もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2015年12月

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豊後竹田といえば、滝廉太郎の「荒城の月」で有名な岡城址がある観光地です。他にも広瀬武夫や阿南これちかといった有名人を輩出した町でもあります。
その豊後竹田駅前にある鳥料理の店が「丸福食堂」です。

駅から歩いて2~3分ぐらい。駅前通りのすぐ目の前にあるので、見落とす心配はありません。
私が着いたのは1330過ぎだったので、待たされることはなかったです。
620円のとり天定食を注文。これは鳥肉の天ぷらが5個、それにご飯、味噌汁、漬物、野菜といったシンプルな構成です。当然主役は鳥の天ぷらですが、これが正に絶品。鳥肉なのにもかかわらず臭みがなく、スパイシーな感じがして、さらに天ぷらのサクサク感もあるという感じです。そのままで食べても十分に美味しいのですが、私は好みで数滴醤油を垂らしてみると、これがまた絶品。醤油の辛さが鳥肉に程良くマッチしている感じです。

豊後竹田という場所自体がマイナーですが、駅からは近いし、近くに観光地もあるので、機会をみつけて出かけてみては如何でしょうか。

お奨め度★★★★★

11月半ばに開催した山科会の記録です。
今回の参加者は3名で、まずは真田軍記(GJ#36)をプレイしました。下名は東軍を担当しました。
以下はその記録です。

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10/7~13

最初の3Turn、家康公が登場するまでは西軍にとっての天下となる。この時期、可能な限り支配地域を拡大しておくことが西軍にとっては必要となってくる。逆に東軍としてはこの時期可能な限り兵力を温存し、続く決戦に備えたい所だ。

イメージ 14序盤、茨木城(2-2、城の防御力-耐久力、以下同じ)に囲んだ西軍諸隊は、恨み重なる片桐且元(0-0、戦闘修正-行動力、以下同じ)の城を強襲。一撃に元にこれを陥落せしめていた。また淀川沿いの高槻、淀の各城郭も次々と落城していく。また大和、和泉方面に進んだ別動隊は大和の龍田城(2-1)を攻撃してこれを落城。また堺から岸和田に進んだ別動隊は、岸和田城(2-2)を囲んだ。
この状況を見た幕府の板倉勝重(1-0)は、二条城を捨てて東へ遁走。伊賀上野の上野城(4-8)に立てこもった。

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10/16~22

イメージ 11徳川家康(3-3)が尾張に到着した。ここから畿内に向けて攻め上がっていくことになる。それを見た板倉勝重は、上野城を出立。再び京の二条城に入った。
その間にも畿内では西軍がその地歩を拡大していく。攻囲された大和郡山城(3-2)が包囲の末落城。城を守る桑山一直(0-0)は壮烈な自刃を遂げた。そして再び板倉勝重が入った二条城(3-3)を真田幸村(5-6)、後藤又兵衛(4-5)、長曾我部盛親(4-4)、明石全登(4-5)、毛利勝永(3-4)といった西軍主力が計19ユニット(約5万)の大軍で攻める。板倉勝重麾下の約2千の兵は、約10倍の敵に一歩も引かぬ戦いを見せた後、全員が討死して果てた。

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10/25~28

イメージ 13家康公が近江に入り、その前衛たる井伊直孝(2-2)、藤堂高虎(1-5)が率いる12ユニット(約3万)が膳所城(4-6)の南にある高地に布陣した。峻険な地形を利用して柵をめぐらし、西軍主力を待ち構える布陣である。
イメージ 12一方、西国から前進してきた毛利ら諸隊は播磨の国から摂津北に進出。西軍が落していた三田(2-1)を8ユニット約2万の兵力で攻めてきた。三田城は一撃で陥落したものの、それを見た西軍主力が動く。真田、後藤、明石、長曾我部ら計15ユニット約4万が三田城付近を守る東軍諸隊を攻めた。兵力で勝り、かつ士気も旺盛な西軍の一撃を受けて東軍部隊は大損害を被り、ほうほうの体で撤退していった。

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10/28~11/1

イメージ 18東軍主力と別行動をとっていた渡辺勘兵衛(3-3)麾下の約2千の兵力は、伊賀の国から大和の国に入って行った。秋山城を囲む西軍大野道犬(1-1)麾下の約4千を捉えた渡辺隊。兵力では劣るものの指揮能力で勝る渡辺隊は約2倍の兵力を持つ大野隊を圧倒。これを完全に撃滅し、大野道犬も討死に追い込んだ。(秋山の合戦)

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この情勢に怒った西軍首脳部は、真田、後藤、長曾我部、明石らの主力部隊を直ちに南大和に派遣。僅か2千の渡辺隊を囲んだ。渡辺隊は鎧袖一触の元に壊滅。渡辺官兵衛も壮烈な最期を遂げる。

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11/1~11/7

イメージ 17徳川秀忠が、計29ユニット(約7万)の大軍を率いて尾張から美濃に進出してきた。この状況をみた東軍主力は膳所の地を離れて彦根城(4-8)まで後退。秀忠隊の到着を待つ態勢を取る。
それを見た西軍諸隊は伊賀の名城、伊賀上野城を落城させた後、真田幸村以下の諸将が鈴鹿山脈を越えて伊勢に進出してきた。

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11/7~19

イメージ 12西軍主力不在をみた東軍主力は、琵琶湖の東岸と西岸を分離して進軍する。西国から来た諸隊も亀山城から老坂峠を越えて京都盆地に進出。そこで家康、秀忠らの主力と合流した。全部で80ユニット以上、約20万の兵力に膨れ上がった東軍主力は、淀川沿いに大坂へ向けて進撃を開始する。
二条、伏見、淀、高槻、茨木といった淀川沿いの諸城は次々と陥落。東軍主力は大坂城を指呼の元に捉えた。
一方、遠く伊勢に進出してきた西軍真田幸村らの機動部隊は、伊勢から急遽転進して近江の南、膳所城を眼下に見る高台まで進出してきた。しかしそれを見た東軍主力は家康、秀忠以下の主力部隊を京の二条城に集結させて西軍主力を牽制する一方、別動隊の片倉小十郎(3-3)が西軍の後方ラインを襲撃し、その補給線を遮断した。それにより大きな消耗を強いられた西軍諸隊は膳所の陣を捨てて彦根まで後退を余儀なくされる。

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11/15~28

イメージ 15東軍のうち、伊達政宗(3-2)、藤堂高虎、井伊直孝らが率いる計20ユニット約5万の兵が大坂城を囲んだ。その時大坂城に籠る西軍部隊は豊臣秀頼(0-0)麾下の計12ユニット約3万である。兵力で劣り、さらに指揮能力でも敵わない大坂城の守備隊にとって、頼りになるのは野外で戦っている真田幸村らの野戦部隊であった。彼らが大坂城の囲みを破ってくれるのが、彼らにとって唯一の頼りであった。

イメージ 13東軍主力は琵琶湖東岸を前進し彦根まで進出する。その兵力は約60ユニット15万人。圧倒的な兵力差のため西軍はこれに対抗する術はない。彦根から関ヶ原へ向けて西軍主力は後退していく。東軍は彦根城を強襲。これを一撃の元に落城させた後、彦根に陣を敷いた。

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西軍は最後の逆襲を決意。関ヶ原付近に集結していた約20ユニット、5万人の兵力で大坂へ向けた反転襲撃を試みる。彦根に集結している東軍主力に対しては犠牲部隊を突入させて敵の足を止める。その隙を突いて西軍部隊は彦根南部を迂回、東軍主力の鼻先をかすめて大坂を目指す。対する東軍主力は慌てて彦根の陣を引き払って西軍主力を追う。西軍主力の大阪到着が早いか、それともその後尾を東軍主力が捕捉撃破できるか・・・。

イメージ 19しかし結局どちらでもなかった。西軍、東軍主力が大坂城に辿り着く前に大坂城を守る西軍部隊は城を開いて降伏してしまったのである。包囲されてしまえば、如何な巨城でも決して難攻不落ではなかったことを、ここでも証明されたことになる。

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大坂城落城。

東軍の勝利。

感想

イメージ 16勝つには勝ったが、細かい点で失敗が多かった。
まず中盤の西国武将。調子に乗って三田を攻めたが、案の定真田幸村の反撃で大損害を被ってしまった。この時は大損害を出しながらもなんとか損失ユニットは出さずに済んだが、これは一重に運が良かっただけ。下手をすればこちらに除去ユニットが出てもおかしくない場面であった。やはり西軍主力が健在な間は、西国武将は積極的な攻撃には出ず、後方に下がって西軍を引き付けつつ、家康、秀忠率いる主力軍が来てから歩調を合わせて前進するのが良いと思われる。

イメージ 20また琵琶湖方面でも藤堂高虎(1-5)、井伊直正(2-2)の使い方について再考の余地が大きかった。膳所確保に拘って主力を前進させたのは危険だったかもしれない。幸い西軍が積極的な反撃を仕掛けてこなかったので助かったが、仮に真田幸村、後藤又兵衛らの主力で攻めてこられれば、かなりヤバイ展開になったかもしれない。やはりあまり無理をせず関ヶ原付近を拠点にして西軍の出方を待つ。これが秀忠登場までの東軍の基本スタイルと思われる。

最後の西軍主力による関ヶ原からの「大返し」も反省点が多い。東軍の全軍が彦根に集結したから今回のような芸当ができたのだが、東軍の全軍を集める必要はなかっただろう。主力は彦根に集めるとしても、前衛や側面援護の部隊を展開させれば、足止め部隊の突撃で全軍の足が止められることはなかっただろう。

いずれにしても「真田軍記」は面白い。機会を見つけて再戦したいものだと思う。

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以前に駅から2~3分のホテル前にあった信州そばの店です。長野の駅ビルが拡張されたということで、そこに移って来ました。
丁度昼時だったので少し待ちましたが、10分ほどで中に通されました。「信州プレミアム牛すき御膳」という\1320の定食を注文しました。これはおろし蕎麦と牛すき鍋、ご飯と小物がセットになった定食です。牛がついているにも関わらず値段が手ごろなので注文しました。

蕎麦の味はまあまあ。有名店の新そばなのでもう少し上を期待したのですが、まあ、こんなものでしょう。牛すきは旨かったです。御飯も良し。総じてまあまあお奨めできる味ではないでしょうか。

お奨め度★★★

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零戦と戦艦大和

半藤一利/泰郁彦他 文春新書

タイトルから見れば某秋田書店の青少年向け戦史本のようだが、内容は零戦と戦艦大和を軸にして、昭和時代の日本海軍について論じた座談会である。前半は専ら米海軍と日本海軍の比較。人事面、技術面、情報面等で日本海軍と米海軍を比較して長所短所を述べている。内容的には米海軍に甘く日本海軍に厳しいが、戦争に勝ったのはどちらかと考えれば、仕方がない所もある。ただしやや米海軍に対して評価が甘すぎるのではないかと感じた。後半はタイトルに出てくる零戦と戦艦大和について、長所短所を複数の評者が座談会形式で議論している。座談会という形式上数値面などで甘い点もあるが、傾聴すべき意見もない訳ではなく、そこそこ楽しめる内容であった。
1~2時間程度で読めるボリュームであり、資料性は皆無に等しいが、戦史に興味があればそこそこ楽しめる内容だろう。

お奨め度★★★

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11月上旬の某日。YSGAの例会はGame Journal誌最新作(当時)「江戸幕府の黄昏」のヘビロテ大会になりました。下名も計6戦をプレイ(他にルール間違いでやり直し1戦)。結果は以下の通りです。

第1戦

佐幕派を担当:「錦の御旗」カードで逃げ切りサドンデス勝利。

第2戦

倒幕派を担当:「錦の御旗」カードで逃げ切りサドンデス勝利。

第3戦

佐幕派と担当:VP20点越えでサドンデス勝利。

第4戦

佐幕派を担当:最終Turnまでプレイして僅差で敗北。

第5戦

倒幕派を担当:VP20点越えでサドンデス勝利。

第6戦

倒幕派を担当:最終Turnまでプレイして勝利。

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感想

プレイ時間は6戦で7~8時間。1回のプレイ時間は最大2時間程度で早期にサドンデスした場合は30分以下のプレイ時間ということもありました。バランス的にはカードの引きに依存する部分が多く、特に序盤に得点カードを固めて持っていると、上手く使えばサドンデスを狙える可能性が高くなります。もっとも得点カードばかりだと、地固めがやり難いので痛し痒しですが。

プレイバランス的には概ね良好だと思いました。カードの引きに依存する部分が多いので、カードの引きが悪いとどうしようもないのですが、だからといってどちらか一方が一方的に有利だということは無さそうです。心持ち佐幕派が苦しいかな?。後半に倒幕派有利なカードが多いので、佐幕派は強制イベントによってかなり辛いことになりそうです。そういった意味で佐幕派は、ゲーム序盤の朝廷工作には注意を要します。単に「敵側のカードだから」ということで安易に朝廷工作に回していると、早期に朝廷工作レベルがMaxに達する可能性があります。それはそれで有利なのですが、後半になって痛いカードが来た時に、朝廷工作がMaxだからこれ以上工作できません、というのは悲しい限り。そうならないように配慮する必要があります。

いずれにしても「江戸幕府黄昏」は幕末という難しいテーマを見事に再現した好ゲームです。プレイ時間も慣れれば1時間程度でプレイできるので、機会を見つけてプレイして頂きたい作品です。

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