

八甲田山登山の帰りに寄りました。
八甲田山の麓にある有名な温泉。千人風呂と呼ばれている男女混浴の大風呂が有名です。江戸時代から開かれていたと伝えられている伝統ある温泉ですが、日帰り入浴も対応しているので、登山者やハイカーも気軽に利用できます。
八甲田山の麓にある有名な温泉。千人風呂と呼ばれている男女混浴の大風呂が有名です。江戸時代から開かれていたと伝えられている伝統ある温泉ですが、日帰り入浴も対応しているので、登山者やハイカーも気軽に利用できます。
泉質は白濁した硫黄臭の強い「いかにも温泉」といった感じ。確かに切り傷等には効果がありそうな感じの湯です。風格のある湯殿といい、効果を感じさせてくれる泉質といい、やはり「一級品は違う」と言わずにはいられません。青森に来たら、わざわざ山の中まで足を伸ばしてでも行ってみたい温泉です。
青森県八甲田山系の温泉「酸ケ湯」。本物の風格を感じさせる温泉でした。
お奨め度★★★★


室町幕府の末裔である足利義昭公を擁し、羽柴、毛利の最強タッグなので意気揚揚の羽柴陣営は山陽道を東進。伊丹の手前まで来たところで明智光秀麾下の主力部隊と滞陣する。その時「よ、洞ヶ峠」とカードを出されてしまい、内心嫌々秀吉に従っていた中小大名が一気に四散してしまう。「仇敵撃滅」の意気に燃えていた羽柴秀吉であったが、思わぬ水入りに唖然とする。
摂津の陣で滞陣を続ける羽柴秀吉麾下の主力部隊は、秘策「魚燐の陣」で茨木方面に陣取る明智光秀麾下の主力に対して総攻撃を仕掛けた。しかし甲賀者の暗躍によって魚燐の陣が見破られてしまい、明智勢の待ち伏せ攻撃を受けてしまう。
越後戦線でも異変が起こった。上杉景勝率いる上杉勢が、三国峠を越えて関東平野に進出。沼田城に真田信幸を囲んだ。その上杉の留守中、揚北の新発田重家が内乱を起こした。新発田重家の勢いは、越後中部から坂戸城(現在の南魚沼郡)付近にまで進出。沼田で滞陣中の上杉景勝の背後を脅威する。
その時、旗を上げたのは、古くから織田家の重臣であった丹羽長秀であった。信濃の深志城(現在の松本市)より進撃を開始した丹羽勢は周囲の武将を従えて越後に進出。坂戸城に布陣した。
畿内では摂津に羽柴勢を撃破した明智光秀が権勢を欲しいままにしていたが、柴田勝家陣営が北陸路から南下して近江に進出。和泉、河内方面へは水軍を使って渡海してきた毛利輝元陣営が進出。侵食していく。毛利の進撃は京にまで及び、山科そして京の市街地が毛利の支配下に落ちていく。
そんなこんなで勢いを失っていく明智勢に対し、タナボタ式で天下人に躍り出たのが我が羽柴陣営であった。天下人となった羽柴秀吉は、大徳寺で信長公の大規模な葬儀を実施。世間の注目を浴びた。
その頃、四国では長宗我部元親が暗躍を開始。織田信孝が支配する四国東部に対して野心を示していた。長宗我部の動きを警戒した織田信孝は同盟者である毛利に救援を要請。毛利輝元は京都付近で行動中の小早川隆景に対し、兵力の一部を率いて長宗我部を牽制すべく四国へ出陣を命じた。
このTurn羽柴勢は兵農分離を実施。これにより1ラウンド余分に動けることになった。最後の逆転を期待する羽柴勢。四国に反撃の機会を求めて羽柴秀吉、羽柴秀長の羽柴ブラザーズを四国に向けて前進させた。また近江では京に進出していた毛利輝元が兵を率いて坂本から北近江に進出する。近江は柴田勢の支配下にあったが、VP価値が7VPと大きく、近江の支配を崩すことで柴田の優位を崩せることが期待できる。
羽柴側最後の反撃は四国で実施された。讃岐から羽柴秀吉、瀬戸内海から羽柴秀長が伊予に進出。河野道直らが守る伊予を電撃的に侵攻してこれを支配した。その間、長宗我部主力は阿波西部の白地(現在の池田市)に集結して羽柴方の動きを伺っていたが、羽柴型から伊予西部から土佐に攻め込む動きを見せたので、主力を率いて岡豊(現在の高知市付近)に引き返してきた。阿波方面の軍事的脅威の軽減を見越した織田信孝隊が阿波に進出。勝端(現在の徳島市付近)の城を落とし、あらに一宮の(現在の徳島市南部)まで支配した。
最終的に伊予、讃岐、土佐の3国を羽柴、織田信孝勢が支配。阿波における四国での長宗我部の支配を崩すことにも成功したが、そこまでだった。北陸一帯を抑え、近江、尾張、美濃、駿河をも支配した柴田陣営が逃げ切りで勝利。我が羽柴陣営は最後に追い上げたものの、VPで3点及ばず2位だった。
























