もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2018年04月

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「海空戦!南太平洋1942」は自作の空母戦ゲームです。
作品についての詳しくは-->こちらを参照して下さい。
また入手方法は-->
こちらを参照して下さい。
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こちらでもお知らせしましたが、「海空戦、南太平洋1942」(以下、本作)の新シナリオを準備中です。
今回はその中の1つ「第3次ブーゲンビル島沖海戦」を紹介します。これは1943年11月に実施された「ろ号作戦」における一場面を扱ったシナリオで、米新鋭空母群と日本軍第1航空戦隊との戦いを描きます。

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イメージ 5本作はデザイナーズノートにも書いたとおり、1942年における日米空母部隊同士を戦いをメインテーマとしている。従って日本軍航空要員の技量が高いレベルにあり、機材面でも米側と互角の状況にあることを想定している。しかし1943年11月の段階では、搭乗員の技量、機材性能とも日本軍の劣勢が明らかになりつつあった。勿論機材性能についてはユニットのレーティングである程度までは表現は可能だが、レーティングに現れない部分、例えば日本軍の「犠牲的献身」のようなものはレーティングだけでは再現できない。そして本作ではそのあたりがCRT等に組み込まれており、それが日本側の潜在的な強さになっているのだ。

イメージ 4ところが1943年の段階になると日本側の潜在的な優位性はかなり怪しくなってくる。機材面での劣勢は勿論だが、術力の低下がかなり顕著になっているのだ。また単に「操縦の巧い下手」ではない戦術能力(実際の戦闘場面で佐官尉官クラスの指揮官が麾下の航空兵力を巧み操る能力)が明らかに低下している。繰り返される過大な戦果報告はその一例であるが、空母と輸送船を間違えて攻撃するとか、空中合同に失敗するとか、そういった「細かいミス」が目立ってくる。そういった点を踏まえて本来ならば1942年と1943年とではCRTを含めて見直す必要があると思っている。
今回は、ボーナスシナリオとして追加したシナリオなので、CRTの変更までは手をつけていない。従って日本軍には史実以上のチャンスがある。出目が良ければ無敵のエセックス級空母を撃沈する可能性がないわけではない。エセックス級空母の能力は「翔鶴」や「エンタープライズ」よりも1レベル以上高いものとしているが、それでも70機の攻撃を受けると、防ぎきれない可能性は十分にある。少なくとも史実のように無傷で済む可能性は半分以下だと思える。

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イメージ 3何度かテストしてみたが、インデペンデンス級軽空母であれば十分に撃沈可能であった。エセックス級空母の狙った場合はさすがに撃沈は難しいが、中破程度の損害を与えることは左程困難ではないことがわかった。そこで勝利条件的にはインデペンデンス級軽空母撃沈又はエセックス級空母中破では勝利が確実にならないように設定した。日本軍にとって確実な勝利を狙うのであれば、少なくともエセックス級空母を大破させる必要がある。史実に比べるとかなり日本軍の能力を過大に評価しているとは思うが、まあオマケシナリオなので許して欲しい。

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北近江の小谷城。日本のウォーゲーマーなら、その名を知らない人は殆どいないと思います。北近江の雄、浅井長政の拠点。姉川の合戦で織田信長に敗れた後、3年間持ちこたえた後落城。その際に炎の中から逃げ延びたお市の方と浅井三姉妹の物語は歴史上あまりにも有名です。

3月初旬、まだ雪が残る小谷城に登ってみました。

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麓に「小谷城戦国歴史資料館」というやたら大げさな箱モノがあったので、その前に車を止めます。そこから標高差約300mの小谷山頂を目指します。追手道から山に入り、急な斜面を登りつめて小谷城の主稜線に出ます。そこからは緩やかな登りが続き、眞柄峠を越えて番所跡に出ます。この番所跡までは車で登ることができ、ショートカットする場合は車でここまで来る手もありです。

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番所跡からは小谷城の本命。お茶屋跡、桜馬場跡、大広間跡を経て、浅井長政が籠った本丸跡、さらに羽柴秀吉が奪取した京極丸跡、その後方に浅井久政が籠った小丸跡と続き、その先端に小谷城主稜線の最高峰である山王丸跡に繋がります。

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山王丸からは峠を経て小谷山最高峰の大嶽城跡、さらには谷道沿いに屋敷跡が続いているのですが、峠道の残雪が多く残っていたので断念(アイゼンを持ってきたら良かった・・・)。元来た道を戻りました。

帰りは小谷山から見る北近江の景観を堪能しながら下山しました。正面に虎御前山、左手方向には姉川と北近江の田園地帯、さらに遠方には琵琶湖と竹生島が浮かぶという絶景です。小谷城の戦略的な有効性を改めて感じ入りました。

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登山を終えて下山したのは11時過ぎ。所要時間は約1.5時間です。制高点として小谷城の価値は揺るぎないものがありますが、山城の弱点として稜線の脇から攻められると地積が得られない。また平時は不便なので近代城郭が山城から平城に移って行ったことも理解できました。

最後に麓にある「小谷城戦国歴史資料館」に立ち寄ってみましたが、まあこんな感じかな、という感じです。

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OCS-Sicily2をソロプレイしてみました。シナリオはNo.1「Western Sicily」。米軍によるシシリー島西部攻勢作戦を扱ったシナリオです。

作戦計画

このシナリオは米軍が主体であり、枢軸軍はイタリア軍しか登場しない。イタリア軍はAR(アクションレーティング=練度のようなモノ)が低い上、機械化率が低いので積極的な機動は難しい。従ってこのシナリオは米軍側の視点に立って考えてみたい。
OCSシリーズは補給のゲームと言われているぐらい補給が重要な役割を果たしている。補給ポイント(以下、SP)は機械化部隊の移動と各種戦闘行為に必要であり、SPがなくなると機械化部隊は移動不可、攻撃は不可、防御力は半減してしまう。
このシナリオで連合軍が使用できるSPは9ポイントである。他に「糧を敵から奪う」方式で若干の増加が見込めるが、大きな量ではない。そこで9SPを有効活用する方法を考えてみた。

第1Turn

第2機甲師団活性化 1SP
第3歩兵師団活性化 1TP(1TP=1/4SP)
攻撃3回 3SP

第2Turn

第2機甲師団活性化 1SP
第3歩兵師団活性化 2TP
戦闘2回 2SP

合計 7.75SP

この段階で一応勝利条件は達成している予定である。しかしもし予定通り行かない場合は第3Turnに攻撃を続行することになろう。この段階では敵から入手した分を加えても2SP程度しか手元に残っていないと思われる。従って残ったSPは部隊の移動に回し、戦闘は手持ち弾薬で戦うしかない。

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1943年7月17日

攻撃側である米軍は第2機甲師団がシシリー南部の海岸線を西に向かう。彼らの目標はシシリー島西部の港湾都市であるマルサラ(Marsala,5.15)、トラーパニ(Trapani,5.20)の占領である。彼らは途中Ribera(21.12)、Capo San Marco(17.12)を守るイタリア軍を撃破し、マルサラ前面に到達。マルサラを包囲した。しかしマルサラに対する直接攻撃はリスクが大きいので見合わせている。

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シシリー島中央部の山岳地帯では、第2機甲師団から分派された1個戦車大隊(3-4-14)の援護を受けて第3歩兵師団(11-3-14)が山岳道を北上する。彼らの目標はシシリー島北部の港湾、そして重要港湾都市パレルモ(Palermo,20.24)である。彼らは途中でイタリア軍の機械化大隊(2-3-6)と沿岸防衛連隊(2-2-2)を撃破。突破移動を利用して一気に海岸線に到達した。そこで重要港湾であるTermini Imerese(26.22)を守るイタリア軍司令部を攻撃し、これを撃破。Termini Imereseを占領した。

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このTurn終了時点で連合軍の保有SPは4.5SP。早くも保有SPの半分を消費したことになる。しかもこれは途中でイタリア軍から奪った0.75SPを加味した値であり、従って消費SPは5.25SPに達した。当初の予定よりも1SP多かった計算になる。

1943年7月21日

第2機甲師団がマルサラを攻撃した。沖合からは米駆逐艦4個戦隊が猛烈な艦砲射撃を浴びせかけている。艦砲射撃の援護もあって第2機甲師団はマルサラを占領した。しかし精鋭のレンジャー部隊(2-5-6)はこの戦闘で失われてしまう。残った第2機甲師団の半数はマルサラを抜けて北上。もう1つの港湾都市トラーバニを包囲した。

このTurn終了時点で連合軍の保有SPは2.5SP。連合軍がこのTurnに消費したのは2.5SPで、マルサラで0.5SPをイタリア軍から奪っていた。

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1943年7月24日

第2機甲師団がトラーパニを占領した。この時点で残っていたSPは0.75SP。もし第1攻撃が失敗に終われば、予備の機甲大隊3個がトラーバニに第2次攻撃を仕掛ける予定であったが、その必要はなかった。

結果

主要目標4個中3個を占領した連合軍の勝利。

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感想

補給ルールが細かいので補給ネットワークを作るだけで一苦労だ。またこのシナリオでは補給ポイントがギリギリなので、補給ポイントの使い方で結構頭を使う。OCSは規模の割に時間のかかる場合が多いように感じているが、それは補給ルールの精緻さに寄るところが大きいのかもしれない。
また一部で「悪名高い」奇襲ルールだが、CRTがかなり防御側有利なので攻撃側としては奇襲シフトがないとどうにもならない感もある。奇襲シフトに成功しても、出目は1とか2とかだとCRTが殆ど動かないので、攻撃側がかなり厳しい状況となる。いわんや奇襲チェックに失敗して逆奇襲を食らった日には・・・。

というわけでOCSの特徴となっている奇襲ルールについては、少なくともこのシシリー2ではゲームを破綻させるようなものではなく、むしろ連合軍の快進撃を再現するためには必要なルールと思えた。


A World at War: Second World War in Europe and The Pacific  88-激闘ロンメル・マッカーサー ドイツ装甲軍団1 American Tank Ace
イタリア軍入門 1939~1945 Allied Armies in Sicily and Italy The War in Italy, 1943–1944 Sicily 1943

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飛行機の戦争 1914-1945-総力戦体勢への道

一ノ瀬俊也 講談社

日本海軍が太平洋戦争で敗北した原因の1つに所謂「大艦巨砲主義」が挙げられることがある。現実には大艦巨砲主義は日本海軍の主要な敗因とは言い難く、敗因はもっと本質的な部分にあったのだが、わかりやすい後進性を示す象徴として大艦巨砲主義が取り上げられることが多い。
本書は戦前及び戦中における軍用航空機と国民との関わりを検証することで、日本国民が軍用航空機についてどのように捉えていたのか、そしてどのように変遷していったのかを追っている。本書によれば、戦前の政府及び海軍は米国海軍こそ大艦巨砲主義の権化として捉え、それを打ち破るための手段として航空兵力に着目し、その有用性を国民に説き続けた。それは国民の軍用航空機に対する関心を高めることが、航空機生産拡大及び航空要員養成に不可欠だったからだ。その傾向は戦時中も変わらず、日本政府及び海軍は航空兵力の有用性と必要性を国民に説き続けたのである。もちろん日本海軍全般に傾向として大艦巨砲に対する憧憬は捨てがたいものがあったが、現実の戦局は戦艦主体ではなく航空機主体で推移し、44年10月におけるレイテ沖海戦が終わった後は名実共に基地航空戦力が海軍の主力となったのである。
本書によれば、大艦巨砲主義は日本海軍の後進性を示すための格好のシンボルにされただけで、実際には大艦巨砲主義が国民の間で広く支持されたことはなかったし、むしろ航空機の方が決戦兵力として期待されていたという。それは戦前戦中のポスターや政府・海軍の公式発表、さらに当時の人々の日記などからもうかがえる。
本書を読んでもう1点気になるのが現在との相似形である。当時の人々は航空機からの空襲を恐れ、空母を発進する航空機によって東京や大阪が焼き払われる姿を想像した。それは現在の我々が北朝鮮のミサイルによって東京や横浜が焼け野原になることを恐れているのと好対照をなしている。そして戦前の人々の恐れは形を変えて現実となり、東京や大阪は焼け野原となった。今日、北朝鮮ミサイルによる脅威が現実の災厄にならないとは誰も言えない。戦争は「対岸の火事」として捉えるには余りにリスクの大きい事件なのだから。

お奨め度★★★★


飛行機の戦争 1914-1945-総力戦体勢への道 東條英機-「独裁者」を演じた男 米軍が恐れた「卑怯な日本軍」
大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実 なぜ日本軍は敗れるのか敗因21ヶ条

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舞鶴港で護衛艦を見てきました。ここは毎週土日と祝日に艦船の一般公開を実施しています。
在泊艦船を間近で見られるのが魅力です。(テロとか大丈夫かなぁ・・・)
在泊艦船は、イージス艦「あたご」、護衛艦「まつゆき」「あさぎり」、そして遠方に大型護衛艦「ひゅうが」の姿もありました。一番古い「まつゆき」がSSMを搭載しており、他の2艦にはSSMを搭載していなかったのが少し奇異に感じました。

それにしても(弾道ミサイル防衛能力こそないとは言え)強力なイージス護衛艦をこんな近くで見られるなんて、1国民として少し不安を覚えました。

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