時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。
前回のソロプレイ では、武田軍が初期にギャンブルに出て、それが裏目に出たため僅か5Turnで武田信玄討死という結果になってしまった。そこで今回は両軍ともギャンブルを避けて慎重なプレイに徹することにした。また前回のプレイでルールミスがあったため(一向一揆勢が毎ステージにフリーで1回補充できることを失念)、その点もちゃんとやり直したいと思っていた。
それでは早速プレイを始めよう。
1Turn(10月第1週)
2Turn(10月第2週)
武田軍が国境を越えて遠江に進入する。山県昌景(7-2-4★、戦闘力-野戦修正-行動力-指揮順位、以下同じ)は、石川数正(3-2-3★)が守る浜松城を包囲し、穴山信君(2-1-3★)は北の二俣城を包囲する。武田信玄(2-3-4★★)麾下の武田勢主力は、三河に進入して野田城を囲む。さらに信濃南部からは秋山信友(7-1-3★)が織田方の岩村城を囲んだ。伊勢湾方面からは願証寺証恵(2-0-2★)率いる一向一揆勢が織田の本拠地である岐阜城に向けて北上する。それに対して織田方は猛将柴田勝家(3-2-4★)が迎撃に向かう。一向一揆勢は織田の重要拠点である清州城を囲んだ。
畿内方面でも一向一揆勢が京に向けて進撃を開始し、それを羽柴秀吉(3-1-4★★)、丹波長秀(3-2-4★★)らがそれを迎え撃つ。また北からは浅井・朝倉勢が明智光秀(3-3-4★★)、滝川一益(3-1-4★★)らと対峙する。
しかし第2Turnに朝倉と織田の間で和議が成立。朝倉が反織田戦線から脱落した。これにより少し織田勢が兵力運用に余裕が出てきた。
3Turn(10月第3週)
織田勢は戦線縮小の為、京都を放棄し関ヶ原の線まで撤退する。そして関ヶ原を丹波長秀が守る。近江以西は織田方の軍事力が及ばない地域となった。その間隙を付いて一向一揆勢が坂本、大津の2城を囲む。尾張では明智光秀、柴田勝家、そして徳川家康(3-3-4★★)が一向一揆制圧に動く。一揆勢は織田・徳川正規軍の攻撃を受けるとさすがに耐え切れず、清州の囲みを解いて後退していく。
4Turn(10月第4週)
5Turn(11月第1週)
織田方は尾張平野で跋扈する一向一揆勢を制圧しつつ、織田信長(3-1-4★★)、羽柴秀吉(3-1-4★)、徳川家康の3名を三河方面に向かわせる。その任務は武田信玄との決戦にある。兵力は信長直率が6ステップ(6,000人)、秀吉麾下が12ステップ(12,000人)、家康麾下の三河勢が14ステップ(14,000人)である。合計32ステップ(32,000人)で、武田軍主力の32,000人と拮抗する。また柴田勝家麾下の12,000人は中仙道を東に向かい、岩村城を囲む武田勢の秋山信友と対峙する。
尾張平野では明智光秀が一向一揆を追い回すが、無限の補充能力を持つ一揆勢に苦戦を強いられている。
そして関ヶ原では丹波長秀が守りを固めている。
関ヶ原の西側では織田勢が姿を消したため、一揆勢がやりたい放題。坂本城と大津城を囲んだ一揆勢は陥落まであと一歩に追い込んだ。また浅井長政(2-3-4★★)も鳥なき里の蝙蝠よろしく、近江における織田方の出城である横山城を包囲した。
6Turn(11月第2週)
織田・徳川連合軍は武田軍主力との決戦に備えてジリジリと浜松に近づく。武田勢は野田、二俣両城の囲みを解いて決戦に備える。伊勢・近江国境では、明智光秀が遂に一向一揆勢を追い詰めた。服部友定(2-0-2★)を近江山中で討死に追い込んだのである。
畿内では遂に大津城が一揆勢の攻勢を受けて落城した。
7Turn(11月第3週)
織田・徳川連合軍が浜松城外に到着した。武田勢は浜松に向けて遅退戦術で後退していったが、浜松城下まで後退してきたとき、これ以上後退できないと判断した武田勢はここで決戦を挑んだ。武田勢は32ステップ(32,000人)、対する織田・徳川連合軍は、滝川一益の増援部隊が加わっていたため36ステップ(36,000人)であった。戦いは織田・徳川連合軍の勝利に終わり、武田勢は実に10ステップもの損害を出したが、除去されたユニットがなかったのは武田にとっては不幸中の幸いであった。
8Turn(11月第4週)
9Turn(12月第1週)
内陸部に雪が降った。雪の降りしきる信濃路に傷ついた武田軍は後退していく。一方の織田・徳川連合軍は、徳川家康が武田本隊追撃のため北に向かう。残り織田軍団は西へ向かう。最後の敵、一向一揆を撃破し、京への連絡路を再度打通するためである。まずは尾張に跋扈していた一向一揆派の願証寺証恵(2-0-2★)を殲滅。尾張平野一帯は織田方の平定するところとなった。畿内では、大津城に続いて坂本城が一揆勢の攻撃により落城し、京への東側の入り口が一揆勢に抑えられる形となった。一揆勢はなおも湖東を進み、観音寺城を囲んだ。
10Turn(12月第2週)
11Turn(12月第3週)
信濃路では、本拠地に戻った武田信玄が戦力を回復した。武田勢を追って信濃路まで攻め込んだ徳川家康軍は、逆撃の危機に瀕して後退を開始する。畿内では、東近江から一揆勢をすり抜けて明智光秀が京に到達した。
12Turn(12月第4週)
明智光秀が京を奪回した。一方信濃路では、武田勢の逆撃によって徳川家康本隊は遠江まで撤退を余儀なくされた。(つづく)
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