旧GJ63号「太平記」は、1990年にSSシリーズの1作として発表されたシミュレーションゲームである。テーマは14世紀における日本の南北朝の騒乱。「太平記」というタイトルは、言うまでもなく同時期を描いた古典文学作品の名前である。
「太平記」の基本システムは、所謂「太平記システム」と呼ばれるものを採用している。その全体像を一言で説明するのは難しいが、あえて一言で言えば「ダイスで判定した主導権に基づく交互移動とその後の逐次戦闘」とでもいうべきか。その他に武将の地縁に着目した支配システムとか、状況が急転する派手な裏切りシステムとか、他にも色々な特徴はあるのだが・・・・。SSシリーズの1作として出版された際にはライト系のゲームであったが、現時点ではさらにライトなゲームが普通に出版されているので、本作は「やや軽めの中量級ゲーム」という位置づけが現在では適切かもしれない。
先日、NHKの大河ドラマ「太平記」をまとめて見る機会があり、結構面白かったので、ゲーム「太平記」をプレイしたくなった。そこで早速ソロプレイしてみた。
セットアップ
赤松円心(3-5★)は公家方に、佐々木道誉(2-6★)は武家方についた。建武2年春
主導権は公家3。京にいた楠木正成(4-3★★)は南畿へ、北畿にいた新田義貞(2-6★★★)は弟の脇屋義助(2-5★★)と共に北陸に移動する。さらに奥州にいた北畠顕家(3-6★★★)は、結城宗広(2-3★)と共に北関東へ攻め込む。対する武家方。高師泰(3-5★★)、高師直(2-8★★)兄弟を鎌倉から東山(甲信地方)へ進出させ、足利尊氏(2-7★★★)、直義(1-6★★★)兄弟は、東海地方へ進出する。
戦いがあったのは北陸地方。しかし同地を守る武家方の斯波高経(2-4★)は圧倒的兵力を持つ新田義貞に怖気づいてしまい、あっさり降伏。公家方に寝返ってしまう。
ターン終了時:公家3VP
建武2年夏
主導権は公家2.北畠顕家が鎌倉に攻め込む。足利兄弟は東海より取って返して鎌倉で北畠顕家を迎え撃つ。さらに新田義貞、脇屋義助が北陸から東山に攻め込む。戦いが始まる。まずは東山地方。公家方は新田義貞、脇屋義助麾下の1万騎(1戦力=1千騎で計算、以下同じ)。対する武家方は高師泰、師直兄弟麾下の6千騎である。能力的には武家方の方が有利(高師泰が3-5、新田義貞が2-6)だったが、兵力では公家方が2倍近く優勢。しかも悪いことに武家方は同地で蜂起した北条時行(2-5★★)(北条高時の遺児)を麾下に置いたため、撤退することもできない。戦いの結果、高師直と北条時行は討死。高師泰は東海地方へ落ちていく。
武家方としては北条時行を出陣させたのは失敗だった。撤退できなくなる上、★★なので討取チェック時にVPを献上してしまうからだ。
鎌倉でも大きな戦いがあった。武家方は足利尊氏、直義麾下の計1万6千騎。公家方は北畠顕家麾下の6千騎である。名将の誉れ高い北畠顕家であったが、3倍の兵力差は如何ともし難い。北畠顕家は奮戦したものの結局は敗退。北畠顕家自身は僅かな供回りを率いて北関東へと落ちていった。
ターン終了時:公家6VP
建武2年秋
主導権は武家2。初めて武家が主導権を握った。公家方最良の武将である北畠顕家を葬るべく、武家方は足利兄弟を北関東へ向けて出撃せしめる。公家方は北畠顕家を守るべく、東山にいた新田義貞、脇屋義助を北関東へ向けて進発。北関東で両者の合戦が起こる。両軍の兵力は、武家方が1万4千騎、公家が9千騎。兵力的には武家方が優位にあったが、公家方には名勝北畠顕家がいるため簡単に負けることはない。公家方は奮戦し武家方は半数の兵力を失ったが、兵力差は如何ともし難く、北畠顕家、新田義貞は奥州方面へ落ち延びていった。
ターン終了時:公家6VP
建武2年冬
主導権は公家2。公家方は決着をつけるべく、大宰府進攻を行う。山陽方面から赤松円心が3千騎を率いて、南九州からは菊池俊直(2-4★)が2千騎を率いて大宰府へ進攻する。大宰府を守る武家方は、一色範氏(1-4★)麾下の4千騎。兵力的には大差がなかったが、指揮能力の差は圧倒的であった。武家方は文字通り壊滅。一色らの武将は山中に逃げ込む。武家方は立ち直った高師泰が東海から北畿(近江)へ攻め込む。武家方の兵力は8千騎、公家方は宇都宮公綱(2-4★)麾下5千騎。しかし宇都宮公綱があっさりと武家方に寝返ったため、戦いhアッサリと決着。もう1人の公家方武将三浦高通(1-2★)も武家方に降りた。
ターン終了時:公家7VP
盤面の状況を見ると武家方が有利に見える。ただし公家方は京を押さえているので、その結果として毎Turn3VP得られるのが大きい。これによってVP的には公家方が有利に立っている。あと3VPで公家方の勝利が確定するので、武家方としては反撃したい所だ。
つづく
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