

昨年末に会社の忘年会が横浜港の屋形船だったので、その時撮った夜景です。
ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。





このゲーム、序盤は主役たる上杉謙信は登場せず、専ら畿内方面での戦いとなる。毛利家から増援部隊が2部隊(4000名)到着。野戦指揮能力を誇る雑賀衆(6-2,戦闘能力-行動力,以下同じ)が石山城(後の大坂城)に海路から入城する。雑賀衆の指揮の元、本願寺勢、毛利勢等を加えた約16,000名の兵が、荒木村重(3-3)、佐久間信盛(2-2)率いる12,000名の織田勢を攻撃する。兵力面でも優位に立ち、戦術指揮能力でも勝る雑賀衆以下が織田方を圧倒。荒木、佐久間らは退却し、石山城の包囲は解かれた。
丹波の園部城(3-3,耐久力-強さ)が明智光秀麾下の斎藤利三(4-4)の包囲攻撃を受けて落城した。
このTurnに大事件発生。宇喜多家が毛利家を離反。織田方についたのだ。これにより毛利家も対織田戦どころではなくなった。石山入りしていた毛利家の兵力は全て撤収。瀬戸内海の制海権を握っていた村上水軍も撤収してしまう。
ともあれ宇喜多の離反によって畿内における反織田方の攻勢能力はかなり殺がれることになった。その影響が出たのか、丹波の八上城(4-3)が明智光秀(4-4)麾下約1万の包囲攻撃により落城。城主である波多野秀治(4-1)は切腹して果てた。史実では1年以上かかった包囲戦だが、本作では僅か10日。ゲーム上の演出とはいえ、やはり少し脆すぎるのでは、と思わざるを得ない。
越前へ侵攻した謙信隊は一向宗徒と合流し、越前における織田方の本城たる北ノ庄城(12-3)を囲んだ。上杉勢は約4万の大軍。対する織田勢は、織田信雄(2-2)麾下の僅か2000名余である。20倍の敵を前にしてさすがの織田勢も苦戦。しかしさすがに北ノ庄は名城で、そう簡単には落ない。城の耐久力を7レベルダウンさせるも、上杉方も5ステップの損害を被った。やはり強襲は痛い。
播磨の三木城(7-4)が織田方の包囲攻撃により落城する。別所長治(1-0)麾下6000名の兵も尽く自刃して果てた。6000といえばそれなりの大軍。それが包囲攻撃で無為に失われたのは痛い。とはいえ、能力的に劣る別所長治では、城から討って出ても返り討ちに合うのは必定。結局時間稼ぎ以外には役に立たない別所長治や、哀れ。別所め、さっさと織田方に寝返ってくれれば良いものを、下手に頑張ってくれたため7VPも織田方に献上する羽目になってしまった。
とはいっても反織田方にとって悪い事ばかりではない。このTurnのイベントで織田方の武将、荒木村重(3-3)が反織田方に寝返ったのだ。強固な有岡城(12-3)に籠城する荒木村重に対して、さすがの織田方も簡単には手出しができない。主戦兵力である織田信長(3-5)麾下の軍勢は、上杉の南下に備えて越前・近江の国境たる栃ノ木峠に布陣していたし、別働隊たる丹波、滝川らの軍勢は、浜松城を攻める武田勢を攻撃すべく、三河国を東へ向かっていたからだ。他には明智光秀、羽柴秀吉(3-5)らの軍勢があったが、明智勢は丹波の山中で攻城戦を戦っていた。そこで織田方は羽柴秀吉麾下の軍勢約1万を急遽有岡城に向かわせる。




