もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2014年04月

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「戦略級関ヶ原」は2003年に新生Game Journal誌第2号の付録ゲームとして出版されたシミュレーションゲームである。テーマはタイトル通り関ヶ原の合戦で、北は山形から西は大坂城までの日本の中心部をマップに収めている。
基本システムは、名作「信長最大の危機」を踏襲しており、チットにより行軍する陣営を決め、ダイス目の数だけ行軍できるというシステムである。また戦意の低い部隊は、一定の行軍ダイス目以上を出さないと行軍できない。総じて西軍は戦意が低く、東軍は野戦修正が低い。従って力攻めの西軍と運動戦の東軍という展開になるだろう。

今回は西軍を担当した。

0Turn

ゲーム開始前に東軍は特別移動を1回行える。
東軍は池田輝政(1-2)(野戦修正-戦意、以下同じ)率いる1個軍団(8戦力)が上杉攻めを強行する。宇都宮から北上して白川城で上杉軍の分遣隊1戦力を包囲する。

1Turn

西軍が2回連続でチットを引いた。行軍ダイスも2回連続で6が出て絶好調。
小早川秀秋(1-1)率いる1個軍団と鍋島隊(1-1)率いる1個軍団の計14戦力が伏見城を強襲。これを落城せしめた。
石田三成(1-2)率いる1個軍団と吉川広家(1-1)率いる1個軍団の計16戦力は伊賀上野の安濃津の城を落城せしめる。
小野木重勝(1-1)率いる半個軍団(4戦力)は丹後田辺城を強襲。攻撃力に不安があったが、出目に恵まれてて落城。細川幽斎(1-*)に切腹を強いていた。

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2~3Turn

東軍福島正則(1-3)率いる1個軍団、黒田長政(1-3)率いる1個軍団計16戦力が清洲に着陣。集結する。

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4Turn

北陸路で東軍前田利長(1-1)が動いた。1個軍団(8戦力)の兵力を率いて金沢を出陣。小松城に篭る西軍丹波長重(1-1)麾下2戦力を小松城に囲む。と、そこで西軍はイベントカード「空弁当」を使用。いきなり中立化された前田隊は、近くの山に登っていった。

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5~7Turn

宇喜多秀家(2-2)率いる1個軍団(8戦力)と立花宗茂(3-3)率いる半個軍団(4戦力)が大坂城を出撃する。宇喜多隊は西軍野戦部隊の中核となる部隊だ。彼らは大津まで進出し、東軍の出方を伺う。立花隊は野戦修正、戦意共最高値なので、小兵力ながら貴重な機動兵力となる。彼らは敦賀まで進出して北陸路を伺う。
立花隊は敦賀よりさらに北陸路を奥に進み、中立化した前田利長隊を尻目に金沢、富山を次々と無血占領する。その間畿内では、石田三成隊と吉川広家隊の2個軍団計16戦力が松阪城を強襲占領していた。これで畿内の城はすべて西軍の支配する所となった。

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8Turn

石田、宇喜多、大谷の主力3隊が濃尾平野の主決戦場に集結する。大谷は岐阜、宇喜多は大垣、石田は桑名に分散配備。機会を伺う。

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9Turn

会津で上杉が動いた。会津若松を出撃した上杉景勝(3-2)、直江兼続(3-2)率いる計10戦力の上杉軍が白川に出陣。東軍池田輝政(1-3)率いる10戦力と交戦する。戦力は互角だったが、野戦修正で上杉軍が圧倒的だった。池田隊は撃破され退却。東軍井伊直政(2-2)率いる2戦力が篭る白川城を上杉軍が包囲した。

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10~14Turn

結局白河城は落城。井伊直政は切腹して果てた。白川を落とした上杉軍は少数の守備隊を残し、会津に引き上げていった。そして上杉軍は北へ向かい、越後を攻める。堀秀治(1-1)、溝口秀勝(1-1)が守る新発田城。堀秀治は上杉軍と野戦を戦うが、敵うはずもなく蔵王(現在の新潟市)に後退。新発田城を囲んだ上杉軍は溝口秀勝に降伏を勧告。調略の効果もあり、溝口は降伏し西軍側についた。それに続いて隣接する本庄城を守る村上義明(1-1)も東軍を裏切って西軍についた。

上杉軍不在を見た宇都宮方面の東軍池田輝政隊は再び白川城を攻めた。上杉軍の別働隊1戦力が城内に包囲される。しかしそこへ直江兼続率いる1個軍団が会津から出撃してきた。池田隊は包囲を解き宇都宮に退却しようとする。しかしその時池田隊の一角が崩れた。京極高知隊が西軍へ寝返る。中村一氏隊2戦力も不穏な動きを見せるが、東軍が人質カードでなんとか寝返りを押しとどめて中立化に留まった。いずれにしても池田輝政率いる軍団は、その戦力を半数を調略によって失った。

そして畿内情勢の変化が止めとなった。秀頼が出陣したのである。濃尾平野に千成瓢箪が打ち立てられる。これを見た福島正則は戦意を失い投降。そのまま西軍側についた。残った東軍も最早秀頼本隊とまともに戦う力はない。ここに徳川家康は交戦継続困難なるを認め、秀頼との和議の道を探ることとなった。

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激闘関ヶ原 論争関ヶ原合戦 関ヶ原合戦の真実 関ヶ原-司馬遼太郎(上中下) 群雲、関ヶ原へ(上) 群雲、関ヶ原へ(下)

激闘関ヶ原
論争関ヶ原合戦
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関ヶ原-司馬遼太郎(上中下)
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山科会のあった翌日。帰りに少し時間があったので「青春18切符」を使って丹波路を乗り鉄してみました。

朝0638発の京都発福知山行は6両編成。しかし福知山まで直行するのは前の2両だけで、後の4両は途中の園部まである。
京都を発車した列車は高架線を大きく右にカーブして丹波路へ向かう。カーブの左手には梅小路機関車基地があり、蒸気機関車が水蒸気を上げていた。太秦映画村を左手に見つつ、左右が山が近づいてきて、嵯峨嵐山を過ぎた辺りから山間部へ。トンネルをいくつか抜けると、時折有名な保津峡の渓流が見えてくる。昔の線路は保津峡沿いに敷かれていたので、今よりも遙かに景観に恵まれていただろう。少し過ぎた昔が恨めしく思う。

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保津峡を抜けて山から出ると、本格的に丹波路へ入っていく。亀山、園部等に停車。園部で6両編成から2両編成に変わると、車内が混みあってくる。和知、綾部といった町を抜けて、目的地福知山には0830頃に到着。そこから山陰線豊岡行きに乗り換える。同じような山間の山村が続く中、30分ほどで列車は和田山に到着する。丹波地方の中心都市、という訳ではないが、山陰本線と播但線が接続する駅なので、鉄道ファンにはそこそこ有名な駅だろう。

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播但線に乗るのは何年ぶりだろう?。自分の記録には残っていないので、多分15年以上も前だと思う。一応「乗潰しマップ」にはマーク済みだったので、乗ったことがある鉄道であることは間違いないのだが、いつのことは覚えていない。大阪から比較的近い場所を走る鉄道ながらも、接続の悪さ、所要時間等がネックとなってなかなか乗る機会のない路線だ。かつては山陽地区から鳥取方面への接続線という位置づけもあったみたいで、今でもローカル線にしては珍しく特急が走っているが、20年ほど(もうそんなに昔になるんだ)前に第3セクターの智頭急行が山陽本線と鳥取とを事実上直結してしまったため、山陽、山陰地区への短絡線という役割は智頭急行が担うことになった。

そんな播但線。鉄道ファンとしては興味深い路線で近いうちに乗ってみたいと常々思っていたのだが、実際に乗ってみると・・・・。まあ、そんなものだろう。鉄道の旅なんて大半はそうだ。和田山、寺前間は旧式のディーゼルカーが1両でゴトゴト走る。沿線の風景はそれなりに興味深いが、観光資源になるようなものはない。生野という駅があったが、生野の銀山と関係あるのだろうか。あるいは昨今の「官兵衛ブーム」にあやかって町興しでも目指すのだろうか。
寺前から姫路まではややローカル色の薄れた2両編成。電車だったかな?。ロングシートなので旅情もなくなってくる。周囲の風景も「鄙びた山村」から「姫路の郊外住宅地」に様相が変化してくる。旅もそろそろ終わりに近づいてきたかも・・・、と思っていたら、終点の姫路に着いてしまった。

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久しぶりにUkraine'43(GMT)をプレイすることになった。
今回はシナリオ2「ソヴィエト軍の初期攻勢」で、下名はソ連軍を担当する。

1Turn

イメージ 12序盤の攻勢の主役は、北方のヴォロネシ方面軍である。第5親衛戦車軍等、戦車軍2個を含むヴォロネシ方面軍は、北から南下し、ベルゴルド(Belgorod 4409)とハリコフ(Kharkov 4213)を目指す。肝心な所で"1"の目が出たりして、突破は必ずしも成功とは言い難いが、それでもベルゴルド西方から突破を図るソ連軍は、ドイツ軍の陣地帯に対して最小限の突破口を啓開した。

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イメージ 18その南、イジューム(Izium 4619)付近ではドイツ軍第15歩兵師団(3-7-4)を撃破することに成功。対岸に向けて突破口を啓開した。
さらにその南のミウス川からドネツ盆地に至る地域では、第3打撃軍を中核とする突撃部隊が、Voroshilovsk(5723)南部のドイツ軍要塞線を突破し、ドンバスに向けた前進を開始した。

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2Turn

イメージ 13ドイツ軍の精鋭である第48装甲軍団がハリコフ北部に姿を現した。ヴォロネシ方面軍は第48装甲軍団との対決を避けるため、ハリコフへは真っ直ぐ南下せず、やや西に進撃路を向けて、ハリコフ、スミィ(Sumi 3408)間の鉄道線に向けて進撃した。対するドイツ軍はハリコフ北西部に進出していたソ連軍部隊をほぼ駆逐し、ハリコフ~ベルゴルド一帯を制圧した。

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イジューム突出部では、ソ連軍が戦果拡大を図ってさらなる攻撃を行ったが、ドイツ軍第6装甲軍団が反撃のためにイジューム周辺に姿を現した。ドイツ軍の反撃によってイジュームの突出部は潰されてしまう。

ドンバス方面では、ソ連軍の第3打撃軍等が着実に前進している。ソ連軍がドンバス工業地帯に到達するまであと3Hexまで迫る。

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3Turn

北の攻勢主力である2個戦車軍は攻撃の矛先を南から西に転じた。スミィを包囲して陥落させる作戦である。あわよくば枢軸軍の弱点であるスミィ一帯で大突破を狙うという野心もある。

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ドンバスでも第3打撃軍の進撃が続き、ドネツ工業地帯の一部であるゴルロフカ(Gorlovka 5324)まで隣接する所まで来た。

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イメージ 19ドイツ軍はスミィ方面に主力を投入してきた。攻撃の先鋒となる第506重戦車大隊(S-2-5)やこのTurn増援で現れたグロスドイッチュランド装甲擲弾兵師団(12-9-6)を先頭に、第48装甲軍団、第2SS装甲軍団等、装甲師団4個、装甲擲弾兵師団3個が反撃を仕掛けてきた。さすがに集中投入されたドイツ軍装甲部隊の威力は凄まじく、ソ連軍機械化軍団1個が敵重囲下に取り残されてしまう。

ドンバス方面には第6装甲軍団が反撃に転じてきた。装甲軍団といっても実質的には装甲師団1個と突撃砲旅団(2-1-5)1個のみ。その主任務はドンバス地区における足止めであると思われる。

4Turn

イメージ 20先にドイツ軍の反撃を受けたスミィ地区では、ソ連軍戦車軍団が敵中に孤立した友軍機械化軍団を救出すべく必死の反撃を試みる。しかし出目に恵まれず("1"の目を出してしまった)反撃は失敗。敵中に孤立した機械化軍団は、このTurnの損耗チェックで兵力の半数を失ってしまう。

ドンバス方面でもソ連軍の苦戦は続く。何故かこちらも"1"の目連発で突破はなかなか捗らず。

このTurn唯一の明るい話題は、ベルゴルドを守っていたドイツ軍が同地を放棄して撤退を開始したこと。これでソ連軍は2つ目の勝利条件都市を占領できることがほぼ確実になった。

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5Turn

イメージ 15スミィ方面が固いと見たソ連軍は、攻撃の矛先を再びハリコフ方面に向けた。スミィ方面に機械化兵力の約1/3を残し、第5親衛戦車軍、第1戦車軍を主力とする残り2/3はハリコフ正面に向けられた。ジューコフ将軍もハリコフ正面へ移動し、次Turnからの督戦に備える。その甲斐もあってかソ連軍はハリコフまであと2Hexまで迫った。

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ドンバス方面でも攻撃を継続するソ連軍。このTurnはややダイスにも恵まれ、ドネツ川南部で突破口を形成。アルチェモフスク(Artemovsk 5322)を占領し、さらに西へ向かう勢いである。ソ連軍3つ目の勝利条件都市を確保。勝利まであと4点。

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6Turn

イメージ 16ハリコフ正面では2個戦車軍を投入したソ連軍がジューコフ将軍の督戦もあってドイツ軍防衛線を切り崩し、ハリコフに対して2箇所から接敵した。それに対してドイツ軍は第48装甲軍団を主力とする反撃部隊をハリコフ正面に投入してきた。血で血を洗う激戦の末、ハリコフに接するソ連軍橋頭保は1つが失われ残りは1つとなった。
しかもハリコフには第2SS装甲軍団が入城。野戦築城や航空支援と相まってその防御力は25に達し、ソ連軍がこれを短時間で奪取するのは極めて困難な状況になった。

イメージ 17ドンバス方面ではドネツ工業地帯へ突進を図るソ連軍に対し、ドイツ軍は綱渡りのような防衛線を構築する。崩壊寸前のドイツ軍防衛線。ソ連軍としても出目如何でゴルロフカ、コンスタンチノフカ(Konstantinovka 5123)の2都市を奪取できる可能性が十分にあった。しかしそれを阻んだのはステップロスした僅か1個のドイツ軍歩兵師団。彼らが成し遂げた小さな偉業を讃えるために、ここにその名を記しておこう。ドイツ国防軍第387歩兵師団。

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この時点でハリコフの奪回はかなり困難。ドンバスではもう少し前進できそうだが、VP2点のスターリノ(Stalino 5227)までは届かない。運に恵まれればハリコフとドンバスであと4点取ることは不可能ではないと思われるが、時間的にも厳しい状況になってきたので、この辺りでお開きとした。

感想

決着が着いた訳ではないが、明らかに敗色濃厚だろう。いや、負け惜しみは言うまい。負けた。

イメージ 14出目が悪かったのも確かであるが、今一つ押しが足らなかった。
当初はハリコフ方面にドイツ軍を引きつけておき、南のドネツ盆地で点数を稼ぎ、北のスミィ付近で突破を図る予定だった。しかしドイツ軍の対応は的確で、スミィ付近では航空防御支援と装甲部隊によって突破を完全に阻止されてしまった。ドネツ盆地の方はかなりチャンスがあったのだが、出目が悪くて突破はならなかった。こちらはドイツ軍の装甲部隊主力が存在していなかったため突破の可能性は高かったのだが、終盤ここ一番でダイス目に恵まれなかったのは確かだろう。
戦略面での反省点は、ハリコフに主力を投じなかったのは失敗かも知れない。機動性に劣るソ連軍が機動戦を仕掛けても、ドイツ軍を機動力で凌駕するのは困難である。それよりも大兵力とジューコフ効果に物を言わせて少数精鋭のドイツ軍に対して消耗戦を挑むのが良かったのであろう。ハリコフのVP3点はシナリオの勝敗を左右しかねないので、それを半ば無視した作戦はやはり頂けなかった。

ブランクがあったのでカンが鈍っていたのも確かである。事前にVASSALで第1Turnの出鼻だけでもプレイしておければ良かったが、今となっては「後の祭り」である。

いずれにしてもUkraine'43は面白い。

機会を見つけてプレイしたい。

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退院後2週間が経過しました。

これまで術後の経過観察で2回ほど通院しましたが、特に異常なし。
通院間隔も、退院直後の1週間間隔から、今では3週間程度に伸びています。

手術の結果、体調の改善は顕著でした。

まず(当然ですが)鼻詰まりがなくなりました。
アレルギーは残っていますが、鼻の中の不純物は一掃されたので、アレルギーが気管支炎につながる可能性は劇的に減りました。恐らく今後10年程度は気管支炎に悩むことはなさそうです。

他にも鼻からの吸気が改善されたので、体調全般も明らかに改善しています。
まず睡眠が深くなったためか、睡眠時間が短くなりました。
これまでは6~7時間寝ていても、朝起きたら結構ボンヤリしていたのですが、今では5時間程度の睡眠でもスッキリ目が覚めています。しかも起きたあとは頭がスッキリ。
イビキも減りました。
さらに以前は呼吸が苦しい時には、夜寝るのも辛かったのですが、今ではそのような心配もなしです。

今後どうなるかはわかりませんが、今のところ「手術して良かった」と思える今日この頃です。

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先日の山科会で、「関ヶ原1600」(EP/SSG)をプレイしました。下名は西軍を担当しました。

前回の展開-->こちら


7Turn

先のTurn、サドンデス勝利の夢が崩れた上、基幹部隊の1つである毛利秀元隊までも半身不随にされてしまった西軍。まずは兎に角目下の状況を立て直すのが肝要である。
イメージ 7まず先に「手弁当」事件を起こした毛利隊だが、毛利秀元の指揮の元、素早く兵力の立て直しを行った。毛利隊を戦力化するためには、行動セグメント毎に戦意チットを引き、"1"のチットを引く必要があったが(確率1/6)、最初のチット引き"1"を引いたので毛利秀元はすぐに行動可能となった。元々戦意の高い毛利秀元が自由に行動できるようになったため、吉川の寝返りは西軍にとって益した部分もあった。
先に「吉川寝返り事件」が起こった福束城に対しては宇喜多秀家隊が攻撃を仕掛けた。この城を一撃で落城させ、さらに逃げる吉川隊を追って撃破したい所であったが、福束城を落とすのに思わぬ苦戦を強いられた宇喜多隊は、2回の合戦セグメントで漸く陥落福束城を陥落させた。

イメージ 8その頃、岐阜城のはるか東から東軍主力部隊が続々と登場してきた。徳川秀忠率いる約15000名の東軍部隊である。さらに清州には徳川家康本隊約2万も登場。戦力を整いつつある東軍なのであった。

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8Turn

イメージ 9長良川を挟んで対峙する東西両軍。西軍最右翼を守るのは石田三成、小西行長ら約15000名で、竹ノ鼻対岸に布陣している。その左、墨俣付近に宇喜多秀家隊、さらに毛利秀元隊、鍋島勝茂隊と並び、最左翼が岐阜城で、そこには島津隊、立花隊、長宗我部隊が布陣している。薄く伸びきった西軍戦線に対し、東軍はさらにその南、堀津付近で長良川を強引に渡河してきた。細川忠興率いる1万余である。湿地を進む細川隊の姿を石田隊の物見が捉えた。
「これは好機」
石田隊は直ちに迎撃のため移動し、細川隊の頭を押さえる。しかしこの瞬間石田隊とその左に布陣する宇喜多隊の間に間隙が開く。それでも普段の宇喜多隊なら間隙を突こうとする東軍部隊を阻止することも可能だっただろう。しかしその時の宇喜多隊は戦意が低く、突進してくる東軍部隊に対処できなかった。東軍黒田長政隊が石田隊の左翼を突き、石田隊を包囲する形をつくる。そこに福島隊、そして徳川家康本隊も前進し、石田隊を四方から攻めかける。兵力に劣り、しかも包囲下にある石田隊は忽ち苦戦を強いられる。

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イメージ 10石田隊の苦戦を見た宇喜多隊が東軍右翼を突き、黒田長政隊を逆包囲して痛打を浴びせる。宇喜多隊の猛攻を受けて忽ち崩されていく黒田隊。
だが、時すでに遅し。
四方から攻撃を受けていた石田、小西の両隊が最初に崩れてしまう。包囲された上、戦意崩壊を起こした石田、小西両隊に助かる見込みはなかった。両隊は完全に壊滅。石田三成、島左近、小西行長ら主だった諸将は尽く討ち取られてしまう。
その直後、東軍黒田長政隊が宇喜多隊の猛攻に耐えかねて後退を開始したが、宇喜多隊の小さな勝利が戦場に寄与できる可能性はほぼなくなっていた。

こちらのミスで石田、小西を失ったのは大ショック。ミスに対して言い訳するのは見苦しいが、敢えて言わせて頂くと、「包囲された部隊が後退即壊滅」というのは些か残酷過ぎるシステムだと思う。最近のゲームでそこまで厳しいゲームは少ないように思うのだが・・・。

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9Turn

イメージ 11その後の展開は簡単に触れておこう。先のTurnに大活躍した宇喜多隊が今度は東軍に包囲されてしまう。援護すべき他の部隊は別の東軍部隊によって足止めさせてしまい、宇喜多隊の撤退を助ける術はなかった。宇喜多隊は壊滅。宇喜多秀家も戦死してしまう。

宇喜多隊の壊滅を以て西軍は投了。関ヶ原の合戦、いや天下分け目の「墨俣の合戦」は東軍の大勝利に終わった。

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感想

プレイ時間はセットアップを含めて約9時間。セットアップに1時間以上かかったので、途中の休憩時間等を含めて1Turnの所要時間は1時間弱といった所だろう。合戦システムがファイヤーパワー方式なので、そこそこ時間がかかる。逆に合戦、攻城戦の行わないTurnは比較的サクサクと進む。

反省点としては、なんといっても長良川河畔でのムーブミスにつきる。相手の移動力をある程度予想し、包囲されないように布陣する。逆に見込みが立たない状況なら無理に交戦せずに後退を利用して下がる。相手の移動可能範囲を予想するとか、側面にダミーを出して相手の警戒心を誘うとか、色々と試してみる必要があった。調略戦云々よりも盤面の動きについてもっと熟練が必要だと感じた。

調略戦については「騙し」のテクニックが必要だと感じた。基本弱いカードを敵にバラ巻き、相手の密報カードを浪費させる。広い範囲に調略を仕掛けて相手の対応能力を飽和させる等が必要だと思う。西軍の場合、積極的に口説き落としが期待できるのは前田利長だけなので、後は騙してこっそり引き抜くしかない。福島正則、黒田長政ら大物は確かに狙い目だが、東軍に読まれたら落とせるチャンスは少ない。
そういった意味で西軍にとっての調略戦は守りが主要テーマになるのだが、これがまたまた難しい。「中立カード」といって、恩賞金関係なしに戦意脱落を期待できるカードが西軍武将についてそれぞれ用意されているため、そのカードを使えば東軍は西軍の武将をノーリスクで中立化可能である。一旦中立化してしまえば、今度はいつでも調略可能となり、かつその時恩賞金の大小と隣接する彼我の戦力数が中立化した武将の帰趨を決める(要するに金で釣って、武力で脅して)。従って東軍は頃合いまで「中立化カード」を手元に持っておき、チャンスに中立化させて戦列を離れさせて、あとは武力を背景にして強引に自陣営に引きずり込むといった戦略が使える。西軍がこの戦略に対抗するのは非常に難しい。全てを守るは元より不可能なので、守るべきポイントと捨てても良いポイントを見極める必要があるだろう。

カードの使い方も不味かった。「上田の足止め」カードで秀忠隊を止める所で、雑魚の榊原隊を止めてしまい、お陰で秀忠本隊は妨害を受けないまま中山道を抜けてしまった。その時は「上田で足止め」カードが手元に1枚しかなかったので、大したダメージではあるまい、と思っていたのだが、秀忠隊通過直後に次々と「上田で足止め」カードが出てしまい、悔しい思いをしたものである。秀忠隊を上田で止めていれば、東軍としてもあれほど積極的な策に討って出られなかったはず。そういった意味では小さなミスが大きな敗因になったものだと思わざるを得ない。

とまあこんな感じのゲームである。
慣れればある程度は楽しめるゲームであるが、勝つのはなかなか難しい。ビギナーズラックで勝てないこともないが、やはり経験が物を言う作品である。恩賞カードの枚数、各武将の行動能力(戦意別の移動力、接敵能力、偵察能力)、情報カードの内容、そして盤上の戦力等、基本的な情報は押さえておいた方が良い。とはいっても昔の受験勉強じゃあるまいし、これらを暗記するのも如何なものかとも思ってしまう。

とまあ色々と書いてみたが、ある程度の慣れは必要だとしても、プレイ不可能な程ルールが多い訳ではない。1日あればプレイ可能なプレイ時間だし、慣れればもっとペースアップが可能だろう。下名自身勝ち負けは別として、もっと「楽しんでみたい」ゲームの1つである。

おまけ

ゲーム終了後にルールブックを読み返してみたら、いくつかルール間違いに気がついたので列挙しておく。
(1)損耗部隊や小部隊は偵察能力がゼロなので、これらに隣接してもストップしなくても良い。
(2)戦略移動は敵との隣接を禁止するものではない。(偵察範囲に入ったら止まりなさい、というだけ)
(3)接敵能力がない部隊も迎撃は可能
(4)上田に進入する東軍は、部隊名を明らかにしなければならない。
(5)ダミーは敵の3移動力以内に進入できない

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