もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2019年07月

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台湾の高雄(カオシュン)は港町。戦史に詳しい方なら戦時中に高雄港が戦略上重要な拠点として機能していたことはご存知のはず。今でも台湾有数の港湾都市である高雄には、多数の船舶が出入りしております。
そんな高雄の港湾としての顔を代表する歴史遺産が高雄港駅。今回紹介する設備は、そんな高雄港駅の利用した施設です。

高雄鐵道公園

高雄港駅の跡地を利用した鐵道公園で、高雄港駅が利用していた線路はそのままの形で残されています。プラットホームの一部も残されていて、他にはかつて利用されていたであろう機関車や客車が展示されています。
元々の駅をほぼそのまま流用してある駅の広さは圧巻で、当時の高雄港駅の広大さを彷彿させます。引き込み線が10本は軽く超える数あって、往時の高雄港駅の大きな収容能力を読み取れます。

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鐵道博物館

鐵道公園の横にある旧レンガ倉庫街が現在では様々な店舗やアミューズメント施設として再利用されています。鐵道博物館はその一角にあります。入場料は149元でした。内部は旧高雄港駅の切符売り場などを再現した施設、蒸気機関車の実物保存等もありますが、圧巻は何といっても内部のHOゲージジオラマ。台湾各地の鐵道路線がジオラマで見事に再現されています。高雄、台南、台中、新竹、台北、基隆といった台湾の鐵道風景を代表する景観や日本でもファンの多い南廻線沿線の景観など、様々な景観が再現されています。小一時間見ていても飽きません。

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アクセスはMRT(地下鉄)オレンジライン西湖湾駅から徒歩5分ぐらい。レンガ倉庫の一角にあります。

お奨め度★★★★

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台湾南部高雄市。MRT(地下鉄)塩呈埔(呈は土辺に「呈」)駅を降りて徒歩5分ぐらいの所にある鴨肉料理のお店です。一度夕方に来た時には行列が出来ていたので断念。現地時間午後4時頃に行った時には、行列がなかったので入れました。
鴨肉飯と綜合下水という鴨肉スープを注文しました。正直な所、鴨肉でやや匂いがあります。豆板醤をつけると匂いが消えて丁度いい感じ。しかし入れすぎると今度は辛さが半端ないので、要注意です。スープの方は、同じく豆板醤で匂いを消して食べると、深い味わいがあって良い感じです。
ちなみに今回の台湾旅行で最大の失敗は、この店に「地球の歩き方」を置き忘れたこと。宿に戻ってから気が付きましたが、取りに行くのが面倒だったのでそのまま放置しました。お店の人、ごめんなさい。

お奨め度★★★

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戦争調査会-幻の政府文書を読み解く 井上寿一 講談社
戦争調査会とは、敗戦直後の1945年11月に当時の内閣総理大臣である幣原喜重郎が立ち上げたプロジェクトである。日本があの戦争を行うことになった原因は何か。どのような経緯で戦争へ至ったのか。そして戦争自体あのような結果に終わったのはなぜか。それらの議論を当時進められようとしていた東京裁判とは違った視点から行おうという試みである。戦争調査会自体は1年足らずの活動期間を経て中止となり、報告書も作成されなかった。そこで筆者は、当時の史料を洗い直し、戦争調査会がどのような結論を導き出そうとしていたのかを探っている。戦争の起源といっても様々な考え方があり、唯一の結論が導き出せる訳ではない。しかし本書では戦争の起源について様々な視点を与えてくれる。例えば大正デモクラシー。戦争とは一見無関係に見える大正デモクラシーだが、同時期における軍人蔑視の風潮が軍人の行動を過激化し、昭和期における軍部の暴走に繋がったとする考え方は面白い。さらに戦時中においても空襲による直接の被害よりも、空襲に起因する出勤率低下や空襲警報による避難による労働時間低下の方が生産力に及ぼす影響が大きかったという指摘も新鮮である。これらの反省は戦争直後だからこそ行い得たものであろう。太平洋戦争に対して新たな視点を開かせてくれる著作である。

お奨め度★★★

190515_戦争調査会

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「幸村外伝 EPISODE-0」(以下、本作)については、以前に紹介した。大坂夏の陣、天王寺口の決戦を扱った「幸村外伝」の姉妹作品で、決戦前日の国分付近における大坂方と関東勢との激突を描く。
今回、4本あるシナリオの1本であるヒストリカル道明寺合戦を対人戦でプレイすることになった。後藤基次(又兵衛)率いる西軍部隊を、伊達、水野、松平らの諸隊が攻撃する。ゲーム中盤からは、西軍に明石守重、毛利勝永、そして最強の真田幸村らが登場するが、彼らが救援に駆け付ける前に後藤基次は壮烈な戦死を遂げることになろう。

ダイス目判定の結果、下名が東軍を担当することになった。

1Turn

水野勝成鉄砲隊先攻は東軍である。本作は移動、戦闘の繰り返しに防御射撃が間に挟まるというもの。非常にシンプルで分かりやすいシステムである。しかも原則スタックが禁止なので、戦力の計算がやりやすい。非常にユーザーフレンドリーなスタイルと言えよう。
このTurn、東軍前衛の水野勝成隊が小松山に陣取る西軍後藤基次隊に接敵。攻撃を開始する。水野隊の一部が後藤隊左翼を突破。小松山の一角に進出するが、すぐさま駆け付けた後藤基次らの反撃を受けて小松山を追い落とされる。

2Turn

後藤基次鉄砲隊左右に散開した水野勝成隊は広正面で西軍後藤隊と接敵する。高地に陣取り、火力・指揮に優れた後藤隊の反撃は猛烈を極め、水野隊はしばしば追い落とされた。しかし兵力で圧倒的な優勢に立つ東軍は、徐々に進出していく。

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3Turn

片倉景綱東北の雄、伊達政宗隊が戦場に到着した。水野勝成隊と伊達政宗隊が共同で後藤隊を追い詰める。戦線左翼で水野勝成と伊達方侍大将片倉景綱の軍勢が後藤隊の戦線を突破した。後藤隊の後背に回り込んで包囲を画策する。
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4Turn

後藤隊は何とか包囲の輪を解こうとするが、圧倒的な兵力差は如何ともし難く、包囲の輪は崩せない。

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5Turn

後藤基次後藤隊の総大将、後藤基次が東軍の包囲攻撃を受けて壊滅。後藤基次は壮烈な討死を遂げた。
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6Turn

国分村前面を扼していた後藤隊最後の生き残りが壊滅した。これで奈良街道は東軍の支配することになり、河内平野への道が開けた。

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7Turn

伊達政宗快調に前進を続けていた東軍部隊の前面に西軍の強力な増援部隊が立ちはだかった。明石守重、毛利勝永両将が率いる精鋭部隊である。不用意に敵中に突出していた伊達政宗は青軍部隊の包囲攻撃に遭い、脆くも壊滅していった。

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8Turn

伊達政宗楽勝気分が吹き飛んだ東軍部隊は慌てて態勢を立て直す。敵中に突破してきた明石守重を東軍部隊が四方八方から攻撃。戦力差+19のコラムで一撃必殺を狙ったが、士気の高い明石守重は東軍雑兵達の攻撃を退けた。
一方で敵に背後を取られた東軍の老将片倉景綱、そして今回東軍の前線部隊の指揮を任された水野勝成が西軍部隊を攻撃を受けて相次いで撃破された。2人とも討死である。
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9Turn

明石守重奈良街道、片山村での戦いはなおも続いている。

突出してきた西軍側侍大将に対し、東軍は四方から鉄砲隊によって攻撃する作戦を取った。この作戦は功を奏し、西軍側侍大将である明石守重、毛利勝永が相次いで討死した。しかし東軍も本田忠政が討死する。
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10Turn

伊達政宗騎馬鉄砲激しい戦いはなおも続いているが、西軍の2隊のうち、毛利隊はある程度戦力を保っていたものの、明石隊は既に半数以上の兵力を失って壊滅状態にあった。そして勝利ラインである石川ラインを東軍部隊がようやく超えようとしたその時、戦線後方から「赤い奴等」が近づいてきた。

真田幸村である。
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11~12Turn

真田幸村真田幸村は強かった。圧倒的な兵力差で前線に突出した東軍部隊を次々と撃破していく。指揮の高い真田隊に対して射撃戦では埒が明かないと判断した東軍。白兵戦による突破戦に切り替える。3個所で真田隊の前線を攻撃し、1個所で突破に成功するが、そこまでだった。

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結局、最終Turnまでに勝利条件である「石川ラインの西側に10ユニット以上を進出させる」ことができなかったため、西軍の勝利が確定した。

感想

中盤に伊達政宗ら有力な侍大将を失ったのが痛かった。西軍の反撃能力を甘く見て突出させたのが敗因である。包囲されないように戦線を張って慎重に前進すべきであった。

プレイ時間は約3時間。手軽で楽しくプレイできる。バランス的にはやや西軍が有利なように思えるが(真田隊が強すぎる・・・)、東軍も圧倒的な物量で攻める楽しさがある(士気の低さは何とかしてくれぇ・・・)。ルールも簡単でエキサイティングなゲーム展開が楽しめる良作だと思う。

機会を見つけて再戦したい。

歴史群像2019年8月号
特集は「ラバウル航空戦1942」。南東方面における航空戦を主に日本軍からの視点で考察した内容。連合軍側の記述がやや寂しいが、戦争初期のオーストラリア軍の事情にも触れていて興味深かった。巻末の資料紹介も良い。他に児玉源太郎に関する記事、1943年後半におけるドニエプル川攻防戦に関する記事も面白い。後者はUkraine'43をプレイしたくなった。他にも今回は読む所が多かった。

お奨め度★★★★

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