秋田県大仙市大曲で毎年8月第4土曜日に開催される花火大会は「日本一の花火大会」と言われているそうです。
日本中から花火師が集まり、玉や演目での優劣を競うという一種の「花火選手権大会」になっています。そのため花火師も手抜きができず、その日のために趣向を凝らした花火が一同に会するという訳です。
そのためか市内のホテルもその日ばかりは満員状態。宿によってはその日だけは通常の3~5倍の宿泊料を徴収する所もあるそうです。資本主義だねぇ・・・。
日本中から花火師が集まり、玉や演目での優劣を競うという一種の「花火選手権大会」になっています。そのため花火師も手抜きができず、その日のために趣向を凝らした花火が一同に会するという訳です。
そのためか市内のホテルもその日ばかりは満員状態。宿によってはその日だけは通常の3~5倍の宿泊料を徴収する所もあるそうです。資本主義だねぇ・・・。
私も以前からこの花火大会を見たいと思っていたのですが、幸か不幸か近くの宿が取れたので、土日の休みを利用して出かけてみました。
大曲駅に着いたのは当日の11時過ぎでした。小雨が降っていたので駅前のコンビニで傘を買い、その他に夕食の弁当も購入しました。駅前の焼肉屋で昼食。その後少しのんびりし、雨が上がるのを待って会場に向かいました。



最初は普通に会場へ入ろうと思ったのですが、会場へ向かう途中に丸子川(雄物川の支流)の堤を歩いていると、そこかしこにビニールシートが敷いてあり、どうみても「ここで花火を見るぞ」的な体制になっていました。スペース的にはまだまだ余裕があったので、私も方針変更。花火会場には入らずにこの丸子川堤防から花火を見る事にしました。時に時刻は午後1時。花火開始までまだ4時間以上も時間があります。

ヒマつぶしの道具はそれなりに用意していたし、眠たくなれば堤で昼寝という手もあるので退屈はしませんでした。途中で駅まで切符を買いに戻ったりもしたので、時間は苦になりません。ただ時折雨が強く降ってくるのには参りました。近くに雨宿りする場所もなく、かといって長時間その場を離れるのも何なので傘をさして我慢しました。隣に座っていたカップルは雨合羽を用意していましたが、合羽は正解だったかもしれません。
花火そのものは昼の部と夜の部に別れていて、昼の部は1730~、夜の部は1850~となっています。
昼の部で使われる昼花火は、所謂狼煙から発展したようなもので、上空に打ち上げられた花火から落下傘が飛び出し、赤、青、黄、紫等の色の煙を引きながら落ちて行くというもの。煙が描く模様の綺麗さを競う部門です。あまり期待していなかったのですが、予想していたよりも面白く、見応えがありました。ただ昼の部の途中で再び雨が強く降ってきたので、傘をさしての花火見物は結構辛かったです。
昼の部で使われる昼花火は、所謂狼煙から発展したようなもので、上空に打ち上げられた花火から落下傘が飛び出し、赤、青、黄、紫等の色の煙を引きながら落ちて行くというもの。煙が描く模様の綺麗さを競う部門です。あまり期待していなかったのですが、予想していたよりも面白く、見応えがありました。ただ昼の部の途中で再び雨が強く降ってきたので、傘をさしての花火見物は結構辛かったです。



夜の部は花火大会の本命で、花火師が技を競うもの。「芯入割物」「自由割物」「創造花火」という3つの部門があり、出場している28社は全てに出場しなければなりません。
「芯入割物」というのがいわゆる1発勝負の打ち上げ花火で、1発の玉が上空で炸裂するという単純なものです。単純なだけに見応えがあり、見ていて一番飽きなかったのがこの「芯入割物」でした。
「自由割物」は省略して「創造花火」というのは、複数の花火を次々と打ち上げて演技するという内容です。ストーリー性のある花火なので最初は一番面白く見られるのですが、そのうちだんだんと飽きてくるパターンです。
「芯入割物」というのがいわゆる1発勝負の打ち上げ花火で、1発の玉が上空で炸裂するという単純なものです。単純なだけに見応えがあり、見ていて一番飽きなかったのがこの「芯入割物」でした。
「自由割物」は省略して「創造花火」というのは、複数の花火を次々と打ち上げて演技するという内容です。ストーリー性のある花火なので最初は一番面白く見られるのですが、そのうちだんだんと飽きてくるパターンです。










演目の途中で「大会提供花火」という演目があるのですが、これが一番の見どころ。一種の「創造花火」なのですが、そのスケール間が半端ない。大会会場一杯を使って大量の花火を一気に打ち上げる贅沢さ。演技が終わった瞬間、丸子川の堤一帯から大きな拍手が起こりました。



雨に祟られた今回の花火大会でしたが、十分に堪能できました。残念なのは昼花火で、これだけは晴れた日にもう一度見てみたいです。あと花火の写真は難しい。今回手動設定で色々チャレンジしてみましたが、素直にデジカメの花火モードで撮るのが良かったかもしれません。
逆に正解だったのが発泡スチロールのふた。宿の主人の勧めで魚のようなものを入れる発泡スチロールのふたをビニールシート代わりに持参したのですが、これが大正解。大雨の中でもお尻だけは濡れずに済んだ上、尻が冷えるのを抑止できました。
逆に正解だったのが発泡スチロールのふた。宿の主人の勧めで魚のようなものを入れる発泡スチロールのふたをビニールシート代わりに持参したのですが、これが大正解。大雨の中でもお尻だけは濡れずに済んだ上、尻が冷えるのを抑止できました。

このTurnの天候は「曇り」。最悪ではないが、空挺作戦には若干の悪影響を与える天気だ。その悪天候を突いて3個のソ連軍空挺部隊が3箇所で降下作戦を実施する。降下地点はニコポリ(Nikopol 3431)北方のドニエプル川が湾曲した突出部、クリヴォイローク(Krivoy Rog 2829)北方、そしてキロヴォフラード(Kirovograd 2225)北方の3箇所である。しかし悪天候の為の2番目の降下作戦は失敗に終わった。降下作戦実施が1Turn遅かったか、と感じた一瞬である。
ドニエプル川河畔地区では、大規模な渡河作戦が実施されていた。
その下流部では、ソ連第3親衛戦車軍団(8-9-6)を主力とする部隊がドニプロゼルジーンシク付近でドニエプル川渡河作戦を強行。ジューコフ将軍の苛烈な指揮と航空機の支援もあって渡河作戦は成功し、戦闘後前進によってドニプロゼルジーンシクを占領した。これによって要域ドニエプルペトロフスクはその西方を押さえられ、包囲の危機が迫った。

ドニエプルペトロフスクを守るドイツ軍は、損耗著しい第5SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」(4-3-7)とこれまた損耗著しい2個の歩兵師団でその防御力は計13。対するソ連軍は2個機械化軍団と4個歩兵軍団、その他支援部隊がドニエプルペトロフスク攻撃に参加し、その攻撃力は大河川による半減効果等も加味して計27。ドイツ軍の防御力は大都市で倍加しているので戦闘比は1-1。そこにジューコフの指揮、2個の砲兵が加わり、ドイツ軍も練度修正を適用できるので最終的な戦闘比は3-1となる。戦闘結果はDR。ドイツ軍はなけなしの航空支援を使って第5SS装甲擲弾兵師団で死守。当然ながら死守は成功したものの「ヴィーキング」師団も壊滅してしまう。
そこへドニエプルペトロフスク南部を渡河してきたソ連の新鋭、第3親衛戦車軍が弱体化したドニエプルペトロフスクに対して機動襲撃を仕掛けてきた。戦闘比は1-1で修正なし。出目6ならその時点でドニエプルペトロフスクは陥落。出目4以上でドイツ軍に死守チェックを強要でき、死守に失敗(確率1/3)すればドニエプルペトロフスク陥落。ソ連軍はサドンデスにぐっと近づく所であった。
その他にはクレメンチューク橋頭保が南東部に向けてその範囲を拡大し、ドニエプルペトロフスクを包囲するソ連軍と連絡する事に成功した。またカニェフ橋頭保でも2箇所で攻撃を実施。ドイツ軍を撃退して領域拡大に成功した。また目立たない所では、ノガリステップを西進してきたKV戦車装備の戦車旅団が、クリミア半島への入り口であるペレコープ地峡(Perekop 3041)を無血占領。さらにペレコープ地峡への交通線であるベリスラフ(Berislav 2836)の鉄橋南部をソ連軍第7機械化軍団(7-8-6)が占領。ペレコープ地峡への突破口を塞いだ。
ドイツ軍はクレメンチューク橋頭保に対してはGD師団(10-7-7)を含む3個装甲師団を投入して反撃を実施し、ソ連2個歩兵軍団を撃退する。さらに機動強襲で戦火拡大を図るも、戦闘結果DRXを出してしまい、虎の子GD師団がステップロスしてしまう(重戦車シフトが使えなくなる)。
戦場に初めて雨が降った。雨が降ると二級道路が使えなくなり、小河川を渡河する際の移動コストが+1になる。また戦闘時に左へ1コラムシフトが適用される。攻勢側のソ連軍にとって不利な天気である。一気にサドンデス勝利を狙いたいソ連軍にとっては、とんだ水入りとなってしまった。
ドイツ軍は2箇所で反撃を実施。カニェフ橋頭保ではティーガー重戦車大隊に支援された2個装甲師団(実質的な力では1個装甲師団相当)がソ連軍の歩戦連合スタックを攻撃。しかし雨によるコラムシフトを忘れるというポカをしてしまったため攻撃は失敗に終わる。
なお、このTurnから4Turnに渡ってドイツ軍はクリミア半島から撤退してくる4個師団の増援を得る。しかし先のTurnにクリミア半島の入り口であるペリコープ地峡をソ連軍によって占領されてしまったため、これらの増援は登場できない。増援部隊の中には有力な装甲師団も含まれていたため、ペリコープ地峡の早期放棄を嘆くドイツ軍なのであった。









面倒な事が起こった。消耗したドイツ軍の歩兵師団1個(第82歩兵師団、2-5-4)がコノトプ方面からソ連軍後方に進入。我が鉄道線を伺う気配を見せてきたのだ。既に後方連絡線も断たれようとしている敵の歩兵師団1個なんぞ本来は無視しても良い筈であったが、本当に無視したのがいけなかった。ずうずうしくも彼らは、鉄道線を狙う位置までコソコソと移動してきたのだ。それを追うソ連歩兵部隊も機動力の差(ドイツ軍歩兵部隊の移動力は4、ソ連軍のそれは3)から追い切れない。そこで泣く泣くキエフ方面に進出していた第3機械化歩兵軍団(7-8-6)を呼び戻し、戦線後方の警備に当てたのだ。貴重な機動兵力を残敵相当に充てるのは忍びないが、補給線を切られれば攻勢そのものがストップしてしまうのだ。
その間、戦線北西部のキエフ方面では、ブロバルィーのドイツ軍が強力なことを見越し、その南に布陣するドイツ軍混成歩兵部隊(4-7-4)を第1戦車軍を基幹とする機械化軍団4個、歩兵軍団1個、その他の兵力で攻撃した。4-1の比率の所を航空支援を投入して5-1とした。攻撃は当然の如く成功。ドイツ軍のドニエプル川の向こう側に追いやり、さらに突破前進したソ連軍は、遂にキエフを対岸に臨むドニエプル川河畔に到達した。
ハリコフ南西部では、第5親衛戦車軍を主力とする3個機械化軍団と2個歩兵軍団その他が消耗したドイツ軍2個師団の守るクラスノグラードを攻撃した。3-1の所を戦車とジューコフ効果で5-1で突破口を啓開。さらにレゾバヤ付近から突破してきたソ連騎兵軍団その他が(Pereshchepino 3821)付近で合流。その北東部に布陣するドイツ軍精鋭2個師団を包囲輪に閉じ込めた。機動襲撃と正面からの強襲攻撃によって精鋭第3装甲師団(6-5-7)は壊滅。僅かに歩兵師団1個がステップロスした状態で現地に踏みとどまった。


一方キエフ方面では、ブロバルィーを守る第11装甲師団と第503重戦車大隊が反撃を仕掛けてきた。さらにドニエプル川対岸からは第7装甲師団(6-5-7)、第10装甲擲弾兵師団(6-7-7)等が反撃を支援する。ソ連第10戦車軍団(5-3-6)は撃退されて後退。ドニエプル川河畔を守るソ連第1戦車軍もティーガー重戦車を前に苦戦を強いられたが、決死の死守命令が功を奏し、現時点でとどまり続けた。第1戦車軍の奮戦により現地点での停止を余儀失くされたドイツ軍。そのがら空きとなった背面に対し、ソ連軍による強力な反撃が仕掛けられようとしていた。
キエフ方面では、がら空きとなったブロバルィーをソ連軍機械化軍団が占領した。さらに第1戦車軍を主力とする機械化5個軍団、歩兵2個軍団、その他からなるソ連軍が、第11装甲師団を基幹とする1個軍団相当のドイツ軍(装甲師団1、歩兵師団2、重戦車大隊1)を包囲攻撃する。退路を断たれたドイツ軍。しかしここで第11装甲師団が決死の死守チェックに成功。現時点を固守した。

9月最後の週。クレメンチュークを占領したソ連軍が、そのままドニエプル川渡河作戦を敢行した。兵力は機械化軍団2個と歩兵軍団1個が戦車旅団3個を伴ってドイツ軍第106歩兵師団(5-7-4)が守るドニエプル川を攻撃する。1-1の戦闘を航空支援とジューコフ指揮で3-1までアップ。ドイツ軍も航空支援を投入して渡河阻止を図ってきたが、ソ連軍はそれを撃破して渡河に成功。ドニエプル川西岸に最初の橋頭保を築いた。ドニエプル川渡河一番乗りの部隊名は永く記憶に留められるであろう。第5親衛戦車軍所属の第5親衛機械化歩兵軍団(8-9-6)。ソ連軍最強の部隊の1つだ。
プロバルィー方面のドイツ第11装甲師団(6-5-7)その他に対しては、ソ連軍実に機械化軍団5個と歩兵軍団1個、その他を投入する。砲兵支援もあって5-1という高比率攻撃でティーガー装備の第503重戦車大隊を撃破。その他の部隊をドニエプル川の対岸へ撃退した。この成功でキエフ付近のドニエプル川東岸地区は全てソ連軍の支配する所となった。
戦線中部、ドニエプルペトロフスク前面では、パブログラードを占領したソ連軍が、ドイツ軍1個軍団相当(第13装甲師団6-5-7、及び歩兵師団2個)をパブログラード付近で包囲した。歩兵軍団6個と砲兵師団2個を投入した攻撃によりドイツ軍包囲下部隊はDRの結果を被ったが、ドイツ軍装甲師団による決死の死守が成功し、ドイツ軍が持ちこたえた。
































