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「台湾海峡危機」(以下、本作)は、台湾のゲーム雑誌「戦旗」の付録ゲームを日本語化したものであり、Bonsai Gamesから発売されている。1950年代における台湾海峡を巡る国府軍(台湾)と共産軍(中共)との対決を戦略レベルで描いた作品だ。システムは、"Red Dragon Rising"(以下、RDR)のものを踏襲しており、両軍とも決められたアクション数の中で任意のアクションを実行する。

今回、本作をソロプレイしてみることにした。なお、選択ルールは採用していない。

前回までの展開 --> こちら

全体の1/3をプレイした段階でルールミスが発覚したため一旦取りやめとした。今回はその仕切り直しである。

1Turn(1951年)

PRC_MBT仕切り直しである。共産軍は海軍部隊を舟山列島から出撃させ、大陳(島)付近に展開する。同方面に展開中の国府軍掃海艇を交戦状態になるが、圧倒的に優勢な共産軍の攻撃を受けて国府軍掃海艇はあえない最期を遂げる。共産軍の水上部隊は大陳(島)に対して激しい艦砲射撃を加えるが、これを壊滅するには至らず。
国府軍は水上部隊の主力を馬租島付近に展開させる一方、海軍戦力の増強を図り、機動砲艇(MTB)を次々と建造していった。

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2Turn(1952年)

ROC_Gari共産軍は大陳(島)に対して上陸作戦を敢行する。兵力で優る共産軍であったが、生き残っていた国府軍の守備隊は善戦した。自らは1ステップを失いながらも共産軍の1ユニットを撃破し、島を守り切ったのである。
国府軍は強化した水上部隊を馬租(島)近海に集結させる一方、馬租(島)と金門(島)で陣地構築を行い、防備を固める。
その間、東アジアではインドシナ戦争が休戦となり、朝鮮半島でも休戦協定が結ばれた。これによって兵力に余裕を得た共産軍はいよいよその余剰兵力を台湾海峡方面に向けてくることになる。

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3Turn(1953年)

PRC_Inf共産軍が再び大陳(島)に対して強襲上陸を仕掛けた。昨年の戦いでは一度共産軍を撃退していた大陳(島)守備隊であったが、さすがに長期にわたる戦いで疲れ切った彼らに、これ以上の奮戦を期待するのは無理であった。大陳(島)は共産軍の手に落ちた。
勢いに乗る共産軍は大陳(島)に隣接する漁山(島)、一江山(島)に対しても艦砲射撃を行う。猛烈な艦砲射撃を受けて一江山(島)の国府軍守備隊は壊滅。漁山(島)守備隊もステップロスを強いられてしまう。
対する国府軍は大陳(島)付近での苦戦を横目により南方の島々について防備を強化する。馬租、金門の両島に続き、南麑(島)にも防御陣地を築く。

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4Turn(1954年)

Card11大陳(島)付近で共産軍は掃討戦を継続する。一江山(島)は無血占領。最後に残っていた漁山(島)の国府軍守備隊も艦砲射撃によって壊滅した。
国府軍は空挺部隊を増強。共産軍の占領地に対する降下作戦が実施可能な状態となった。
国際的には、アメリカ議会で台湾決議案が可決され、米軍による台湾海峡紛争への介入が現実味を帯びてきた。






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5Turn(1955年)

Card07共産軍は、水上艦隊を大陳(島)近海から、南の南麑(島)付近へ前進させた。国府軍は周辺の島々に陣地を構築して待ち構える。披山(島)に対して共産軍による艦砲射撃が開始されたが、国府軍の守備隊は良くこれに耐えた。
国際情勢は、東南アジア条約機構(SEATO)が設立され、米華相互防衛条約が締結された。SEATOなんて今では「そんなのあったの?」と思われがちな組織だが、当時は東南アジア地域における反共勢力の結束という意味で期待されていたのだろう。




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6Turn(1956年)

Card10共産軍は南麑(島)に対して艦砲射撃と共に空爆も実施した。新竹に展開する国府軍F-86F戦闘機隊は迎撃可能であったが、兵力の損耗を恐れて出撃を控える。この退嬰的な行為に台湾国内では批判が上がったとか上がらなかったとか・・・。激しい砲爆撃を受けて南麑(島)の国府軍守備隊は壊滅してしまう。
国際情勢の方は、バンドン会議が開催されたが、これは台湾ではあまり好意的な評価ないよう。先のSEATO設立は台湾にとって有利なイベントであったが、バンドン会議はそれを打ち消すだけの意味しかない。このあたり、教科書では学べない国際社会の機微を感じることができるのがウォーゲームの魅力の1つだろう。


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つづく