2014年07月
山里の湯
九重登山の後に立ち寄った温泉です。
やまなみハイウェーを飯田高原の交差点で左折し、県道40号線にぶつかった所で右折。すぐに左手に見える温泉です。
泉質は炭酸泉で浸かっていると泡がぶくぶくと出てきます。
しばらく浸かっていると体の芯まで温まってきます。
あと泉質に鉄分が多いらしく、湯船や浴室に鉄分がこびり付いていました。
やまなみハイウェーを飯田高原の交差点で左折し、県道40号線にぶつかった所で右折。すぐに左手に見える温泉です。
泉質は炭酸泉で浸かっていると泡がぶくぶくと出てきます。
しばらく浸かっていると体の芯まで温まってきます。
あと泉質に鉄分が多いらしく、湯船や浴室に鉄分がこびり付いていました。
決して広い風呂ではなく、内装も綺麗ではなく、さらに露天風呂のような気の効いたものもない。古臭い温泉ですが、ディープな温泉でした。
お奨め度★★★
書籍紹介「歴史群像2014年8月号」
今回は読む所が多かった。特集記事の帝国海軍軍備計画は、ワシントン条約から始まって③計画、④計画、そして戦時中の⑤計画と続く日本海軍の軍備強化計画の顛末を追っている。対米戦を意識した日本海軍が如何にして軍事力を整備し、そして破局を招いたかが記載されている。また別記事のノモンハン航空戦では、通説とは異なったノモンハン航空戦史を紹介していて興味深い。もう一つ、蒙古襲来では、文永・弘安の役における日元両軍の戦いぶりを追い、所謂「神風」説とは異なる史観を呈示していて興味深い。
価格の割に読み処の多い書籍である。
価格の割に読み処の多い書籍である。
お奨め度★★★
九重のそば
ちなみにその日は6月で、蕎麦の食べ頃としてはやや季節は外れの感もありましたが、なんのなんの。美味しい蕎麦でした。また蕎麦湯とお茶も絶品で、特に蕎麦湯は単品でも十分に通用する味だと思いました。
お奨め度★★★
「それぞれの関ヶ原」(GJ#51)をプレイする
「それぞれの関ヶ原」は、Game Journal誌第51号の付録ゲームである。
テーマは関ヶ原の合戦で、関ヶ原盆地における東西両軍の激突を扱う。このように書くと普通の合戦ゲームのようにも思えるが、本作はやや違ったアプローチで関ヶ原の合戦を描いている。
テーマは関ヶ原の合戦で、関ヶ原盆地における東西両軍の激突を扱う。このように書くと普通の合戦ゲームのようにも思えるが、本作はやや違ったアプローチで関ヶ原の合戦を描いている。

しかし本作は違う。
プレイヤーの立場は、小早川秀秋、島津義弘、吉川広家、長宗我部盛親の4名の中からランダムに1名を選択する。プレイヤーの目的は、勝てそうな陣営に着いて勝利を得ることは勿論だが、同時に相手プレイヤーを出し抜いて「関ヶ原第一の功労者」という立場を得なければならない。そのためには相手プレイヤーが誰なのかを見極め、相手よりもVPで上に立つように狙う必要がある。
プレイ


「金吾中納言殿、裏切りぃー」
そう。対戦相手は小早川秀秋だったのだ。まさに史実通りの展開。松尾山を駆け下りる小早川勢。これで状況は決定的に東軍有利となった。最早小細工を弄しても状況を逆転できそうにない。思い悩んだ島津義弘。最終Turnに
「故あって東軍にお味方申す」
と言うや否や、東軍の猛攻を受けて苦戦中の宇喜多秀家公の背後に回り込んだ。
「島津殿裏切りぃ・・・」
の叫びが戦場に響く。
前方に東軍主力。そして背後に精鋭島津勢に押さえられた宇喜多秀家公に勝ち目はなかった。秀家公討ち死に。その瞬間西軍主力は崩壊。敵の大将を討ち取ったことで島津義弘公は「関ヶ原第壱の功労者」となった。


感想

本作の問題点は、「これが関ヶ原のシミュレーションなのか?」という点である。それを端的に示しているのがシーケンスで、陣営を明らかにするまでは両プレイヤーが東西両軍を半々で指揮するが、いずれかが陣営を明らかにした後は、一方の陣営が他方の3倍以上の移動機会を得ることになる。当然ながらもう一方の陣営にとって勝機は薄くなる。これを「裏切りの影響」と言ってしまえばそれまでだが、やや影響が過剰なようにも思う。
まあ上記のことは些事として、もっと本質的な問題は、「ゲームプレイの労力の大半を勝敗とは全く関係ない作業に費やされる」ということだと思う。本作の主役は寝返り大名なので、関ヶ原主戦場における勝敗自体には余り執着がない。どちらが勝とうが「自分の属している陣営が勝てばよい」ということなのだ。むしろ合戦は「裏切るための場面作り」である、と考えるのがしっくりくる。
しかし問題なのは、そのような「場面づくり」がプレイ時間の大半を占めるということである。しかも戦闘を行う度に両プレイヤーがダイスを振りあうのは、戦闘回数が増えると結構苦痛に感じる。流動的な状況を作り出すためには仕方がない作業かもしれないが、それにしても毎Turn数十回ダイスを振り続けるのは辛い。
しかし問題なのは、そのような「場面づくり」がプレイ時間の大半を占めるということである。しかも戦闘を行う度に両プレイヤーがダイスを振りあうのは、戦闘回数が増えると結構苦痛に感じる。流動的な状況を作り出すためには仕方がない作業かもしれないが、それにしても毎Turn数十回ダイスを振り続けるのは辛い。
もしテーマを裏切りに絞るのであれば、盤面の戦闘自体はもっと簡略化しても良かったのではないかと思う。







