SilentVictory


「Silnet Victory」はGMT社が2015年に発売したシミュレーション・ウォーゲームだ。テーマは太平洋戦争での潜水艦戦で、プレイヤーは米潜水艦の艦長となり、ゲームシステムが操る日本軍と戦う。

これまでの展開 --> こちら

第9回目の哨戒

写真121943年12月の第9回目の哨戒任務は、「スレッシャー」にとっては苦難に満ちたものになった。「スレッシャー」にとっては5度目の日本本土近海への出撃となった今回の任務で、「スレッシャー」はまたもや機雷源にはまり込んでしまったのである。1回目は虎の子である「幸運のウサギ」(Rabbit's Foot)を使うことで回避できたが(「幸運のウサギ」はダイスを振り直すことができる)、運悪くまたもや機雷源にはまり込んだのである。2d6で"5"以下を出せば「スレッシャー」は爆沈する所であったが、最後の最後に幸運の女神が「スレッシャー」に微笑みかけた。

ちなみに機雷源と遭遇する確率は1/36であるが、1回の任務で6回ダイスを振るので、トータルでは1/6ぐらいのリスクがある。ただし機雷と遭遇する可能性があるのは、日本近海と東シナ海だけなので、そこへ行かなければよい。ただし命令を拒否できない(下っ端なので)のが辛い所。ちなみに階級が上がると命令に対する限定的な拒否権を行使できるようになるが、何故か昇進チェックに悉く失敗して未だに下っ端の「少佐」どまりである。早く「中佐」になりたいよぅ。

今回の任務では大型タンカー「極北丸」(10,100t)に遭遇した。しかし夜を待って攻撃を仕掛けようとしたところ、昼間の追尾に失敗してみすみす目標を取り逃がしてしまう。
「スレッシャー」は対潜掃討部隊の日本駆逐艦「春雨」に魚雷5本を命中させてこれを撃沈。この任務で辛くも戦果を残した。

1943年の総括。「スレッシャー」の戦果は戦闘艦1隻を含む艦船9隻(32,100t)。開戦以来の戦果は艦船18隻(54,700t)である。

USS_Thresher


第10回目の哨戒

写真111944年3月。我々は遂に完全な魚雷を手に入れた。これでもう魚雷の不発に悩むこともなくなる。そうなるはずであった。
我々に命じられたのは日本本土近海への哨戒。畜生。今度で6回目だよ。あそこは機雷源の巣窟だから行きたくないんだよな。そう思いながらも命令だからいくしかない。
豊後水道付近で最初の獲物に遭遇。日本の小船団である。新型魚雷の威力を試してみようと、900t級の小型輸送船と護衛の駆逐艦を同時に狙ったが、これが大失敗。小型輸送船には魚雷2本が命中したものの、なんと2本とも不発(欠陥は解消したのではなかったのかよ・・・・)。駆逐艦を狙った4本の魚雷は、こちらは悉く目標を外す始末。怒り狂った敵駆逐艦がこちらに突進してくるのを見て慌てて潜航。辛くも難を逃れて一息ついた。ふぅー。

写真13その3日後。敵輸送船団を発見した「スレッシャー」は夜間浮上攻撃を決意。3,200t級の貨物船と6,700t級の兵員輸送船にそれぞれ魚雷2本を命中させて両者を撃沈した。と、そこまでは良かったが、日本護衛艦艇の猛烈な反撃を受けた。日本海軍が急速整備しつつあった海防艦という護衛艦は(日本軍にしては)優秀なソーナーと対潜攻撃兵装を持ち、それが「スレッシャー」を苦しめたのである。3発の爆雷が至近距離でさく裂。艦内は浸水し、船体には衝撃が走る。乗組員の1人が衝撃により頭部打撲の重傷。さらに悪いことに衛生兵も軽傷を負ってしまう。衛生兵が軽傷で済んだのは不幸中の幸い。もし衛生兵が重傷又は死亡していたら、重傷を負った乗組員も恐らく助からなかっただろう。
その後「スレッシャー」は2度に渡って日本船団と遭遇。5000~6000t級の貨物船を2隻、900t級の小型輸送船1隻を撃沈した。今回の哨戒任務で「スレッシャー」は計5隻、22,100tを撃沈した。この戦果は「スレッシャー」にとっては空前の大戦果である。この戦果によって私は海軍勲功章(Navy Cross)を受勲した。

第11回目の哨戒

写真14Navy Crossを受勲した私は、新型潜水艦への転属を要求。受け入れられた。バラオ級潜水艦「シーライオン」(USS SeaLion, SS-315)である。この新型艦を率いて真珠湾を後にしたのは、1944年6月のことであった。今回の任務はマリアナ方面への哨戒任務である。今回の任務は大きな危険もなく4隻、10,500tを撃沈した。

USS_SeaLion


第12回目の哨戒

2か月後の1944年8月。「シーライオン」はフィリピン方面への哨戒任務に出撃する。この任務は戦果に乏しく、2,800tの独航船を撃沈したのみであった。そして「シーライオン」は無傷のまま真珠湾に帰投する。

写真05


第13回目の哨戒

写真15「13」という数値は西洋では縁起の悪い数字である。しかも命じられたのは鬼門である日本本土近海である。怖い怖い機雷源。と思ったら、早速機雷源に突入。あわわ。しかし幸運の女神は「シーライオン」を見捨てていなかった。何とか機雷源を突破して哨戒を継続する。
そして今回の任務は実り多いものであった。19,300tの大型タンカー「第2図南丸」に魚雷4本を命中させて撃沈したのをはじめ、合計5隻、41,700tを撃沈したのである。これもまた空前の大戦果であった。真珠湾に帰投した「シーライオン」は1本の魚雷も残っていなかった。そして真珠湾に帰投した私は、2度目のNavy Crossを叙勲された。

第14回目の哨戒

写真181944年12月、私は中佐に昇進した。他の同僚に比べるとやや昇進が遅れたが、上層部の覚えが悪かったのだろうか。今回はNavy Crossを2回も叙勲されていたので、文句なしでの昇進である。
14回目の哨戒任務。最初に輸送船団と遭遇したが、魚雷を命中させたにも関わらず撃沈できずに取り逃がす。しかしその2日後、我々は願ってもない大物に遭遇する。大型空母「赤城」(28,100t)。史実ではミッドウェー海戦で撃沈されている筈だが、この世界ではまだ生きていたのだろうか。
昼間の遭遇である。敵駆逐艦の反撃を食らう可能性が高い。しかしこの機会を逃す手はない。潜望鏡深度で中距離まで踏み込んだ「シーライオン」は「赤城」に向けて魚雷6本を斉射する。その直後に急速潜航して日本駆逐艦の反撃を躱す。
魚雷3本が「赤城」に命中した。全部の魚雷が正常に動作したが、さすがに大型空母「赤城」である。3本の魚雷を受けても沈没の気配がない。
反撃をやり過ごした「シーライオン」は、夜を待って再び襲撃を加えた。再装填した艦首魚雷発射管から6本の魚雷を発射する。3本の魚雷が「赤城」に命中して爆発。計6本を魚雷を受けた「赤城」はこれだけの打撃に耐えられる筈もなく、「赤城」は横倒しになって沈没する。「シーライオン」は敵の反撃を躱すために再び急速潜航。幸運にも敵の発見を免れて無事離脱した。

IJNS_赤城


その後「シーライオン」はさらに3隻、15,400tを撃沈し、翌年1月に真珠湾に帰投した。

1944年の総括は、空母「赤城」を筆頭に19隻、120,600tを撃沈。私自身の総合戦果は37隻、175,300tになった。そして私は3度目のNavy Crossを叙勲された。

つづく