もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2016年08月

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久しぶりに新版Ukraine'43をプレイした。今回は枢軸軍を担当する。ルールはGMT社のLiving Rule 7-4-15版に従い、SS装甲師団2個を投入すればティーガーシフトが得られる選択ルールを採用した。

これまでの展開
第1~3Turn
第4~7Turn

8Turn(43/09/06)

イメージ 10ここでこの段階でのドイツ軍の戦線について触れてみたい。
この時ドイツ軍の戦線は、その西側をドニエプル川に仮託し、ドニエプル川の支流であるVorskala川を西壁としてポルタワ(Poltava 3316)~ハリコフ(Kharkov 4213)、北ドネツ川からイジウム、ドンバスを経て、マリウポリ(Mariupol 5133)でアゾフ海につながっていた。ゲーム開始時から比べると、ハリコフ西方部分が大きく食い破られ、ポルタワから西のドニエプル川北岸地区はほぼ全域がソ連軍が支配している他、ハリコフ北方、ドンバス東部、タガンローグ付近がソ連軍の支配する所となっている。
ドイツ軍の戦線は、ドニエプル川のお陰でかなり短縮できているが、全体が直線ではなく半円形に湾曲した形になっているので、守備できている面積に比して戦線が長くなっている感は否めない。
ドニエプル川沿いについては、現時点では安泰だが、それでも渡河点を押さえておかないとソ連側に奪われる可能性がある。そのために、キエフ(Kiev 1211)、カニェフ(Kanev 1715)、チェルカッシー(Cherkassy 2118)、クレメンチューク(Kremenchug 2820)にはそれぞれ守備隊を配置して警戒している。また空挺降下や小規模部隊によるゲリラ的な渡河作戦に備えるため、足の速い装甲部隊を1~2個程度回したい所だが、今の所は余裕がない。増援部隊を優先的に回すことで補え得るだろう。

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イメージ 11このTurn、ソ連軍はハリコフ南方を守る弱体化したドイツ歩兵師団を攻撃し、7-1で"DS"を出してこれを撃破した。さらに機動強襲でドイツ第5SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」(12-10-7)を機動強襲。1-1の低比率ながらも"A1/DR"を出してSS師団を後退させた。
イジウムでは3-1攻撃で"DR"を出してまたも突破口を開ける、が、反撃を恐れたソ連軍は何故か前進せずに北ドネツ川対岸に後退。これにはソ連軍プレイヤー自身「恥ずかしい攻撃」と自嘲されていた。

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ドイツ軍はポルタワ北方とハリコフ西方で各1個所の反撃を実施した。いずれも高比率攻撃である。ハリコフ方面での反撃は成功。ハリコフへの補給線を再度啓開することには成功したものの、ハリコフで包囲されている友軍を救出するには至らない。

イメージ 12またソ連側がドンバスへ兵力をシフトしつあるので、同方面に装甲2個師団を投入し、さらにティーガー重戦車装備の第503重戦車大隊(3-2-5)、マンシュタイン将軍を送り込む。最強のGD師団(15-12-7)は、先にソ連軍が突破口を穿ちながらも後退したイジウム防衛線に布陣し、警戒にあたる。

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このTurn、ソ連軍はVP獲得がなかったので、そのVPは9のまま。一方でベンチマーク値は10に上がったので、初めてソ連軍の獲得VPがベンチマーク値を下回った。

獲得VP=9(10)

9Turn(43/09/11)

イメージ 13ソ連軍がハリコフに対して総攻撃を仕掛けて来た。戦闘比は1-1。そこに砲兵2個、航空支援、さらにはジューコフ将軍の指揮も加えて5-1の最終戦闘比である。結果は"A1/D1"。弱体化したドイツ軍歩兵師団は撃破され、第3装甲師団(6-5-7)がギリギリの死守を行う。死守は成功して何とかハリコフは持ちこたえているが、ハリコフに残っているのは基幹部隊と化した装甲師団(3-2-7)1個だけであり、その運命は風前の灯であった。

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イメージ 14南方ではカルミウス川の防衛ラインにソ連軍が猛攻を仕掛けてきた。戦闘比はいずれも2-1で戦闘結果は"A1/DR"であったが、余計な損害を避けるためにドイツ軍は後退。カルミウス川の防衛線が破られた。
急遽第3SS装甲擲弾兵師団「トーテンコップ」(8-7-7)と第503重戦車大隊等を南方戦線に派遣し、守備を固める。さらに2個SS装甲擲弾兵師団とGD師団も南方へ向かう。

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獲得VP=9(11)

10Turn(43/09/16)

イメージ 15ハリコフが陥落した。既に基幹部隊1個にまで守備兵力が減少していたので陥落は止むを得ない。
イジウム方面でもワザと弱体化させていたドイツ軍守備隊にソ連軍が食いつき、5-1攻撃で"DRM"を出し、後退を余儀なくされていた。
南方ではマキイフカ(Makeyevka 5326)をソ連軍が包囲攻撃。砲兵2個とさらにジューコフ将軍の指揮を投入して戦闘比4-1で実施された攻撃は"DR"の結果を得た。死守を試みたドイツ軍であったが、根性なしで死守に失敗。無傷で後退できたのは良かったものの、マキイフカを失ったのは痛かった。マキイフカの陥落によってドンバスに残るドイツ軍の占領都市はコンスタンチノフスク(Konstantinovsk 5123)とスターリノ(Stalino 5227)の2個所のみとなった。

ドイツ軍は北方では2個所で「落穂拾い」的な高比率攻撃を実施。両方とも"DS"の結果を得て2ステップ撃破の戦果を挙げる。ドイツ軍の本命は南方戦線。カルミウス川西岸に進出してきたソ連軍に対してGD師団、SS装甲師団3個、その他を投入して反撃を実施した。一連の反撃によってドイツ軍は計5ステップのソ連軍を撃破、自身の損害は皆無であった。

ハリコフとマキイフカの陥落によってソ連軍のVPは13点まで回復し、ベンチマーク値を再び上回った。

獲得VP=13(12)

11Turn(43/09/21)

イメージ 16ドンバス方面ではソ連軍は砲兵を集中投入して攻撃を仕掛けてくる。コンスタンチノフスクに対しては砲兵1個を投入して戦闘比3-1で攻撃。戦闘結果は"A1/D1"で死守に失敗したドイツ軍がコンスタンチノフスクを放棄。同市はソ連軍の手に落ちた。
ドンバスに最後に残ったスターリノに対しては、ソ連軍はジューコフ将軍の指揮を使って戦闘比4-1を攻撃を実施。戦闘結果はA1/D1であったが、ドイツ軍は航空支援を使って死守に成功。スターリノを守り切った。

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イメージ 17さらにソ連軍はドニエプル川にとりつき、ドニエプル渡河を狙って来る。
ドイツ軍はソ連軍のドニエプル渡河を警戒して第19装甲師団(9-8-7)等装甲師団2個、その他をキエフ~チェルカッシー間の警戒に派遣する。またドンバス方面ではスタリーノ両翼のソ連軍弱小部隊を攻撃し、「落穂拾い」的な高比率攻撃によって3ステップを撃破した。

獲得VP=14(14)

12Turn(43/09/26)

イメージ 18ハリコフ~ポルタワ間でソ連軍が大規模な突破攻撃を仕掛けて来た。ガッチリとした戦線を組んでいなかったドイツ軍は3面攻撃によってかなりヤバイ状態になる。下手をすると突出している装甲師団が包囲されてしまう状況であった。最初の3-1攻撃で"A1/D1"を出したソ連軍に対し、ドイツ軍は第10装甲擲弾兵師団(6-7-7)が航空支援の下で必死の死守を実施。なんとか死守に成功して装甲師団包囲の危機は回避できたが、死守によって貴重な装甲ステップを失ってしまう。
この失敗によって強力な部隊を2ヘクス間隔で並べることの危険を察したドイツ軍。以後はZOCボンドによる1ヘクス間隔の頑強な防衛線を築こうと心に誓う。

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ドンバスでは遂にスターリノが陥落した。ドンバス全域を失ったドイツ軍は総撤退を実施。このTurnは一切攻撃せずにドニエプル川に向けて後退していく。

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獲得VP=16(16)



Game Journal 93-パンツァーカイル
パンツァー・オペラツィオーネン――第三装甲集団司令官「バルバロッサ」作戦回顧録 独ソ戦大全 失われた勝利(上) 失われた勝利(下)

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F4Fワイルドキャット「前半は惨敗した」は本当か?

米海軍のF4Fワイルドキャットと我が零式艦上戦闘機を比較した際、良く「前半は零戦の圧勝」とか「初戦はF4Fの惨敗だったが、後に強敵となった」とか言われることがある。
この場合、F4Fが強敵となった理由として、アクタン・ゼロの存在(日本海軍が1942年6月にアリューシャン列島を攻撃した際にアクタン島に不時着した零戦が、ほぼ無傷で米軍の手で捕獲されたこと)やサッチウィーブ戦法の採用が挙げられる。これを裏返せば「アクタン・ゼロやサッチウィーブがなければ零戦がワイルドキャット如きに負ける筈はない」ということになる。

しかし本当だろうか?。本当に初戦は零戦の圧勝だったのだろうか?。

実はこの件については先行研究によって既に答えが出ている。恐らく読者の方は想像がついていると思うが、結論は「否」だ。零戦は初戦においてもワイルドキャットを圧倒することはなかった。というよりもむしろ初戦の方が数値面では悪い。そのあたりについて少し触れてみたい。

その先行研究とは、ジョン・B・ランドストーム氏が2005年に発表したThe First Team(以下、本書)である。本書の中で氏は、ワイルドキャットと日本海軍機との戦いに言及し、1942年2月から6月にかけて米海軍のワイルドキャットは17機の日本海軍艦上戦闘機(3機の96艦戦と14機の零戦)を撃墜し、逆に日本海軍艦上戦闘機によって10機を失った。撃墜比率は1.7:1である。この数値は戦後の分析に基づいた値であり、戦時中の報告に基づくものではない。
無論、この数値には米海兵隊が運用したワイルドキャットの数値が入っていないので、それを加えるとややワイルドキャット側の損害が増える可能性が高い。それでもその優劣が逆転することはないだろう。

ちなみにランドストーム氏はガダルカナル戦における零戦とワイルドキャットの戦いについても研究している。その研究成果がThe First Team and the Guadalcalnal Campaignにまとめられており、それによると米海軍機所属のワイルドキャットは、25機の零戦を撃墜し、31機を零戦によって失ったとされている。また海兵隊機も含めた戦果・損害については、梅本弘氏の「ガ島航空戦(上)」によれば、1942年8月から10月までの間にガ島航空戦の空中戦で失われた零戦は98機、対する連合軍戦闘機の損害は92機となっている。興味深いことに戦果・損害比でいえば、所謂「初戦」の方が「中盤戦」よりもワイルドキャットにとって有利な結果となっているのだ。

結局の所、「初戦は圧勝」とか「中盤以降苦戦」といった説の裏には「アクタン・ゼロやサッチウィーブがなければ零戦がワイルドキャット如きに負ける筈はない」といった希望的観測が見て取れる。しかしランドストーム氏の優れた研究が明らかにしている通り、零戦がワイルドキャットを圧倒したことは一度もなかった、というのが真相だ。零戦とワイルドキャットの比較について「お互いに優劣がつけ難い好敵手であった」というのが、今日における定説と言って良いだろう。

余談

F4Fが初戦で善戦できた理由として、機体性能があげられる。初戦を戦ったワイルドキャットは、その多くがF4F-3と呼ばれるモデルであった。このモデルはミッドウェー海戦以降に主力となったF4F-4と比べると、搭載機銃の数が2丁少ない4丁であり、また翼の折りたたみ機構がなかった。そのために空母へ搭載できる機数が少なくなり、空母から見れば「使い辛い」機体であった。
しかし機銃数や折りたたみ機構を持たないF4F-3は、F4F-4に比べると全備重量で400kg以上も軽量であった(3200kgと3617kg)。また火力については機銃数こそ少ないものの1丁当たりの搭載弾数が450発で、-4の240発に勝り、総合的な火力ではむしろ勝っていた。F4F-4の後に生産されているFM-1やFM-2がいずれも機銃4丁とされている点からもそのことが伺える。艦上戦闘機であるF4Fは元々運動性に優れた機体ではあったが、 機体重量の増加したF4F-4ではその特性がかなり失われてしまっている。その点、元々の素性を受け継いでF4F-3は素のままでも零戦に対抗できる戦闘機だったと言えよう。

事実、珊瑚海で戦った米海軍のパイロット達は、零戦の優れた運動性能に感銘を受けたが、速度と上昇性能ではF4F-3は零戦21型と互角としており(カタログスペックを見てもほぼ等しい)、火力と防御力ではF4F-3が勝っているとしている。これは両者の戦歴を比較した時、極めて優れた分析だと言えよう。

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写真上がF4F-3、下がF4F-4。翼に折畳機構を有し、空母への搭載機数を飛躍的に拡大させたF4F-4であったが、その結果機体重量は10%以上増加し、F4F-3が持っていた軽快さが失われてしまった。
ガ島航空戦(上) 海軍零戦隊撃墜戦記1 海軍零戦隊撃墜戦記2 海軍零戦隊撃墜戦記3 The First Team - Pacific Naval Air Combat from Pearl Harbor to Midway 1942 The First Team and the Guadalcalnal Campaign

ガ島航空戦(上)
海軍零戦隊撃墜戦記1
海軍零戦隊撃墜戦記2
海軍零戦隊撃墜戦記3
The First Team - Pacific Naval Air Combat from Pearl Harbor to Midway 1942
The First Team and the Guadalcalnal Campaign







倉敷駅から徒歩10分ぐらいの場所にある倉敷美観地区。学生時代に一度訪れたことはありましたが、その時は写真をやっていなかったので左程印象に残っていません。写真を撮るようになると物の見方が変わってきたのは間違いないので、再び美観地区に行きたいと思いながら早何十年。この度、漸く訪れる機会を得ました。

別の予定があったので現地到着は夕方の17時前。西日本でありしかも日の長い季節だったので辺りはまだ十分に明るいです。しかしこの人混みは何だ?。駅を出る時から長蛇の列。後で聞いた話では、何でもこの日は「天領まつり」というお祭りの日だったので、それ目当ての人が集まっているそうな・・・。

四苦八苦して美観地区に到着。人の多いのが気になりますが、とにかく写真を撮りました。

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その後歩いて10分ほどの場所にある阿智神社に移動。そこで数枚写真を撮ります。阿智神社は喧騒を離れた高台の上にあり、倉敷市街地を一望できる場所です。夕方の風が心地いい場所でしたが、蚊に刺されて痒かったのには閉口しました。

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宿に荷物を置いて夜の町へ。夜の美観地区もなかなか見応えがありました。やはり人が多いのには閉口しましたが・・・・

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その後近くの料理屋でビールを一杯。当地区名産のままかりも食べます。

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翌日は別の用事があったので長居はできませんでしたが、早朝の時間を利用して美観地区を歩いてみました。朝の時間帯は人が少なく、じっくりと写真を撮ることができました。

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今回は祭りの日と重なってしまって人が多かったのが残念でしたが、それでも美観地区を堪能できて良かったです。また機会があれば再訪したいと思います。

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ガダルカナルの戦い-アメリカ側から見た太平洋戦争の天王山

エドウィン・P・ホイト 井原祐司訳

原版は今から15年ほど前、日本語版は10年ほど前に出版された著作で、タイトル通りガダルカナル戦を米軍側から見た著作である。私自身、10年以上前に一度読んでいる。今回再び手に取ってみた。
陸海空の戦いを扱っているが、どちらかといえば海戦が主体である。従って陸戦場面はアッサリしている。ガダルカナル戦といえば日本側の誤判断と稚拙な指揮が目につくが、米軍にとっても決して楽勝でなかったことがわかる。さらに言えば、指揮系統、陸海の統合、海空軍の練度といった面で米軍側にも問題が多かったことを伺わせてくれる著作である。序に言うと、この手の著作にしては、細かい数値が比較的多く紹介されている。ガダルカナル戦に興味のある向きには読んでみて損のない著作である。
余談だが、本書の中で山本五十六は非常に「怒りっぽい」性格として描かれているけど、ホントかな?。

お奨め度★★★

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久しぶりに新版Ukraine'43をプレイした。今回は枢軸軍を担当する。ルールはGMT社のLiving Rule 7-4-15版に従い、SS装甲師団2個を投入すればティーガーシフトが得られる選択ルールを採用した。

これまでの展開-->第1~3Turn

3Turn(43/08/13)(承前)

このTurn、ソ連軍の攻撃は出目の冴えもあって大成功をおさめ、西方ではコノトプ(Konotop 2609)が陥落。要域ハリコフ(Kharkov 4213)は3方向から包囲の危機を迎えている。ソ連の第5親衛戦車軍はスムイ(Sumy 3407)から南下してポルタワ(Poltava 3316)に迫る勢いを見せており、その南方、イジウムの浅瀬は再びソ連軍が突破口を啓開していた。

南方のドンバス方面でもソ連軍は主要な都市部に迫る勢いを見せ、2個所で突破に成功したソ連軍は、ドイツ軍の虎の子第3SS装甲擲弾兵師団「トーテンコップ」(8-7-7)を包囲していた。

イメージ 11このTurn、ドイツ軍は長考に沈んだ。特に悩んだのが包囲された第3SS装甲擲弾兵師団の処遇。見捨てるのは論外だが、反撃して戦闘後前進で逃がすか、あるいは交戦離脱(敵ZOC内のユニットはダイスチェックに成功すると、敵ZOCから離脱して後退できる)を試みて戦線内に収容するか。交戦離脱の成功率は2/3。マンシュタインの振り直しを使えば90%近い成功率があるが、ノーリスクではない。しかしイジウム方面での反撃兵力を捻出する必要もあったのでここはリスク覚悟で交戦離脱を行うことにした。幸いダイス目は良くて交戦離脱には成功。貴重な装甲師団を戦線内に収容できたのは幸いであった。またイジウム方面でも反撃を実施し、ソ連軍の進撃を推しとどめた。

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イメージ 12このTurn、ドイツ最強のグロスドイッチュランド装甲擲弾兵師団(以下、GD師団)が登場する。その戦力評価は15-12-7。ティーガー効果ありのエリート修正。まさに向かう所敵なしの最強部隊。この最強部隊をドイツ軍はポルタワ、ハリコフ、イジウムの重心点に配置し、いずれの方向へも対応できるようにした。

獲得VP=3(2)

4Turn(43/08/18)

ドイツ軍は今や南北に連結した戦線を構築するのを諦め、北西はスムイ方面から敗走してきた部隊が薄いスクリーンを張りながらドニエプル川へ向けて後退戦闘中。そしてポルタワ西方まで張り出した戦線は、ドニエプル川に繋がらずに薄くスクリーンが形成されているに過ぎない。ソ連軍は当然そこを突いて攻めてくる。

イメージ 13西方ではソ連軍の第1戦車軍等がドイツ軍部隊を撃破しながら、西方の要域チェルニーヒウ(Chernigov 1604)にまで達している。ポルタワ西方では、ソ連第5親衛戦車軍がLokhvytsya(2711)を守る弱体化したドイツ第68歩兵師団(2-5-4)を撃破している。しかし主に補給上の制約からソ連軍の突破は西部方面へ集中しており、ドイツ軍が解放したポルタワ北西部への進撃はそれほど顕著ではない。同方面はさすがのソ連軍も補給線を維持することが難しいからだ。

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ハリコフ方面でもハリコフに取り付いたソ連軍は同地に対して2-1の攻撃を実施した。戦闘結果は"A1/DR"。ドイツ軍が死守に失敗すればハリコフが陥落する所であったが(確率1/6)、ドイツ軍は航空支援を投入して何とかハリコフを守り切った。

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ドンバス方面では、主要都市部に取り付いたソ連軍が都市部に対する攻撃を開始していたが、さすがに都市の守りは硬く、ソ連軍の突破構成は悉く失敗に終わった。

イメージ 14ドンバスの防衛成功やGD師団の到着によって機動兵力の余裕を得たドイツ軍は、イジウム方面に大規模な反撃を開始した。マンシュタイン将軍の指揮の元、投入されたのはGD師団を初め、SS装甲擲弾兵師団3個、通常の装甲師団4個、さらにはティーガー重戦車装備の第503重戦車大隊(3-2-5)や歩兵師団数個を投入したその攻勢でソ連軍の装甲2ステップ、騎兵2ステップを含む計8ステップを撃破して大損害を与えた。ドイツ軍の損害は装甲1ステップを含む計2ステップである。

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獲得VP=4(3)

5Turn(43/08/23)

イメージ 15ここに至り、ソ連軍の西方方面重視戦略の弱点が明らかになってきた。突破戦の主役となるべき戦車軍2個がいずれもハリコフ、ドンバスの主戦場からはるか離れた場所にいるため、ハリコフやイジウム、ドンバス方面での兵力不足が目立ってきたのだ。ドイツ軍による一連の反撃で失ったソ連軍ステップ数も無視できない。記録によれば、第4Turn終了時までにドイツ軍の反撃によるソ連軍の損害は計20ステップ、その間ドイツ側の損害は5ステップである。

西方に向けたソ連軍の進撃は無人の野を行くが如し。第1戦車軍と第5親衛戦車軍はドイツ軍を撃破しつつウクライナの首都キエフ(Kiev 1211)まであと4ヘクスと迫っていた。しかしキエフの前面には渡河困難なドニエプル川がある。さすがにドイツ軍もキエフを無傷で明け渡す気はないので、守備隊を入れて守りを固めている。西方を目指すソ連軍の進撃は、ドニエプル川という自然の障害と、補給という人為的な制約によって、キエフを目前にして失速しつつあった。

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ハリコフ方面ではハリコフ正面に対してソ連軍は1-1攻撃を実施したが、ドイツ軍による死守が成功してハリコフは持ちこたえた。それでもハリコフ南部にソ連軍が進出し、ハリコフ包囲を完成させた。
ドンバス、イジウム方面では、ソ連軍は2個所で低比率攻撃を実施するも、悉く失敗に終わる。

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イメージ 12ドイツ軍はイジウム方面では第503重戦車大隊とSS装甲師団3個を投入して掃討戦を継続し、同方面に残っていたソ連軍機械化部隊を撃破した。またハリコフ南方ではGD師団と装甲2個師団その他を投入して攻撃を行い、ハリコフ南方を守るソ連軍を撃破してハリコフへの連絡線を回復した。

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獲得VP=5(4)


6Turn(43/08/28)

イメージ 16さすがにソ連軍もハリコフ、ドンバス方面の兵力不足を感じてきたようである。このTurnは珍しくソ連側が長考に沈んだ。
キエフ前面まで進出していた第1戦車軍と第5親衛戦車軍がキエフ方面から転進して、それぞれスムイ南方、ハリコフ西方に布陣した。そして機械化部隊がハリコフ南西で攻勢を仕掛けて、ドイツ軍を撃破し、ハリコフ~ポルタワ街道に進出した。
ドンバス方面ではスラヴャンスク(Slavyamsk 5021)とその南のクラマトルスク(Kramatrosk 5022)がソ連軍の手に落ちた。ドンバス北部の防衛ラインが破られつつある。ドンバスの核心部にもソ連軍が迫ったが、こちらはなおもドイツ軍が耐えている。

ドイツ軍、このTurnはハリコフ南方とドンバス北方で高比率攻撃をそれぞれ1個所で実施した。前者はハリコフへの補給線確保、後者はドンバス北部防衛戦構築のためのヒットエンドラン攻撃である。攻撃はいずれも成功し、ドイツ軍は当初の目的を達成した。

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獲得VP=8(6)

7Turn(43/09/01)

イメージ 17ソ連軍はハリコフ~ポルタワ間に戦車2個軍が集結。ハリコフ西方の補給線を断つべく攻勢を仕掛けて来た。この攻勢によってドイツ軍歩兵1個師団が撃破され、戦線後退を余儀なくされる。
対するドイツ軍。一旦はハリコフ~ポルタワ街道を放棄したものの、ソ連軍がハリコフ付近の鉄道基地から同街道沿いに補給線を伸ばせることを知り、その補給線を断つべく再びハリコフ正面へ反撃を指向した。GD師団、SS師団2個、さらにはティーガー大隊、一般装甲師団3個を投入した反撃で戦線をハリコフ方面まで押し上げたドイツ軍は、ハリコフへの連絡線を再び確保した。

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ドンバス方面ではソ連軍がゴロフスカ(Gorlovka 5324)を攻撃する。4-1攻撃で結果は"D1"。ドイツ軍は死守チェックを試みるも失敗。ゴロフスカは陥落した。

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獲得VP=9(8)



Game Journal 93-パンツァーカイル
パンツァー・オペラツィオーネン――第三装甲集団司令官「バルバロッサ」作戦回顧録 独ソ戦大全 失われた勝利(上) 失われた勝利(下)

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