〈国防〉の日本近現代史 幕末から「台湾有事」まで
一ノ瀬俊也 講談社
本書は、幕末から現代に至るまでの約150年を「国防」という軸で貫いて描いた意欲作である。国防というと、一般には「国家主権・国民・領土を守るための軍事・外交」と理解されがちだが、本書を読むと、日本では時代ごとにその意味が大きく揺れ動き、時に国民がその対象から外れてしまうほど歪んだ形をとったことがよくわかる。
幕末の治安維持としての「内なる国防」、明治国家が導入した徴兵制と民衆観、士族反乱の鎮圧、朝鮮半島への視線、そして日清・日露戦争へと続く軍事的膨張。本書は、これらの出来事を単なる年表的叙述ではなく、「何を守ろうとしたのか」「誰を守ろうとしたのか」という問いを通して再配置していく。特に、軍や政府がしばしば“国体”や“体面”を守ることを優先し、国民の生命や生活が後景に追いやられていった過程は、読み進めるほどに重い。
太平洋戦争末期の本土決戦構想では、国民はもはや守るべき対象ではなく、国体護持のための「資源」として扱われたとされる。これは日本の国防観がいかに特殊であったかを示す象徴的な場面であり、戦後の平和主義や自衛隊の成立を考えるうえでも避けて通れない論点だ。
戦後についても、本書は日米安保、非核三原則と密約、地位協定、思いやり予算、そして近年の台湾有事をめぐる議論まで幅広く扱う。日本が「主権国家としての国防」と「米国との同盟の体面維持」の間で揺れ続けてきた姿が浮かび上がる。戦後部分には議論の散漫さや記述の粗さが見られる箇所もあるが、それでも「日本の国防が何を守ってきたのか」という大きな問いを提示する点で、本書は十分に意義深い。
読み終えて強く感じたのは、国防とは軍事技術や戦略の問題だけではなく、国家が国民をどう見ているかという“視線”の問題でもあるということだ。幕末の民衆観、戦前の国体観、戦後の同盟観――これらはすべて国防のあり方を規定してきた。国民が「守られる存在」なのか、それとも「動員される存在」なのか。その境界は歴史の中で何度も揺れ動いてきた。
現代の日本は、再び大国間対立の渦中にあり、台湾有事や安保政策の転換が議論されている。だが、どれほど技術が進歩しても、意思決定を行うのは人間であり、過去の錯誤や思い込みから完全に自由ではない。本書は、そうした“人間の限界”を含めて国防を考える必要性を静かに突きつけてくる。
扱う範囲が広すぎるために深掘りが不足する部分もあるが、それでも「国防とは何か」を歴史の中で問い直す契機を与えてくれる一冊である。単なる軍事史ではなく、日本社会そのものの鏡として国防を捉え直す視点は、今こそ多くの人が持つべきものだと感じた。
お奨め度★★★