


前回の十条竹田店で「来来亭」の真価を知った私は、他の店でも食べてみたいと思い、京都市内の別の店に行ってみました。
訪れたのはこの「桂川店」。昼時でやや混んでいましたが、人数が少なかったのですんなり入れました。
ラーメンをガッツリ食べたいと思って大盛りを注文。勇んで食べてみましたが・・・。
・・・・。
どーもしっくりこない。
何ていうのか、分かりやすく言えば「麺が伸びている」ような感じなのです。
スープは確かに醤油味がしっかりしていたのですが、麺の方が今一・・・。
欲張って大盛りにしたのがいけなかったのでしょうか・・・。
訪れたのはこの「桂川店」。昼時でやや混んでいましたが、人数が少なかったのですんなり入れました。
ラーメンをガッツリ食べたいと思って大盛りを注文。勇んで食べてみましたが・・・。
・・・・。
どーもしっくりこない。
何ていうのか、分かりやすく言えば「麺が伸びている」ような感じなのです。
スープは確かに醤油味がしっかりしていたのですが、麺の方が今一・・・。
欲張って大盛りにしたのがいけなかったのでしょうか・・・。
単純に気分の問題なのか、あるいは同じ京都市内でも店毎に味が違うのが。
微妙な思いを残したまま、「来来亭-桂川店」を後にしました。
微妙な思いを残したまま、「来来亭-桂川店」を後にしました。








序盤、アウステリリッツ会戦ではナポレオン(3-8-10、戦術-作戦-統率)麾下のフランス軍14戦力がカール大公(2-7-7)率いるオーストリア軍8戦力とクトゥーゾフ(2-6-7)率いるロシア軍8戦力の計16戦力と交戦。兵力に勝る連合軍だが、ナポレオンの見事な陣頭指揮の前に連合軍は大敗を喫した。撃破されたロシア軍はポーランドに撤退。本国を押さえられたオーストリアはフランスの軍門に下り、対仏同盟から脱落していく。
プロイセンが連合軍側に立って参戦したのが1807年のことであった。しかしブラウンシュバイク公(1-4-6)如き凡将がナポレオン麾下のフランス軍に敵うはすもなくプロイセン軍は壊滅。プロイセンもフランスの軍門に下ってしまう。
こうして対仏大同盟を崩壊させたナポレオンは、いよいよ宿願であったロシア遠征に着手する。ナポレオン麾下のフランス軍がニューメン川を渡ってロシアに攻め入ったのは1809年のこと。ナポレオンはロシアの焼土戦術(ダイス目で4~6ユニット蒸発)に苦しめられながらもモスクワ前面へと攻め入った。これを迎え撃つのはクトゥーゾフ率いるロシア軍。兵力はほぼ互角。指揮能力に勝るフランス軍と地の利を得たロシア軍との戦いは激烈を極め、両軍とも壊滅寸前の状態になりながらもギリギリでロシア軍が寄り切った。ナポレオンはロシア遠征の投入した兵力の大半を失い、ほうほうの体でフランス本国へと撤退していった。
「ナポレオン敗れる」の報はヨーロッパ中を駆け巡り、オーストリア、プロイセンの両国はこぞって対仏大同盟に参加。今まで比較的親仏的な態度を取っていたスペインも対仏同盟に参加した。いよいよ四方を敵に囲まれたフランスにとって苦しい戦いが始まる。
1813年以降スペインから出撃するウェリントン(2-8-3)率いるイギリス軍とフランス本土を守るフランス軍との小競り合いが続いたが、1814年、ウェリントンがフランス本土へ出撃している不在を突いて、ナポレオン率いるフランス軍がスペイン領内に攻め込んだ。スペイン軍を率いるブレイク将軍(1-2-6)は本ゲーム最弱を誇る弱将。スペインのゲリラ戦ルールの助けを借りてスペイン軍はナポレオンを苦しめるが、指揮能力の差は決定的であった。スペインはナポレオンによって制圧され、スペインは対仏同盟から脱落する。
スペインの陥落によって西からの脅威を排除したフランス軍は、東から迫る連合軍と対峙する。オランダ、ライン連邦、イタリア等を巡っていくつかの小戦闘があった後、体制を立て直した連合軍がフランス本土に攻め込んだのは1818年のことであった。春の戦いではまたもやフランス軍が神業的な機動を発揮。連合軍を各地で撃破してフランス本土を守った。
















