名護屋城は玄界灘に面した松浦半島北端にある平山城です。悪名高い豊臣秀吉の朝鮮出兵。その時の前線基地になったのがこの名護屋城です。勿論今では天守閣などは残っておらず、巨大な石垣が残されているだけでしたが、その石垣を見るだけでも往時の名護屋城が相当な規模の城であったことを伺わせるものであります。
平戸の街から車を走らせること約1.5時間。松浦半島の北端部近くに名護屋城があります。現地に着くまでは「どうせ、苔むした山に「名護屋城」とか石碑みたいなものが残っているだけでしょ」と高を食っていましたが、良い方に裏切られました。
名護屋城の正面に駐車場があり、車はそこに停めます。すぐ目の前に名護屋城の跡地になっていますが、往時の石垣がそのまま残っていて、それが相当に規模の大きなものです。少なくとも、地方都市の平城に見る城郭と比べても、名護屋城の石垣は規模の面では決して見劣りしないでしょう。
緩やかな上り坂を10分ほど歩くと、最高点、所謂「天守台」に着きます。ここからは目の前に玄界灘の雄大な景観と対馬海峡に浮かぶ島々が見えています。遥か彼方に霞んで見えるのは、多分対馬でしょう。
帰りは元来た道の反対側を迂回して降りていきます。
途中で城の西側に巨大な発電所らしき建物が見えていました。これが今話題の「玄海原子力発電所」です。
所要時間30分ぐらいで一周できました。
名護屋城の反対側は名護屋城博物館になっていて、名護屋城の歴史や名護屋城築城の前と後の日朝関係の歴史等に関する史料、資料が展示されていました。入館料が無料というのは有難いです。
全部で1時間足らずの名護屋城見学でしたが、実際に名護屋城の全貌を知るにはもっと時間が必要かもしれません。というのも、城の周囲には「徳川家康陣屋趾」「伊達政宗陣屋趾」等、往時の錚々たる戦国武将たちの陣屋趾が城の周囲一帯に散在しています。これらを全部踏破するだけでも、丸1日はかかりそう。それだけこの名護屋城の規模が大きかったという証左でもあります。
つづく
お奨め度★★★★
平戸の街から車を走らせること約1.5時間。松浦半島の北端部近くに名護屋城があります。現地に着くまでは「どうせ、苔むした山に「名護屋城」とか石碑みたいなものが残っているだけでしょ」と高を食っていましたが、良い方に裏切られました。
名護屋城の正面に駐車場があり、車はそこに停めます。すぐ目の前に名護屋城の跡地になっていますが、往時の石垣がそのまま残っていて、それが相当に規模の大きなものです。少なくとも、地方都市の平城に見る城郭と比べても、名護屋城の石垣は規模の面では決して見劣りしないでしょう。
緩やかな上り坂を10分ほど歩くと、最高点、所謂「天守台」に着きます。ここからは目の前に玄界灘の雄大な景観と対馬海峡に浮かぶ島々が見えています。遥か彼方に霞んで見えるのは、多分対馬でしょう。
帰りは元来た道の反対側を迂回して降りていきます。
途中で城の西側に巨大な発電所らしき建物が見えていました。これが今話題の「玄海原子力発電所」です。
所要時間30分ぐらいで一周できました。
名護屋城の反対側は名護屋城博物館になっていて、名護屋城の歴史や名護屋城築城の前と後の日朝関係の歴史等に関する史料、資料が展示されていました。入館料が無料というのは有難いです。
全部で1時間足らずの名護屋城見学でしたが、実際に名護屋城の全貌を知るにはもっと時間が必要かもしれません。というのも、城の周囲には「徳川家康陣屋趾」「伊達政宗陣屋趾」等、往時の錚々たる戦国武将たちの陣屋趾が城の周囲一帯に散在しています。これらを全部踏破するだけでも、丸1日はかかりそう。それだけこの名護屋城の規模が大きかったという証左でもあります。
つづく
お奨め度★★★★