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Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

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9月26日-10月2日

私が負傷のため戦場を離れている間、私のチームは別の戦車長によって指揮されていたらしい。重傷を負った操縦手は本国へ帰った。練度の著しく低下した私の「元」チームは、新たな戦車を手にした。車種は今度もM4A3(76)である。

26日の戦闘では、敵戦車部隊を迎え撃ち、4号戦車1両、3号突撃砲1両を撃破した。

29日の戦闘では、再び敵戦車部隊を迎え撃ち、軽駆逐戦車ヘッツァー1両を撃破したものの、敵戦車砲を受けてまたもや乗車が撃破されてしまう。今回も幸運に恵まれてクルーは全員脱出に成功したらしい。

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10月に入って1度戦闘があり、その日は1日で敵戦車2両、突撃砲2両を撃破するという大戦果を挙げたらしい。しかもこちらの車種は新型の76mm砲装備ではなく、旧式の75mm砲搭載車だということだから恐れ入る。結局、私が負傷療養している1週間の間に、私のチームは戦車1両を失いながらも、敵戦車3両、突撃砲/駆逐戦車4両を撃破するという戦果を挙げた。撃破した敵戦車の中には、強力な5号戦車「パンター」1両も含まれている。

10月7日

1週間の休暇療養を経て私が戦場に復帰したのは、10月3日のことであった。私が指揮することになる戦車はM4A3(75)W。75mm砲搭載タイプのシャーマンである。愛称は「ジュピター」。前戦車長が付けた名前らしいが、私の趣味ではない。負傷前に乗っていた76mm砲タイプに比べて主砲の砲弾搭載数では勝るが、砲の貫通力では劣っている。さてさてどうしたものか。

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我々が敵と交戦したのは10月7日のことであった。敵の反撃を迎え撃った我々は進撃してくる敵機械化歩兵部隊を迎え撃つ。「ジュピター」の戦果は歩兵1部隊のみ。また敵の準備砲撃によって我が軍の随伴歩兵が多大な損害を被ってしまう。
そして我々は休暇に入った。今度は約1ヶ月に渡る長い休暇である。

11月9日

休暇を終えて我々が戦場に戻ってきたのは11月9日のことであった。既に西ヨーロッパの秋は深まり、雪がチラホラ舞っている。8月の戦いで負傷した装填手コバヤシも我々のチームに戻ってきた。
我々は新しい戦車を手に入れた。最新鋭の76mm砲搭載のシャーマン・ジャンボ。M4A3E2(76)Wだ。強力な76mm砲を搭載し、装甲厚もこれまでのシャーマン戦車を遥かに凌駕した重戦車である。これならドイツのパンターやティーガーとも互角に戦うことが可能だ。私はこの大型戦車に「オハイオ」という名前をつけた。この「オハイオ」と共に激戦として後世に伝えられるメス攻防戦に我々は参加することになる。

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戦場復帰初日から我々は激戦に身を投じることとなった。進撃を続けていた我々はその日2度に渡って敵と交戦する。我々の「オハイオ」は敵のパンター戦車1両を撃破。他の友軍戦車が突撃砲/駆逐戦車を2両撃破したが、友軍も戦車1両を失った。

11月10日

この日も交戦があった。ちなみに11月に入ると日照時間が短くなり、8月は約13時間の日照時間が11月には約9時間まで減少する。そのため1日の交戦機会も少なくなり、この日も敵歩兵や対戦車砲と2度の交戦があっただけであった。「オハイオ」は戦果なしである。

11月12日


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2日後、我々は敵の大規模な反撃に遭遇した。午前11時過ぎには戦車3両を含むドイツ軍の攻撃を受けた。「オハイオ」はまず距離760ヤードの位置にいたパンター戦車の側面を射撃。1発のAP弾と1発のHVAP弾を命中させてこれを撃破した。

「まだだ、次が来るぞ」

「敵戦車、右後方420ヤード」

4号戦車がこちらに砲塔を向けてきた。危ない。こちらが先に発砲。しかし外れ。敵発砲。

「来るぞ」

次の瞬間、強い衝撃が襲った。敵命中。車体が揺さぶられる。しかしそれ以上は何も起こらない。シャーマンジャンボの分厚い装甲が4号戦車の放った75mm徹甲弾に辛うじて耐えたのだ。

「次弾装填急げ」

こちらから立て続けに2発の徹甲弾を放った。いずれも命中。したかと思ったが、76mm徹甲弾はハルダウンしている敵戦車の車体付近に着弾。土煙を上げただけだった。

「畜生」

「まだ敵がこちらを狙っています」

次の瞬間、またもや強い衝撃が走った。しかし今度は先ほどとは違う。車内に爆発音が上がった。敵の徹甲弾が砲塔正面装甲を貫いて車内に飛び込んだのだ。幸い恐れていた車体爆発は起こらなかった。しかしいつ車体が火を噴くかわからない。私は命令を下した。

「全員脱出」

私はハッチから飛び出した。地面に飛び降りた瞬間、着地の仕方が悪かったのか、足首に激痛が走った。骨折?。いや、幸い骨折ではなかった。が、捻挫である。それでも足を引きずりながら戦車から離れた。部下が駆け寄って私に手をかけてくれた。私の負傷は全治1週間と診断された。こうして私は、今度の戦争で2度目の負傷退場となった。それにしても期待新鋭重戦車が僅か3日間の戦闘で撃破されてしまうとは・・・。

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11月13日~18日

私が負傷療養している間、私のチームは新たな戦車を手に入れた。M4A3E8(76)W。イージーエイトと呼ばれる新型である。前回のジャンボに比べて車体装甲では劣るが、速度性能では優れていた。チーム内の愛称は「ファルコン」である。
11月15日には激しい激戦に巻き込まれ、我々の部隊は敵戦車/自走砲6両、対戦車砲2門等を撃破する戦果を挙げた。「ファルコン」もパンター戦車と3号突撃砲各1両を撃破している。

11月24日

私がチームに復帰したのは11月19日であった。その後数日間は敵との遭遇はなく順調な前進が続いていた。
復帰後初の交戦は、24日のザール川渡河作戦であった。しかしその日の戦いでは、殆どの場合、敵と交戦する前の準備砲撃によって敵部隊は既に退散又は撃破されており、直接戦闘の機会は少なかった。

11月25日

ドイツ軍の反撃に遭遇した。戦車2両を中核とするドイツ軍部隊である。側面を晒した4号戦車に対して76mm徹甲弾を発射した。外れ。直ちに次弾装填。発射。命中。効果を確かめる間もなく2発目を発射。これもまた命中した。2発の徹甲弾を受けた4号戦車はその場に停止した。目標撃破。
次は強敵パンターである。初弾外れ。次。敵は背面を見せて逃げ始めた。これはチャンス。じっくり狙え。とその時、パンターが爆発した。友軍戦車がこれに命中弾を与えて撃破したのである。ちぇ。獲物が横取りされた。

12月1日

それから約1週間後。季節は真冬の12月に入っていた。ザールへの攻撃に参加した我々は、冬の晴天下、久しぶりに快進撃を行った。タスクフォース全体では戦車3両(うち2両はパンターとティーガー)、自走砲/駆逐戦車2両、装甲車2両等を撃破。私自身もマーダー2駆逐戦車1両を撃破した。しかし味方の損害も大きく、シャーマン戦車1両と歩兵3個分隊が失われていた。

12月5日

4日後、我々は大規模な作戦に参加した。ビニングの戦いである。この日、私の戦車はマーダー3駆逐戦車1両を撃破。タスクフォース全体では自走砲/駆逐戦車3両と対戦車砲2門を撃破し、損失はシャーマン戦車2両であった。

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12月6日

ビニングの戦い2日目である。この日が終われば、我々は休暇に入る予定だ。そんな日に限って朝から激戦に巻き込まれる。
午前11時、正面至近距離にドイツのパンター戦車が側面を見せつつ出現した。チャンス。すかさず高速徹甲弾を放った。命中。パンター撃破。久しぶりの金星だ。
しかし喜んでいるのもつかの間、いきなり左側面に衝撃が走る。命中。隠れていた88mm対戦車砲が「ファルコン」に命中弾を浴びせてきたのだ。車内で小さな爆発音が上がった。ヤバイ。脱出だ。

「全員脱出、急げ」

クルーが次々と脱出する。砲手のトーゴ―が負傷していたが、他のクルーは皆無事だ。操縦手のセイラは着弾のショックで少し青ざめていたが・・・。
こうして私の愛車「ファルコン」は対戦車砲の直撃によって撃破された。実働期間は1ヶ月弱。戦果は戦車2両撃破、駆逐戦車2両撃破、装甲車1両撃破、歩兵3部隊撃破である。

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つづく