もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2014年07月

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礼文島は北海道稚内西方約60kmに浮かぶ島で、自然豊かな島です。
花の種類が豊富でいくつもトレッキングコースがある島です。

今回、約10年ぶりに礼文島を訪ねてみて最初に歩いたのがこの桃岩コース。香深のフェリーターミナルからバスで10分ほど。終点の知床という名の漁港でバスを降り、そこから歩き始めるのが桃岩コースです。

最初の約1時間ほどはなだらかな登り道。遠くに利尻島を見ながら花畑の中を歩いていきます。
元地灯台を過ぎると、そこからは桃岩の雄大な景観が・・・。
「これぞ島の風景」
といった雄大な風景が広がります。

約3時間弱のトレッキングで香深のフェリーターミナルに戻ってきました。
この桃岩コース。礼文島のトレッキングコースの中では短い方ですが、景観的には変化に富んでいて楽しめるコースでした。

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04 地球の歩き方 島旅 利尻 礼文 新版 北海道山の花図鑑 利尻島・礼文島 北海道の温泉まるごとガイド2024-25 北海道 富良野・美瑛【風景NAVI】

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電撃戦

レン・デイトン 喜多迅鷹訳 ハヤカワ文庫

1940年5月のフランス戦役を扱ったノンフィクションである。筆者は英国人なので、ドイツ側の事情だけではなく、連合軍側の事情にも精通しており、両者から見たフランス戦役が描かれている。
本書はフランス戦そのものの記述だけに留まらず、電撃戦を可能とした両軍の軍隊組織や兵器類、さらにはフランス戦の遠因となった第1次世界大戦後の国際情勢についても触れている。従って本書の書き出しは、第1次世界大戦におけるドイツの敗北からとなっている。
上記の通り記述範囲が広いので肝心のフランス戦自体はややサマライズ的な内容になっている感は否めない。しかし元々のボリュームが大きい本なので、フランス戦の概要のみならずある程度詳細についても知ることができる。
読み物としても面白いので、万人に推薦できる戦史といえよう。

お奨め度★★★★

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Liberty Roadsは2009年頃にHexasim社から発売されたシミュレーションゲームである。テーマは1944年以降の西部戦線全体で、ノルマンディ上陸戦から始まり、連合軍によるライン川渡河までを扱う。Hexasim社とはあまり聞き慣れない名前だが、フランスのシミュレーションゲームメーカーで、日本の川中島の合戦とかのゲームを発表している。

Liberty Roadsのスケールは、1Turn=10~15日、1Hex=25km、1ユニットが師団規模である。基本的には移動戦闘を繰り返すシステムなのでシンプルである。特徴的なルールとしては、移動にZOCが効かないこと。つまり敵ユニットに隣接してもストップしなくて良い。ただし補給に対するZOCの効果は有効なので、移動で後方に回り込まれると補給を切られてしまう。
他に特徴的なルールとしては、支援チットの存在がある。要は戦闘を有利にするチットのことだが、連合軍は天候や港湾の占領状況で得られるチットの数が上下し、ドイツ軍はヒトラー総統のご機嫌によって得られるチットの数が上下する。
それ以外に強襲上陸、空挺降下、海上輸送等のルールがある。強襲上陸については、史実通りにノルマンディに上陸するも良し、史実とは違ってオランダやカレーに上陸することも可能である。

今回、Liberty Roadsを3人でプレイすることになった。下名は米軍を担当し、ノルマンディからの突破を目指す。

1Turn(44/06)

イメージ 14Liberty Roadsでは上陸場所を自由に選べる。しかし史実通りの上陸が一番効率が良さそうだ。従って今回はほぼ史実通りに上陸作戦を実施した。
バイユー(Bayeux 1709)前面ではドイツ歩兵師団の増援が到着。2個師団相手に血みどろの上陸戦闘を展開したが、艦砲射撃の支援もあって連合軍の勝利に終わる。もっと酷かったのが英軍の担当区域(1810)で、沿岸防衛師団1個が要塞化して待ち構えていた上、第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」(12-12-3)が増援として馳せ参じてきた。英軍歩兵師団2個は海岸線で苦戦を強いられたが、上陸部隊の奮戦でドイツ軍を撃退。SS装甲師団は後退を強いられ、英軍は海岸線を確保した。

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2Turn(44/06)

イメージ 15天候は雨。連合軍にとっては支えとなる航空部隊が来ないのが痛い。シェルブール要塞(Cherbourg 1607)を9個師団で包囲攻撃。シェルブールを守るドイツ軍歩兵師団2個に大損害を与えたが、これを落すには至らず。コタンタン半島の付け根では、サンロー(SaintLo 1610)を守る独第21装甲師団(9-9-3)を攻撃。これを撃破したが、サンロー奪取するには至らなかった。

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3Turn(44/06)

またもや天候は雨。航空機の支援がないので大々的な攻撃を行わず、シェルブール要塞を集中攻撃する。10個師団を投入した総攻撃でシェルブールは陥落し、同地を守備するドイツ軍歩兵師団2個を壊滅させた。

ドイツ軍反撃。第4機甲師団(9-7-4)ステップロスしたが、ドイツ軍装甲師団もステップロスした。

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4Turn(44/07)

イメージ 16遂に天候が晴れ渡った。連合軍が全戦線に渡って大攻勢をしかける。
米軍正面ではコブラ作戦を発動。サンロー正面で攻撃を仕掛ける。独軍は大損害を出しつつもサンローを守りきる。英軍正面でもグッドウッド作戦を発動。カーン(Caen 1811)正面で攻撃を仕掛けるも、こちらもドイツ軍装甲2個師団を失う大損害を被ったが、カーンを守りきった。


5Turn(44/07)

イメージ 17天候は晴れ。コブラ作戦継続。10個師団以上の大兵力をつぎ込んでサンロー正面を攻撃する。砲兵支援をつぎ込んでサンローを強襲し、なんとかサンローを陥落させた。しかし米軍も第3機甲師団、第7機甲師団の2個師団がステップロスした。

このTurnにシェルブールが港湾機能を回復した。

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6Turn(44/07)

天候は雨。折角の突破のチャンスだったが、天候に泣かされた。仕方がないので2-1攻撃を2箇所で実施するにとどまる。

7Turn(44/08)

イメージ 18天候は晴れ。晴れ渡った大空を背景に連合軍の総攻撃が始まる。コタンタン半島西の付け根にあるアヴラシェ(Avraches 1411)に対して、パットン率いる機動部隊が攻撃を実施。ドイツ軍装甲師団3個からなる強力なスタックを撃破し、アヴラシェを占領した。カーン南西部に展開するドイツ軍にとって包囲壊滅の危機が迫る。

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イメージ 19そして連合軍は南フランスに対する上陸作戦、「オペレーション・ドラグーン」を発動した。第1波、第2波合わせて9個師団がツーロン(Toulon 2444)付近に上陸。主戦力を北フランスに集中していたドイツ軍はこの新たな進攻になすすべがなかった。

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しかし英軍戦線ではカーン攻撃でピンゾロを出してしまい、英軍の攻撃は大失敗。英軍は一気に4ステップを失った。さらに独軍は装甲部隊をカーン方面に集中して反撃を実施。さらに2ステップを失った。

コタンタン半島西部ではドイツ軍は撤退を決意。ノルマンディ付近から後退を開始した。
ドイツ軍歩兵部隊が一斉に南に向けて後退していく。それを追う米軍部隊。
北フランスを巡る壮大な追撃戦が始まる。

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8Turn(44/08)

イメージ 20天候は晴れ。米軍部隊はコタンタン半島から溢れ出し、フランス西部に溢れてくる。コタンタン半島西部の小港湾都市サンマロ(StMalo 1210)はこのTurnに陥落。米軍の機甲部隊はレンヌ(Rennes)を占領、さらに東へ進んでルマンを占領した。

南フランスではツーロン要塞を米仏連合軍が攻撃する。

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9Turn(44/08)

天候は雨。とにかく雨が多い。確率1/6なのに、ここまで8回振って3回も雨が出ている。
「今年は雨が多い」という言葉も冗談とは思えない。
とはいえ、攻撃しないことには話にならない。米軍部隊はフランス領内で領土を広げ、このTurnはルマン(Le Mans 1715)から東へ地歩を拡大した。パリ(Paris 2615)まであと5Hexである。またこのTurnから港湾都市サンマロが機能を回復した。

南フランスではツーロンへの攻撃が続けられるが、独軍の粘り強い反撃に阻まれて占領できず。

10Turn(44/09)

天候は嵐。ここへ来て6ゾロである。一体どうしたものか。
悪天候に悪態をついても仕方がない。連合軍は攻撃を実施する。とはいえセーヌ河沿いにドイツ軍が鉄壁の布陣を敷いている状況では、航空支援なしでドイツ軍の強固な防御線にかかるのは無謀だろう。
このTurnはセーヌ河沿いに南下を実施。オルレアン(Orleans 2219)を占領した。
またフランス南西部はノーマンズランドと化しているので、フランス軍第9歩兵師団(9DIC)(4-4-3)が道路沿いに突進。ニースからトゥールーズ(Toulouse 1035)に至る一帯を占領した。
蛇足だが、ツーロンがこのTurn陥落する。

11Turn(44/09)

イメージ 17天候は曇り。セーヌ河のドイツ軍防衛戦に攻撃を開始した。航空支援の元、パリ南方で米軍部隊が攻撃を開始。機甲師団6個と歩兵師団4個以上を投入したセーヌ河渡河作戦は見事に成功。第2機甲師団(10-9-4)、第3機甲師団(10-9-4)がセーヌ河東岸に橋頭保を築く。
同時期にパリ北方でセーヌ河を渡河した英軍部隊に対し、ドイツ軍が反撃を実施した。装甲部隊を集中投入した独軍の反撃は猛烈を極め、英軍部隊はセーヌ河西岸に叩きだされてしまう。

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南西フランスでは、トゥールーズを発したフランス軍第9歩兵師団が快進撃を継続。Uボードの基地であるボルドー(Bordeaux 0627)を占領。さらに進んでビスケー湾に面した港湾都市ローヤン(Royan 0623)を占領した。

さらにその南の地中海沿岸では、このTurnよりツーロン港が機能を発揮し始めた。またマルセイユ(Marseille 2242)に立てこもるドイツ軍第244歩兵師団(3-4-4)を5個師団で包囲攻撃。1ステップロスを強いた。

12Turn(44/10)

天候は雨。米軍はセーヌ河南方へ攻勢を継続する。悪天候に苦しむ連合軍であったが、損害を出しつつもなんとか前進する米軍機甲部隊。それに対してドイツ軍はそろそろ破断界を感じてきた。セーヌ河の防衛線を放棄し、ドイツ本国へ向けて後退を開始した。

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地中海戦線では連合軍によるマルセイユへの最終攻撃を実施したが、2D6で"3"という目を出してしまい、攻撃は失敗。マルセイユ陥落を目前にして一時後退を余議なくされてしまう。

13Turn(44/10)

このあたりで時間切れになったのでお開きとする。プレイ時間はセットアップ含めて約10時間であった。

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感想

史実に比べると進み具合が遅かった。1944年10月の段階で漸くパリ解放できるかどうかなので、史実よりも2ヵ月遅れということになる。序盤で天候ダイスが振るわず、序盤の6Turn(2ヵ月間)で、晴れ=2回、曇り=1回、雨=3回という状態だった。雨の確率は1/6、晴れは1/2以上なので、天候ダイスが悪かったのは確かだろう。
それ以外にも攻め口が甘かったとか、連合軍を2名でプレイしていたので大胆な突破ができなかったとか、色々と原因はあったが、いずれにしても史実のファレーズ戦のような包囲殲滅戦がなかったことが痛かった。おかげでドイツ軍が比較的兵力を保持したままフランス国内へ撤退できたと思う。

面白いゲームだと思う。Onslauオンスロート程の派手さはないが、逆にゲームとして安定しているために安心してプレイできる。史実と比較してもオンスロートのように荒唐無稽な展開にはならず、史実の流れに近い展開になるので、キャンペーンシナリオを安心してプレイできる。下名の知る限り現時点でプレイできる西部戦線テーマの作品の中では、ベストではないかと思う。

キャンペーンシナリオをプレイするには2日間程度が必要になるが、それだけの時間をかけてもプレイする価値のある作品だと思った。機会を作ってプレイしてみたい。

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Fortress Europa The Dark Summer - Normandy, 1944 Game Journal 83-ノルマンディ強襲
西部戦線 (歴史群像アーカイブVol.17) ノルマンディ上陸作戦1944 バルジ大作戦 ドイツ重戦車 戦場写真集

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先週末に2泊3日で北海道最果ての礼文島に行きました。
夜に仕事を終えて羽田から夜の千歳便に乗り、千歳空港から札幌駅に出て歩いてバスターミナルへ。2300発の稚内行き夜行バスに乗ります。

一夜明けるとバスは稚内フェリーターミナルに到着。ここから0620発の始発の礼文島香深港行きのフェリーに乗ります。0820に香深港に到着。ここから2泊3日の礼文島ツアーの始まりです。

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トレッキング

礼文島といえばトレッキング。いくつものトレッキングコースがあり、島に来る人の殆どが何らかの形でトレッキングを楽しむ所です。今回私は桃岩コースと礼文滝コースを歩きました。前者が3時間弱の初心者向きコース、後者は4~5時間の中級者向けコースです。詳細は別途報告します。

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グルメ

初日はラーメン、2日目はウニ丼、3日目はチャンチャン焼きを食べました。初日のラーメンはちょっと勿体なかったかな。折角礼文に来たのだから魚を食べれば良かった。まあ情報がなかったのでどこに行って良いかわからなかったのですけど・・・。まあラーメンも決して不味くはなかったので良しとします。

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その他

宿は島の北端にある徒歩宿にしました。結構有名な宿で海岸からもお客さんが来るそうです。
夜にはオプションでウニ丼がつき、朝は和食か洋食をチョイスできるという。夜はミーティングがあってコースの紹介や見所紹介があり、その後はフリータイムで全然知らない人たちと情報交換。
旅の初日と言えば結構アウェー感のままが多いのですが、ここの場合は初日からイキナリ仲間になったような気分にさせてくれる宿でした。

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同宿の皆さんと記念撮影。真ん中で腕組みしている偉そうな奴が私です。

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「武田遺領争奪戦争」は本能寺変後の天正壬午の乱を扱ったシミュレーションゲームである。天正壬午の乱といってもあまり知られていないが、本能寺の変によって軍事的空白地帯となった甲信越地域を巡る戦争である。「真田太平記」で描かれている第1次上田合戦は、この乱の戦後処理を巡って発生した戦いの一つである。

本作の特徴的な点は、相手プレイヤーが誰なのかが分からない点である。本作は、徳川、北条、上杉の3勢力が登場するが、2人のプレイヤーはその中から1つの勢力をランダムに引く。自分が引いた勢力については確認できるが、相手プレイヤーがどの勢力を引いたかは確認できない。従ってプレイヤーは本当の敵が誰なのかを推測しながらプレイする必要がある。

第1回戦

イメージ 3下名が引いてきた勢力は「上杉」であった。従って相手プレイヤーは、「徳川」「北条」のいずれかになる。相手プレイヤーが早い段階で正体を明かし(確か「北条」だったと思う)、さらに調略チットを使って信濃、上野に一気に勢力拡大に出てきた。窮地に立った「上杉」陣営は真田家と同盟を結んで対抗。強力な真田を使って北信濃で逆転攻勢に出る。さらに調略によって北条陣営を崩した結果、「上杉」が勝利を得た。

第2回戦

イメージ 6イメージ 4プレイヤーを変えて再びプレイ。今度も下名は「上杉」を引いた。当初は両プレイヤーとも慎重に身分を隠して盤面の推移を見る。途中で頃合ヨシと見た我が陣営が立場を明らかにし、「上杉」で「北条」領内で攻勢に転じする。さらに「調略」チットを使って北信濃、中信濃の北条領内に調略戦を仕掛ける。相手プレイヤーはまだ立場を明かさないが、多分北条だろう。そこで徳川を使って側面から北条に嫌がらせを仕掛ける。
さすがに両面攻勢を受けた北条は耐えられずに立場を明らかにし、真田との同盟等によって上杉の攻勢をストップさせる。上野や北信濃での進攻を阻まれた上杉勢は、南信濃に目を向けたが、こちらは本国との距離が遠くて届かない。そんなこんなしている間に直江兼次が小諸城で北条勢の大軍に囲まれてあえなく討死。さらに南信濃平定に当たっていた上杉景勝公も北条主力野戦軍によって捕捉され、あえない最期を遂げた。

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感想

イメージ 5担当プレイヤーが誰かわからない、というアイデアは面白いと思う。プレイ時間も手頃で、1時間もあればフルターンプレイできる所も良い。第3勢力を使って相手プレイヤーの足を引っ張るというのも良い。シミュレーションゲームとして見た場合、もう少しディテールが欲しい所だが、このあたりは好みの問題と言えるかもしれない。これぐらいアッサリしている方がプレイする上で楽なことは確かだ。

イメージ 7プレイしていて疑問に感じた所は、相手プレイヤーが誰なのかという疑心暗鬼と、そのことがプレイに与える影響についてである。別の言い方をすれば、相手プレイヤーがわかならいことがゲーム上の利益・不利益と余り関係ないように思えた、ということである。もっとハッキリ書くと、自らの立場を隠しておくことのメリットを余り感じなかった、といえるかもしれない。むしろ好機と見れば自らの立場を早めに表明した方が、ゲーム上では有利ではないか、と、思えた。
まあそのあたりはもう少しプレイしてみれば、別の答えが見えてくるかもしれないが・・・。


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