


少し前になりますが、5月のYSGA追浜例会に参加しました。
プレイしたゲームは以下の通りです。
プレイしたゲームは以下の通りです。
フリードリヒ最大の危機(GJ#50)
「真田軍記」が終わった後に速攻プレイ。下名はプロイセン軍を担当しました。最初のプレイでは補給線を甘く見て後方遮断されてフリードリヒが逢えなく討死。ポカプレイだったの改めて第2戦。今度はフリードリヒも粘り、本国付近まで攻め込まれながらも、オーストリア軍、ロシア軍、そしてオーストリア軍を個別に撃破し、プロイセン本国を死守。そんなこんなで連合軍相手に連戦連勝のフリードリヒでしたが、本国は連合軍に攻め込まれて背水の陣状態。果たしてプロイセンの運命は・・・、と行った所で時間切れで終了となりました。
そんなこんなで楽しい週末は過ぎて行きました。

プロイセン軍は定石通りザクセンを攻める。まずライプチヒが陥落。その後トルガウ、ドレスデンが陥落する。東プロイセンではレーワルト将軍(★1)率いる6戦力がダンツィヒを陥落させていた。
ロシア軍が動いた。アプラクシン将軍(★★1)率いる24戦力が東プロイセンに侵攻。ケーニクスブルクを占領する。

スウェーデン軍のハミルトン将軍(★1)率いる5戦力がバルト海に面した港湾都市ステッテンを囲んだ。大要塞に対して如何にも攻撃兵力の少なさが気になるが、それでもスウェーデン軍はステッテン守備隊に対して2Hitを与えていた。
プロイセン西部国境ではロスバッハに前進してきた仏軍クレルモン将軍率いる8戦力に対し、フリードリヒ率いる11戦力が反撃のために出撃してきた。兵力と指揮能力に勝るフリードリヒ軍であったが、湿地に阻まれて大苦戦。まさかの敗北を喫したフリードリヒは、ライプチヒに向けて後退するしかなかった。
フリードリヒを破って意気上がる(調子ぶっこいている)クレルモン将軍は、プロイセン本国に侵攻。ライプチヒ要塞を囲む。しかしこれはさすがに調子に乗り過ぎであった。兵力を立て直したフリードリヒがライプチヒで反撃。得意の斜行戦術が炸裂しフランス軍は大敗。国境外に撃退されていった。
英ハノーファ軍がミンデン要塞を奪回した。さらに南下した英ハノーファ軍がカッセルを占領。エアフルトに陣取るフランス軍14戦力(大半が消耗)は後方を断たれてしまう。
アプラクシン将軍(★★1)率いるロシア軍24戦力がベルリンに侵攻。ハインリヒ親王率いる6戦力を撃破してベルリンを支配する。それに対してフリードリッヒ率いる2個軍団16戦力がベルリンに向かう。両軍16戦力同士の激突。しかしここではフリードリヒの指揮が冴えわたる。得意の斜行戦術が炸裂。大損害を被ったロシア軍は退却を余儀なくされてしまう。一方勝利したプロイセン軍も兵力の半数がステップロスしてしまい、必ずしも楽な勝利ではなかった。

一方シレジアでは、オーストリア軍がその支配を完了しつつあった。ケーニヒグレーツ要塞を囲むベーヘン将軍(★1)率いるプロイセン軍6戦力に対してダウン伯(★★2)率いる16戦力が襲いかかった。ベーフェルン将軍の兵力は先の冬に冬季損耗で兵力の過半が損耗しており、新鋭のオーストリア軍に対抗する術はなかった。直ちに撤退するプロイセン軍に対し、オーストリアの騎兵が背後に回り込む。包囲されたプロイセン軍は壊滅的な打撃を被り、ベーフェルン将軍は戦死してしまう。
ダウン伯及びブラウン将軍(★★2)率いるオーストリア軍16戦力がドレスデンに侵攻した。ドレスデンを守るプロイセン軍はわずかに1戦力。それでも猛攻に耐えれば冬季損耗のチャンスもあったのだが、奇跡は起こらずドレスデンは陥落してしまう。
[attached(16,right)]]ブラウン将軍率いる8戦力はドレスデンから進発してそのまま西に向かいライプチヒを囲んだ。微弱な守備隊した持たなかったライプチヒは一撃の元に陥落してしまう。
この報ほどプロイセン軍を震撼させたことはない。このままでは負ける。そういう思いに駆られたプロイセン軍は、兵力を結集してベルリン奪回を目指す。ステッテンを包囲中であったフリードリヒ率いる8戦力が包囲を解いてベルリンに向かい、南からはレーワルト将軍率いる8戦力がベルリンを目指す。






プロイセンが帝国領をどんどん侵攻してくるぅ・・・。ボヘミア地方も侵攻してきた。帝国領内では新たに連合軍側で参戦したフランス軍が帝国領内に展開し、防備を固める。しかし英ハノーファー連合がプロイセン側に立って参戦し、ライン河畔のCologne要塞を無血占領していたりしていた。
東からはロシア軍がいよいよ胎動を開始。ロシアの名将ピョートル・セミョービッチ・ソルティコフ(★★2)率いる3個軍団24戦力の大兵力で一度はケーニクスベルグを囲んだものの、「ブランデンブルグの奇跡」カードによって撤退を余議なくされてしまう。その後1個軍団で同じくケーニクスブルグを囲んだが、これを落城させるには至らずに冬を迎えてしまう。
2Turn連続で「いきなり終了」が続いた後、プロイセン軍が動いた。「強行軍」カードでフリードリヒ自ら率いる2個軍団がブルン要塞を攻撃。これを一撃で陥落させていた。ブルンはオミュレッツとウィーンとをつなぐ要域で、ここの陥落はオーストリア軍にとって本国の後背地帯とシレジア地方の分断を意味していた。
結果から言えば、前年のオミュレッツにおける連合軍の敗北が今回の敗北を決定づけたといえる。その後オーストリア軍はシレジア一帯を奪回し、最終的にはオミュレッツに反撃してきたブラウン将軍(★★2)率いるオーストリア軍残存部隊をフリードリヒ自ら率いる軍団でこれをせん滅。僅かに残ったダウン将軍(★★2)率いる半個軍団が果敢にプラハに対する奪回作戦を試みたが、あと一歩及ばず失敗してしまう。
また西部戦線でも攻勢に転じたフランス軍に対し、ブランシュバイク公(★★2)率いる英ハノーファー軍2個軍団が見事な機動防御を展開。フランス軍2個軍団が撃破され、デステル将軍(★★1)が戦死するという悲運もあった。
今回連合軍を2名で担当したが、両者とも戦術レベルでの失敗が致命傷になった感がある。
オーストリア軍については仕方がない。プレイヤー間の練度差が出てしまった感があり、ちょっと不幸な組み合わせであった。またプロイセン軍のダイスが走っていたのも事実。結果論から言えば、フリードリヒが戻ってくる前に主力部隊をウィーンあたりまで後退させておけば、もう少し違った戦いが出来たであろうとは思う。まあ後の祭りだ。

8月攻勢は上手くいった。ザクセンの主要地であるライプチヒ、ドレスデン、トルガウの3ヶ所を占領。ドレスデンに籠るザクセンのルトヴィスキ将軍(★★1)は戦死した。
冬季損耗でダンツィヒを囲むプロイセン軍とグラツを囲むオーストリア軍はそれぞれ大損耗する。
東プロイセンから北部ポーランドにかけての地域では、1756年末よりプロイセン軍レーワルト将軍(★1)率いる1個軍団弱がダンツィヒ要塞に籠るザクセン軍残存部隊に対して包囲攻撃を続けていた。ダンツィヒ要塞を守るザクセン軍守備隊は奮戦し、度重なるプロイセン軍の猛攻を跳ね返してきた。しかし8月に入ってその抵抗にも遂に限界が訪れた。ダンツィヒ要塞は陥落した。プロイセン軍はホッとしたのも束の間、すぐに東から新たな脅威が迫ってきた。3個軍団以上からなるロシアの大軍が本国を発して東プロイセンに殺到してきたのである。ケーニヒスブルグを守るプロイセン軍は鎧袖一触の元に撃破され、ケーニヒスブルクはロシア軍の支配する所となった。
まずは西部戦線でフランス軍が動いた。ライン河畔のウィーゼル要塞がブロイ将軍(★1)麾下の1個軍団の攻撃を受けて撃破されてしまう。さらにデステル公爵(★★1)率いる1個軍団がウェストファリアを北上。ミンデン要塞を囲んだが、ここで冬が来る。冬営で大損耗するフランス軍。

英国ブランスヴァイク公(★★2)率いる1個軍団がハノーファーより南下。ミンデン要塞を囲むフランス軍を追撃する。デステル公爵率いるフランス軍は英ハノーファー軍との交戦を回避し、ライン河畔に向けて後退した。
対するプロイセン軍はシュヴェリーン将軍(★2)率いる1個軍団をシュテッティンに急派。ハミルトン軍を撃破しシュテッティンを解放した。
その間、英・ハノーファー軍もプロイセン軍の側面を守る形でバイエルンに侵攻。サックヴィル将軍(★2)率いる半個軍団がニュルンベルクを占領してさらにミュンヘンへ侵攻の機会を伺う。また名将ブランスヴァイク公率いる1個軍団がウィルツベルクを落した。

その時、ロシアの大軍が動いた。バルト海沿岸を進むアプラクシン将軍率いる3個軍団が、ステッテン要塞を囲み、これを一撃で陥落させていた。この動きに呼応してフランス軍もハノーファーへ撤退に成功。逆に退路を断たれたフリードリヒは、まさに這う這うの体で辛くもカッセルに後退する。

正直惜しかったと思う。あと1Turn粘れば、エリザベータの死亡チェックに持ち込めたので、プロイセン側にも勝機が出てきた所だった。敗因は1760年秋のハノーファーの陥落であろう。ある程度の要塞守備隊を残しておき、後方遮断を狙う作戦に出れば、フランス軍も易々とハノーファーを取ることはできたかった筈。そこまではかなり善戦していただけに惜しまれる。











