もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年08月

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前夜

今年の夏は猛暑かと思えば梅雨に逆戻りしたような天気と、まあ安定しないというか、なんというか・・・。
そんなこんなでなかなか山に行くチャンスがなかったのですが、夏休みの後半、お盆の休みを利用し、ようやく晴天に恵まれるようになった北アルプスに挑戦しました。
目指すは鹿島槍ヶ岳。
標高2889mで後立山連峰中南部に位置する名峰で、私のとっては北アルプスに残る最後の未踏破百名山です。

仕事納めとなった8月某日。定時退社した私は、帰宅後急いで準備を整え、車を飛ばして中央高速に向かいました。幸い大きな渋滞もなく相模湖ICから中央高速に乗った私は、Uターンラッシュで渋滞する上り車線を尻目に、快調に西へ向かいます。
仮眠場所に予定していた諏訪湖SAには2300過ぎに到着。そのまま一眠りして明日に備えます。

当日朝

翌朝まだ暗い0400頃に起床した私は、最小限の準備を整えて諏訪湖SAを出発。岡谷JCTから長野道に入ります。しかし睡魔には勝てず途中梓川SAでしばしの仮眠。気がついたら朝0515になっていて、あたりはすっかり明るくなっていました。

慌てて車を走らせて豊科ICで高速を降り、アルプス街道と名付けられた梓川沿いの道路を快調に北へ向かいます。途中の道の駅でトイレ等を済ませて、大町市内のコンビニで最終補給。大町を抜けて扇沢の駐車場に着いたのは0650頃でした。予定では0600頃に扇沢到着の予定だったので、梓川SAでの仮眠時間が悔やまれます。

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出発

荷物を整えて出発したのは0715頃でした。今回登る鹿島槍は、扇沢の駅から少し下った所にある柏原新道入口から山に入っていきます。柏原新道は標高1350mの登山口から標高2450mの種池山荘まで、標高差1100mを一気に駆け上がります。登山道は整備されていて歩きやすく、前回歩いた燧ヶ岳に比べると雲泥の差です。

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歩き始めてしばらくするとケルンが見えてきます。ケルンの正面には標高約2800mの針ノ木岳がその全貌を見せています。さらに眼下を見ると先ほど出発してきた扇沢の駅が小さく見えます。まるでミニカーのように見える車たちと扇沢駅の景観。
「ああ、ここまで上がってきたんだな」
と実感する一瞬です。

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歩くこと2時間以上。えーい、もうそろそろ種池山荘に着いても良い頃だろ、と思いながらもなかなか稜線に出ない。左手に見える山々は相変わらず綺麗ですが、さすがに上り坂の連続にそろそろウンザリしてきました。

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結局、稜線上にある種池山荘に着いたのは、歩き始めてから3時間以上経過した1050頃でした。種池山荘では既に多くの登山家が休憩していました。私も場所を見つけて一休み。ここまで来たら後は稜線歩きなので楽なもの、という訳には行かないのですが・・・。

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種池山荘で20分ほど休憩した後、次に目指すは徒歩1時間の所にある爺ヶ岳です。標高2669mの爺ヶ岳はそれほど著名な山ではありませんが、冬のスキーシーズンは山麓にいくつかのスキー場が開設されます。

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種池山荘から歩いてしばらくすると高山植物が咲き乱れる楽園のような場所に出ます。さらに少し歩くと種池山荘の向こう側に立山の山々が見えてきます。

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爺ヶ岳山頂までのコースタイムは1時間となっていますが、実際にはそれよりも少し距離があるようです。私の場合1時間と15分ほどかかりました。もっとも単に距離が長いというだけではなく、途中で写真を撮る時間だけ余分に時間がかかっただけかもしれませんが・・・。

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爺ヶ岳山頂からは360度視界が開け、谷を挟んで向こう側には剣、立山といった立山側の名山が連なっています。

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爺ヶ岳の山頂にて

爺ヶ岳からは下り坂になります。天候はやや悪化傾向にありましたが、雷が鳴ったり雨が降ってきたりすることはなく、その点は助かりました。
爺ヶ岳から降りること1時間弱で赤岩尾根へ向かう分岐路に到着しました。ここから今日の目的地=冷池山荘までは目と鼻の先なのですが、悲しいかな、山荘の手前に大きな窪地があり、山荘に着くためにはその窪地を乗り越えなければなりません。無論別に危険個所がある訳ではないのですが、地形の悪戯によりこの期に及んで一旦高度を下げて再び坂道を登っていかなければならないのは、精神的にかなり凹みます。

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何はともあれ冷池小屋には1400少し前に到着しました。所要時間は約6時間半。ほぼコースタイム通りでした。チェックインして部屋に案内されると、今日は1人当たり布団一枚とのことでした。快適というには程遠い状況でしたが、畳1畳に2~3人が積め込まれる超満員山小屋に比べればマシなものです。

あとは夕食までの時間を「昼寝しないよう」に注意しながら本を読んで過ごしました。夕食は1800から。メニューは以下の通りです。山小屋の料理としては頑張っているみたいですが。

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明日はいよいよ本命の鹿島槍登山です。

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兜会とは、阪神地区で開催されているゲーム会のことです。
先日、山科会に参加したついでに、この兜会にも参加しました。

午前中だけの滞在だったのですが、プレイされているゲームは、エポック・スターリングラード(4人のチーム戦)、ASL、GDWの8th Army、同じくインペリウム、Decision in France等でした。
私は盟友w氏とCMJの付録となった「Victory at Normandy」をプレイ。2時間ほどのプレイで、全80Turn中32Turnまでプレイしました。以下はその簡単なレポートです。

ノルマンディの敗北

Victory at Normandy(以下、本作)は1992年に米コマンドマガジンで発表された作品で、コマンドマガジン日本語版(以下、CMJ)第5号で日本語版が発売されました。
基本的なシステムは、CMJ#82の「Second Front Now」と同じ。補給ポイントを使ってスタックを活性化させ、移動又は攻撃を行います。1スタックの移動に1ポイント、同じく攻撃に2ポイントの補給ポイントを必要とし、その一方で1Turnに使える補給ポイントは、独軍が一律3ポイント、連合軍が2~5ポイント(進出状況に依存)なので、1Turnあたりの活動量は微々たるものになります。そのため本作は全80Turn(1Turn=1日)の長丁場であるにも関わらず、4~5時間程度で完遂できます。

今回下名は独軍を担当しました。
結果から申し上げると惨憺たる敗北に終わりました。第1Turnにいきなりカーンが落城したのが痛かったですが、その後もまともな戦線を維持できずにズルズルと後退。7月初旬に早くもノルマンディ地区から連合軍による突破を許す始末です。その時点で戦線保持を諦めて投了しました。ひょっとしたらこの後も粘る策があるのかもしれませんが、ただでさえ苦しい状況なのに、ノルマンディ地区から連合軍が溢れだしたら戦線が広がってしまってどうしようもなし。そう思えたのです。

このゲーム、実は10年以上前に1度プレイしたことがあります。その時は独軍の防御が固く、連合軍は突破に苦慮。連合軍が攻撃する度に膨大な損害を被り、まるでシモニッチの「Decision in France」のような展開でした。その時とは打って変わって今回は独軍にとって苦しい展開となりましたが、前回とは一点だけルールを変えています。それは
「EZOCからEZOCへ直接移動するのを認める」
というルールです。
実の所EZOCからEZOCへの直接移動についてはルールに明記されておらず、前回のプレイ時には「EZOCからEZOCへの直越移動禁止」という形でプレイしていました。その場合、ドイツ軍はZOCで戦線を保持できるため、強力な防御スタックを組むことができます。ただでさえ強いドイツ軍がスタックしたら正に無敵。しかも防御側なので補給ポイント不要、地形効果による火力低下なし、さらには防御側なので先撃ちができるとまさにやりたい放題。連合軍としては
「どないせえちゅうねん」
といった心境だったのかもしれません(その時下名はドイツ軍担当)。

「どうも変だ」と思ったのかどうか。その時の対戦相手が色々と調べてくれた結果、どうやらEZOCからEZOCへの直接移動は「あり」がデザイナーの公式見解のようです。そこで今回はEZOCからEZOCへの直接移動を認めことにしました。これで状況は一変しました。
まず独軍が兵力を集中できなくなりました。拠点を固めても側面から浸透されてくるので、前線に沿ってベタッと駒を並べる必要が出てきます。そうなってくると1ヘクス当たりの部隊密度が薄くなり、1ヘクス当たり精々2~3ステップで前線を張るしかなくなる。ここにドイツ軍の弱点が生まれてきます。
対する連合軍は攻撃時に最大7ステップを集中できます。地形効果、防御側先撃ちのペナルティは健在ですが、ステップ数の優位で十分にカバーできます。例えば2-3-2の歩兵師団1個(2ステップ)が守っているボカージュヘクスを米歩兵師団(3-4-3)3個、砲兵1個で攻撃した場合、ドイツ軍の平均損害値は2.3ステップ、米軍のそれは0.4ステップで米軍が圧倒的に有利に立ちます。ここでドイツ軍守備隊のステップ数を2から3に増やしても、平均損害値は2.2対0.7で米軍の優位は動きません。
これでは遺憾。
ならば今度はドイツ軍を集結させ、浸透してきた連合軍に対しては反撃で撃破することを考えてみます。例えはドイツ軍が装甲師団(6-6-3)2個4ステップ、歩兵師団(2-3-2)1個1ステップ、砲兵(5-5-3)1ステップをボカージュヘクスの守りに就かせます。これに対して連合軍が直接攻撃を仕掛けた場合、例えば連合軍が先の例と同じような戦力の場合、平均損害はドイツ軍が歩兵1.4ステップ、連合軍が3.3ステップとなり、損害比は逆転します。
「よぉー、これぞノルマンディ戦」
とドイツ軍が喜んだのも束の間、連合軍はドイツ軍の戦線側面から浸透してくる策を採って来るでしょう。こうなってくるとドイツ軍はお手上げに近い状態となります。何故なら連合軍の浸透を放置しておけばこちらが包囲されて立枯れてしまう。かといって反撃するか、と思って期待値を計算すると、今度は攻防の優位が逆転してしまって先ほどのような独軍優位な結果は得られない。たとえば砲兵(5-5-3)1ステップと装甲師団(6-6-3)3個6ステップが、ボカージュを浸透してきた米軍歩兵(3-4-3)3個師団+砲兵(5-5-3)1個に対して攻撃を仕掛けたとすると、平均損害は独軍2.2ステップ、連合軍2.1ステップとなり、独軍が一転して不利になります。つまり装甲3個師団を投入しても歩兵師団1個を潰すのが精一杯で、その代償に虎の子装甲師団1個を失うという計算になるのです。なんたることか・・・・。

以上の計算はあくまでも独軍側の視点に立った計算であり、連合軍側から見た場合は別の制約条件が機能して計算通りには行かないのかもしれません。もう少しやり込んで見ないと見えてこないのですが、現時点ではVictory in Normandyで独軍が勝利を得るのはかなり困難に思えています。


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会津若松駅前にある中華料理屋を紹介します。
「黄鶴楼」
駅前のフジホテル3階にある中華料理屋です。
今回は麻婆豆腐と炒飯を注文しました。締めて\980。安い。
ただし2品ともそれなりのボリュームがあったので、食べきるのは結構きつかったです。

駅前という便利な場所にあり、なかなか美味しかったので、会津若松での食事に使ってみるのも一考ではないかと。

お奨め度★★★

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零戦最後の証言2

神立尚紀 光人社NF文庫

以前に紹介した「零戦最後の証言」の続編である。
零戦と共に戦い、戦後それぞれの人生を歩んだ零戦パイロット達。本書はそのような零戦パイロット達の生き様を戦中、戦後を通して追いかけている。本書で取り上げられている零戦パイロットは計12名。進藤三郎、羽切松雄、岩井勉等は本書以外にも登場する機会の多い人物である。本書は戦史というよりは零戦パイロット達の生き様が主なテーマである。従って「どこの戦いで誰が何機落とした」というような「エース列伝」的な話はあまり出てこない。そういった内容を期待する向きにとって、本書は退屈に感じるかもしれない。しかし本書の魅力はそのような所ではない。零戦パイロットという名の我々と同じ日本人が、戦中戦後をどのように生きたか。それを感じる所が本書の魅力といってよいだろう。

お奨め度★★★

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燧ヶ岳登山から戻ってきたその日の午後。会津若松で時間が余ったので、折よく入線してきた「SLばんえつ物語」に乗ってみました。「SLばんえつ物語」は、磐越西線を経由して新潟と会津若松を往復するイベント列車です。JR東日本が15年前から続けているイベント列車で、主に土曜日や休日に運転されています。
今回の目的は時間つぶしなので、取りあえずSLに乗って行ける所まで行き、その日のうちに会津若松に戻ってくるプランを立てました。イベント列車なので当然全車指定席なのですが、幸いまだ席があったようで、会津若松駅で指定席をゲットできました。乗車券は勿論青春18切符です。

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このSL列車。まず感心したのが機関車の向き。この種のイベントSLは行きはちゃんと前向きに運転していても、帰りは後ろ向き運転になることが多いです。SL用のターンテーブルが使えない場所が多くなってきているのでやむを得ないとは思いますが、ちと寂しい。その点この「SLばんえつ物語」は帰りもちゃんと機関車が前向き運転なのがすごい。会津若松駅にターンテーブルが残っていたのでしょうか・・・。

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編成は7両で、グリーン車、共通スペース、展望車両、車内販売コーナー等があります。磐越西線というローカル線に7両編成というのはなかなか豪快で、ある意味「贅沢な」列車と言えます。私は車販コーナーで駅弁を購入。「新潟村上牛しぐれ」という弁当です。牛肉を贅沢に使った一品でした。

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車窓風景は、緑の田畑あり、広大な阿賀野川の流れありといった感じで、飽きません。元々この路線は車窓景色の良さには定評があり、JR東日本がその点に目をつけてイベント列車を走らせるのも頷けます。

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ちなみに私は途中の咲花という駅までSL列車に乗り、そこから会津若松行きに乗り換えて会津若松に戻りました。往復の所要時間は5時間弱。18切符1回分+座席指定券1回分+諸経費でイベント列車、車窓風景、そして駅弁を堪能できたので、個人的には大満足です。

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