カテゴリ: 世界の軍隊
「Battle of Khalkhin Gol」-ユニークなシステムでノモンハン事件をゲーム化する
書籍紹介「Military Classics Vol.87」
Military Classics Vol.87
イカロス出版
特集はティーガーI型。無印ティーガーだ。「無敵の重戦車」というイメージが強い本車だが、戦術級ゲームをプレイすると意外と弱かったりする。本書ではティーガーI型の技術的特徴や編成、運用、その戦歴を記し、さらにライバルとなった戦車たちと比較していく。その中でティーガー伝説の真相と、ティーガー伝説を支えたのはハードウェアの優越よりも運用や練度といったソフトウェアに依存する部分が多かったとしている。納得できる内容だった。
第2特集はフランス空軍。WW2ではドイツ空軍の前に成すすべもなく敗れ去ったイメージが強いフランス空軍であったが、実際には純粋な航空戦ではフランス空軍はほぼ勝利していた、という本書の指摘は興味深い。真偽のほどはとにかくとしても、これまでのフランス空軍像とは別の視点でフランス空軍を見直してみるのも面白い。
今回も読む所が多く、興味深い内容であった。
お奨め度★★★
「Atlantic Sentinels」をプレイする【2】
「Atlantic Sentinels」は、2024年に米国CompassGamesが出版したSLGだ。テーマはWW2での大西洋における船団護衛戦で、プレイヤーは連合軍の護衛部隊を率いてUボートの攻撃から船団を守ることを目指す。
今回、キャンペーンシナリオに挑戦してみた。
前回までの展開 --> こちら
第11回航海:1942年7月前半
中佐に昇進した直後、私は60隻の大船団を率いてロンドンデリーを出航した。しかしこの航海は呪われたものであった。連日の悪天候で船団は散り散りになってしまい、落伍した船が続出。落伍船を狙ってUボートが襲ってくる。船団の被害は大型輸送船「ユリシーズ」(14,600トン)を初め4隻に達し、他に1隻が魚雷1本を食らいながらも辛うじてニューファンドランドに到着した。我々の戦果はUボート撃沈1隻のみ。我々が被った初めての大被害であった。
第18回航海:1942年10月後半
1942年10月16日。ニューファンドランド島セントジョーンズ港を出航した我々の大輸送船団は、一路東を目指していた。これまでの17回の航海で我々は商船12隻、85,200トンを失っていた。その一方で撃沈したUボートは計14隻。決して小さな損害ではなかったが、敵に与えた被害も決して小さいものではなかった。出港して6日後の10月22日夜半。我々はUボートの集団による攻撃を受けた。合計7隻のUボートよりなるウルフパックである。最初に攻撃してきた4隻のUボートは、船団を包囲するように左右及び前方から襲撃を企てた。しかしこの4隻は、HF/DF、271型レーダー、そしてASDICによって次々と捕捉された。2隻のUボートを撃沈し、残る2隻は損傷を与えて追い払った。
続いて第2波のUボート3隻が船団左側から近づいてきた。3隻のうちHF/DFで1隻、ASDICで1隻を捕捉したが、遂に1隻のUボートが護衛スクリーンを突破した。Uボート1隻を撃沈したが、Uボートの雷撃によって輸送船2隻に魚雷が命中した。幸い両船とも沈没こそ免れたが、損傷によって船団から落伍していった。なお、この時輸送船に命中魚雷を与えたUボートは、その後再び船団襲撃を試みた際、護衛部隊に発見されて撃沈の憂き目を見ている。
この4日後、船団がアイスランド南方に到着した頃、再びウルフパックの攻撃を受けた。今回はUボートが4隻。先ほどよりも隻数は少なかったが、悪天候のため船団の隊形が乱れていた。
そして、そこを狙われた。
落伍船を狙ってUボートが近づく。がっちりと陣形を組んだ輸送船団はUボートの攻撃に対して強力であったが、落伍した輸送船はUボートのカモに過ぎない。輸送船3隻が撃沈され、1隻が大破した。損失トン数は16100トンに達した。
一方、攻撃してきたUボート4隻のうち1隻を撃沈した。この航海を通して撃沈したUボートの隻数は合計5隻。損害も大きかったが、敵に与えた戦果も大きい航海であった。
第25回航海:1943年2月前半
大西洋の冬は厳しい。毎日のように嵐が吹き荒れる。嵐の中では船団は隊形を維持できないし、頼みの長距離哨戒機も飛来しない。我々にとってもっとも嫌な季節が冬だった。しかし長かった冬もようやく終わろうとしていた。この頃になると我々の装備も当初からは見違えるほど強化されていた。旗艦の駆逐艦「ハブロック」には新型の前投兵器ヘッジホッグが装備されていた。また271型レーダーもこの時期になると一部の旧式駆逐艦を除いて殆どの艦に装備されていた。
この航海では、我々は3度に渡ってUボートの群狼攻撃を受けた。しかし強化された護衛部隊はUボートに対して牙をむいた。この航海だけで実に8隻のUボートを海底に葬ったのである。しかもその半数が「ハブロック」に装備されたヘッジホッグによる戦果だった。
もっとも、数で襲い掛かるUボートの攻撃から船団を完全に守り切ることはさすがに難しく、この航海では輸送船3隻、合計19,100トンが撃沈されてしまったのだが・・・
第29回航海:1943年4月前半
我々が船団護衛の任務に就いてから既に1年以上の月日が流れていた。昨年の今頃に比べると、今は隔世の感がある。当時はわずかに1隻に装備されていた271型対水上レーダーも今では全ての護衛艦に装備されていた。また当時は1基もなかった前投対潜兵器ヘッジホッグも、今では凡そ半数の護衛艦に装備されていた。さらに船団上空には常に大型哨戒機が飛び回り、大型哨戒機の行動範囲外では護衛空母を発進した艦載機が監視の目を光らせていた。今回の航海は、強化された我々の対潜網がその威力を発揮した。ロンドンデリーからセントジョーンズに向かう途上、我々は大規模な群狼による攻撃を受けた。その群狼は9隻のUボートよりなっており、彼らは2波に別れて船団を包囲するように攻撃してきたのである。しかし我々の対潜防御は彼らの攻撃を完全に阻止した。
襲撃してきた9隻のうち、実に5隻のUボートを撃沈した。そのうち4隻はヘッジホッグによる戦果だった。残りの4隻のうち、2隻は襲撃前に護衛空母を発進した艦載機による攻撃を受けて急速潜航を余儀なくされた。残り2隻は船団への襲撃を試みたものの、我々の警戒網に捕まって反撃を受け、損傷を被りながらも辛くも戦場を離脱していった。
第34回航海:1943年6月後半
この航海が私にのって最後の護衛任務となった。6月中旬のある日にニューファンドランド島を出航した我々は、長距離哨戒機と護衛空母に守られて東を目指した。その航海は比較的平穏な航海であったが、あと2日でイギリスに到着するという日で我々は群狼の攻撃を受けた。その群狼はUボート3隻という比較的規模が小さいものであったが、悪天候が敵を利した。荒天の為に船団から落伍していた1800トンの「トレビサ」がUボートの攻撃を受けた。遠距離から発射された魚雷1本が「トレビサ」に命中。小型船の「トレビサ」は浸水を止められずに沈没した。これが私の輸送任務で喪われた最後の輸送船となった。
直ちに反撃に出た護衛部隊はフラワー級の「ゴデチア」と「カメリア」がUボートを追撃。ASDICで探知した「ゴデチア」が、ヘッジホッグでこのUボートを撃沈した。
「ゴデチア」は夜に入って船団襲撃を企てた別のUボートをヘッジホッグで仕留めており、この日だけで2隻のUボートを仕留めたことになる。
結果
この航海を最後に私は護衛任務から退いた。私の最終的な戦歴は以下の通りである。・護衛回数:34回
・護衛対象:1820隻
・船舶損失:24隻(130.300トン)、損失率1.31%
・撃沈戦果:Uボート42隻
感想
キャンペーンの結果は「決定的勝利」でした。Uボートを64隻も沈めたのが大きかったです。とはいえ、若干の違和感は禁じ得ません。
こちらの護衛部隊は損失ゼロ(損傷艦すらなかった)で果たして40隻ものUボートを撃沈できるものなのでしょうか?。大西洋の戦いとは、これほど容易な戦いだったのでしょうか?。私のルール適用が実は間違っているのでは?。
苦言を少し続けると、このゲームとにかくチャートの配置が下手です。プレイを始めると複数枚のチャートをあちらこちらから引っ掻き回す必要があります。さらに一工夫すれば少しは使いやすくなりそうなのに、無造作に配置されているので使いにくい。極めつけは船の大きさ判定で、ダイス目と船の大きさについて順番がバラバラなので、大きさを判断するために船名表を見なければならない。船の大きさがダイス目の順番に並んでいれば、船名表を見る機会を激減できたはずなのですが・・・。
さらに言えば、このゲーム、プレイヤー側に「頭を使う」場面が殆どありません。護衛艦の隻数が少ない場合には少しだけジレンマが発生しますが、護衛艦が増えてくると手数が足らないという場面が殆どなくなり、船団の全周の守りを固めて、さらに落伍船への護衛を割り当てることもできます。プレイヤーの仕事は、護衛艦一旦配置すると、あとはひたすらダイスを振るだけ。プレイ中に「一体俺は何をやっているんだろう?」と違和感を覚えることもしばしばでした。
まあ苦言はこれぐらいにして、今回のプレイで威力を発揮したのはHF/DFとレーダーです。特にHF/DFで事前探知するUボートがとにかく多い。もしHF/DFがなければ、船団の被害は倍増どころでは済まなかったと思います。
レーダーはHF/DFほどではないですが、それでも夜間に襲撃をかけてくるUボートを事前発見するのに威力を発揮しました。序盤はレーダー装備艦が少なかったのですが、少しずつ増えていき、最終的には全艦がレーダーを装備するに至りました。
ちなみに今回のキャンペーンでは、最初からHF/DFをレーダーを持っていましたが、ゲーム開始時にHF/DFを持っている可能性は30%、レーダー装備艦を保有する可能性は60%です。確率40%で登場するカナダ軍護衛部隊は、HF/DFもレーダーも持っていません。だから「地獄の大西洋」を味わいたい方は、是非カナダ軍に挑戦してみて下さい。
「Atlantic Sentinels」をプレイする【1】
「Atlantic Sentinels」は、2024年に米国CompassGamesが出版したSLGだ。テーマはWW2での大西洋における船団護衛戦で、プレイヤーは連合軍の護衛部隊を率いてUボートの攻撃から船団を守ることを目指します。
そう、このゲームはソロプレイ用ゲームなのです。プレイヤーの立場は船団護衛部隊の指揮官。対するUボートはゲームシステムに従って自動的に出現し、船団を襲ってきます。プレイヤーは船団の被害を極限し、Uボートを撃破することを目指します。
プレイは、1つの航海だけをプレイするシナリオもありますが、一般的なプレイスタイルは、複数回の航海を繰り返して約1年半の長期戦を戦うキャンペーンシナリオです。扱っている時期は1942年2月~翌年6月です。この時期、大西洋の戦いが最も激しかった時期でもあり、Uボートの脅威によって英国は非常な危機に陥っていました。1943年3月から護衛空母が船団護衛につくようになり、Uボートの脅威は大幅に軽減されました。この時点でUボートの脅威は連合軍の対策によって抑え込まれ、大西洋の戦いは事実上終焉を迎えることになります。
プレイヤーは、大西洋で連合軍が優位を確立するまでの間、護衛船団を守って大西洋で戦い続けることになります。
第1回航海:1942年2月前半
このゲームでは、ゲーム開始時に護衛部隊のタイプを決定する。後で判明することだが、この護衛隊タイプの決定が極めて重要で、ここで「外れ」を出すと、後々苦労することになる。今回の出目は5で、英海軍の護衛グループB5となった。その内訳は、護衛グループ指揮官が乗船する駆逐艦「ハブロック」(HMS Havelock)の他、駆逐艦3隻、コルベット艦3隻である。駆逐艦は、H級、タウン級、V&W級の混成だが、ゲーム上、駆逐艦の種類の違いはあまり大きな影響はない(少しだけある)。コルベット艦は有名なフラワー級だ。
ちなみに護衛部隊はイギリス海軍、カナダ海軍、アメリカ海軍の3パターンがあり、カナダ海軍は他の2ヵ国に比べて装備が劣る。護衛部隊の大きさや国籍はランダムに決まるので、ここでカナダ海軍になってしまうと、前途多難となる。今回は運良く装備優良なイギリス海軍になった。
さらに今回の編制では、最初からHF/DF(「ハフダフ」と読む、短波方向探知機で、船団付近で通信を行うUボートを事前探知できる可能性がある)を装備していた。
我々が護衛する船団は、2月上旬に北アイルランドのロンドンデリーを出航した。船団は約60隻の輸送船よりなり、それを我々7隻の護衛艦が護衛する。
我々はUボートの襲撃を警戒しながら西へ向かう。途中何度か潜望鏡発見の報告はあったが、幸いUボートの襲撃はなかった。出航してから約2週間後、60隻の輸送船団は1隻も失うことなくカナダのニューファンドランド島に到着した。
第2回航海:1942年2月後半
我々は新たな船団を護衛して今度はニューファンドランドから東へ向かった。大西洋のほぼ中間海域に差し掛かったころ、我々は最初の試練を受けることになった。船団がウルフパックの攻撃を受けたのである。ウルフパックとは複数の潜水艦からなる攻撃グループのことだ。
我々は4隻の駆逐艦を2隻ずつ船団の左右に配置し、2隻のコルベット艦を船団の前方に、1隻を後方に配置した。
まず昼間に3隻のUボートが接近を図るが、そのうち1隻をHF/DFで、別の1隻をASDICで捕捉。いずれも爆雷攻撃を加えて追い払った。別の1隻は慎重に夜を待っていた。
最後の1隻が夜間に襲撃を企てるが、HF/DFがそのUボートを探知。駆逐艦2隻で爆雷攻撃を加えて、ようやく1隻を撃沈した。船団における初のUボート撃沈である。
しかし2日後に悲劇が待っていた。1隻のUボートが白昼堂々護衛艦の防御スクリーンを突破し、船団内部に進入。魚雷4本を発射したのである。2本の魚雷がそれぞれ6700トンの「パナイーバ」と5000トンの「ヴァクライト」に命中。前者は沈没、後者は不発魚雷1本に助けられて何とか大破で踏みとどまった。
幸いその後はUボートによる襲撃はなく。船団は損失1隻でなんとかロンドンデリーにたどり着いた。
第10回航海:1942年6月後半
このあと、我々は何度か大西洋を往復した。その間、何度かUボートの攻撃を受け、時には恐るべきウルフパックの攻撃を受けることもあった。しかし我々はUボートによる攻撃を撃退し続け、輸送船団の損害を最小限に食い止めていた。この日までに我々が失った輸送船は、先に記した「パナイーバ」の他、5月の航海でUボートの攻撃を受けて撃沈された4500トンの「ケープ・ロドネー」だけであった。この時は凄腕のUボートが護衛部隊の僅かな隙をついて船団に護衛スクリーンを突破。船団の2隻に魚雷攻撃を仕掛けて1隻を仕留めたのである。我々はそのUボートを追ったが、彼が手傷を負いながらも我々の追撃を振り切った。その一方で、これまでの航海で我々が仕留めたUボートは計5隻に達した。特に威力を発揮したのはHF/DFで、船団外周で通信を行うUボートを高い確率で捕捉し、複数の護衛艦で追い詰めて撃沈していったのである。
そして6月下旬。我々はカナダのニューファンドランド島セントジョーズを出航した。今回護衛対象は約40隻の輸送船団である。約40隻といえば多いように思えるが、当時最大規模の船団は60隻にも達しており、40隻という隻数は船団の規模としては比較的小規模といえた。
その頃には我々の護衛部隊も強化され、隻数は8隻、レーダー装備艦も2隻に増えていた。乗組員の練度も向上し、船団護衛に対する自信を深めつつあった。
最初の数日は何事もなく過ぎた。出航から5日目、そろそろ味方哨戒機の哨戒圏内に入ろうとしていた頃、我々は1隻のUボートの攻撃を受けた。その艦は単独行動中の1艦であったが、我々の護衛スクリーンを巧みに突破し、船団内部に潜入。4本の魚雷を発射した。13700トンの大型タンカー「ニューサビア」に4本の魚雷が次々と命中。「ニューサビア」は一瞬のうちに沈没した。轟沈であったため生存者はなかった。我々は直ちに敵潜を探したが、彼は巧みに我々の追撃を振り切って深海に姿を消した。
しかし彼は欲張り過ぎた。一旦船団を離れた彼は、船団の左舷方向から再度の襲撃を企図してきた。しかし今度は駆逐艦「ハブロック」の271型レーダーがUボートの接近を捉えた。「ハブロック」は僚艦と行動してUボートを追い詰め、遂にこれを撃沈した。
この戦いから2日後、我々は大規模なウルパックによる攻撃を受けた。最初に襲ってきたのは4隻のUボートである。彼らにとって不幸なことは、接触したのが夜間ではなく昼間であったことだ。明るい昼間はUボートにとっても襲撃に適した時刻ではなかったのだ。
4隻のUボートのうち2隻が防御スクリーンの突破を試みた。左舷から接近を試みたUボートは、レーダーによって探知され、爆雷攻撃で損傷を被りつつ辛くも離脱していった。
一方、右舷から突破を試みた別のUボートは、護衛スクリーンを突破。12000トンのタンカー「サラナック」に魚雷1本が命中した。命中魚雷数が少なかったので助かるかな、と、思わせたが、当たり所が悪かったのか、被雷後数時間で「サラナック」は沈没してしまう。沈没が緩慢であったため死傷者が比較的少なかったことが救いであった。
別の貨物船にも魚雷が命中したが、こちらは魚雷が不発だったので助かった。
数時間後に4隻のUボートが船団を襲った。しかし今度は我々が船団を守り切った。襲撃してきた4隻のUボートのうち2隻を爆雷攻撃で撃沈。1隻が緊急浮上して来た所を砲撃により撃沈。最後の1隻は手傷を負わせたが、撃沈することはできなかった。
こうして我々は10回目の航海を終えてロンドンデリーに入港した。我々は2隻のタンカーを失ったが、4隻のUボートを撃沈し、撃沈スコアは計9隻に達していた。
この航海の後、私は中佐に昇進した。
つづく