、トリエステ自動車化師団はほぼ無傷で残っている。英軍の損害も小さくなく、包囲網の突破は十分に可能であると判断している。ただ一連の戦いで大きな損害を強いられることは間違いなく、足の遅いイタリア軍歩兵の中には敵中に取り残される危惧があった。勝利条件で当てはめると、当然ながら両陣営ともサドンデスはなし。[@@ 前回]少し触れた日本版バリアントルールに当てはめると、勝利得点は概ね以下のようになる。
1942年6月終了時点 0
1942年7月終了時点 +2
1942年8月終了時点 +4
1942年9月終了時点 +6
1942年10月終了時点 +7~+8
1942年7月終了時点 +2
1942年8月終了時点 +4
1942年9月終了時点 +6
1942年10月終了時点 +7~+8
ちなみに勝利条件は+5以上達成なので、9月終了時点で枢軸軍陣営がほぼ勝利条件を達成していたことになる。この勝利条件が7月以降にみられた枢軸軍の退嬰的な動きに影響を与えていたことは否定できない。そう考えると、ヒストリカルを狙った勝利条件でも必ずしもヒストリカルな動きを誘導しないこともあるので、興味深い。
感想
ガザラ戦の段階では予想以上に上手く行きました。ダイス目に恵まれた(英機甲師団との決戦、ガザラライン突破時等)こともありますが、英機動部隊を優先的に叩くという戦略が期待通りの効果を発揮したと言えます。後半は反省が多いです。7月の段階でエル・アラメインに突入しなかった件。後で連合軍プレイヤーに状況を確認すると、内情はボロボロだったとのこと。スタックの中身を見てはいけないシステムなので敵軍の状況が分からず攻撃を躊躇してしまいましたが、ここは強気に攻撃すべきでした。
「折角勝っているのに無理をすれば全てを失うのでは・・・」
このあたりのジレンマは、ウォーゲームをプレイすることによって得られる、そして戦史を読むだけでは実感し難い部分です。
「折角勝っているのに無理をすれば全てを失うのでは・・・」
このあたりのジレンマは、ウォーゲームをプレイすることによって得られる、そして戦史を読むだけでは実感し難い部分です。
今回は実質的には10Turn強のプレイでした。所要時間は約18時間。1Turnの平均時間は1.8時間です。これはTurn毎にバラつきがあり、長い時は1Turnの所要時間が2~3時間、短い時は1時間以下でした。キャンペーンの場合、動きの大きい場面と少ない場面がハッキリしており、何もしない時はサクサク進みます。その代わり一旦戦闘が始まれば、そのプレイ時間は半端ではありません。
本作は1991年に発表された比較的古い作品です。ルールの一部に冗長な個所があり、先に示したプレイ時間の問題も含めて必ずしもプレイアビリティは高くありません。しかし戦車戦や補給戦、機動戦から陣地戦まで北アフリカ戦の主要な要素を詰め込んだ本作はやはり傑作と呼ぶに相応しい作品であり、今後も機会があればプレイしたい1作です。