もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年03月

イメージ 1

SSMによる構造化知識マネジメント

田村泰彦 日科技連

本書はSSM(Stress Strength Model)というモデルに基づいて行う不具合解析手法の解説本である。SSMとは、不具合に関する知識を整理するための入れ物だと思えばよい。SSMは以下の5項目から構成されている。
・定義属性:不具合が起こったアイテム。たとえば特定の部位、部品、ソフトウェア等
・不具合モード:不具合の現象。たとえば止まる、固まる、脱落する、燃える、暴走する等
・ストレス要因:不具合を発生させた外的な要因。例えば異常低温、連続した負荷、大量の通信データ等
・ストレングス要因:不具合を防止するために本来機器が備えていなければならない属性のうち、不具合の発生要因となった脆弱さ。例えば耐温度性の不足、ソフトウェアにおけるエラー処理欠如
・制御属性要因:ストレングス要因を作りこんだ具体的な作業の拙さ。たとえば設計上におけるエラー処理欠如、購入品の選定ミス等
SSMでは、これらの知識を不具合1件につき1枚づつ作成していく。これだけなら単なるバグレポートなのだが、SSMの凄い所はこれらの知識を繋げわせることができる点にある。たとえば特定部品の不具合がより大きな機器の不具合原因となっている場合、2つの知識(部品の不具合と機器の不具合)を繋ぎあわせて表現できる。このように複数の不具合における知識を組み合わせて膨大な知識データベースを作ることにより、過去不具合を未来に向けた不具合未然防止活動に結びつけることができる。
話を聞くだけ、本を読むだけでは、素晴らしい考えに思える。実際にトライする場合はデータベースをどう構築していくか、あるいは過去トラをDBに1つ1つ発生する作業が発生するので簡単にはいかない。それでも不具合情報を体系づけて整理できるという点で、SSMは素晴らしい考え方に思える。
品質に関わる業務に携わる方は必携の著作に思える。

お奨め度★★★★★

イメージ 25

前回までのあらすじ
-->16-17日
-->18-19日

20AM

A.German Turn

イメージ 10独軍は後方から増援部隊が続々と前線に到着する。第2SS装甲師団と総統警護旅団は南部戦線へ。第3装甲擲弾兵師団と第9SS装甲師団は中央戦線に向かっていった。既存の部隊と合わせて実質装甲兵力は9個師団相当になった独軍は、ミューズ川に向けて新たな攻勢を発動する。

まず南部戦線では、第2装甲師団、戦車教導師団、そして新着の総統警護旅団の部隊が3箇所で米軍防衛線を撃破し、ヌシャトー(Nauchateau W1206)まであと1Hex、セント・ヒューバート(St.Hubert W1414)まであと2Hexに迫った。

イメージ 11中央戦線では燃料不足で大きな前進はなかったが、要域デュルビュイ(Durbuy W1127)を占領。ウルト(Ourthe)川の渡河点を確保した。デュルビュイの占領によって独軍は6つの勝利目標のうちの1つを獲得した。あと5つの勝利目標を独軍が占領すれば、独軍がサドンデス勝利する。

イメージ 1


北部戦線では、マルメディ(Malmedy E2432)からモンシャウ(Monschau E1838)にかけて独軍が攻勢を仕掛けたが、米砲兵部隊の防御射撃に阻まれて大きな戦果はなかった。


B.Allied Turn

連合軍はなおも厳しい。南部戦線では反撃に転じたい米軍であったが、兵力不足を懸念してぐっと我慢。ヌシャトーからセント・ヒューバートのラインに防衛線を下げて独軍を迎え撃つ。

イメージ 12中央戦線は米軍が最も苦しい部分であったが、兵力不足のためガッチリした戦線を敷くのは無理。やむを得ず小規模な部隊を広く散らばらせて、道路ブロック、交通渋滞マーカーを駆使した遅退戦術を行う。
それでもこの方面では米軍は限定的な反撃を実施した。新たに登場してきた米第3機甲師団の2個連隊戦闘団(いずれも9-6-6[3])を主力として2箇所で攻撃を行った。攻撃目標は独第12SS装甲師団。装甲擲弾兵連隊(7-7-6)と5号駆逐戦車装備の第560重駆逐戦車大隊(5-4-6[5d])を攻撃した。攻撃はいずれも成功し、装甲擲弾兵連隊は壊滅状態。重駆逐戦車大隊も半数の車両を失って後退していった。

イメージ 2


北部戦線では限定的な反撃を実施し、包囲下にあった米第2歩兵師団所属の歩兵連隊(4-4-3)を包囲網から脱出せしめた。


20PM

A.German Turn

燃料チェックの結果、第116、第9SSの2個装甲師団がガス欠となる。
しかし前線に増援を得た独軍は、このTurn、大きな前進を成し遂げた。

イメージ 13中央戦線ではパイパー戦闘団が電撃的な前進を実現。ミューズ川に向けて突き進む。移動隊形のままで不意を突かれた米空挺大隊(2-2-3)と米駆逐戦車大隊(3-2-7[3d])を相次いで撃破したパイパー戦闘団は、後方連絡線を半ば無視する形でミューズ川に到達。偵察大隊(3-2-7)と戦車大隊(7-4-7[4])だけで要域ユイ(Huy W1835)を占領した。

イメージ 3


イメージ 14その南でも大規模な増援を得た独軍は大攻勢を実施した。歴戦の第2装甲師団、戦車教導師団に加えて増援の総統警護旅団、第2SS装甲師団を得て4個装甲師団の大兵力を得たマントイフェルの第5装甲軍は、米空挺2個師団が守る防衛ラインに殺到する。
セント・ヒューバートが陥落。先ほどのユイと合わせて独軍が獲得した勝利目標は3ヶ所に達した。あと3ヶ所取れば、独軍は勝利を確定できる。
勝利目標ではないが、このTurn、ヌシャトーも陥落した。

イメージ 4



B.Allied Turn

イメージ 15米軍にとって状況はまさに危機的であった。なりふり構っている場合ではない。戦線からあらゆる兵力をかき集めてドイツ第6SS装甲軍の突破を阻止する。本来なら戦略移動モードのままで敵前線へ向かうのは危険な行為であったが、そんなことを言っていられる状況ではなくなった。機甲兵力を中心として、ありとあらゆる兵力が独軍第6装甲軍の前面へ馳せ参じる。米第3機甲師団が北から反撃。独軍装甲擲弾兵を撃破しつつ、パイパー戦闘団の背後に進出する。そのためユイに進出していたパイパー戦闘団の背後が閉じられる。

その南ではオットン(Hotton W1224)を連合軍が放棄。その西方でマルシュ・アン・ファメンヌ(Marche-en-Famenne W1522、以下マルシュ)を中心に防衛ラインを敷く。オットン放棄により独軍は4ヶ所目の勝利目標を獲得した。

そのさらに南ではヌシャトー付近から後退した米軍空挺部隊が、その西の森林地帯で阻止線を形成する。

パットン第3軍到着まで、あと1日。

イメージ 5



21AM

A.German Turn

燃料切れは第2、第2SS及び第9SSの各装甲師団。計3個もの装甲師団が動けなくなったのは独軍にとって痛い。それでも独軍はあと2ヶ所の勝利目標を陥落せしべるべく残された力を振り絞る。

イメージ 16パイパー戦闘団はユイから動かない。この町を死守する態勢である。その後方連絡線を確保すべく燃料切れから立ち直った第116装甲師団が攻撃を仕掛ける。彼らは米第3機甲師団所属の駆逐戦車大隊(3-2-7[3d])を撃破し、ユイへ通じる連絡線を回復した。
その西方では、第12SS装甲師団を主力とする部隊がマルシュに向けて攻撃を仕掛ける。しかし彼らは増援で馳せ参じた米軍部隊の激しい抵抗にあい攻撃が頓挫した。頼みの第560重駆逐戦車大隊(3-2-6[5d])が壊滅してしまう。

イメージ 14南の戦線でも米軍の抵抗は激しく、独軍は苦戦を強いられていた。ロシュフォール(Rochefort W1919)を目指す戦車教導師団は、米第9機甲師団の生き残りであるCCB(6-4-6[3])の抵抗に遭遇する。それでも彼らは戦車教導師団の装甲擲弾兵連隊(4-5-6)が戦略移動を利用してロシュフォールの東2Hexまで進出。ロシュフォールを指呼の元に収めた。

イメージ 6



B.Allied Turn

イメージ 17米軍は反撃に活路を見出した。
まず北からは第3機甲師団、第7機甲師団が独軍側面を攻撃した。独軍第12SS装甲師団、第116装甲師団がそれを迎え撃ち、両者一進一退の攻防になる。
その南、ウェルボモン(Werbomont E3630)付近では、米第1歩兵師団所属の歩兵連隊(6-7-3)が駆逐戦車大隊2個とその他残余部隊を従えて独軍後方線を攻撃。独第18歩兵連隊(2-3-3)を撃破しつつ、ウェルボモンまであと2Hexと迫った。

イメージ 18戦線中央部では、ロシュフォール、マルシュの線で激しい戦いになる。ロシュフォールまであと2Hexと迫っていた独第901装甲擲弾兵連隊に対し、米第10機甲師団所属のB戦闘団(9-6-6[3])が駆逐戦車大隊と共に激しい攻撃を仕掛ける。戦略移動中で態勢の整わない所を襲われた独第901装甲擲弾兵連隊は堪らず後退。ロシュフォール前面に確保した独軍進出拠点は一瞬で排除されてしまった。

パットン第3軍到着まで、あと半日。

イメージ 7



21PM

A.German Turn

ガス欠は第116と第9SS。
パットン第3軍到着目前という状況にあって、独軍はなおも攻勢を強めていく。

イメージ 19戦線右翼、パイパー戦闘団が守るユイを巡っては、先に反撃してきた米機甲師団を撃退すべく、逆反撃を実施する。この反撃の主役を演じたのが、新たに戦場に登場してきたドイツ第3装甲擲弾兵師団。彼らは米第3機甲師団のR戦闘団(CCR 5-4-6[3])に大損害を与えつつ、ユイへ通じる道路連絡線を回復した。

イメージ 20中央戦線では、第12SSと第1SSの混成部隊がBarvaux-Condroz(W1827)に陣取る米第84歩兵師団の歩兵連隊(3-4-3)を撃破。マルシュとシネイ(Ciney W2226)の間の一級道路を遮断した。
さらにマルシュ東方を守備する米第82空挺師団の第508空挺連隊(4-6-3)に対しては、第2SSと第3装甲擲弾兵師団の混成部隊で攻撃し、これを撃破。ついにマルシュまであと1Hexまで迫った。

イメージ 21左翼戦線では、Grupond(W1716)を守る米機甲スタックを戦車教導師団の戦闘団が攻撃。パンター装備の第130戦車大隊(3-2-6[4])の活躍もあって戦線を突破。Lomme川に架かる橋梁も確保した戦車教導師団は、ロシュフォールまであと2Hexまで迫っていた。

イメージ 8



B.Allied Turn

イメージ 22いよいよパットン第3軍が登場してくる。とはいっても、盤端からの登場であり、未だ盤面全体に大きな影響を与えていない。米第4機甲師団の3個戦闘団が盤端から攻撃を開始した。しかし兵力不足は如何ともし難く、何とか突破口を穿ったものの、貴重な機甲兵力2ステップを失うという大損害を被った。

イメージ 24中央戦線では、ロシュフォール、マルシュ、シネイの3ヶ所を死守する態勢に入る。ロシュフォールには第9機甲師団の生き残り、マルシュには第82空挺師団の第504連隊(4-6-3)を中に入れて守りを固める。シネイでは、歩兵と駆逐戦車大隊の混成スタックで守りを固める。
いずれもパットン第3軍が到着するまで死守の構えだ。

イメージ 9


イメージ 23北部戦線では、ユイに籠るパイパー戦闘団を米第1歩兵、第7機甲師団が共同で攻撃する。砲兵支援付きの攻撃であったが、パイパー戦闘団にダメージを与えただけで、これをユイから叩き出すことには失敗した。その東からは第3機甲、第84歩兵師団等が執拗に攻撃を加えている。

C.夜間Turn

独軍総統擲弾兵旅団が夜間戦闘を利用して大戦果をあげた。ロシュフォール南の橋梁地帯を守る米軍混成部隊を撃破。ロシュフォールの西に向かう突破口を啓開した。これによって独軍は米軍戦線を南北に分断した。




イメージ 1

前回までのあらすじ-->こちら

18AM

A.German Turn

独軍もそろそろ後がなくなってきた。遮二無二攻撃し、突破口を啓開したい所である。

第7軍はマップ南端に位置していた米軍をほぼ掃討し、Saeul(E2501)の突破点を押さえた。さらに先鋒はRadange(E2803)まで進出して、米軍戦車大隊を捕捉した。

ヨーゼフ・ディートリッヒの第6SS装甲軍は、マルメディ(Malmedy E2432)を占領した。その他の個所でも攻撃を実施したが、EXが続出して前進はできない。

イメージ 13そして今や攻撃の主役という立場に躍り出たフォン・マントイフェルの第5装甲軍は、バストーニュ(Bastogne E3413-14)前面を守る米工兵大隊(1-2-3)を攻撃。米砲兵の執拗な砲撃に阻まれ前進に苦しんだが、それでもバストーニュまであと2ヘクスまで迫った。
その北方、ヴィエルサレム(Vielsalm E2826)に向けては、第6SS装甲軍からスウィングしてきたパイパー戦闘団(KG Piper)が米第14機甲騎兵連隊(3-2-7)を撃破してヴィエルサルムへあと2ヘクスまで迫った。しかしここでも米砲兵が威力を発揮し、パイパー戦闘団の大突破を阻んでいる。
サンビット(St-Vitz E2125)はまだ落ちない。

イメージ 2


B.Allied Turn

イメージ 17第82空挺師団と第101空挺師団が増援として登場してきた。歩兵中心の部隊とはいえ、それぞれ4個のエリート連隊(4-6-3)からなる強力な部隊である。現時点ではまだ戦線後方に位置しているので、とにかく前進するのみ。またマップ南端からは米第10機甲師団所属の連隊戦闘団(9-6-6[3])がLintgen(E2001)を攻撃。同地を守る独歩兵連隊(2-3-3)を撃破し、Lintgenを奪回した。

イメージ 3



18PM

A.German Turn

イメージ 15第5装甲軍戦区では、バストーニュが陥落した。第2装甲師団のカンフグルッペ(5号戦車「パンター」装備)が米歩兵大隊(2-2-3)を撃破したのだ。バストーニュを中心として大きな突破口を啓開したドイツ軍。チャンスが巡ってきたか?。
その北方、ホッファライズ(Houffalize E3219)でも、戦車教導師団を主力とするカンフグルッペが米第28歩兵師団所属のM4シャーマン戦車大隊(4-3-6[3])を撃破。ここを占領していた。

イメージ 4


イメージ 16第6装甲軍戦区では、ヴィエルサルム前面の米軍を撃破した第1SS装甲師団所属のカンフグルッペ(4号駆逐戦車装備)が米軍部隊を撃破していた。ヴィエルサルムまであと1Hex。
さらに北に向かうと、戦線北端のモンシャウ(Monschau E1838)に対して第277歩兵師団を主力とする部隊が攻撃を仕掛けた。独軍は砲兵支援、さらには6号駆逐戦車「ヤークト・ティーガー」を装備した第653重駆逐戦車大隊(4-2-4[6d])の支援も受けてモンシャウを猛攻。遂にこれを奪取した。モンシャウ南方の戦線を守る米第2歩兵師団所属の連隊に包囲の危機が迫る。

イメージ 5



B.Allied Turn

イメージ 14バストーニュの線を突破された連合軍は、前線に少数の足止め部隊を残し、主力は増援に現れた第101空挺師団「スクリーミング・イーグル」を中心としてバストーニュ西方に薄く防衛スクリーンを構築する。それでも部隊数不足は如何ともし難く、がっちりとした前線とはとても言えない。

イメージ 6


その北方、ヴィエルサレム付近では、米軍がヴィエルサレムを放棄。その西方で戦線を構築しつつ増援を待つ。

19AM

A.German Turn

イメージ 18攻勢開始4日目。このTURNより独軍は燃料チェックを行う。チェックの結果、総統警護旅団、総統擲弾兵旅団と第3装甲擲弾兵師団がガス欠を起こした。
それでも独軍の快進撃はなおも続く。第2装甲師団はバストーニュから南西に進んでヌシャトー(Nauchateau W1206)方面に向かう。その途上で米第10機甲師団のB戦闘団(CCB 9-6-6[3])を撃破。
戦車教導師団は、ホッファライズから西に進み、Nadrin(E3520)で米第9機甲師団のB戦闘団(6-4-6[3])を撃破。ラ・ロッシュ・アン・アルデンヌ(La-Roche-en-Ardenne E3920)まであと2Hexに迫った。

イメージ 7


イメージ 19その北方では第116装甲師団がヴィエルサレム西方の盆地に進出。Lierneux(E3225)付近を守る米軍部隊の側面を脅威する。その北ではパイパー戦闘団(KG Piper)がHabiemont Chevronの橋を無傷で渡河し、ウェルボモン(Werbomont E3630)まであと1Hexと迫っていた。その東では第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」のカンフグルッペがトロワ・ボン(Trois-pons E3029)を占領し、パイパー戦闘団の後方連絡線を確保する。

イメージ 8



B.Allied Turn

イメージ 20中央戦線におけるパイパー戦闘団の突進は、連合軍を恐慌状態に陥れた。米軍はLierneux付近に残っていた第28歩兵師団の生き残りを半ば見捨てる形で戦線を後退させ、ウェルボモン、マネ(Manhay E3626)間の道路は放棄。ウルト(Ourthe)川沿いのオットン(Hotton W1224)、デュルビュイ(Durbuy W1127)、Hamoirといったラインに薄い防衛線を敷く。防衛線とはいっても部隊密度は低く、川のラインで独軍の足を止めさせる程度の役割しか期待できなかった。

イメージ 10


イメージ 14その南方、ラ・ロッシュ・アン・アルデンヌ(La-Roche-en-Ardenne E3920)からヌシャトーにかけてのラインでは、バストーニュ防衛線の生き残り部隊に加えて、アイゼンハワーの肝入りで戦場に到着した2個空挺師団、第82空挺師団「オールアメリカンズ」と第101空挺師団「スクリーミング・イーグルス」が強固な戦線を構築していた。一見すると頑強な抵抗線に見えるのだが、強力なドイツ装甲部隊の攻撃をどこまで食い止めることができるか。

イメージ 9



イメージ 21一方北方戦線では、マルメディ北部で米軍が局地的な反撃に転じていた。Xhoffraix(E2323)に布陣した第1SS装甲師団所属の偵察連隊(3-2-7)が米軍2個連隊と駆逐戦車大隊による共同攻撃を受けて敗走した。その結果、後方を脅威された独第150戦車旅団は、正面から米第7機甲師団所属のB戦闘団(9-6-6[3])を主力とする米軍の反撃を受け、辛くもこれを撃退していた。


19PM

A.German Turn

イメージ 22燃料チェックの結果、総統警護旅団、総統擲弾兵旅団がガス欠となった。独軍にとっては痛いが、それでも主力部隊がフル稼働できるのは嬉しい誤算と言えよう。
このTurn、ドイツ軍には大規模な増援が到着する。第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」と第9SS装甲師団「ホーエンシュタウフェン」の2個装甲師団だ。いずれも強力ばパンター戦車を装備し、打撃戦力として期待できる部隊である。独軍にとってはこの増援部隊をテコに米軍に止めを刺したい所だ。

イメージ 23前線ではパイパー戦闘団がBomail(E4029)で米歩兵大隊を撃破。その勢いを駆ってウルト川の渡河点を確保した。しかしその後方は薄く、道路ブロック等を駆使して何とか後方連絡線を守っている状態である。増援部隊の速やかな到着が待たれる所だ。

ラ・ロッシュ・アン・アルデンヌからヌシャトーにかけての第5装甲軍戦区では、米軍の頑強な抵抗に逢って前進がストップさせられている。同方面の独軍としては、後方に取り残された米軍を丹念に撃破しつつ、増援の到着を待つといった所か・・・。

イメージ 11



B.Allied Turn

イメージ 24最も独軍の突破が激しいパイパー戦闘団前面では、デュルビュイを放棄。この方面では戦線を引くことができないため、道路ブロックや交通渋滞マーカーで足止めしつつ薄いスクリーンを生成する。

北部戦線では米軍がスタボロ(Stavelot E2730)を放棄。戦線を北に向けて後退させる。その東側、マルメディの北方では、米第7機甲師団のB戦闘団(9-6-6[3])を主力とする反撃を実施。2-1~3-1の比率で攻撃を実施したが、2ステップの損害を出しただけで、独軍部隊を拘束しただけで終わった。

ラ・ロッシュ・アン・アルデンヌから南では、2個空挺師団を中心として比較的安定した戦線を構築した。

パットン第3軍到着まで、あと2日。


イメージ 12




イメージ 1

いつもお世話になっている横浜某所のゲームクラブ。
いつもなら横浜駅で下車し歩いて会場に向かうのですが(あるいはマイカーで一気にワープする)、今回は少し気分を変えてコースを変えてみました。
今回選んだのが相鉄線の平沼橋駅。地図を見ると横浜駅からよりも少し会場に近いので、試しに使ってみました。

いつもはJR1本で30分の所、JR、小田急、相鉄と乗り換えて、乗車時間が1時間以上。混むのがヤだったのであえて鈍行を使ったら、途中で快速とか急行とかに2回ほど抜かれて、待ち時間がかかったのも大きかったです。

平沼橋の駅に着いてみたら、改札口は定例会会場とは反対側の駅の端っこに1つだけ。結局横浜駅から歩いた場合と殆ど時間が変わらないという結果になってしまいました。

そんなこんなでメリットの少ない迂回移動でしたが、幸いなことに運賃は殆ど変りなく、また平沼橋駅自体もなかなかシュールな駅なので、今後も気分を変えたい時には使ってみたいと思う。

イメージ 2
イメージ 3
大都会の異空間ともいうべき平沼橋駅。ホームに立てば、改札口が、あら、あんな遠くに見えちゃって・・・

イメージ 1

FLAT TOPは1977年に米バトルライン社から発売された空母戦ゲームです。
テーマはソロモン海域における日米機動部隊の激突で、珊瑚海海戦や南太平洋海戦といった主要な海戦がシナリオ化されています。

この度、FLAT TOPをプレイすることになり、作戦研究も兼ねて登場機の行動半径を計算してみました。その結果が下の表です。

イメージ 2


上表の注意点は以下の通りです。
(1) 数値はヘクス数で、行動半径を示します。
(2) Aの数値は最大発着能力を使用した場合の行動半径で、Bの数値は最少発着能力を使用した場合のそれです。
(3) 低高度爆撃には、急降下爆撃、雷撃、低空水平爆撃が含まれています。
(4) 制空任務の航続力は、敵地上空で1Turn分の空戦用燃料を消費する場合で算出しています。
(5) 基本ルールと選択ルールで行動半径が異なっているのは、選択ルールでは低空飛行時及び高度変更時の移動力消費が2倍になるため、行動半径が減少するためです。

次にヘクス数を海里に換算したのが以下の表です。FLAT TOPの1ヘクスは20マイル(約32km)で、約17.4海里になります。

イメージ 3


それにしてもTBDデヴァステータの行動半径には・・・、泣けてきますね。

イメージ 4


イメージ 5



↑このページのトップヘ