
そう、このゲームはソロプレイ用ゲームなのです。プレイヤーの立場は船団護衛部隊の指揮官。対するUボートはゲームシステムに従って自動的に出現し、船団を襲ってきます。プレイヤーは船団の被害を極限し、Uボートを撃破することを目指します。
プレイは、1つの航海だけをプレイするシナリオもありますが、一般的なプレイスタイルは、複数回の航海を繰り返して約1年半の長期戦を戦うキャンペーンシナリオです。扱っている時期は1942年2月~翌年6月です。この時期、大西洋の戦いが最も激しかった時期でもあり、Uボートの脅威によって英国は非常な危機に陥っていました。1943年3月から護衛空母が船団護衛につくようになり、Uボートの脅威は大幅に軽減されました。この時点でUボートの脅威は連合軍の対策によって抑え込まれ、大西洋の戦いは事実上終焉を迎えることになります。
プレイヤーは、大西洋で連合軍が優位を確立するまでの間、護衛船団を守って大西洋で戦い続けることになります。
第1回航海:1942年2月前半
このゲームでは、ゲーム開始時に護衛部隊のタイプを決定する。後で判明することだが、この護衛隊タイプの決定が極めて重要で、ここで「外れ」を出すと、後々苦労することになる。今回の出目は5で、英海軍の護衛グループB5となった。その内訳は、護衛グループ指揮官が乗船する駆逐艦「ハブロック」(HMS Havelock)の他、駆逐艦3隻、コルベット艦3隻である。駆逐艦は、H級、タウン級、V&W級の混成だが、ゲーム上、駆逐艦の種類の違いはあまり大きな影響はない(少しだけある)。コルベット艦は有名なフラワー級だ。
ちなみに護衛部隊はイギリス海軍、カナダ海軍、アメリカ海軍の3パターンがあり、カナダ海軍は他の2ヵ国に比べて装備が劣る。護衛部隊の大きさや国籍はランダムに決まるので、ここでカナダ海軍になってしまうと、前途多難となる。今回は運良く装備優良なイギリス海軍になった。
さらに今回の編制では、最初からHF/DF(「ハフダフ」と読む、短波方向探知機で、船団付近で通信を行うUボートを事前探知できる可能性がある)を装備していた。
我々が護衛する船団は、2月上旬に北アイルランドのロンドンデリーを出航した。船団は約60隻の輸送船よりなり、それを我々7隻の護衛艦が護衛する。
我々はUボートの襲撃を警戒しながら西へ向かう。途中何度か潜望鏡発見の報告はあったが、幸いUボートの襲撃はなかった。出航してから約2週間後、60隻の輸送船団は1隻も失うことなくカナダのニューファンドランド島に到着した。
第2回航海:1942年2月後半
我々は新たな船団を護衛して今度はニューファンドランドから東へ向かった。大西洋のほぼ中間海域に差し掛かったころ、我々は最初の試練を受けることになった。船団がウルフパックの攻撃を受けたのである。ウルフパックとは複数の潜水艦からなる攻撃グループのことだ。
我々は4隻の駆逐艦を2隻ずつ船団の左右に配置し、2隻のコルベット艦を船団の前方に、1隻を後方に配置した。
まず昼間に3隻のUボートが接近を図るが、そのうち1隻をHF/DFで、別の1隻をASDICで捕捉。いずれも爆雷攻撃を加えて追い払った。別の1隻は慎重に夜を待っていた。
最後の1隻が夜間に襲撃を企てるが、HF/DFがそのUボートを探知。駆逐艦2隻で爆雷攻撃を加えて、ようやく1隻を撃沈した。船団における初のUボート撃沈である。
しかし2日後に悲劇が待っていた。1隻のUボートが白昼堂々護衛艦の防御スクリーンを突破し、船団内部に進入。魚雷4本を発射したのである。2本の魚雷がそれぞれ6700トンの「パナイーバ」と5000トンの「ヴァクライト」に命中。前者は沈没、後者は不発魚雷1本に助けられて何とか大破で踏みとどまった。
幸いその後はUボートによる襲撃はなく。船団は損失1隻でなんとかロンドンデリーにたどり着いた。
第10回航海:1942年6月後半
このあと、我々は何度か大西洋を往復した。その間、何度かUボートの攻撃を受け、時には恐るべきウルフパックの攻撃を受けることもあった。しかし我々はUボートによる攻撃を撃退し続け、輸送船団の損害を最小限に食い止めていた。この日までに我々が失った輸送船は、先に記した「パナイーバ」の他、5月の航海でUボートの攻撃を受けて撃沈された4500トンの「ケープ・ロドネー」だけであった。この時は凄腕のUボートが護衛部隊の僅かな隙をついて船団に護衛スクリーンを突破。船団の2隻に魚雷攻撃を仕掛けて1隻を仕留めたのである。我々はそのUボートを追ったが、彼が手傷を負いながらも我々の追撃を振り切った。その一方で、これまでの航海で我々が仕留めたUボートは計5隻に達した。特に威力を発揮したのはHF/DFで、船団外周で通信を行うUボートを高い確率で捕捉し、複数の護衛艦で追い詰めて撃沈していったのである。
そして6月下旬。我々はカナダのニューファンドランド島セントジョーズを出航した。今回護衛対象は約40隻の輸送船団である。約40隻といえば多いように思えるが、当時最大規模の船団は60隻にも達しており、40隻という隻数は船団の規模としては比較的小規模といえた。
その頃には我々の護衛部隊も強化され、隻数は8隻、レーダー装備艦も2隻に増えていた。乗組員の練度も向上し、船団護衛に対する自信を深めつつあった。
最初の数日は何事もなく過ぎた。出航から5日目、そろそろ味方哨戒機の哨戒圏内に入ろうとしていた頃、我々は1隻のUボートの攻撃を受けた。その艦は単独行動中の1艦であったが、我々の護衛スクリーンを巧みに突破し、船団内部に潜入。4本の魚雷を発射した。13700トンの大型タンカー「ニューサビア」に4本の魚雷が次々と命中。「ニューサビア」は一瞬のうちに沈没した。轟沈であったため生存者はなかった。我々は直ちに敵潜を探したが、彼は巧みに我々の追撃を振り切って深海に姿を消した。
しかし彼は欲張り過ぎた。一旦船団を離れた彼は、船団の左舷方向から再度の襲撃を企図してきた。しかし今度は駆逐艦「ハブロック」の271型レーダーがUボートの接近を捉えた。「ハブロック」は僚艦と行動してUボートを追い詰め、遂にこれを撃沈した。
この戦いから2日後、我々は大規模なウルパックによる攻撃を受けた。最初に襲ってきたのは4隻のUボートである。彼らにとって不幸なことは、接触したのが夜間ではなく昼間であったことだ。明るい昼間はUボートにとっても襲撃に適した時刻ではなかったのだ。
4隻のUボートのうち2隻が防御スクリーンの突破を試みた。左舷から接近を試みたUボートは、レーダーによって探知され、爆雷攻撃で損傷を被りつつ辛くも離脱していった。
一方、右舷から突破を試みた別のUボートは、護衛スクリーンを突破。12000トンのタンカー「サラナック」に魚雷1本が命中した。命中魚雷数が少なかったので助かるかな、と、思わせたが、当たり所が悪かったのか、被雷後数時間で「サラナック」は沈没してしまう。沈没が緩慢であったため死傷者が比較的少なかったことが救いであった。
別の貨物船にも魚雷が命中したが、こちらは魚雷が不発だったので助かった。
数時間後に4隻のUボートが船団を襲った。しかし今度は我々が船団を守り切った。襲撃してきた4隻のUボートのうち2隻を爆雷攻撃で撃沈。1隻が緊急浮上して来た所を砲撃により撃沈。最後の1隻は手傷を負わせたが、撃沈することはできなかった。
こうして我々は10回目の航海を終えてロンドンデリーに入港した。我々は2隻のタンカーを失ったが、4隻のUボートを撃沈し、撃沈スコアは計9隻に達していた。
この航海の後、私は中佐に昇進した。
つづく







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