今年は中国武漢コロナの影響で「ゴールデンウイーク」ならぬ「自粛ウィーク」になってしまいました。しかしゲーマーたるもの、あらゆる環境でゲームができるもの。かくいう私もコロナのおかげでゲームにつぎ込む時間が激増し、今までプレイできなかったゲームを次から次へとプレイできるという「ゴールデンな」状況になった訳です。
中でも対戦機会が激増したのがVASSALによる通信対戦。 前回紹介した「第3帝国の盛衰」 もそうですが、それ以外にも色々なゲームを通信対戦する機会が増えました。この分では、コロナが収束した後もVASSALによる通信対戦を「週末の過ごし方についての選択肢の1つ」にできそうな気配です。
今回紹介するのは、旧SPI/AHの「Frederic the Great」のVASSAL戦。18世紀に起こった7年戦争をシンプルなシステムで再現した傑作ゲームです。選択したシナリオは1759年シナリオ。東からはロシア軍、南からはオーストリア軍、西からはフランス軍がドイツ本土に迫るというまるで「1945年のような」状況下のシナリオです。私は反プロイセン軍を担当しました。
別の場所では、プロイセン軍ハインリヒ(Heinrich 2-1-2)は、強行軍によりオーストリア軍ラウドン(Laudon 2-2-2)麾下のオーストリア軍を捕捉、決戦を強いた。兵力では勝るプロイセン軍であったが、出目に恵まれずオーストリア軍を撃破できず。あまつさえハインリヒ将軍が流れ弾に当たって戦死するという悲劇に見舞われた。
この戦闘で敗北を免れたのは幸運であった。逆にこちらのラウドンが死んでしまったら、貴重な兵力がボヘミアの山中で野垂れ死にする所であった。しかしこの移動は明らかに当方のムーブミスである。何もない所に兵力を放置していたのが拙かった訳で、さっさとプラハ(Prague 1125)に後退しておくべきであった。
バルト海方面では、ケーニヒスベルク(Koenigsberg 3741)を発した計30戦力のロシア軍がポーランド領内を西へ向けて進んでいた。
バルト海方面では、西に向けて前進を続けていたロシア軍が、沿岸都市コルベルク(Colberg 3330)を攻撃。これを陥落させた。
西部戦線ではプロイセンと共同行動を取るハノーヴァー軍がライン方面へ進攻を開始。ブラウンシュヴァイク(Brunswick 1-1-1)麾下のハノーヴァー軍がフランクフルト(Frankfurt 1210)を強襲。一撃でこれを陥落させていた。一方大兵力を誇るフランス軍は、コンダード(Contades 1-1-1)将軍麾下の27戦力がミュンスター(Munster 2206)を包囲。強襲攻撃を実施したが、ハノーヴァー軍シュポルケン(Sporcken 1-1-1)将軍は6倍以上のフランス軍の攻撃に耐えて町を守り切った。
バルト海戦線では、ロシア軍はステッテン(Stettin 2935)を包囲、強襲を仕掛けたが、攻略は失敗。
西部戦線では、ブラウンシュヴァイク麾下のハノーヴァー軍がマインツ(Maintz 1108)を攻撃。これを電撃的に占領した。フランス軍はハノーヴァー軍の跳梁を押さえるべく別動隊を編成。ブログリー(de Broglie 1-1-1)将軍麾下の9戦力がマインツを囲んだ。
その間、プラハにいたラウドン将軍はザクセンに侵攻。戦略的要域であるドレスデン(Dresden 1623)を強襲し、同地を占領した。さらにバルト海方面では、ロシア軍がステッテンを占領した。守備にあたっていたプロイセン軍クライスト(Kleist 1-1-1)将軍は捕虜になる。次第に追い詰められるプロイセン軍。
さらに西部戦線ではマインツを囲むフランス軍が同地を攻略。ハノーヴァー軍のブラウンシュヴァイク将軍はフランス軍の捕虜になる。
この時点でVPが65対135のダブルスコアになったのでゲーム終了とした。この後連合軍が順当にプレイすれば、プロイセン軍の勝利は困難だと思われる。
VASSALによる通信対戦そのものはスムーズに対戦できた。またチャットだけではなくSkypeを使った会話を混ぜることができたので、意思疎通がスムーズにできたのが良かった。家庭環境その他でSkypeを使うのが難しいケースもあるとは思うが、そうでないのであればVASSL対戦でのSkype(又はその他Web会議システム)の利用は必須に近いと思われる。
中でも対戦機会が激増したのがVASSALによる通信対戦。 前回紹介した「第3帝国の盛衰」 もそうですが、それ以外にも色々なゲームを通信対戦する機会が増えました。この分では、コロナが収束した後もVASSALによる通信対戦を「週末の過ごし方についての選択肢の1つ」にできそうな気配です。
今回紹介するのは、旧SPI/AHの「Frederic the Great」のVASSAL戦。18世紀に起こった7年戦争をシンプルなシステムで再現した傑作ゲームです。選択したシナリオは1759年シナリオ。東からはロシア軍、南からはオーストリア軍、西からはフランス軍がドイツ本土に迫るというまるで「1945年のような」状況下のシナリオです。私は反プロイセン軍を担当しました。
1759年シナリオ
1Turn(4月)
シレジア方面からボヘミア方面に出撃したフリードリヒ(Frederick 3-3-2、指揮能力-攻撃修正-防御修正)は、ケーニヒグレーツ(Koniggratz 1230)を襲う。同地を守るオーストリア軍ダウン(Daun 1-2-3)はフリードリヒとの決戦を回避して南方へ逃れる。別の場所では、プロイセン軍ハインリヒ(Heinrich 2-1-2)は、強行軍によりオーストリア軍ラウドン(Laudon 2-2-2)麾下のオーストリア軍を捕捉、決戦を強いた。兵力では勝るプロイセン軍であったが、出目に恵まれずオーストリア軍を撃破できず。あまつさえハインリヒ将軍が流れ弾に当たって戦死するという悲劇に見舞われた。
この戦闘で敗北を免れたのは幸運であった。逆にこちらのラウドンが死んでしまったら、貴重な兵力がボヘミアの山中で野垂れ死にする所であった。しかしこの移動は明らかに当方のムーブミスである。何もない所に兵力を放置していたのが拙かった訳で、さっさとプラハ(Prague 1125)に後退しておくべきであった。
2Turn(5月)
フリードリヒは戦死したハインリヒ将軍麾下の兵力を収容すべくボヘミアの山中を西へ向かう。その間、オーストリア軍のラウドン将軍はプラハに入城。バイエルン方面からの増援を含めて総兵力は15戦力(うち5戦力は神聖ローマ帝国)になった。バルト海方面では、ケーニヒスベルク(Koenigsberg 3741)を発した計30戦力のロシア軍がポーランド領内を西へ向けて進んでいた。
3Turn(5月)
フリードリヒはプロイセン軍27戦力を率いてプラハを囲む。プラハを守るオーストリア軍はラウドン将軍麾下13戦力。兵力は半分以下のオーストリア軍であったが、城壁のおかげでフリードリヒの攻撃を撃退した。4Turn(6月)
その間、ボヘミア以外の戦線も動いていた。バルト海方面では、西に向けて前進を続けていたロシア軍が、沿岸都市コルベルク(Colberg 3330)を攻撃。これを陥落させた。
西部戦線ではプロイセンと共同行動を取るハノーヴァー軍がライン方面へ進攻を開始。ブラウンシュヴァイク(Brunswick 1-1-1)麾下のハノーヴァー軍がフランクフルト(Frankfurt 1210)を強襲。一撃でこれを陥落させていた。一方大兵力を誇るフランス軍は、コンダード(Contades 1-1-1)将軍麾下の27戦力がミュンスター(Munster 2206)を包囲。強襲攻撃を実施したが、ハノーヴァー軍シュポルケン(Sporcken 1-1-1)将軍は6倍以上のフランス軍の攻撃に耐えて町を守り切った。
5Turn(6月)
ボヘミアからシレジア方面では、フリードリヒ不在をついてオーストリア軍のダウン将軍がシレジア方面に侵攻。シュフィドニツァ(Schweidnitz 1631)を奇襲し、これを占領した。フリードリヒは直ちにシレジア方面へ転進、オーストリア軍に決戦を挑んだが、オーストリア軍は決戦を回避。シュフィドニツァの城砦に籠った。バルト海戦線では、ロシア軍はステッテン(Stettin 2935)を包囲、強襲を仕掛けたが、攻略は失敗。
西部戦線では、ブラウンシュヴァイク麾下のハノーヴァー軍がマインツ(Maintz 1108)を攻撃。これを電撃的に占領した。フランス軍はハノーヴァー軍の跳梁を押さえるべく別動隊を編成。ブログリー(de Broglie 1-1-1)将軍麾下の9戦力がマインツを囲んだ。
6Turn(7月)
フリードリヒはシュフィドニツァに籠るダウン麾下のオーストリア軍を包囲攻撃するが、城壁を突破できずに城外で立ち往生を余儀なくされる。その間、プラハにいたラウドン将軍はザクセンに侵攻。戦略的要域であるドレスデン(Dresden 1623)を強襲し、同地を占領した。さらにバルト海方面では、ロシア軍がステッテンを占領した。守備にあたっていたプロイセン軍クライスト(Kleist 1-1-1)将軍は捕虜になる。次第に追い詰められるプロイセン軍。
7Turn(7月)
フリードリヒはロシア軍を撃破すべく北に向けて転進する。それを見たロシア軍は一時的にベルリン(Berlin 2522)を狙う姿勢を見せていたが、それ以上は前進できない。8Turn(8月)
シレジア方面では、フリードリヒの不在を見てオーストリア軍が攻勢に転じた。ブレスラウ(Breslau 1733)とグラツ(Glatz 1532)を攻撃。グラツが陥落した。他にもザクセン地方ではトレガウ(Torgau 1821)がオーストリア軍ラウドン将軍の攻撃を受けて陥落。プロイセン軍のフーケ(Fouque 1-1-1)将軍が捕虜になった。さらに西部戦線ではマインツを囲むフランス軍が同地を攻略。ハノーヴァー軍のブラウンシュヴァイク将軍はフランス軍の捕虜になる。
この時点でVPが65対135のダブルスコアになったのでゲーム終了とした。この後連合軍が順当にプレイすれば、プロイセン軍の勝利は困難だと思われる。
感想
元々このシナリオはフリードリヒにとって一番不利な時期を扱ったシナリオなので、反プロイセン軍が大きなミスをしない限りプロイセン軍が不利なのは否めない。今回は第1Turnにこちらがミスを犯したが、出目に助けられて致命傷にならなかった。もしここで逆の結果になっていれば、今回とは全く違った結果になったかもしれない。VASSALによる通信対戦そのものはスムーズに対戦できた。またチャットだけではなくSkypeを使った会話を混ぜることができたので、意思疎通がスムーズにできたのが良かった。家庭環境その他でSkypeを使うのが難しいケースもあるとは思うが、そうでないのであればVASSL対戦でのSkype(又はその他Web会議システム)の利用は必須に近いと思われる。