SilentVictory


「Silnet Victory」はGMT社が2015年に発売したシミュレーション・ウォーゲームだ。テーマは太平洋戦争での潜水艦戦で、プレイヤーは米潜水艦の艦長となり、ゲームシステムが操る日本軍と戦う。

これまでに2回プレイしたが、いずれも戦争初期に日本の対潜部隊に追い詰められて圧壊沈没。自らも戦死するという失態を演じてしまった。

第1回目
第2回目

3度目の正直。今回は第1回目と同様にタンバー級の潜水艦を選んだ。艦名は「スレッシャー」(USS Thresher, SS-200)。戦時中に17隻を撃沈した歴戦艦である。

USS_Thresher


第1回目の哨戒

写真091941年12月7日、遂に日本との戦争が始まった。無制限潜水艦戦を宣言した合衆国は、麾下の潜水艦を日本の交通路破壊のために差し向けた。「スレッシャー」もその1艦として日本本土近海への哨戒任務に赴く。
「スレッシャー」にとって最初の任務は実りの多いものであった。4度に渡って日本の船団を遭遇。そのうち3つの船団を攻撃し、3隻を撃沈したのである。2,100t級の「せんかい丸」、1,900t級の「古徳丸」、そして3,000t級の「東征丸」だ。しかし最後の「東征丸」を撃沈した後、遂に日本駆逐艦の反撃に遭遇することになる。
5回に渡る爆雷攻撃により船体破損、モーター1基損傷、潜舵損傷、燃料タンク漏洩、バッテリー損傷、船内浸水、対空機銃破損、そして乗員1名負傷(幸い軽傷)と散々であった。しかも潜舵と燃料タンクが損傷したため、日本艦を振り切るのが困難になっている。急速潜航でも逃げ切れない。しかもこれ以上急速潜航を続ければ、船体圧壊の危険がある(私の前世はこれまで2度に渡ってその災厄に見舞われていた)。
もうダメかと思ったが、何とか日本艦を振り切って離脱に成功した。

「スレッシャー」が真珠湾に帰投したのは翌年1月20日のことであった。今回の任務成功によって、私は青銅星章(Bronze Star)を叙勲した。

写真01


第2回目の哨戒

修理を終えて再び「スレッシャー」が出撃したのは、1942年5月のことであった。任務はマリアナ方面への哨戒任務である。今回の任務では、5,500t級貨物船「ぼすとん丸」他1隻を撃沈。日本側護衛艦艇の反撃によって船体とディーゼルエンジンが損傷したが、幸いエンジンは修理に成功。無事真珠湾に帰港した。

写真01


第3回目の哨戒

写真10次の出撃に先立って「スレッシャー」は武装の強化が図られた。甲板上に装備されている大砲が、3インチ(76mm)砲から4インチ(102mm砲)へと強化されたのである。
3度目の出撃は1942年8月。東シナ海への哨戒任務である。東シナ海は大陸棚で水深が浅い。従って急速潜航で逃げられない。加えて多くの機雷源が敷設されており、機雷に食われる危険もある。「スレッシャー」も今回の出撃では2度に渡って機雷源に迷い込み、危うく触雷沈没する所であった。幸い機雷に触れずに脱出できたのは、全く幸運であったといえよう。
別の日には大波に遭遇。波を受けた乗組員1名が重傷を負った。
今回の戦果は900t級の小型貨物船1隻のみ。しかし虎口を脱して無事真珠湾に帰投できたことが「スレッシャー」にとっては最大の戦果であった。

写真02


第4回目の哨戒

4度目の出撃は1942年10月。その前にまたもや武装強化が行われた。甲板砲は5インチ(127mm)砲に強化されて、さらに後部の対空火器が新型のボフォース40mm機関砲とエリコン20mm機銃に換装されたのである。
写真03


今回はマーシャル諸島への哨戒任務である。今回の戦果は2隻で、合計4,900tであった。また敵に発見されることもなく、無事真珠湾に帰投した。

第5回目の哨戒

5度目の出撃は1942年12月。再び日本本土近海での哨戒任務である。この任務で「スレッシャー」は敵船団と遭遇、2,600t級の貨客船を撃沈した。その後の日本駆逐艦の反撃で爆雷攻撃を受けたが、運よく被害を免れた。
さらに「スレッシャー」は三陸沖で日本海軍の重巡洋艦「青葉」を発見した。大物であったが、昼間であったことや警戒が厳重であったので攻撃を断念。翌年1月12日に「スレッシャー」は真珠湾に帰投した。

IJNS_青葉


戦争開始から約1年。5度の出撃を果たした「スレッシャー」は、撃沈した敵船舶が9隻で22,600tである。何度か危険な目にも遭ったが、何とか切り抜けた。まずは上々の滑り出しである。

第6回目の哨戒

年が変わって1943年3月。「スレッシャー」が6度目の哨戒に出撃する。哨戒水域は日本本土近海。危険の伴う任務だ。途中、敵機の急襲を受けたこともあったが、幸いこれを躱して日本近海に進出。6,600t級の貨物船と、3,100t級の兵員輸送船を撃沈した。「スレッシャー」はほぼ無傷で真珠湾に帰投する。

第7回目の哨戒

次の出撃も日本本土近海であった。1943年6月。今回は計3隻を撃沈、トン数換算で9,500t。トータルで4万トン以上の戦果となった。

第8回目の哨戒

写真11 次の出撃は1943年9月である。マリアナ方面への哨戒任務。この時「スレッシャー」は初めてウルフパック戦法を行うことになった。3隻1グループの潜水艦が敵の輸送船団を襲うのである。「スレッシャー」と行動を共にするのは、「タンバー」(USS Tambor, SS-198)と「トラウト」(USS Trout, SS-202)である。
9月15日、単独航行中の4,900t級貨物船を撃沈した「スレッシャー」に僚艦「タンバー」から通信が入った。敵の輸送船団を発見したという。報告された遭遇地点に向かうと、SJレーダーが敵船団を捉えた。直ちに潜航。襲撃態勢に入る。3隻の輸送船に対して艦首発射管から6本の魚雷を発射した。2本が1,900t級貨物船に命中。別の2本が4,900t級の兵員輸送船に命中した。両船とも大爆発を起こして沈没していった。

写真04


つづく