FtP表紙


For the People(以下、本作)は、米国GMT社が2000年に発売したSLGだ。テーマはアメリカ南北戦争で、プレイヤーは、リンカーン大統領又はデイヴィス大統領の役割を演じる。
本作はカードドリブンシステムを採用しており、カードプレイが本作のメインエンジンとなる。マップは南北戦争の主戦場となったアメリカ大陸南東部がP2Pで描かれており、マップ北東端がフィラデルフィア、南西端はガルベストンとなっている。1Turnは実際の4ヶ月に相当する。

今回、本作をVASSALでソロプレイしてみた。折角なのでキャンペーンシナリオをプレイしたかったが、1861年の展開は正直言って結構退屈する。だから今回は1862年シナリオからスタートしてみることにした。1862年といえば、南軍にリー将軍が登場し、半島戦役やアンティータムの戦い等があった年で、南軍がまだまだ快調だった時期である。

写真00


4Turn(1862年春)

CSA_Forrest先手を取った北軍は、ポーター提督麾下の艦隊でメキシコ湾岸ニューオーリンズを守るFortsSt.Philip/Jacksonに対して上陸作戦を敢行した。ポーター提督によるDRM+2の威力は大きく、Philips/Jackson要塞は瞬時に陥落した。慌てて南軍はボーレガード将軍麾下の2SPを急遽ニューオリンズに送り込み、北軍の侵攻を抑え込む。

写真01


北軍はさらに南軍に暗殺者を送り込み、優秀な騎兵指揮官であるフォレスト将軍を暗殺した。実はダイス目で決めた犠牲者はリー将軍だったのだが、さすがみリーがここで死ぬのはあんまりなので、「宇垣裁定」でリーの代わりにフォレスト将軍に犠牲になった貰った。

東部戦線では、北軍のポトマック軍が南下して南軍ヴァージニア軍を攻撃する。指揮官の能力に差があり過ぎて北軍にほぼ勝ち目はないが、北軍の狙いはそこではなかった。激戦を交えることで南軍の指揮官の戦死を狙った消耗戦である。このゲーム、勝った側の方が戦死率が高くなる仕組みになっている。だから優秀な指揮官が揃っていて戦闘に強い南軍の方が指揮官の戦死率が高い。

CSA_Lee南軍はヴァージニア軍の指揮官であったJジョンストン将軍を解任し、リー将軍をヴァージニア軍の指揮官に推挙した。軍指揮官は戦死チェックの対象外になるので、リーを戦死の危機から守るための処置である。これは政治的に見て失点が多い策だったが(前の合戦の勝者であるジョンストン将軍をクビにするのだからこれは混乱不可避、ゲーム的には国家の戦意低下という形で処理される)、リー将軍の重要性を考えると仕方がないと言えよう。

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北軍バルター将軍麾下の侵攻軍がメキシコ湾岸のサービン・シティ(Sabine City)に上陸した。ここには南軍の守備隊がいなかったので北軍が容易に地歩を固めた。これにより南軍はテキサス方面でも脅威を受けることになったのである。南軍はプライス将軍麾下の2SPを直ちにテキサス方面に送り込み、北軍の侵攻を止めようとする。

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Turn終了時のSW(Strategic Will=国家の戦意)値:北軍=115/南軍=84

5Turn(1862年夏)

CSS_Jackson南軍テネシー軍では、これまで指揮をとっていたAジョンストン将軍を解任し、無名のジャクソン将軍を指揮官に抜擢した。あまりの無謀な人事に南軍の士気は激減(SW値-12)した。

北軍はまたもや上陸作戦を敢行する。メキシコ湾岸モービルを守るFort Morganだ。ファラガット将軍麾下の上陸部隊がFort Morganに上陸する。ファラガット将軍の見事な指揮によってFort Morganは陥落。フロリダとミシシッピーの付近にも北軍が拠点が築いたことになる。南軍は乏しい兵力から2SPを割き、スミス将軍に預けてモービルに急行させる。

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北軍はテネシー州で全面攻勢に出た。ビューエル将軍麾下のカンバーランド軍はナッシュビルから南東方向に進撃、カパラチア山脈のふもとを抜けてチャタヌーガからミッショナリーリッジに進出する。
ミシシッピー川付近では、ポープ将軍麾下の独立軍団がニューマドリッドとメンフィスの南軍要塞を攻め、いずれも陥落に追い込んだ。これによってミシシッピ川の制河権は北軍の手に移った。
結局、このTurn終了時点でテネシー州は北軍の手に陥落した。

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全般的に不利な南軍は東部戦線で攻勢を仕掛けた。リー将軍麾下の北ヴァージニア軍は、マナサス付近で北軍マクレラン将軍麾下のポトマック軍を攻めた。兵力面では劣勢であった南軍だが、リー将軍の見事な指揮によって北軍を撃破し、マナサスの支配を奪取した。

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Turn終了時のSW値:北軍=119/南軍=58

6Turn(1862年秋)

USA_McClellanマナサスでの勝利によってさらに北軍中枢部へ侵攻したい南軍であったが、ポトマック川に守られた首都ワシントンを右側背に残したまま、さらなる北進はさすがに危険である。南軍はマナサスに要塞を築き、守りを固める。

一方北軍のマクレラン将軍も数万を擁するポトマック軍を率いてフレデリックに布陣し、リー将軍麾下の南軍北ヴァージニア軍を牽制している。その間、フッカー将軍麾下の北軍3SPはフロリダ南部メキシコ湾岸のFort Gadsonに上陸。同地を占領していた。Fort Gadsonは、チャッタフーチ川河口にある要塞で、その上流にはジョージア州第2の都市、コロンバスがある。コロンバスを失っては一大事と、南軍は現役に復帰したA.ジョンストン将軍麾下の2SPを急遽コロンバスへ送り込む。

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その間、北軍は「特許王」ジェームズ・ブキャナン・イーズの建造した多数の河川用装甲艦を就役させて制河権を確保した(北軍の上陸修正が+2から+4に上昇)。一方の南軍はフロリダのSt/Marksに封鎖突破船用の要塞を構築し、さらに英国製の新型封鎖突破船を導入した(3SPを獲得した)。

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Turn終了時のSW値:北軍=111/南軍=56

7Turn(1863年春)

USA_Grant北軍にグラント将軍が登場した。直ちにテネシー軍の司令官に就任する。12SPという巨大な兵力を得たグラントは、ミシシッピ川に沿って南下作戦を開始する。ミシシッピ河畔を担当していた南軍ジャクソン将軍率いるテネシー軍とOxfordで激突する。両軍合わせて20SPの大合戦はこの戦争始まって以来最大規模のものだった。北軍は辛くも南軍を撃破。この勝利は合衆国国民の戦意を高揚させ、一方連合国の戦意を大いに下げた。勢いに乗る北軍はミシシッピ州を南下し、鉄道の結節点であるMeridianに近づいてきた。

写真09


東部戦線では南軍が限定的な反撃を実施する。リー将軍麾下の北ヴァージニア軍6SPは、マナサスを発し、西に向かってシェナンドー渓谷を目指す。Strasburgには北軍フッカー将軍の5SPが布陣していた。南軍の圧倒的優位な状況であったが、頑張り過ぎて上級指揮官の戦死者を出すのは面白くない。敢えて指揮修正を+4と低めに設定し、攻撃を実施した。とはいっても北軍の指揮修正も+1しかないので南軍が順当に勝利し、Strasburgを守るフッカー将軍はシェナンドー渓谷沿いに後退していった。

写真10


Turn終了時のSW値:北軍=108/南軍=46

つづく



ブルー&グレー

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