もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年03月

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この週末に行ってきました。
天気予報によると晴れ、桜は5~7分咲きぐらい。
朝8時過ぎに現着。
見た感じ、「5~7分咲きって所かな?」
満開ではないことは確かです。

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前回までのあらすじ
-->16-17日
-->18-19日
-->20-21日
-->22-23日AM
-->23PM-25日

26AM

A.German Turn

ガス欠は第2装甲師団と第2SS装甲師団。前のTURNと同じである。
撤退を続ける独軍は、ウルト川から東へ後退し、新たな防衛戦をマネ(Manhay E3626)とスタボロ(Stavelot E2730)を結ぶ戦場に敷いた。パットン正面は比較的戦力が充実しているので、現有戦線を維持する。

B.Allied Turn

ウルト川戦線では、エワイユ(Aywaille E3633)付近の独軍防御陣地を撃破した米第3機甲師団に所属するA戦闘団(CCA 9-6-6[3])がウェルボモン(Werbomont E3630)まであと1Hexと迫った。その南東では、米第2、第9機甲師団が独軍総統警護旅団に圧力を加える。さらにその南では、第2機甲師団のB戦闘団(CCB 9-6-6[3])がラ・ロッシュ・アン・アルデンヌ(La-Roche-en-Ardenne E3920)を占領し、さらに南に向かう勢いを見せている。

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イメージ 2パットン第3軍正面では、米第10機甲師団のR戦闘団(CCR 5-4-6[3])がエテルブルック(Ettelbruck E2207)を占領。その東では第10機甲師団のA戦闘団(CCA 6-4-6[3])がコンソート(Consdort E1404)付近で第653重駆逐戦車大隊(4-2-4[5d])に援護された独歩兵連隊を撃破。戦闘後前進によってSauer川まで後1Hexに迫った。


26PM

A.German Turn

最終Turn。ガス欠は第2装甲師団、第2SS、第9SS装甲師団である。
独軍は前線を少しずつ下げていくしかない。パットン第3軍正面で3-1の限定反撃を行い、一応の成功を見た。

B.Allied Turn

イメージ 5連合軍にとっても最終Turnである。しかし最後の最後で連合軍が突破に成功した。
まず戦線北方のエルセンボルン(Elsenborn E1834)付近では米第1歩兵師団「ビックレッドワン」の歩兵連隊(6-7-3)が低比率攻撃にも関わらずドイツ軍の2ユニットスタックを撃破し、突破口を穿った。その突破口から第3機甲師団「スピアヘッド」のB戦闘団(CCB 9-6-6[3])が駆逐戦車大隊(3-2-7[3d])の支援を受けて森林地帯から平原地帯に抜けだした。

イメージ 4主戦線ともいうべきオウル川戦線では午後の攻撃で開けた突破口を機甲部隊が前進し、要域マネ(Manhay E3626)に攻撃を仕掛けた。独軍の必死の防戦によってマネは独軍が守り切ったが、それでもあと一歩で陥落しそうな雰囲気である。
その南では低比率攻撃で開かれた突破口を抜けた米第2機甲師団「ヘルオンホイールズ」のB戦闘団(CCB 9-6-6[3])が突破。独軍の背後を抜けて一気にバストーニュ(Bastogne E3413-3414)を占領した。

パットン第3軍正面では、新たに登場した米第6機甲師団が第28歩兵師団と共にRedange(E2803)付近でドイツ第352歩兵師団、第5降下猟兵師団を撃破。そのままマルトランジュ(Martelange E3306)からバストーニュに向かう態勢を整えた。

さあ、これから米軍の大反攻が始まるのか・・・、という所で、惜しくもタイムアップ。ここでゲーム終了となった。最終状況を以下に示す。

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感想

とにかく面白いゲームである。一見ルールは多いが、基本的には移動、戦闘の繰り返し。特徴的な戦闘後前進、ファイアファイト、断固たる防御といったギミックはあるものの、それほど難しい訳ではない。いわゆる典型的な作戦級ゲームだが、米独両軍の戦車性能の違いや駆逐戦車の特徴、練度の違い等がさりげなく再現されており、作戦戦術級的な味付けもされている。作戦級ゲームとしても、バルジ戦ゲームとして一級品といえよう。

米軍有利と言われている本作だが、確かにどちらが有利かといえば米軍だと思う。今回も勝利条件的には米軍の勝利に終わった。しかし独軍に勝ち目がないかといえば、そうではないと思う。西マップの勝利条件地点6箇所占領という条件は、困難とはいえ、達成不可能ではない。チャンスは中盤で、9~12Turnあたりが勝負になる。独軍に増援として総統擲弾兵旅団、総統警護旅団、第2SS、第9SS装甲師団、第3装甲擲弾兵師団が登場し、パットン第3軍が登場するまでが勝負である。そのためにはそれ以前に米軍部隊をどれだけ多く撃破できたかが勝負になりそうだ。それに対して米軍としては、パットン第3軍登場までできるだけ多くの部隊を生き残らせるかが、勝負になる。米軍は損害を抑えることによって勝利が近づくだろう。
今回のプレイでは、序盤に米軍部隊が多大な損害を被ったが、それが中盤の苦戦につながったと思われる。

いずれにしても新版Ardennes'44は面白い。今度は対人戦でキャンペーンを戦ってみたいものである。

おまけ

標準ゲームでは22Turnで終了するのだが、延長ゲームならさらに8Turnの延長戦を戦うことができる。そこで今回さらに8Turn分の延長戦を戦ってみた。独軍が反撃に転じる可能性は最早皆無に近いが、米軍の反撃に対して独軍がどこまで粘れるかを検証してみたいと思う。

第23~24Turn(12月27日)の焦点はバストーニュ南東部。パットン第3軍の機甲部隊がマルトランジュ前面で独第7軍を撃破。そのままマルトランジュを抜けてバストーニュまで突破した。その結果バストーニュ西方に取り残されていた独第5装甲軍の残余と第7軍の間が分断され、第5装甲軍は退路を断たれることとなった。
さらに米軍の突進は止まらず、第2機甲師団を主力とする部隊がバストーニュからウィルツ(Wiltz E2719)方面に進出。南側から前進してきたパットン第3軍の歩兵部隊と手を結び、独第7軍の後方を遮断した。第7軍に所属する2~3個師団の歩兵が包囲されてしまう。

第25~26Turn(12月28日)は、今度は戦線北部、すなわち第6装甲軍が米軍の突破を許してしまう。エテルブルック(Ettelbruck E2207)付近を突破した米第3機甲師団がその突破口を広げてモンシャウ(Monschau E1838)とサンビット(St-Vitz E2125)の間に楔を打ち込んだ。

決着が着いたのはその翌日(12月29日)であった。南から攻め上がってきたパットン第3軍と、北部で活動してきた米第5軍団が独軍の初期配置ヘクス3個所を占領したのだ。初期配置ヘクスを1箇所でも占領された場合、即座に奪回しなければ独軍の負けが確定する。独軍はあらゆる兵力をかき集めて反撃を試みたが、既に破断界に達していた独軍に機動予備などあろうはずもなく、前線からなけなしで捻出した機動兵力も交通渋滞に阻まれてその殆どが前線に到着しない。結局独軍の反撃はいずれも失敗に終わり、ここに連合軍のサドンデス勝利が確定した。

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(終わり)



前回までのあらすじ
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-->22-23日AM

23PM

A.German Turn

ガス欠は第9装甲師団と第1SS装甲師団。そのためパットン軍の先鋒、第4機甲師団に対する反撃を今回は見合わせる。

イメージ 13このTURN、独軍がロシュフォール(Rochefort W1919)を奪取した。もう一つの要域、マルシュ(Marche-en-Famenne W1522)も完全包囲下においている。先に米軍に奪回されたユイ(Huy W1835)がまだ独軍の手中にあったならば、独軍は勝利の可能性もあったのだが、今更ながら惜しまれる状況である。とはいってもマルシュと、あと1ヶ所の勝利条件ヘクス、例えばシネイ(Ciney W2226)を奪取できれば、独軍の勝利が確定する。まだ勝利を諦めていない独軍なのであった。

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B.Allied Turn

イメージ 14しかしこのTURN、米軍の反撃は熾烈を極めた。反撃の主役は米第2機甲師団と第3機甲師団。そこに第10機甲師団、第75歩兵師団、第84歩兵師団、第4機甲騎兵戦闘グループ等が加わった兵力で、ベルギー、ナミュール州東部一帯に展開する独軍を目標として実施された。要域シネイに接近していた独第12SS装甲師団の装甲擲弾兵連隊(4-5-6)と第116装甲師団の装甲擲弾兵連隊(5-5-6)が撃破されて後退。さらに独軍の後退路を断つべく第2,第3機甲師団と第75歩兵師団が独軍を分断。その退路を遮断する。その結果、Havelange付近(W1730)で独第150装甲旅団を主力とするカンフグルッペを包囲した。

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パットン軍正面では、それまで抵抗を続けていたメルシュ(Mersch E2102)付近の独軍陣地が米軍の包囲攻撃を受けて遂に陥落した。パットン軍はメルシュを占領。ルクセンブルクから北に向かう進撃の準備が整った。

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24AM

A.German Turn

イメージ 15ガス欠は第1SS装甲師団、第12SS装甲師団と第2装甲師団である。
クリスマスイブ。攻勢開始9日目にしてドイツ軍は遂に西方に向けた突破作戦を諦めた。独軍は南から押し上げてくるパットン軍の対処に注力すると共に、ベルギー西部に攻め込んだ各部隊は、米軍の包囲を掻い潜って東へ向けた撤退行動を開始する。その間、退路を阻む米軍部隊撃破や防御の基軸となる要域奪取のための攻撃を数ヶ所に渡って実施した。そのうちのいくつかは成功したものの、多くはヤーボの攻撃に阻まれて攻撃は失敗に終わった。ヤーボの恐ろしさを改めて知らされたドイツ軍なのであった。
事情はパットン第3軍の正面でも同様であり、反撃の主役として期待された第506重戦車大隊(8-4-5[5])が初陣でステップロスを食らってしまう。

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B.Allied Turn

イメージ 16米軍はナミュール州東部で大反攻を続けている。第2、第3機甲師団は独軍右翼を守る第1SS装甲師団、第12SS装甲師団の残存兵力を撃破。その先鋒はウルト川(Ourthe R.)に到達した。他の部隊もマルシュ道路を南へ向けて突進し、米第504空挺連隊(4-6-3)が包囲されているマルシュまであと4Hexと迫っていた。
背後を脅威された独軍部隊。特に最前線に展開している第9SS装甲師団は、背後を断たれて壊滅の危機が迫った。

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パットン第3軍はラロシェット(Larochette E1804)付近を守る突撃砲大隊を撃破。またメルシェ北方でも独第9装甲師団の戦闘グループを後退させせいたので、両側から挟まれた第15装甲擲弾兵師団のカンフグルッペが退路を断たれてしまう。

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24PM

A.German Turn

ガス欠は第2SS、第9SS装甲師団と第2装甲師団。
イメージ 17ドイツ軍にとっては辛い撤退戦が始まった。ウルト川西岸地区に取り残された部隊を1つでも多く川の東側に撤収させなければならない。その間戦線を保持し、米軍の反攻をウルト川の線で食い止めなければならない。
最前線で孤立の危機にあった第9SS装甲師団は少しずつ後退を開始していた。それでも後退し切れないパンター戦車大隊(6-4-6[4])と第20装甲擲弾兵連隊(4-5-6)は殿として米軍の前に立ちはだかる。
マルシュの西側地区からは、戦車教導師団、総統護衛旅団の各部隊が撤退援護のために北へ向かってきた。ウルト川防衛線を守るためだ。

イメージ 18パットン軍正面では包囲された第15装甲擲弾兵師団のカンフグルッペを救うべく、第9装甲師団、第519重駆逐戦車大隊(3-2-5[5d])等の部隊が米第4,第10機甲師団の混成部隊を攻撃する。ネーベルヴェルファ旅団による支援砲撃を受け、必勝を期した攻撃であったが、ここでまたもやヤーボが邪魔をした。4-1の戦闘比がヤーボのために2-1までダウンし、攻撃もENGの結果で失敗。第15装甲擲弾兵師団は依然包囲の中に留まっている。

B.Allied Turn

西部戦線での米軍の反撃はウルト川の渡河作戦に移ってきた。2ヶ所でウルト川の渡河を試みた米軍は、1ヶ所で失敗したものの、もう1ヶ所で成功を収め、ノワジュー(Noiseux W1425)付近でウルト川を渡った。川向うでは、第9SS装甲師団を主力とする残存部隊がバイヨンビル(Baillonville W1525)付近で米軍の重囲下に陥った。

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パットン第3軍の方も劇的な前進こそなかったものの、確実に前進を続けていた。

25AM

A.German Turn

イメージ 19いよいよあと2日である。今日はクリスマス。ガス欠は第2SS、第9SS及び第2装甲師団である。
ウルト川戦線では、第9SS装甲師団が包囲され、他の師団もその多くがガス欠ののために動けなくなっている。なんとかウルト川に沿って防御線を構築したいのだが、ウルト川戦線の東側に戻って来れる部隊数が極端に少ない。戦車教導師団と総統護衛旅団が道路沿いにウルト川戦線に向かうが、現時点ではまだ間に合わない。とにかくウルト川東岸を守る部隊数が少な過ぎる。

パットン第3軍正面では、包囲されている友軍部隊を救うべく高比率攻撃を2ヶ所で実施したが、またもや飛来してきたヤーボのために戦果を上げることはできず、友軍の損害のみが増えて行くだけだった。それでも増援として第167歩兵師団が戦場に到着し、戦線に加わったので、戦線は安定しつつあった。

B.Allied Turn

イメージ 20ウルト川戦線では、ノワジュー付近でウルト川を渡河した米軍が、要域デュルビュイ(Durbuy W1127)を守る独軍を攻撃した。要域デュルビュイを守る独軍は第2SS装甲師団に所属する第2駆逐戦車大隊(3-2-6[4d])と第1SS装甲師団に所属する装甲擲弾兵大隊(3-2-6)である。攻撃側は米第2機甲師団のR戦闘団(CCR 9-6-6[3])と第1歩兵師団「ビックレッドワン」に所属する歩兵連隊(4-4-3)が主力で、それを若干の独立駆逐戦車大隊が支援していた。砲兵の手厚い支援に加えて、空軍支援も得た米軍の攻撃は凄まじく、独軍はたまらず後退した。デュルビュイは米軍によって奪回された。

ウルト川西岸では、バイヨンビル付近で包囲されていた第9SS装甲師団の主力が、米第2機甲師団の攻撃を受けて壊滅した。さらにその南、マルシュでは、包囲を解かれた米第504空挺連隊(4-6-3)が勇躍反撃のために前進。独戦車教導師団の第902装甲擲弾兵連隊(4-5-6)を撃破し、独軍を東マップへ追いこんで行った。

さらにその南ではロシュフォールを米軍が奪回。この時点で西マップで独軍が保持している勝利得点都市は、セント・ヒューバート(St.Hubert W1414)とオットン(Hotton W1224)の2ヶ所となってしまう。

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パットン第3軍は、砲兵支援による中比率(2-1)攻撃を4ヶ所で実施したが、いずれも出目に恵まれず、突破口を穿つには至らず。徒に損害を増やしていった。


25PM

A.German Turn

ガス欠は第2装甲師団と第2SS装甲師団。ウルト川戦線の独軍はとにかく後退するしかない。ウルト川戦線とはいっても、ウルト川は既に米軍の支配する所となり、独軍はその東を流れるエズヌ川(Aisne R.)の線まで下がって戦線を敷く。オットンも放棄した。

パットン第3軍正面は、ドイツ側にさらに増援の1個歩兵師団(第9歩兵師団)が登場したため、戦線はかなり安定してきた。そこで重戦車大隊と中戦車大隊をウルト川戦線に急がせる。しかし戦線間の距離は遠いため、すぐには配置できそうにない。


B.Allied Turn

イメージ 11ノワジュー付近の橋梁を越えて米軍部隊が続々とウルト川を渡ってくる。デュルビュイからさらに東へ進む米軍はエズヌ川も渡河し、ウェルボモン(Werbomont E3630)前面に迫る。一方ウルト川の北側を迂回してきた米第3機甲師団は、エワイユ(Aywaille E3633)付近でアンブレーヴ川(Ambleve R.)を渡河し、北からウェルボモンに迫る。
イメージ 12別の米軍はマルシュから東南東に進み、ウルト川に沿う形でラ・ロッシュ・アン・アルデンヌ(La-Roche-en-Ardenne E3920)に肉薄する。ここを突破すれば、街道沿いにまっすぐ進めばバストーニュ(Bastogne E3413-3414)にたどり着く。ラ・ロッシュ・アン・アルデンヌの戦いは、独軍が奮戦し米軍の突破を間一髪で食い止めていたが、それでも兵力不足は明らかで、いつ突破されてもおかしくない状況だった。

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パットン第3軍正面では、左記の低比率攻撃失敗に懲りた米軍が3-1攻撃を3ヶ所で実施し、ラロシェット付近で勝利を収めた。包囲されていた独第15装甲擲弾兵師団の第104装甲擲弾兵連隊(5-7-6)が米軍の攻撃を受けて壊滅した。

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お奨め度★★★

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前回までのあらすじ
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-->20-21日

22AM

A.German Turn

ガス欠は総統警護旅団、総統擲弾兵旅団、第2SS装甲師団、第9SS装甲師団の各部隊である。先に折角敵中突破を成し遂げた総統擲弾兵旅団(Fuh Gr)のカンフグルッペがガス欠になったのは痛い。

イメージ 12ドイツ軍としては難しい局面になってきた。南から攻め上がってくるパットン第3軍を無視する訳にはいかない。かといって現在進めているミューズ川へ向けた突破作戦を止める訳にもいかない。独軍は、戦線左翼を守る第7軍の歩兵部隊をパットン第3軍迎撃に向かわせると共に、戦車教導師団の一部、第519、521重駆逐戦車大隊(いずれも3-2-5[5d])を同じ任務のために南下させる。その後方からは第506重戦車大隊(8-4-5[5])、第653重駆逐戦車大隊(4-2-5[6d])も南下させた。

イメージ 13戦線右翼のユイ(Huy W1835)を守るパイパー戦闘団は、後方連絡線を確保するため連絡線を脅威する米第7機甲師団所属のR戦闘団(5-4-6[3])を第3装甲擲弾兵師団と共同で攻撃した。しかしR戦闘団の奮戦によって突破はならず。
その左翼では、シネイ(Ciney W2226)に向けて第12SS装甲師団と第1SS装甲師団が攻撃を加えた。一部で突破に成功したものの、シネイに取りつくには至らず。
マルシュ(Marche-en-Famenne W1522)に対しては、ガス欠にもめげず第2SS装甲師団と第3装甲擲弾兵師団が攻撃を加えたものの、こちらも米軍の激しい抵抗に阻まれて前線できず。その西方で第2装甲師団と戦車教導師団の混成部隊が戦線左翼に小さな突破口を穿った。

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B.Allied Turn

イメージ 4イメージ 14いよいよパットン第3軍による反撃が本格化してきた。先に登場してきた第4機甲師団に加えて、このTurn、3個歩兵師団(第5、第28、第80)が登場し、さらに複数の独立戦車部隊が登場する。これらの戦力を合わせて計4個師団の兵力に膨れ上がったパットン第3軍が独軍戦線の南翼を食い破る。
まず第4機甲師団主力と第80歩兵師団の一部が3101の突破地点を守る独第212歩兵師団の第423歩兵連隊(4-5-3)を包囲攻撃した。圧倒的な兵力差により独軍は壊滅する。さらにその東、Sauelの突破点を守る独第212歩兵師団のFusiiler歩兵大隊(2-2-3)を、第80歩兵師団の2個連隊と2個戦車大隊(第702、第735)が攻撃し、兵力に勝る米軍部隊が独軍戦線を突破した。このようにして2ヶ所で突破口を穿った米軍は、マップ南端からの進撃を開始していた。

イメージ 15第3軍の登場によって勢いを得た米軍は、他の戦線でも攻勢を強化する。まずユイを包囲する米軍は、新着の第3機甲師団A戦闘団(CCA 9-6-6[3])を主力とした部隊でユイに籠る独パイパー戦闘団を攻撃する。米軍部隊はパイパー戦闘団に損害を強いることには成功したものの、これを叩き出すには至らなかった。
それでもユイに通じる連絡線を攻撃した米第3機甲師団、第7機甲師団を主力とする部隊は、連絡線を守る独軍を撃破し、ユイへの連絡線を遮断した。

イメージ 16ロシュフォール周辺では、戦線後方に突出してきた独軍部隊に対して米軍が反撃を実施。第10機甲師団のB戦闘団(CCB 9-6-6[3])と第9機甲師団のA戦闘団(CCA 5-4-6[3])が、独総統護衛旅団所属の第101戦車大隊(6-4-6[4]、5号戦車装備)を包囲攻撃した。退路を断たれた第101戦車大隊は壊滅。米軍は戦線後方に入り込んだ敵を排除した。

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22PM

A.German Turn

イメージ 17運命の女神が独軍に少しだけウィンクした。このTURN、ガス欠なし。独軍はその幸運を活かすべく、ミューズ川戦線で大攻勢を仕掛ける。まず右翼の焦点のなっているユイに向けて連絡線を解放すべく第116装甲師団、第3装甲擲弾兵師団が米第3機甲師団、第7機甲師団に猛攻を加える。その攻撃は一部で成果を上げたものの、全般には低調に終わった。このTURN終了時にはユイ及びその周辺の独軍部隊がいずれも補給切れに陥ってしまう。

イメージ 18マルシュからロシュフォールにかけての中央戦線では、マルシュとロシュフォールに対する正面攻撃がいずれも失敗に終わった。ロシュフォールの南、アン・シュル・レス(Han-sur-Lesse W2018)付近では、戦車教導師団と総統警護旅団の混成部隊が米軍を撃破し、ロシュフォールへの進撃路を確保した。

パットン第3軍阻止には、第7軍の歩兵師団と新着の第9装甲師団、独立重戦車大隊、そして第9SS装甲師団を向かわせる。

B.Allied Turn

イメージ 20北部戦線、ユイを巡る攻防戦では連合軍がパイパー戦闘団に止めを刺すべく猛攻を仕掛ける。しかし出目に恵まれず攻撃は失敗。ユイは陥落直前の状況になりながらもなんとか持ちこたえている。
その南方では米第3、第7機甲師団が脆弱な88mm高射砲大隊(1-2-5[4])を撃破し戦線を突破。ユイ西方に展開中の独第116装甲師団、第1SS装甲師団、第3装甲擲弾兵師団の背後を遮断した。

イメージ 19中央戦線では、マルシュに米第82空挺師団の第504降下連隊(4-6-3)だけを残し、残りは後方に下がっていった。ロシュフォールには第82空挺師団の第508降下連隊を入れて守りを固める。その他は、戦線後方に回り込んだ独軍部隊の掃除と突出部の撃破を行う。一連の戦闘で独第18歩兵師団所属の第244突撃砲大隊(3-2-6[3d])が大損害を受けて後退。総統護衛旅団の第99自動車歩兵連隊(2-3-6)が壊滅した。

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イメージ 6パットン第3軍は4箇所で攻撃を仕掛けて突破口啓開を狙ったが、いずれも独軍の激しい抵抗に阻まれて目的を達せず。独軍の反撃により駆逐戦車大隊1個を失った。それでも夜間移動を利用して第4機甲師団がメルシュ(Mersch E2102)を奪回した。


23AM

A.German Turn

イメージ 7このTURN、天候が晴れ渡った。恐怖のヤーボ表が適用となる。これは独軍が攻撃する際、ダイスを振って1~3の場合1~3シフト不利なシフトが発生する。例えば4-1で万全を期した攻撃であっても、ヤーボ表で1を出されたら一気に1-1まで下がってしまう。元々高オッズの立ち難いゲームなので、ヤーボ表の影響は大きい。
ヤーボ表の恐怖にも関わらず独軍は勇敢にも攻撃を敢行する。このTURNのガス欠は総統警護旅団と総統護衛旅団、それに第1SS装甲師団である。残った部隊は果敢に攻撃を敢行した。

イメージ 21包囲されたユイに対する救援は半ば諦めた独軍は、ユイを精鋭部隊による死守に期待することにする。それに代わって独軍が目指したのはシネイである。そしてシネイに至る連絡線上に立ちはだかる米軍の撃破だ。
シネイを目指したのは第12SS装甲師団と第116装甲師団の混成部隊である。シネイを守る米軍は、第28歩兵師団「キーストン」の2個歩兵大隊の他、第14騎兵戦闘グループ(3-2-7)と第7機甲師団所属の駆逐戦車大隊(3-2-6[3d])である。戦闘の結果は痛み分けに終わり、独軍の駆逐戦車大隊(3-2-6[4d])と米歩兵大隊が共に失われた。
その後方、シネイから東へ向かう道路上では第9SS装甲師団、第12SS装甲師団、第116装甲師団、第150装甲旅団(6-5-6[3])等が米第3、第7機甲師団を攻撃する。ヤーボの脅威にも関わらず攻撃の大半が成功し、独軍はシネイに向かう連絡線を回復した。

中央戦線では、マルシュ、ロシュフォールの両拠点に対する総攻撃を実施した。しかしこちらはヤーボの反撃により攻撃は頓挫。両拠点とも米空挺部隊がガッチリと保持し続けている。

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イメージ 22パットン第3軍正面では、独第9装甲師団が到着。パットン軍の先鋒たる第4機甲師団と激しい戦いを演じる。両者一歩も引かない戦いが続く。その他、後続の独第15装甲擲弾兵師団もパットン軍阻止に向かい、6号重戦車を装備した第301重戦車大隊(4-2-5[5])、同2型装備の第506重戦車大隊、6号重駆逐戦車装備の第653重駆逐戦車大隊、5号駆逐戦車装備の第519、第521重駆逐戦車大隊等も続々と戦場に到着しつつあった。
パットン軍阻止に一定の目途を付けた独軍は第9SS装甲師団の南進を撤回。第9SS装甲師団は当初の予定通り全力でミューズ川戦線に向かうこととなった。

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B.Allied Turn

イメージ 23米軍がユイ奪回に成功した。新たに増援で米第2機甲師団の3個戦闘団が登場。その内のB戦闘団(CCB 9-6-6[3])を主力とする部隊が、ユイに籠るドイツ残存部隊と掃討した。最後まで残っていたのはパイパー戦闘団の装甲偵察大隊(3-2-7)と第3装甲擲弾兵師団の第103突撃砲大隊(3-2-6[3d])で、彼らは最後まで奮戦した後、壊滅した。
シネイ付近では、パイパー戦闘団の生き残りである装甲擲弾兵連隊(5-5-6)が守るアモワ(Hamois W2127)に対して、新着の第75歩兵師団が、航空機と駆逐戦車大隊の支援を受けて攻撃を実施した。彼らはパイパー戦闘団を撃破して東進し、シネイ東方のドイツ軍スタックを包囲した。

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イメージ 24パットン第3軍はメルシュから攻勢を開始した第4機甲師団が、砲兵2個の支援を受けて独第9装甲師団の第10装甲擲弾兵連隊(5-5-6)を撃破。そのまま戦線後方になだれ込み、ラロシェット(Larochette E1804)付近まで進出。独砲兵部隊を撃破した。しかし後が続かず第4機甲師団は敵中に孤立。補給を断たれてしまう。

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