ゲーム合宿3日目。最終日で疲れていたこともあり、「戦争と平和」は比較的短いシナリオに挑戦することにした。選択したシナリオはNo.2の「イエナからフリードランドへ:1806-1807」。アウステルリッツに勝利して絶頂期にあったフランス大陸軍と、プロイセン、ロシア連合軍の戦いを描いたものである。
下名はフランス軍を担当した。
下名はフランス軍を担当した。
注:今回使用したユニットは、ゲーム所有者作成のオリジナルのものである。
1806年10月
フランス軍が一斉にプロイセン領内に侵攻する。先鋒はランヌ将軍(Lannes)とスールト将軍(Soult)。いずれも指揮値2を誇るフランス軍の名将だ。彼らはライプチヒ(Leipzig)付近でプロイセン軍ブランシュヴァイク将軍(Brunswick)、リュッヘル将軍(Ruchel)麾下のプロイセン軍と交戦し、兵力的劣勢を物ともせず、順当にこれを撃破した。1806年11月
フランス軍の快進撃は続く。サクソニア制圧を進めるフランス軍は、ダヴー将軍(Davout)とネイ将軍(Ney)麾下の兵力でドレスデン(Dresden)を占領。先のライプチヒ制圧と相まってサクソニア全域を支配下におさめた。サクソニアは降伏し、フランスの配下につく。ハノーヴァー方面では、ランヌ将軍がカッセル(Cassel)に侵攻し、これを占領する。
戦線中央では、ベルリンを目指すスールト将軍はベルリン南方でプロイセン軍のホーエンロウ将軍(Honeloe)麾下の兵力と交戦し、これに大打撃を与えて撃破した。
1806年12月
プロイセン軍はいくつかの小グループに分かれて後退する。明らかに決戦を回避し、ロシア軍の来援を待つ構えだ。フランス軍はいくつかの小グループに分かれて進撃。ダヴー将軍がブレスラウ(Breslau)を、ミュラー将軍(Murat)がベルリンを占領し、さらにランヌ将軍がブランスヴァイク(Brunswick)を占領した。ブランスヴァイクの占領によってハノーバー全域がフランス軍の支配する所となった。1807年1月
フランス軍の先鋒を進むスールト将軍麾下の騎兵部隊はワルシャワ付近のヴィスラ川(Vistula.R)に到達した。プロイセン軍救援のために前進してきたロシア軍の騎兵部隊と交戦し、圧倒的な兵力でこれを撃破していた。ロシア軍が登場。ベニングセン将軍(Benningsen)及びブックスフォーデン将軍(Buxhowden)麾下のロシア・プロシア連合軍がヴィスラ川まで前進してきたスールト将軍麾下のフランス軍を襲う。その兵力は31戦力。実に15万人近くに達する兵力だ。たまらずスールト軍は後退。ヴィスラ川にロシア軍の大軍が布陣した。
しかしその直後に再びロシア・プロイセン連合軍が大兵力を率いて反撃してきた。今回は34戦力。実に17万人近くの大軍である。さすがのナポレオンもこれにはたまらず後退。ワルシャワから退いた。
1807年3月
ロシア軍の到着。さらに度重なる冬季損耗(損耗チェックで6の目を連続して出した)によって大損害を被ったフランス軍は、現戦線を後退。オーデル川(Oder.R)付近のラインまで後退した。兵力を整備し、決戦態勢を整える。1807年4月
ロシアの大軍を前にしたフランス軍に再び損耗の嵐が襲う。出目は"5"。冬ではないので致命的な大損害は免れたが、それでも同盟諸国を中心に脱走兵が続出した。ベルリンをプロイセン軍が奪回したので、ダヴー将軍がオランダ軍を率いてベルリンを奪回した。
1807年5月
フランス軍が再びワルシャワに進撃する。ナポレオン、ランヌ、スールト、ネイら、歴戦の名将が率いる計30戦力約15万人の大軍だ。しかしロシア・プロシア軍はフランス軍を上回る約20万の大兵力である。連合軍を率いるのは、ロシア軍きっての名将バグラチオン将軍(Bagration)だ。兵力で勝る連合軍相手にフランス軍は苦戦を強いられるが、皇帝陛下自らの陣頭指揮、そして決定的な戦機での老親衛隊隊投入によってフランス軍は連合軍を撃破。この戦いで勝利をおさめた。1807年6月
ワルシャワを制圧したフランス軍は、バルト海に向けた「海への進撃」を開始する。二手に分かれたフランス軍は、右翼を進むランヌ将軍麾下の6戦力がケーニヒスベルグ(Konigsberg)を攻撃し、これを占領した。また左翼を進むナポレオン本隊はバグラチオン麾下のロシア軍を捕捉。これを撃破し、戦闘能力を失わしめた。しかしロシア軍がケーニヒスベルグに反転攻勢を仕掛けて来て、一旦これを明け渡した。
1807年7月
最終Turnである。ナポレオンがケーニヒスベルグを攻撃した。17戦力のフランス軍がケーニヒスベルグを守るブックスフォーデン将軍麾下のロシア軍5戦力を攻撃する。兵力、指揮値、そして士気に勝るフランス軍がロシア軍を圧倒。ケーニヒスベルグはフランス軍が占領した。これで勝利条件を満たしたので「勝った」と思ったフランス軍んであったが、甘かった。ロシアの猛将バグラチオン将軍が、僅か4戦力を率いてナルワ川(Narwa.R)を遡航。ワルシャワを強襲した。+2移動力の強行軍に成功したバグラチオン将軍(確率1/2)がワルシャワを強襲。4戦力対2戦力の戦闘であったが、防御側が籠城しているので防御力2倍。1対1の戦闘。しかし最終的には士気の違い(ポーランド兵は士気1、ロシア兵は士気2~3)と兵力の違いが物をいってロシア軍の勝利。ギリギリでワルシャワを奪われたフランス軍の敗北でゲームは終了した。
敵の逆撃に備えてネイ、スールト両将の兵をワルシャワ前面に展開させて防御スクリーンを張っていたが、川沿いのルートを完全に失念していたので盲点であった。ワルシャワの隣接ヘクスでスクリーンを展開していれば勝っていた所だが、残念。
感想
ゲーム的には負けたが、戦略的にはプロイセン制圧という目的を達成したので満足である。ただし「勝ちに拘る」プレイであれば、デンマークに展開しているスウェーデン軍を放置したのは失敗であった。次からは確実にここを始末していくようにしたい。戦術レベルでは増援部隊の投入とか、防御ラインの構築方法とか、テクニカルな面で未熟な面が目立った気がする。次回はもう少しマシなプレイをしてみたい。
今回のプレイ時間はセットアップを含めて計4時間ぐらい。午後のひと時に軽くプレイできる感じである。ルールもシンプルで分かりやすい。シナリオプレイでは、最後には勝利条件目当ての戦いになるので、詰将棋のような感じになるが、「こういう点はやっぱりキャンペーンシナリオの方が良いよね」という感想になり、キャンペーンシナリオをプレイする動機づけになるのは良いものだ。他のシナリオもプレイしてみたいものである。
おまけ
補給源の扱いについては対戦前に確認した方が良いと思われる。基本ルールによれば、補給源は「自国領内の大都市、あるいは衛星国領内の大都市」となっている。しかしシナリオルールによれば、補給源は「Milan、Munich及びフランス・オランダ領内の全ての大都市」となっている。この違いは例えばサクソニアやポーランドをフランス軍が支配したときに揉める可能性がある。基本ルールの記述に従えばサクソニアやポーランドはフランスの補給源になるが、シナリオルールに従えば補給源にならない。今回はシナリオルールに従うことにし、それで間違っていないように思うが、いずれにしても事前確認しておいた方が良いことは間違いない。