

「真田軍紀」(以下、本作)は、1614〜15年(慶長19〜20年)大坂の陣を再現するSLGである。かつて「天下布武」という会社から出版されたが、元々のシステムはツクダホビーから出版されていた「謙信上洛」がベースとなっている。余談だが、「天下布武」からは他には「砂漠の嵐」とかいう名前の湾岸戦争ゲームも出版されていたような記憶がある。
「謙信上洛」(GJ#46)をプレイされた方であればご存じの通り、システムは通常移動の他に、リアクションと強行軍という2つの移動機会があり、1Turnに計3度の移動機会がある。通常移動はノーチェックで移動可能だが、他の2回はいずれもチェックが必要で、ダイスを振って指揮官の行動値以下の出目を出す必要がある。指揮官の行動値は概して大坂方が高く、真田幸村の6を筆頭に(確実に移動できる)、後藤又兵衛、明石全登の5、長宗我部盛親、毛利勝永の4と続く。一方の関東勢は、藤堂高虎の5が抜きんでているが、あとは徳川家康の3ぐらいで、あとは1とか0とかのボンクラ揃い。大坂方の機動力に翻弄されること必定である。
他に指揮官には戦闘値と呼ばれる数値があり、これが野戦時のダイス目修正になるのだが、この数値に関しても大坂方が有利で、真田幸村の5を筆頭に、後藤又兵衛、長宗我部盛親、明石全登の4がこれに続く。一方の関東勢は徳川家康、伊達正宗の3が最強で、機動力で抜きんでている藤堂高虎でも戦闘値は1どまり。揃いも揃って関東勢は無能揃いな事か・・・。
[徳川秀忠]ただし当然ながら兵力的には関東勢が圧倒的に有利で、例えばメインシナリオである「大坂冬の陣」シナリオでは、大坂方のユニット数が合計43ユニットなのに対し、関東勢は実に2倍以上の計90ニットが登場する。仮に関東勢が全兵力を戦場に投入してきた場合、如何に真田幸村が武勇に優れていても、その兵力差を覆すことは不可能だろう。
とはいっても史実に比べて大坂方の評価が全般的に甘めなのは否めないことで、特に真田幸村の行動値6については、どうみても過大評価だろう、と思わざるを得ない。だから史実の展開を期待している関東勢プレイヤーは、ゲーム上における大坂方の能力に舌を巻くことになる。史実では殆ど大阪城周辺の戦いに終始した大坂の陣が、本作では畿内全域における大機動戦になる。茨木城の片桐且元等は真っ先に大坂方の生贄になるだろう。
今回、ほぼ10年ぶりに「真田軍紀」することになった。プレイするシナリオは、シナリオ1「大坂冬の陣」である。担当陣営はダイスチェックの結果関東方となる。過去のプレイ経験によれば、このゲーム、普通に戦えば関東方の必勝ゲームである。関東側の唯一の負け筋は、秀忠隊が登場する前に家康隊が真田との決戦に巻き込まれて敗北。それによって伊達、上杉といった有力武将が愛想をつかして帰国してしまうこと。それさえなければ関東方は負けることはない。そこで関東側の方針は、とにかく
「家康は絶対勝てる戦いしかしない」 だ
そのためには秀忠隊到着以前は家康隊と大坂方との本格的戦闘は避け、大坂方主力とは間合いを取る。秀忠隊が戦場に到着した後は、全兵力を結集して大坂城を包囲。これを強襲で一気に落とす。仮に大坂方の全兵力が無傷のままで大坂城に籠ったとしても、関東方が包囲攻撃を仕掛ければいつかは大坂城は落城するだろう。強襲攻撃も十分可能で、包囲さえしておけば守備隊は兵力の補充ができないので、いつかは攻撃側が勝利できるはず。
さてさてどうなることやら・・・・
1Turn(慶長19年10月7日)
序盤、関東方は茨木城の片桐且元、二条城の板倉勝重、岸和田城の小出吉英らが城に籠って待ち構えている。史実では彼ら全員大坂の陣を生き延びたが、本作では彼らは誰一人生き残ることはできないだろう。
大坂方は初期配置で15ユニットを出陣させることができる。大坂方のユニットは合計43ユニットで、彼らは毎ターン少しずつ大坂城から出撃してくることになる。
大坂を出撃した真田幸村は長躯京都に進出し、二条城に籠る京都所司代板倉勝重を包囲する。毛利勝永は茨木城の片桐且元を包囲。後藤又兵衛と長宗我部盛親は、守備隊のいない淀城と高槻城を強襲し、これを落城せしめた。明石全登は南に進んで、堺を制圧する。
関東方は伊賀上野の藤堂高虎を出撃させて鈴鹿峠に布陣し、彦根城の井伊直孝も関ヶ原まで後退する。
2Turn(10月10日)
毛利勝永と長宗我部盛親が共同で片桐且元の守る茨木城を強襲する。片桐且元は善戦するも兵力に勝る大坂方の猛攻を支えきれず敗退。片桐且元も討ち死にした。
京都では、真田幸村と後藤又兵衛という大坂方を代表する2人の武将が京都所司代板倉勝重の守る二条城を猛攻する。しかしこちらは板倉隊が奮戦し大坂方を撃退。二条城は持ちこたえる。
3Turn(10月13日)
真田、後藤、長宗我部、毛利の4将が京都に集結。板倉勝重の守る二条城を攻撃する。さすがに大坂方主力全軍の攻撃を受けた二条城は支えきれず落城。板倉勝重も城と運命を共にした。
北陸から関東方の増援部隊が到着する、前田利常、松平忠直率いる3万(12ユニット)である。北国街道を南下してきた彼らは、賤ヶ岳の前面に布陣する。
4Turn(10月16日)
大坂方の主力、真田、後藤、長宗我部率いる計3万人(12ユニット)が、京都の東の入口である膳所城を攻撃する。しかし膳所城の守りは固く、強襲攻撃で落とすのは困難であった。膳所城を囲んで兵糧攻めを狙う大坂方である。
東軍の主力、家康公がいよいよ登場してきた。家康公は名古屋付近まで前進してきている。また和歌山にいた浅野長晟は、大坂方を牽制するため、岸和田に進出してきた。しかし奈良方面に進出していた明石全登が急遽堺に戻ってきた。精鋭明石隊と戦っても勝ち目の薄い浅野隊は、岸和田城に籠る。
5Turn(10月19日)
大坂方の明石全登が岸和田城に来襲してきた。浅野長晟は城に籠って籠城の構えだ。十分な兵力を持たない明石隊は強襲攻撃はせずに包囲による落城を目指す。浅野長晟は、岸和田城で結構粘ったが、こののち、第12Turnに降伏してしまう。
膳所城では包囲されていた東軍がアッサリ降伏。大坂方は近江への足掛かりを確保した。
関東方の主力である家康本隊は彦根城に進出した。この時、家康本隊の兵力は7万人強(29ユニット)である。
つづく





