「またか」の声が聞こえてきそうだが、主題のゲームをVASSALでプレイした。下名はフリードリヒを担当する。
1756年

しかし10月に入ってオーストリア軍が参戦してくると状況が一変する。
オミュレッツを発したピッコロミニ将軍(★1)率いる1個軍団がオーデル川沿いを北上。ナイゼ要塞を攻撃し、これを占領した。またチャールズ・ロレーヌ公(★★0)率いる1個軍団はグラツ要塞を囲む。
すわ、反撃。
と思ったが、無情にも"End Turn"。結局プロイセン軍は10月には一度も動くことなく年の暮れを迎える。

1757年

明けて1757年。フリードリヒ(★★3)はザクセンを離れて北に進みバルト海沿岸の都市シュトラールズントに進出した。ここはスウェーデン軍のハミルトン将軍(★1)が1個軍団弱の兵力を率いて守りを固めている。しかし歴戦のフリードリヒ率いるプロイセン軍に敵う訳もなくハミルトン将軍はスウェーデン領内に撤退していった。しかしシュトラールズントを守るスウェーデン軍は孤軍奮闘。結局シュトラールズントが陥落したのは6月になってからであった。シュトラールズントの守備隊はフリードリヒを向こうに回して4ヵ月間頑張ったことになる。
シレジア方面ではツィーテン将軍(★2)率いるプロイセン軍1個軍団が進出。オーデル川沿いに南下し、いったん陥落したブリング要塞を打開し、ナイゼ要塞に陣取るオーストリア軍と対峙する。シュトラールズントを陥落させたフリードリヒ軍も急遽南下。シレジア西部のグライツに進出しオミュレッツのオーストリア軍と対峙する。
ライン川沿いではフランスの大軍が北上してきた。ライン河畔のウィーゼル要塞はプロイセン軍が同方面に築いた根城であったが、フランス軍1個軍団の猛攻を受けることになってしまう。「ブランデンブルグの奇跡」カードで一旦は退いたフランス軍であったが、デステル公爵(★★1)率いる2個軍団がウェストファリアに進出。不気味な待機を続けている。
ライン川沿いではフランスの大軍が北上してきた。ライン河畔のウィーゼル要塞はプロイセン軍が同方面に築いた根城であったが、フランス軍1個軍団の猛攻を受けることになってしまう。「ブランデンブルグの奇跡」カードで一旦は退いたフランス軍であったが、デステル公爵(★★1)率いる2個軍団がウェストファリアに進出。不気味な待機を続けている。

シレジア地方では、フリードリヒが各地での状況に対応するためにドレスデンに引き上げた隙を突いた形でオーストリア軍が活動を開始していた。ダウン伯(★★2)率いる2個軍団がグライツ要塞を猛攻。一撃の元にこれを陥落させていた。

1758年

それに対する英ハノーファー軍は、半数の兵力でフランス軍と対峙する一方、1個軍団の兵力がドレスデンから南下し、ボヘミアのイーガー要塞を落してさらに南下の構えを見せている。

シレジア方面ではオーストリア軍が3個軍団もの大兵力でナイゼ要塞を攻めてこれを一撃の元に陥落させる。それに対してプロイセン軍もすぐさま対応。ドレスデンを発したフリードリヒ麾下の1個軍団がグライツ要塞に逆進攻を行い、これを奪回した。フリードリヒはわずか1個軍団でオミュレッツに布陣するオーストリア3個軍団以上と対峙を続ける。

東部戦線ではロシアの大軍がケーニヒスブルクを発してダンツィヒ要塞を落とした。
1759年

バルト海に面したシュトラールズントでは、スウェーデン軍の活動が再び活発化してきた。ハミルトン将軍率いる半個軍団がバルト海を渡ってシュトラールズントに攻め込んだのだ。スウェーデン軍は小兵力ながらもシュトラールズントを守るプロイセン軍守備隊を撃破し、さらに内陸へ進む構えを見せている。
夏になるとプロイセン軍3個軍団がボヘミアの首都プラハに総攻撃を仕掛けてきた。しかしプラハを守るオーストリア軍は奮戦し、プロイセン軍に対して一歩も引かない。結局冬までにプラハが落ちることはなく、プラハを囲むプロイセン軍は、総兵力の40%にあたる10戦力もの兵力を冬季損耗で失いことになる。

1760年
年が明けるや否や、プロイセン軍はプラハ攻略に着手。今度こそ圧倒的な兵力にモノを言わせてプラハを攻略した。さらにプロイセン軍はボヘミア一帯に地歩を広げていったが、その時東からロシアの脅威が迫ってきた。Totleben将軍率いる1個軍団がバルト海沿岸を進み、コルベルクを占領。さらにその奥シュテッティンに対してはハミルトン将軍率いるスウェーデン軍が脅威を及ぼしていた。ポーランド内陸に侵攻したロシア軍主力はポーゼンに集結。侵攻の機会を伺う。
ロシア軍が再び動いたのは6月に入ってからからであった。アプラクシン将軍(★★1)率いる2個軍団がブレスラウに侵攻、さらにソルティコフ将軍(★★2)率いる2個軍団弱のロシア軍がキュストリンに侵攻してきた。しかしプロイセン軍はこのチャンスを待っていた。アプラクシン将軍(★★1)率いる2個軍団を「ブランデンブルクの奇跡」によって強制後退を実施すると、フリードリヒ自ら率いる1個軍団とシュヴェリーン将軍率いる1個軍団がキュストリンにソルティコフ将軍(★★2)麾下のロシア軍を包囲した。兵力的にはほぼ互角の両軍だったが、包囲されたロシア軍に勝機はなかった。ロシア軍は完全に撃破されてソルティコフ将軍も戦死してしまう。


西部戦線では英軍主力の不在を突いてフランス軍がハノーファー一帯に侵攻。ハノーファー、ハンブルクといった要域を電撃的に支配していった。守備隊を置かなかったことは失敗だったが、この陥落は正直痛かった。

1761年



ロシア軍の猛進撃は続き、遂に首都ベルリンが包囲落城するに至った。
「ベルリン落ちる」
の報に接したフリードリヒは、全軍にベルリンへの引き上げを命ずる。しかしこのような場合に限って進撃ダイスが振るわず("2"の目が出た)、その上強行軍カードが手元にないという状態。3個軍団のロシア軍に対し、フリードリヒは僅か1個軍団でベルリンに向けて突撃する。


しかし王の奮戦もそこまで。奇跡は遂に起きなかった。
兵力の過半を失ったフリードリヒ軍は遂に後退。ベルリンの支配が確定した。
兵力の過半を失ったフリードリヒ軍は遂に後退。ベルリンの支配が確定した。
この時点で勝利条件を満たした連合軍の勝利が確定した。

感想

あとは細かい戦術レベルでもムーブミスが多かった。反省しきりである。



