SilentVictory


「Silnet Victory」はGMT社が2015年に発売したシミュレーション・ウォーゲームだ。テーマは太平洋戦争での潜水艦戦で、プレイヤーは米潜水艦の艦長となり、ゲームシステムが操る日本軍と戦う。

前回のプレイでは 3隻を撃沈した時点で日本軍の対潜艦艇に追い詰められてあえなく戦死。そこで雪辱を期して再戦することにした。

準備

前回のプレイでは、比較的大型のタンバー級潜水艦「トライトン」とした。そこで今回は趣向を変えて中型のサーモン級潜水艦「サーモン」(USS Salmon, SS-182)とした。
USS_Salmon


第1回目の哨戒

前回の失敗に懲りて、今回は兎に角生き残ることに専念する。クビになる(3回連続で1隻も撃沈できないと「戦意不足」の烙印を押されて解任される)のは避けたいが、序盤の不利な時に過大な戦果を期待するのもまた愚かなり。1隻ずつでも良いから小さく戦果を重ねて、魚雷が改善されたりしたときに戦火の拡大を図ることにしよう。

前回は真珠湾を基地としたが、今回はフィリピン~オーストラリアを基地とすることにした。実際の所、あまり変わらないような気がするが、気分的には敵地に違い分激戦地という感じがする。最初の任務はマニラ湾からの出撃だ。

今回の任務は便乗者をオーストラリアに移送することだ。もちろん敵と遭遇した場合は交戦しても良い。便乗者を乗せた後、護衛を含む日本の小船団を発見した。昼間だったので夜まで待って攻撃することにした。
夜になってから夜間浮上攻撃を試みる。開戦直後のこの時期、日本側の対潜警戒はあまり厳しくないので、夜間浮上攻撃のリスクも比較的小さい。艦首魚雷発射管から4本を斉射。3本が命中コースに乗ったが、何たることか。全魚雷が不発に終わる。敵駆逐艦の反撃。しかしこれは上手く躱して無事離脱した。

その3日後の夜、フィリピン東方海域で戦艦「比叡」を発見。絶好の獲物であったが、今回は便乗者がいるので攻撃は断念する。

その約1週間後の夜。再び日本の護送船団を発見した。夜半であったので浮上攻撃を決意。艦首発射管から4本の魚雷を発射する。4本の魚雷は全て命中コースに乗ったが、またもや全弾が不発だ。我が軍の魚雷は何かおかしい。今回も日本駆逐艦の反撃を躱して離脱に成功する。

さらにその3日後に今度は大船団を発見した。今度は少し冒険をしてみる。夜を待って浮上攻撃。今回は艦首及び艦尾発射管から計8本の魚雷を発射した。目標は2隻の輸送船である。6本が命中コースに乗ったが、そのうち正常に動作したのは2本のみ。しかしその2本を食らった日本の兵員輸送船「まかっさる丸」(4,000t)で、「まかっさる丸」は忽ち炎に包まれて轟沈した。
敵駆逐艦の反撃。今回は急速潜航で逃げを図る「サーモン」。未だに幸運は「サーモン」を味方した。敵駆逐艦は「サーモン」を見失ったのである。

その後「サーモン」は敵と遭遇することなく、無事オーストラリアのフリーマントル港に到着した。「サーモン」は無事初陣を飾ったのである。

撃沈:4,000t級兵員輸送船

第2回目の哨戒

次の哨戒は1942年3月のことであった。「ジャワ海の哨戒」が任務である。出撃2日後に敵哨戒機と遭遇。緊急潜航で難を逃れる場面もあった。

出航から約10日後、日本の小船団を発見した。昼間の発見であったため、夜を待って攻撃を行うことにした。浮上攻撃はリスクが大きいため、潜望鏡深度からの襲撃を行う。艦首発射管から4本の魚雷を発射。全てが命中コースに乗っていたが、正常に作動したのは僅かに1本だけだった。いつものことながら我が魚雷の信頼性の低さには困ったものである。目標となった8,400t級の兵員輸送船「南海丸」は損傷を受けたものの、沈没の気配はない。
一旦敵駆逐艦の反撃をやり過ごした後、再襲撃を決意する。損傷した敵船は敵の船団から見捨てられたらしく、単独行動している。これはカモだ。目標の至近距離に迫って再び魚雷4本を発射した。4本全部が命中コースに乗ったが、またもや全弾不発である。艦尾発射管からさらに4本を発射。今度も4本全てが命中コースに乗ったが、爆発したのはたった1本。しかしこの1本がようやく「南海丸」を海の底に沈めた。この1隻を沈めるために、「サーモン」は魚雷12本を消費した。これは「サーモン」の搭載魚雷の半数にも及ぶ数である。

写真01


さらに10日後、日本の小船団を発見した。またもや夜間潜航襲撃を仕掛ける。艦首から4本の魚雷を発射したが、今回は照準が拙く命中コースに乗ったのは1本だけ。しかしその1本が見事に爆発した。目標となった4,700t級貨物船「備前丸」は、洋上に停止する。
急速潜航で日本駆逐艦の反撃を躱した後、再襲撃を行う。潜航襲撃。艦首の発射管からさらに魚雷4本を発射した。3本が命中コースに乗ったが、爆発したのは1本だけ。しかし合計2本の魚雷を受けた「備前丸」は沈没した。

哨戒任務を終えて「サーモン」がフリーマントルに帰投してきたのは1942年4月になっていた。今回の戦果は以下の通りである。
撃沈:8,400t級兵員輸送船
撃沈:4,700t級貨物船

写真02


第3回目の哨戒

3回目の哨戒は1942年6月である。史実ではミッドウェー海戦の時期である。「サーモン」に与えられた任務はフィリピンへの人員輸送任務だ。任務自体は呆気なく成功し、ボートに乗った特殊任務の士官達はフィリピンの密林へ消えていった(彼のことを「コノリー」と呼ぼう)。

コノリーが下船した2日後の夜、「サーモン」は日本の大船団を発見した。直ちに潜航襲撃を決意する。艦首及び艦尾の発射管から計8本の魚雷を斉射する。例によって不発魚雷が多く、正常に命中爆発したのは1本だけ。その1本を食らった2,600t級の兵員輸送船「湖北丸」は大爆発を起こして沈没した。
日本駆逐艦の反撃。これまで幸運に救われてきた「サーモン」であったが、今回はツキに見放された。日本駆逐艦が「サーモン」を探知して猛烈な反撃を仕掛けてきたのである。爆雷2発が至近距離で爆発。エンジンと潜望鏡に損傷を受けた。
「サーモン」は急速潜航によって日本艦の追撃を躱そうとする。しかし日本艦を振り切れない。今までの幸運を一気に吐き出すような苦しい戦いとなった。さらに船体付近で爆雷が爆発する。燃料タンクにも被弾する。油の帯が水面上に浮かび上がる。このままでは逃げられない。
「サーモン」は一か八かの急速潜航を行った。しかしこれが裏目。2D6で"3"の目が2回連続で出てしまった。「サーモン」の船体は水圧に耐えられずに沈没。2回目の挑戦も失敗に終わってしまう。
写真03


感想

悔しい。またもや出目に恵まれず戦死してしまいました。やはり船団襲撃は無茶だったかなぁ・・・。ちゃんと生き残りたいなぁ・・・・

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