もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

カテゴリ:戦史 > 7年戦争

今年は中国武漢コロナの影響で「ゴールデンウイーク」ならぬ「自粛ウィーク」になってしまいました。しかしゲーマーたるもの、あらゆる環境でゲームができるもの。かくいう私もコロナのおかげでゲームにつぎ込む時間が激増し、今までプレイできなかったゲームを次から次へとプレイできるという「ゴールデンな」状況になった訳です。

中でも対戦機会が激増したのがVASSALによる通信対戦。 前回紹介した「第3帝国の盛衰」 もそうですが、それ以外にも色々なゲームを通信対戦する機会が増えました。この分では、コロナが収束した後もVASSALによる通信対戦を「週末の過ごし方についての選択肢の1つ」にできそうな気配です。

今回紹介するのは、旧SPI/AHの「Frederic the Great」のVASSAL戦。18世紀に起こった7年戦争をシンプルなシステムで再現した傑作ゲームです。選択したシナリオは1759年シナリオ。東からはロシア軍、南からはオーストリア軍、西からはフランス軍がドイツ本土に迫るというまるで「1945年のような」状況下のシナリオです。私は反プロイセン軍を担当しました。

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1759年シナリオ

1Turn(4月)

シレジア方面からボヘミア方面に出撃したフリードリヒ(Frederick 3-3-2、指揮能力-攻撃修正-防御修正)は、ケーニヒグレーツ(Koniggratz 1230)を襲う。同地を守るオーストリア軍ダウン(Daun 1-2-3)はフリードリヒとの決戦を回避して南方へ逃れる。
別の場所では、プロイセン軍ハインリヒ(Heinrich 2-1-2)は、強行軍によりオーストリア軍ラウドン(Laudon 2-2-2)麾下のオーストリア軍を捕捉、決戦を強いた。兵力では勝るプロイセン軍であったが、出目に恵まれずオーストリア軍を撃破できず。あまつさえハインリヒ将軍が流れ弾に当たって戦死するという悲劇に見舞われた。

この戦闘で敗北を免れたのは幸運であった。逆にこちらのラウドンが死んでしまったら、貴重な兵力がボヘミアの山中で野垂れ死にする所であった。しかしこの移動は明らかに当方のムーブミスである。何もない所に兵力を放置していたのが拙かった訳で、さっさとプラハ(Prague 1125)に後退しておくべきであった。

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2Turn(5月)

フリードリヒは戦死したハインリヒ将軍麾下の兵力を収容すべくボヘミアの山中を西へ向かう。その間、オーストリア軍のラウドン将軍はプラハに入城。バイエルン方面からの増援を含めて総兵力は15戦力(うち5戦力は神聖ローマ帝国)になった。
バルト海方面では、ケーニヒスベルク(Koenigsberg 3741)を発した計30戦力のロシア軍がポーランド領内を西へ向けて進んでいた。

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3Turn(5月)

フリードリヒはプロイセン軍27戦力を率いてプラハを囲む。プラハを守るオーストリア軍はラウドン将軍麾下13戦力。兵力は半分以下のオーストリア軍であったが、城壁のおかげでフリードリヒの攻撃を撃退した。


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4Turn(6月)

その間、ボヘミア以外の戦線も動いていた。
バルト海方面では、西に向けて前進を続けていたロシア軍が、沿岸都市コルベルク(Colberg 3330)を攻撃。これを陥落させた。
西部戦線ではプロイセンと共同行動を取るハノーヴァー軍がライン方面へ進攻を開始。ブラウンシュヴァイク(Brunswick 1-1-1)麾下のハノーヴァー軍がフランクフルト(Frankfurt 1210)を強襲。一撃でこれを陥落させていた。一方大兵力を誇るフランス軍は、コンダード(Contades 1-1-1)将軍麾下の27戦力がミュンスター(Munster 2206)を包囲。強襲攻撃を実施したが、ハノーヴァー軍シュポルケン(Sporcken 1-1-1)将軍は6倍以上のフランス軍の攻撃に耐えて町を守り切った。

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5Turn(6月)

ボヘミアからシレジア方面では、フリードリヒ不在をついてオーストリア軍のダウン将軍がシレジア方面に侵攻。シュフィドニツァ(Schweidnitz 1631)を奇襲し、これを占領した。フリードリヒは直ちにシレジア方面へ転進、オーストリア軍に決戦を挑んだが、オーストリア軍は決戦を回避。シュフィドニツァの城砦に籠った。
バルト海戦線では、ロシア軍はステッテン(Stettin 2935)を包囲、強襲を仕掛けたが、攻略は失敗。
西部戦線では、ブラウンシュヴァイク麾下のハノーヴァー軍がマインツ(Maintz 1108)を攻撃。これを電撃的に占領した。フランス軍はハノーヴァー軍の跳梁を押さえるべく別動隊を編成。ブログリー(de Broglie 1-1-1)将軍麾下の9戦力がマインツを囲んだ。
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6Turn(7月)

フリードリヒはシュフィドニツァに籠るダウン麾下のオーストリア軍を包囲攻撃するが、城壁を突破できずに城外で立ち往生を余儀なくされる。
その間、プラハにいたラウドン将軍はザクセンに侵攻。戦略的要域であるドレスデン(Dresden 1623)を強襲し、同地を占領した。さらにバルト海方面では、ロシア軍がステッテンを占領した。守備にあたっていたプロイセン軍クライスト(Kleist 1-1-1)将軍は捕虜になる。次第に追い詰められるプロイセン軍。

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7Turn(7月)

フリードリヒはロシア軍を撃破すべく北に向けて転進する。それを見たロシア軍は一時的にベルリン(Berlin 2522)を狙う姿勢を見せていたが、それ以上は前進できない。

8Turn(8月)

シレジア方面では、フリードリヒの不在を見てオーストリア軍が攻勢に転じた。ブレスラウ(Breslau 1733)とグラツ(Glatz 1532)を攻撃。グラツが陥落した。他にもザクセン地方ではトレガウ(Torgau 1821)がオーストリア軍ラウドン将軍の攻撃を受けて陥落。プロイセン軍のフーケ(Fouque 1-1-1)将軍が捕虜になった。
さらに西部戦線ではマインツを囲むフランス軍が同地を攻略。ハノーヴァー軍のブラウンシュヴァイク将軍はフランス軍の捕虜になる。

この時点でVPが65対135のダブルスコアになったのでゲーム終了とした。この後連合軍が順当にプレイすれば、プロイセン軍の勝利は困難だと思われる。

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感想

元々このシナリオはフリードリヒにとって一番不利な時期を扱ったシナリオなので、反プロイセン軍が大きなミスをしない限りプロイセン軍が不利なのは否めない。今回は第1Turnにこちらがミスを犯したが、出目に助けられて致命傷にならなかった。もしここで逆の結果になっていれば、今回とは全く違った結果になったかもしれない。

VASSALによる通信対戦そのものはスムーズに対戦できた。またチャットだけではなくSkypeを使った会話を混ぜることができたので、意思疎通がスムーズにできたのが良かった。家庭環境その他でSkypeを使うのが難しいケースもあるとは思うが、そうでないのであればVASSL対戦でのSkype(又はその他Web会議システム)の利用は必須に近いと思われる。

Game Journal 50-フリードリヒ最大の危機 Game Journal 89-フランス革命 戦史 七年戦争 フリードリヒ大王の指揮 フリードリヒ大王

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Frederick the Great(邦題「フリードリヒ大王」、以下本作)は、1975年にSPI社から発表されたシミュレーションゲームである。プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリア、フランス、ロシア等と戦った7年戦争を1シナリオ1年で再現する。本作は、その後Avalon Hill社から再版され、そのライセンス版が日本でもHobby Japanから発売された。私が今手元に持っているのは、そのHobby Japan版である。

システム詳細については、こちらの記事を参照されたい。

今回、本作を初めて対人戦をプレイしてみた。

前回は1757年シナリオ(シナリオ2)の戦いを紹介した。まだ少し時間があったので、別のシナリオをプレイすることになった。選択したシナリオは、シナリオ3「1758年シナリオ」である。今回は下名がプロイセン軍を担当する。

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シナリオ3(1758年)

1Turn

このシナリオはシュフィドニツァ(Schweidnitz 1631)をプロイセン軍が包囲している状態から開始される。シュフィドニツァを包囲しているのは、プロイセン軍のツァイテン将軍(Zeithen 1-1-1)である。攻城戦はすぐに成功し、シュフィドニツァはプロイセン軍の支配する所となった。

2Turn

オーストリア軍の名将ダウン将軍(Daun 1-2-3)が大兵力を率いてシレジア方面に侵攻してきた。35戦力(10万人以上)の大兵力である。大胆にもダウン将軍は、フリードリヒに対して決戦を挑んできたのである。その時フリードリヒ麾下の兵力は22戦力(6~7万人)。戦力比は1.5倍以上であった。オーストリア軍の狙いは、必ずしも無謀だとも言い切れなかった。

しかし戦闘結果はオーストリア軍にとって厳しい結果となった。戦闘による損害は双方とも5戦力ずつ。しかし指揮能力の差がモノを言ってオーストリア軍は2戦力分の捕虜を出して後退。戦闘に生き残った28戦力は全て戦意喪失状態となってしまう。こうなってしまうとオーストリア軍は苦しい。毎Turn士気回復のチェックが可能ではあるが、その成功率は1/6に過ぎない。そして士気回復するまでは一切の攻勢作戦は実施不可能なのだ。

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4Turn

西部戦線ではプロイセン陣営のハノーヴァーと反プロイセン陣営のフランスが激突する。場所はライン川河畔のヴェセル(Wesel 2104)。前回はフランス軍の大兵力に苦しめられたハノーヴァー軍であったが、今回は違う。フリードリヒに近い能力を持つフェルディナンド将軍(Ferdinand 2-2-2)がハノーヴァー軍に加わり、指揮官の能力では完全にハノーヴァー軍有利になった。
最初の激突は、そのフェルディナンド率いるハノーヴァー軍とスービス将軍(Soubise 0-1-1)率いるフランス軍の戦いである。兵力はほぼ互角の両軍であったが、指揮能力の差がモノを言ってハノーヴァー軍が勝利した。スービス麾下のフランス軍は回復不能の損害を被った。

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プラハ(Prague 1125)近郊では、プロイセン軍のハインリッヒ将軍(Henry 2-1-2)がオーストリア軍のセルベロニ将軍(Serbeloni 0-1-1)麾下の部隊を捕捉した。兵力はほぼ同等の両軍であったが、指揮能力の違いが圧倒的であった。しかも本作の戦闘システムは、戦闘規模が小さいほど指揮官能力差が出やすい。結果は一方的でオーストリア軍は完膚なきまでに撃破され、セルベロニ麾下の部隊は回復がほぼ不可能な程の損害を被った。

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5Turn

先の敗戦から回復したダウン将軍率いるオーストリア軍が再びフリードリヒに決戦を挑んできた。戦力はオーストリア軍27戦力対プロイセン軍18戦力。今回も戦闘比は3:2である。そして今回もフリードリヒの指揮能力によってプロイセン軍が勝利。プロイセン軍の損失2戦力に対し、オーストリア軍は3戦力の損失と3戦力の捕虜を出した。

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6Turn

西部戦線ではハノーヴァー軍がフリードリヒ顔負けの大機動戦を展開していた。まず後方地帯を移動中のフランス軍シェヴェール将軍(Chevert 0-1-1)麾下の4戦力を、ハノーヴァー軍フェルディナンド将軍麾下の10戦力が奇襲攻撃を実施し、これを撃破した。返す刀でフランス軍コンタード将軍(Contades 1-1-1)麾下の10戦力と対峙した。兵力は互角の両者であったが、今回もまたフェルディナンドの優れた指揮能力がフランス軍を圧倒した。コンタード軍は大損害を被った。

まるでアスターテ会戦におけるラインハルト・ローエングラムの如き各個撃破戦術である、と書けば、自画自賛が過ぎるだろうか?。

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7Turn

フランス軍は最後の望みをかけてデストリーズ将軍(D.Eesterss 0-1-1)麾下の部隊をフェルディナンドにぶつけてきた。しかし能力的にはこれまで戦った将軍達と比べて特に優れている訳でもないデストリーズがフェルディナンドに勝てるわけもない。フェルディナンドは今年何度目かの勝利をフランス軍に対して収めた。この時点でフランス軍、オーストリア軍で行動可能な部隊はほぼ皆無となり、反プロイセン陣営は敗北を認めた。

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写真8


感想

ここでは、2回の対戦両方についての感想を書く。
ルールブックを読んだとき、ルールのまとめ方が大胆過ぎて「本当に大丈夫なの?」と思った。その典型例が消耗ルールである。プレ20世紀を扱うゲームでは、多くの場合「消耗」の概念が取り入れられている。これは当時の貧弱な兵站組織とそれに起因する分進合撃を再現するためのルールだ。そして一般的には狭い地域に大兵力を集中すると激しい消耗を強いられるということで過剰な兵力集中抑制を図っている。 ところが本作での消耗は、いかなる場合でも「1スタック1戦力」なのである。ということは巨大なスタックを1個作った方が中規模スタックを複数個作るよりも消耗を低く抑えられるということになる。勢いゲームは「巨大スタック同士のぶつけ合い」になるのでは、という危惧があった。

結果を書けば、上記の危惧は完全な杞憂に終わった。これは特に兵力の大きい反プロイセン陣営に当てはまるのだが、巨大スタックを作ると必然的に軍の最高指揮官の元に全兵力が集まることになる。最高指揮官が優秀であれば良いのだが、そうでない場合も多い。さらに巨大スタックは攻城戦にも不利である。そんなこんなで巨大スタック戦術が唯一無二の戦術になるようなことはなかった。 本作で面白いな、と思った点はいくつかあるが、その1つはプロイセン陣営と反プロイセン陣営の性格の違いである。プロイセン陣営は兵力の絶対量では劣るものの合戦時の指揮能力、機動力、そして回復力で勝っている。反プロイセン陣営はその逆である。従ってプロイセン陣営としては速やかに敵主力を決戦に引き出して、それを完膚なきまでに叩きたい(これは比喩ではなく、相手がフランス軍は神聖ローマ帝国軍なら十分に可能である)。逆に反プロイセン軍は決戦を避けつつフリードリヒを疲弊させながら、多正面攻勢でプロイセンの領土を少しずつ侵食していきたい所だ。

もう1点面白かったのは、シナリオの時期によって両軍の置かれている状況が全く違ってくるということだ。今回プレイした1757年シナリオと1758年シナリオを比較しても、、例えばオーストリア軍の最高指揮官がカールからダウンに変わっている。後者の方が遥かに優秀なので、オーストリア軍は初めてフリードリヒとの正面対決を戦略の1つとして検討することが可能になった。 逆にハノーヴァー軍の最高指揮官も1757年シナリオではカンバーランドだった所を、1758年シナリオではフェルディナンドに変わっている。フェルディナンドは能力が高く、その結果西部戦線の様相が一変した。このあたりの劇的な変化が面白い。

「フリードリヒ大王」はシンプルなゲームである。移動ルールや戦闘ルールは明確で、しかもスタック数は少ない。Turn数は比較的多いが、各Turnで動けるスタックが少ないため1Turnの所要時間は短い。1Turn10~15分、シナリオの所要時間は3~4時間程度なのではないだろうか。そしてスタック数が少ないため個々のスタックの重みが増し、1つの決断の重みを味わうことができる。

「フリードリヒ大王」は間違いなく傑作ゲームだ。そう感じた。

Game Journal 50-フリードリヒ最大の危機 Game Journal 89-フランス革命 戦史 七年戦争 フリードリヒ大王の指揮 フリードリヒ大王

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Frederick the Great(邦題「フリードリヒ大王」、以下本作)は、1975年にSPI社から発表されたシミュレーションゲームである。プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリア、フランス、ロシア等と戦った7年戦争を1シナリオ1年で再現する。本作は、その後Avalon Hill社から再版され、そのライセンス版が日本でもHobby Japanから発売された。私が今手元に持っているのは、そのHobby Japan版である。

システム詳細については、こちらの記事を参照されたい。

今回、本作を初めて対人戦をプレイしてみた。

シナリオ2(1757年)

最初にプレイしたのは、1757年(開戦2年目)シナリオである。下名は反プロイセン陣営を担当する。
1番最初のプレイではルールの致命的ミスが発生してしまった。それは5.37項の適用忘れである。このルールは、プロイセンを除く各国において、最上位揮官以外の指揮官は、決して最上位指揮官麾下の兵力を超える兵力を指揮できないというもの。これはすなわち「バカ殿」を戦列から外して遊ばせておく、という運用を禁止するルールである。このルールを失念していたため、特に連合軍はカール・アレクサンダー(Charles)(1-1-1、指揮能力-付加攻撃力-付加防御力、以下同じ)のような能力の低い総大将を小兵力で遊ばせておく戦略を採用した。しかしこれはルール違反だったのだ。

写真1


1~2Turn

というわけでやり直しである。先ほど同様1757年シナリオで、下名は反プロイセン陣営を担当する。
先ほどの間違いプレイでは、No.1のカールを排斥し、No.2のダウン将軍(Daun 1-2-3)やNo.3のブラウン(Browne 2-2-2)麾下に主戦兵力を集結させてプロイセン軍フリードリヒ(Frederick 3-3-2)に対抗させる戦略を採用した。しかし今回その手が使えない。そこでオーストリア軍の兵力を3等分し、それぞれカール、ダウン、ブラウンに指揮させることにした。この場合、局所集中するフリードリヒ麾下の軍に個別に対抗できない。そこで決戦は極力回避し、フリードリヒに捕まりそうになったら城砦に逃げ込む手とした。城砦ごと包囲される危険もゼロではないが、城砦が落ちてもプロイセン軍に対して多大な損害を強要できるのであれば、それも良しである。
ザクセン州のドレスデン(Dresden 1623)を発したフリードリヒは、国境を越えてオーストリア領内に侵攻。プラハ(Prague 1125)にてオーストリア軍総司令官カールの率いるオーストリア軍を包囲した。一方、ダウン将軍及びブラウン将軍率いるオーストリア軍別動隊は、ケーニヒグレーツ(Koniggratz 1230)を基点としてシレジア地方のプロイセン領を伺う。

写真2

4Turn

プラハがフリードリヒの包囲攻撃に耐えかねて落城した。城を守っていたオーストリア軍は平和的な開城が認められ、総司令官カールを含めて全兵力がケーニヒグレーツへ向けて後退した。
その頃西部戦線では、フランス軍によるハノーヴァー進攻が始まっていた。フランス軍のデ・ストリーズ将軍(D.Eestrees 0-1-1)麾下のフランス軍がライン川。ミュンスター(Munster 2206)を守るハノーヴァー軍を包囲攻撃していた。兵力で圧倒するフランス軍はミュンスターを包囲し、遂にこれを落城させた。ハノーヴァー軍No.3の指揮官ザストロフ将軍(Zastrov 1-1-1)はフランス軍の捕虜になった。
写真3


6Turn

フリードリヒはプラハから長駆進撃し、ケーニヒグレーツを包囲する。包囲の中にオーストリア軍カール麾下の兵力が含まれていた。
一方西部戦線では、フランス軍コンタード将軍(Contades 1-1-1)麾下の分遣隊がミンデン(Minden 2310)を包囲攻撃。これを落城せしめて、ハノーヴァー軍カール将軍(Karl 1-1-1)を捕虜にしていた。
写真4


7-8Turn

フリードリヒが彼らしい大胆な行動に出た。まず麾下全兵力を率いてケーニヒグレーツの包囲を解き、シレジア南部の山々に布陣するダウン将軍麾下のオーストリア軍を襲った。その兵力は計40戦力。ダウン麾下のオーストリア軍は13戦力。その比率は3-1に達した。地形に依るオーストリア軍は善戦し、フリードリヒに対して4戦力の損失を強いたが、自軍の損害は5戦力に達し、さらに2戦力が捕虜として取られてしまう。オーストリア軍副将格のナダシー将軍(Nadacy 0-1-1)も戦死する。
この後がフリードリヒの本領発揮である。後退したオーストリア軍に対して機動力の優越を生かしたフリードリヒは全戦力を率いて蹂躙攻撃を実施。圧倒的な兵力差を前にオーストリア軍は成す術もなく全滅。オーストリア最良の将軍の1人であるダウン将軍も哀れプロイセン軍の捕虜になってしまう。

写真5


西部戦線では、フランス軍の進撃は続き、ハノーヴァー(Hannover 2413)を占領していた。
さらに8Turnには東方の巨人、ロシア軍が登場し、ケーニヒスベルク(Konigsberg 3741)を包囲した。

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9-10Turn

シレジアでの大敗北を喫したオーストリア軍は後方地帯に後退。オルミュッツ(Olmutz 0834)、ブルン(Brunn 0631)、そしウィーン(Vienna 0231)といった拠点に籠城戦の構えを見せる。それに対してプロイセン軍は再びケーニヒグレーツを包囲し、ここを占領していた。
西部戦線では、コンダード将軍麾下のフランス軍10戦力が、ハノーヴァー軍主将カンバーランド公(Cumberland 0-1-1)をシュターデ(Stade 3011)で襲った。戦闘比は1-1に届かず、損害はフランス軍の方が多かったが、コンダード将軍の指揮能力のおかげで敗北は免れた。

この時、もしフランス軍が勝利していれば、ハノーヴァー軍の残りは全て回復不能の状態に陥る所であったが、惜しいことをした。


12-13Turn

プロイセン軍主力はオーストリア方面を去って西部戦線に向かう。これを見たフランス軍は進撃を中止して後方に下がっていく。一方でオーストリア軍はケーニヒグレーツに舞い戻ってここを包囲し、第12Turnに同地を奪回していた。

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ロシア戦線では、ロシア軍はケーニヒスベルクを奪取し、さらに西へ向けて進撃の構えを見せる。

13-15Turn

フリードリヒが西部戦線に到達し、ハノーヴァーを包囲する。しかしハノーヴァーの守りは固く、陥落する気配はない。その間、シレジア方面ではオーストリア軍が逆襲に転じ、シレジアに侵入。グラツ(Glatz 1532)、シュフィドニツァ(Schweidnitz 1631)を次々と陥落させた。さらにブジェグ(Brieg 1634)を包囲する。
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16-18Turn

冬になった。行動中の各部隊は次々と冬営に入っていく。行動を続けているのは、フリードリヒ麾下のプロイセン軍と、ブラウン将軍麾下のオーストリア軍だけであった。

本作のシナリオは一部例外を除いて18Turn構成になっている。そのうち16~18Turnは冬季扱いである。冬季の場合、要塞に籠って「冬営」している部隊以外は全て消耗の対象となり、スタック毎に1Turnに1戦力の割合で戦力を失っていく。従って冬になると両軍とも消耗を避けるために次々と冬営に入ることとなる。

オーストリア軍としてはフリードリヒが戻ってくる前にブジェグ攻略を完了させたかった。しかしここではダイス目振るわずブジェグ攻略を完遂できなかった。フリードリヒに野外で捕捉されれば勝機はない。ブラウン将軍は麾下の兵力を率いてグラツに後退。そこで冬営に入った。

写真9


かくして1757年の戦役は終わった。

結果

プロイセン軍:占領90VP-損耗36VP=54VP
反プロイセン軍:占領110VP-損耗34VP=76VP
反プロイセン軍の実施的勝利。損耗のVPはほぼ同じ。プロイセン軍にとっては、西部戦線で多くの要塞を失ったことと、第12Turn以降のオーストリア軍による反撃によって、シレジアの2都市を失ったことが敗因となった。


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前回に引き続き「フリードリヒ大王」(以下、本作)をプレイする。前回は一番簡単なシナリオ1だったので、今回は少し長めのシナリオに挑戦したい。色々迷ったが、「歴史の流れを見たい」ということで、前回のシナリオから引き続いてシナリオ2「1757年戦役」をプレイしてみた。VASSALによるソロプレイである。

状況

このシナリオは前回と異なりマップ全域を使用する。マップ北東部のブランデンブルグ州、ポーランド王国、ザクセン地方、シレジア地方には、本作の主役、フリードリヒ大王率いるプロイセン軍が展開している。その兵力は計69戦力だ。またマップ北西部ハノーヴァー地方には、プロイセンの同盟国であるハノーヴァー軍17戦力が展開している。プロイセン連合軍(以下、連合軍)の総兵力は86戦力、獲得VPは100VPだ。

一方の反プロイセン同盟軍(以下、同盟軍)は、オーストリア軍とフランス軍、そして途中から登場してくるロシア軍が主力だ。初期配置の兵力は、マップ南東部オーストリア本土にオーストリア軍58戦力。マップ南西部フランス方面にはフランス軍39戦力。他に神聖ローマ軍が1戦力とスウェーデン軍が6戦力。合計104戦力が同盟軍の全戦力だ。その他、第8Turnにフランス軍10戦力、ロシア軍22戦力、神聖ローマ軍8戦力の計40戦力が登場する。

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この状況を見ると兵力に勝る同盟軍が攻撃側で、それを連合軍が各個撃破を狙う、という展開が予想できる
。とはいえ、連合軍としてはただ手をこまねいていては同盟軍の大兵力に潰されるのみである。同盟軍兵力が分散している間に機動力の優位を生かして同盟軍の弱体化を狙いたい。

最初に狙うのは、・・・、やはり宿敵オーストリアだ。


1Turn(1757年4月後半)

ザクセン、シレジア方面のプロイセン軍が南に向けて進撃を開始する。その兵力は各地の守備隊を除くと計35戦力だ。またバルト海地方では、ステッテン(Stettin 2925)に布陣するプロイセン軍レーヴァルト将軍(Lehwaldt 1-1-1(8)、指揮能力-攻撃修正-防御修正(指揮順位)、以下同じ)がスウェーデン占領地へ向けて前進を開始する。狙いはハミルトン将軍(Hamilton 0-1-0(1))率いるスウェーデン軍6戦力だ。

オーストリア戦区では、各個撃破を避けるために集結したオーストリア国王カール(Charles 1-1-1(1))率いる38戦力を、フリードリヒ(Frederick 3-3-2(1))率いるプロイセン軍34戦力が捕捉した。
兵力で劣るプロイセン軍は果敢にオーストリア軍を攻める。出目は"4"で修正後は"6"。戦闘結果は20L/20でプロイセン軍カイト将軍(Keith 1-1-1(5))が戦死する。プロイセン軍は7戦力、オーストリア軍は8戦力を失い、他にオーストリア軍3戦力はプロイセン軍の捕虜となった。敗北を喫したオーストリア軍は川向うに後退する。

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さらにバルト海沿岸ではプロイセン軍8戦力とスウェーデン5戦力が矛を交える。プロイセン軍レーヴァルト将軍は勇敢な指揮によってスウェーデン軍を撃破。1戦力の捕虜を取ったが、不幸にしてレーヴァルト将軍は壮烈な戦死を遂げてしまう。

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2Turn(5月前半)

オーストリア軍は撃破されたが、新たな脅威は西から迫ってきた。デストリーズ将軍(d'Eestrees 0-1-1(1))麾下のフランス軍17戦力がハノーヴァー領内に侵攻し、ミンデン要塞(Minden 3310)を囲んだのである。カンバーランド公率いるハノーヴァー軍は、兵力の劣勢を見てマグデブルグ方面へと後退していく。

3Turn(5月後半)

フリードリヒはハノーヴァーを救援するため手勢を率いてハノーヴァーに向かう。オーストリア方面を任されたのは、シュヴェーリン将軍(Schwerin 1-1-2(2))だ。彼らはケーニヒグレーツ要塞(Koniggratz 1230)を攻撃し、ここを占領した。
その頃、ハノーヴァー方面では、ミンデン要塞がフランス軍の猛攻を受けて陥落していた。

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4Turn(6月前半)

フリードリッヒがマグデブルグ(Magdeburg 2217)に到着し、ハノーヴァー軍と合流した。フランス軍はミンデンに集結し、連合軍の様子を伺う。

5Turn(6月後半)

フリードリヒ出現の報を受けてフランス軍は一斉に西へ向けて撤退を開始する。

6Turn(7月前半)

バルト海戦線に到着したプロイセン軍マウリス将軍(Maurice 0-1-1(6))が、スウェーデン軍の拠点であるストラルスンド(Straslund 3321)を攻撃し、これを陥落させた。これにより流浪の民に近い状態のスウェーデン軍は、補給源を失ったことで消滅への道をたどることになる。

フランス軍を追って西へ向かう連合軍は、先頭を走るフリードリヒ軍がミンスター(Munster 2206)に到達。その後方ミンデンでは、ハノーヴァー軍が包囲攻撃を行ってこれを奪い返していた。

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オーストリア方面では、未だに国王カールが率いるオーストリア軍主力が士気阻喪状態から立ち直れずにいた。しかしオーストリア軍の名将ダウン将軍(Daun 1-2-3(2))が纏まった兵力を率いて反攻に転じてきた。プロイセン軍のシュヴェーリン将軍は決戦を不利とみて決戦回避。主力を率いてドレスデン方面へと後退した。ダウン将軍はケーニヒグレーツ要塞に対して猛攻を仕掛けて陥落。守備についていたプロイセン兵を悉くなで斬りにした。

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7Turn(7月後半)

ハノーヴァー軍がミュンスター要塞を奪取した。フリードリヒは東方の脅威に対抗すべく、軍を反転させて東へ向かう。

8Turn(8月前半)

同盟軍の増援が現れた。ケーニヒスベルク(Koenigsberg 3741)へ向かうロシア軍21戦力、ニュールンベルグ(Nurnberg 0816)の神聖ローマ軍8戦力、そしてストラスブルグ(Strasburg 0406)でのフランス軍8戦力だ。
ロシア軍はケーニヒスベルク要塞を猛攻し、ここを奪取。守備についていたプロイセン軍も全滅した。
西部戦線ではフランス軍はミュンスターを奪回した。

と、ここまでプレイしたところVASSALが無念のハングアップ。毎Turnセーブしなかったことを悔やんだが、後の祭りである。ともあれ、「フリードリヒ大王」の大型シナリオについて感触を掴んだのは良かった。

次は対人戦で戦ってみたい。


Game Journal 50-フリードリヒ最大の危機 Game Journal 89-フランス革命 戦史 七年戦争 フリードリヒ大王の指揮 フリードリヒ大王

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Frederic the Great(邦題「フリードリヒ大王」、以下本作)は、1975年にSPI社から発表されたシミュレーションゲームである。プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリア、フランス、ロシア等と戦った7年戦争を1シナリオ1年で再現する。本作は、その後Avalon Hill社から再版され、そのライセンス版が日本でもHobby Japanから発売された。私が今手元に持っているのは、そのHobby Japan版である。

システムはシンプルだが、ユニークな点もある。シークエンスは移動、強行軍、戦闘となっているが、強行軍は非フェイズプレイヤーが行う。戦闘は同一ヘクス戦闘である。移動と戦闘の間に強行軍が挟まっている所がミソで、非フェイズプレイヤーは敵が同一ヘクスに侵入してきても、強行軍で離脱できる。従って敵に野戦を強要したい場合は相手側プレイヤーTurnの強行軍で敵ヘクスに侵入する必要がある。
移動については、ダイス目+指揮能力(ただし移動力の上限は6)で、指揮能力3のフリードリヒ大王なら4移動力以上が保証されているが、指揮能力0のバカ殿なら1移動力になってしまうかもしれない。他に攻城戦や補給に関するルールがあるが、いずれもシンプルである。

まず本作の感触を掴むため、一番簡単そうなシナリオ1「1756年シナリオ」をVASSALでソロプレイしてみた。このシナリオは、フリードリヒ大王による神聖ローマ帝国(ザクセン)攻略戦である。史実では勝利を収めた大王だが、果たして・・・。

セットアップ

今回の戦場は、現在のドイツ東南部からチェコ、オーストリア一帯である。フリードリヒ大王側(プロイセン軍)は、マグデブルグ(Magdeburg 2217)にフリードリヒ大王(Federich 3-3-2(1)、指揮能力-攻撃修正-防御修正(指揮順位)、以下同じ)麾下計19戦力を有し、シレジア方面にはシュヴェーリン(Schwerin 1-1-2(2))麾下21戦力が広く散開配備されている。
対する反プロイセン同盟軍(以下、同盟軍)は、神聖ローマ帝国軍がドレスデン(Dresden 1623)とトルガウ(Torgau 1821)にルトウスキ(Rutowski 0-1-0(1))麾下9戦力。オーストリア軍はブラウン(Browne 2-2-2(3))麾下計32戦力がオーストリア領内に広く展開している。
総兵力ではほぼ互角だが、国籍にばらつきがあって指揮能力も劣る同盟軍の不利は明らかだ。その代わり、ゲーム開始時点で獲得しているVPは、プロシア軍が45VPで同盟軍が50VP。従って攻撃の義務はプロイセン側に課される。

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9Turn(1756年8月後半)

(このシナリオは9Turnから始まる)
フリードリヒはマグデブルクを進発してドレスデンへ向かう。またシレジア方面ではブレスラウ周辺のプロイセン軍が集結してオーストリア軍北上に備える。
オーストリア軍はブラウン麾下で兵力を集結させてシレジアを伺う。またザクセン方面では、フリードリヒ接近の報を受けてルトウスキが早くもドレスデンを放棄した。

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10Turn(1756年9月前半)

フリードリヒ軍が二手に分かれてトルガウとドレスデンを包囲する。それぞれ攻城戦を試みたが、出目振るわず両方とも陥落せず。補給切れを避けるために強行軍を利用してフリーリヒは後退する。
一方の同盟軍は、シレジア西方のプロイセン補給基地をブラウン麾下のオーストリア軍が蹂躙に成功。補給基地を捕獲した。

11Turn(1756年9月後半)

再びプロイセン軍がトルガウとドレスデンを包囲する。今度はトルガウが陥落した。しかしドレスデンはなおも持ちこたえている。一方同盟軍は膠着した状況を打破すべくシレジア方面で攻勢を仕掛けた。ブラウン麾下の21戦力がシュヴェーリン麾下の15戦力と激突する。場所はシレジア地方シュフィドニツァ(Schweidnitz 1631)。兵力は同盟軍がやや強力だが、実質的にはほぼ互角である。攻撃を仕掛けたのはもちろん同盟軍である。戦闘結果はプロイセン軍の守り勝ち。同盟軍は3戦力を失い、1戦力が捕虜になった。プロイセン軍の損害は1戦力のみである。

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12Turn(1756年10月前半)

フリードリヒが東へ向けて進撃。シレジア地方に入った。オーストリア軍のブラウン将軍は、シュフィドニツァでの敗戦にも関わらず再びシレジアに向けて兵を進めてきたが、フリードリヒ軍の姿を見て南下後退していく。
逆にフリードリヒの不在を狙ってザクセン軍がドレスデンを解放。ルトウスキがドレスデンに入城する。

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13Turn(1756年10月後半)

プロイセン軍はドレスデン奪回に出る。プロイセン軍フェルディナンド(Ferdinand 1-1-2(3))麾下の6戦力がドレスデンに急行する。ドレスデンに布陣するルトウスキは強行軍により撤退する手もあったが、ドレスデンを放棄してもジリ貧になるのは目に見えているので、フェルディナンドの挑戦に応じることにした。ほぼ同戦力での「ドレスデンの戦い」は、指揮能力に勝るフェルディナンドの勝利に終わり、ルトウスキ率いるザクセン軍は少数の守備隊を残してドレスデンから叩き出される。

フリードリヒ直率の5戦力も急遽ザクセン方面に引き上げてきたが、フェルディナンドがルトウスキを撃破したので目標を失った。そこへプラハ(Prag 1125)から出撃してきたセルベロニ(Serbeloni 0-1-1(5))麾下の5戦力が攻撃可能範囲に入ってきた。強行軍でセルベロニを追うフリードリヒは、プラハ北東でセルベロニを捕捉した。兵力、指揮能力で勝るフリードリヒはセルベロニ軍を文字通り殲滅し、セルベロニ自身をも捕虜にした。と、そこまでは良かったのだが、最前線で指揮をとるフリードリヒに流れ弾が・・・。戦闘結果表にひっそりと"L"と書かれているではないか・・・。大王が死ぬとプロイセン軍がサドンデスで負けてしまう。

・・・・・

「なかったことにしよう」

という訳で「実はそこにいた」ことになったプロイセン軍マウリス将軍(Maurice 0-1-1(6))が大王の弾除けになって散華した。哀れ・・・。

<<教訓>>
リーダーは可能な限り2人以上で行動し、戦死の結果が出た時に「弾除け」に使うべし。

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14Turn(1756年11月前半)

フリードリヒは東へ向けて進撃する。ドレスデンのザクセン軍守備隊は降伏し、ドレスデンは再びプロシア軍の支配下となった。オーストリア軍はシレジアで限定攻勢を実施。ナイゼ(Neisse 1434)要塞を攻撃してこれを開城せしめた。

15Turn(1756年11月後半)

フリードリヒが東に向かうのを見てブラウンはナイゼに守備隊を残して撤退する。そして今度はプラハ方面へ向けて進撃を開始する。フリードリヒは兵力の半数を自らが率いてブラウンを追う。

16Turn(1756年12月前半)

冬になった。冬季損耗が両軍を苦しめる。ブラウン将軍は雪の中、ドレスデンを包囲攻撃。フリードリヒも反転しブラウンを追うが、間に合わない。ブラウン軍の攻撃でドレスデンは陥落した。

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17Turn(1756年12月後半)

フリードリヒはドレスデンに突入する。ブラウンはフリードリヒとの戦闘を避けて南へ撤退する。ドレスデン攻囲戦はプロイセン軍の勝利に終わり、ドレスデンは三度プロイセン軍の軍門に下った。

18Turn(1757年1月前半)

最終Turnである。ブラウンがフリードリヒの隙をついて再びドレスデンを包囲する。しかし今回は攻略に失敗した。ドレスデン郊外のブラウン軍は冬の寒さに震えていた。また同じ頃、野外冬営を余儀なくされていたルトウスキ率いるザクセン軍残存部隊は、極寒の中、雪に押しつぶされるように消えていった。

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結果

プロイセン軍

要塞確保:55VP
兵力損耗:13戦力(-13VP)
計:42VP

同盟軍

要塞確保:40VP
兵力損耗:オーストリア軍14戦力+捕虜3戦力、ザクセン軍7戦力+捕虜2戦力(-31VP)
計:9VP

プロイセン軍の決定的勝利

感想

戦闘結果表にクセがあるので要注意だ。兵力の損耗が自軍兵力を基準としたパーセント計算なので、集めすぎると損耗が大きくなり合戦に負けやすくなる。5の倍数で組むのが良い。また敵兵力を見て1:1を超えるオッズが立たない場合は、丁度1:1になるように兵力を揃えるのが良い。なかなか上手くは行かないが・・・。

このシナリオに関してはプロイセン軍が有利だと思う。同盟軍の戦い方にも工夫の余地はあるとは思うが、プレイする場合には初心者がプロイセン軍、ベテランが同盟軍を担当し、インストするのが良いと思う。プロイセン軍は結構気持ちよくプレイできるはずだ。

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