



某イベントからの帰り、新大阪近くまで辿りついた時、「昼飯に四川風麻婆豆腐が食べたい」と思い、ネット検索して立ち寄ったのがこの店です。
注文したのは、四川風激辛麻婆豆腐のセット(1000円税込)。麻婆豆腐に小鉢が2つ、そしてライスのセットです。
肝心の麻婆豆腐は激辛の名前に相応しい。唐辛子が効いていてお茶かご飯で中和しないとキツイ感じ。しかし、それがなんというか病みつきになるような辛さです。ガツンと来る味。しかも豆腐との相性も良い。御飯もススむ。そして1000円という安さ。文句の付けどころのないランチメニューでした。
肝心の麻婆豆腐は激辛の名前に相応しい。唐辛子が効いていてお茶かご飯で中和しないとキツイ感じ。しかし、それがなんというか病みつきになるような辛さです。ガツンと来る味。しかも豆腐との相性も良い。御飯もススむ。そして1000円という安さ。文句の付けどころのないランチメニューでした。
ネットでは「新大阪駅から徒歩5分」とありましたが、下名の目算では10~15分程度見ておいた方が良いと思います。新大阪駅自体が広いので、例えば地下鉄のホームならなんとか10分ぐらいで行けますが、JR新幹線や在来線なら15分見ておいた方が無難だと思います。
お奨め度★★★★

まずは戦線北部を担当するヴォロネシ方面軍戦区から。最北端では機械化軍団2個を投入した攻撃により要域スムイ(Sumy 3407)が陥落した。その東方、スムイとベルゴルド(Belgorod 4409)の間では、ヴォロネシ方面軍の主力部隊がドイツ軍防衛ラインを幅3~4ヘクスに渡って切り裂いた。
その南、イジウム(Izium 4819)付近の湾曲部では、南西方面軍が2個機械化軍団、1個騎兵軍団を投入して突破口を啓開。さらにその東のスラヴャンスク(Slavyamsk 5021)付近に布陣するドイツ第3装甲師団(9-8-7)を撃破してこちらも突破。要域スラヴャンスクを占領した。
ドイツ軍はハリコフ北方に装甲師団と第503重戦車大隊(3-2-5)を投入。我が第1戦車軍団に対して反撃を仕掛けてきたが、第1戦車軍団が死守に成功し、ドイツ軍による反撃は限定的な成果を達成したに留まった。




ドンバス方面は順調である。それもそのはず。こちらにはコラムシフトを提供してくる手強いドイツ軍機械化部隊が1個師団もいないからだ。第5打撃軍は順調に前進し、ドンバスの東の入口たるアルテーミウシク(Artemovsk 5322)とゴロフスカ(Gorlovka 5324)を占領した。

ドンバスでは、南方方面軍所属の機械化軍団2個による快速部隊が、スターリノ(Stalino 5227)北方でドイツ第3山岳師団(5-8-4)を撃破し、そのまま機動強襲でスターリノを占領した。このTurn、クラマトルスク(Kramatrosk 5323)も陥落し、ドンバスでドイツ軍が保持するのは、コンスタンチノフスク(Konstantinovsk 5123)とマキイフカ(Makeyevka 5326)のみとなった。
一方、戦線の最北西部スムイでは、ドイツ軍増援部隊がスムイ奪回攻勢を仕掛けてきた。攻勢の主力はドイツ軍グロスドイッチュランド装甲擲弾兵師団(15-12-7)(GD師団)で、その戦闘力は両軍を通じて最強で、しかもティーガー重戦車まで装備している。ソ連軍の歩兵師団如きで守り切れるものではない。せめて野戦陣地でもスムイにあればもう少し抵抗が期待できたかもしれないが、後の祭りである。
ソ連軍によるポルタワ方面への突出は、ドイツ軍をして戦線を広げることを余儀なくせしめた。そのためハリコフ方面の防御が薄くなる。その弱点をついてソ連軍はハリコフ包囲を完成させた。ただしハリコフを直接攻撃できる兵力は集中できていなかったため、このTurnは代わりにドイツ軍装甲部隊を攻撃。これに打撃を与えて撃退した。


ソ連軍によるハリコフ総攻撃が始まった。ドイツ軍はハリコフを守り切ったが、守備兵力の半数を失った。





















序盤の配置は特に工夫なし。ただし今回は第1Turnに全面撤退するのではなく、一部の足止め部隊を公安(3819)に残して日本軍の進撃妨害を図る。無論、足止め部隊は壊滅してしまったが、日本軍の進撃をある程度抑制する効果はあったようだ。
豊懸(3114)が日本軍の攻撃を受けて陥落した。しかし豊懸の南には中国軍による戦線がしっかりと敷かれており、日本軍の突破を容易には許さない構えである。またその南方の臨豊(2510)付近でも中国軍による新たな戦線が引かれていた。
日本軍はなおも魚口を落せない。中国軍守備隊が善戦し、日本軍を阻止し続けているのだ。そのためか他の戦線でも日本軍の動きは不活発であり、僅かに北部山岳地帯の仁和坪(4306)と煖水街(3909)を陥落せしめた程度であった。
遂に魚口が陥落した。洞庭湖の制水権を得た日本軍は、洞庭湖沿岸に対する上陸作戦を敢行する。一方の中国軍は、臨豊を軸とした弓なりの防衛ラインを構築した。常徳が弓の右端、臨豊が弓の真ん中、そして慈利(2502)が弓の左端である。防衛ラインから外れた石門(2906)は日本軍による包囲攻撃を受けたが、なんとか持ちこたえていた。
日本軍は最後の力を振り絞って攻撃をかけてきた。臨豊、慈利が相次いで陥落する。しかし石門は最後まで持ちこたえた。最終的なVPは、11(日本)対16(中国)。5点差で中国運の勝利となった。土地の支配によるVPは互角だったが、戦闘により失われた日本軍ユニットによるVPによって中国軍が勝利を得た。
戦線防御が上手く行った。魚口守備隊の奮戦は予想以上であり、その結果に助けられた感はある。ただ魚口が落ちても大丈夫なように手当てはしておいたが・・・。反省点としては戦線の引き方。もう少し計算して戦線を引けば、日本軍の進撃をさらに止められていただろう。魚口守備隊についてももう少し工夫が必要かもしれない。ただ漫然と日本軍がやってくるのを待つのではなく、戦線を引いて日本軍の接近をく止めるような策が必要かもしれない。そんな兵力がないことは百も承知しているが・・・。
面白い。日本軍、中国軍とも考える所が多い。日本軍の場合は事前の計画性にある程度は依存することになる。逆に計画なしに行き当たりばったりでは勝利は覚束ない。







本誌の解説にある通り、中国軍は常套手段である「逃げるが勝ち」作戦によって最前線の部隊を全て撤収する。そのため最前線を遮るものがなくなった所で日本軍は2回連続で移動を選択。中部の要域である豊懸(3114)が早くも包囲されるに及んで、中国軍も脅威を感じたようである。
豊懸(3114)を落した日本軍は、そのままの勢いで一気に常徳(1711)に迫る。途中の臨豊(2510)でも中国軍の抵抗は微弱であり、瞬時に撃破。そのままの勢いで常徳城外に迫る日本軍。この段階で早くも勝利を確信する日本軍プレイヤーなのであった。
しかし中国軍の増援部隊は続々と常徳に集結してきており、このままでは常徳そのもの攻略は困難になりつつあった。そこで日本軍は常徳を攻めると見せかけて目標を変更。北西部山岳地帯の仁和坪(4306)や煖水街(3909)、あるいは南西部の石門(2906)、慈利(2502)といった辺りに攻撃を指向した。煖水街は比較的簡単に陥落、仁和坪も陥落したが、石門はその名の通り頑強な中国軍の抵抗にあい、攻略が思うように進まない。
石門、慈利に対する日本軍の攻撃はなおも続いているが、その攻略は遅々として進まない。しかも攻略作戦でEXを2度出してしまい、貴重な部隊が除去されてしまう。日本軍の場合、1部隊の壊滅がそのまま1VPの損失につながるので(中国軍の場合、司令部以外は無料)、EXは非常に痛いのだ。
最終Turnにようやく石門、慈利を攻略した。また石門で中国軍の司令部を除去したので1VP加算。これでVPは14対14のタイとなり、辛うじて引き分けに持ち込んだ。


常徳が陥落した。精鋭部隊を集中投入してきた日本軍に対し、常徳守備隊はまさかの3防御力(司令部含む)。アントライドシステムのなせる技だが、ここまでカスを引いてくるとは・・・。